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第1章 商業都市『ベレンツィア』聖カルメア教会 初任務 編

5.リアードの忠告/アイリスの覚悟

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「すみませ~ん。今晩、こちらの宿屋にお部屋はありますか?」

 2人と1匹は宿屋のカウンターで訊ねながら、どうか空いている部屋がありますように…と祈った
 エルが急に降らせた大雨のせいで、近隣の宿屋は満室ばかりだった。宿探しは難航を極めていて、同じことを訊ねるのはこれで5件目なのだ。

「今日は急なお客さんが多くって……でも、坊やたちはラッキーね!ちょうど2部屋空いているわよ」
 カウンター越しに受付係のお姉さんが、ウインクした。



「僕とリアは同じ部屋、アイリスは部屋を1つ使っていいよ!
 荷物を整理したら1時間後、夕食にベレンツィアの市街へ出掛けよう!」

 2人と1匹は、それぞれの部屋の前で別れた。

 エルとリアードは部屋について、荷物をベッドの下に降ろした。
 荷物はイストランダの史徒文書館から持ってきた、聖カルメア教会に関する『報告書』と、イストランダの史徒ヒストリアであることの身分証明書……それと聖カルメア教会への『検閲許可証』だけだ。

 エルはこれまでに、荷物をカバンごとなくすことが多々あった。そのため、文書館を旅立つとき、リアードはルシフィーから「荷物は必ずリアードが持つように」と厳しく言われ、ずっと背中に背負っていたのだった。

 エルはずぶ濡れのマントを脱いで、床に放り投げた。ベッドに、ばふっと身を投げ出し、大の字に寝転がる。

「はぁ~……まだまだ先は長いのに、早くイストランダに帰って、ルシフィー様に会いたいよ。
 ――でも、頑張らなくっちゃ!初任務をきちんとこなして、ルシフィー様にいっぱい褒めてもらうんだ」
「……お前、この任務、おかしいと思わないのか?」

 ――エルよりも少し低い、けれどまだ幼さの残るが、ベッドの横から発せられた。
 そこには、褐色の肌に黒い髪、黒い瞳の、エルと同年代くらいの少年が立っている。――先ほど、リアードが荷物を置いた後、伏せていた場所だ。

「……リア?おかしいって、何が?」

 何食わぬ顔で、エルは褐色の少年――リアードに向かって訊ねた。

史徒ヒストリアの初任務はふつう、『正典』の認定記録をとる方が当てられることが多いだろ。
 ……でも、今回は得体の知れない邪悪な書物の禁書密告――それに、あのアイリスとかいう、アミリア族の娘の話だ。
 ――聖カルメア教会には、何かあるに違いない」

 リアードは真剣な顔で、エルの目をまっすぐに見つめて忠告する。

「……何かあるに違いないことは、わかっているよ。何かあるから、僕たちが赴くんじゃないか。――リアは、怖いの?」

 エルが澄んだ薄シルバーの瞳をリアードに向けて、見つめ返した。
 ――しばらく見合った後、先に折れたのはリアードだった。視線をそらし、はぁ~、とため息をつき、エルの隣のベッドスペースに、ぼすっと横たわった。

「……お前がおっちょこちょいだから、面倒を見るのが大変だって、うんざりしただけだよ」

 エルはリアードを、ぎゅっと抱きしめ、頭をわしゃわしゃと撫で回した。

「ふふ。やっぱり、僕はリアを連れてきてよかったよ!」
「……連れてこられたんじゃなくて、ついてきてやったんだよ」

 ◆

 アイリスは、部屋に入ると一人、ベッドに腰を掛けてほっと息をつきながら、これまでの目まぐるしい展開を思い返した。
 ――森を出てきた時のこと、エルとリアードとの不思議な出会いのこと。

 ドラコーンの森の皆が、一族の男たちと魔獣らの身を案じていた。
 ――しかしそれでも、森を出て探しに行こうとする者は、誰一人としていなかった。
 それは、決して臆病や薄情だからではなく、アミリア族の古くからの言い伝えを守っていたからである。
 『ドラコーンの森の民は、神聖なる森を離れてはならない』
 成人した男性のみ――それも、森が活動を止める冬季のみ、森の外へ出ることが許されるのだ。
 ――そんなわけで、森に残った民は、森の外を知らないものばかりであった。

 皆が成す術なく不安な日々を過ごすなか……アイリスはこのままでいいのだろうか、という気持ちに駆られ、居ても立ってもいられずにいた。
 ――そして自分だけが父から聞いた『聖カルメア教会』のことが、どうしても気になっていた。

 しかし、言い伝えを破って、森から離れることに、どうしても勇気が出せない。
 ――部族長である父がいなくなった後、森の皆を守るのは、自分の役目なのだ。

 ドラコーンの森には、アミリア族の部族長もいれば、魔獣たちを束ねる役目を担う、森の守り神であるドラゴン種の長もいた――『ドラコーン』である。

 ドラコーンは、長寿なドラゴン種の中でも、最も年老いたドラゴンで、聖ヨハネウス十字教国が建国される千年より前から生きている。
 長い歴史の中で多くの争いに巻き込まれてきたドラコーンの全身は、赤く炎のように猛々しかった鱗も、相当な年季が入り、傷だらけだ。

 歴代のアミリア族の部族長たちは、ドラコーンから、ドラコーン森のこと、魔獣たちのこと、森の外の世界のことを教えられる。
 アイリスは、父ドリドルンに小さい頃から、よくここへ連れてこられていた。

「――ドラコーン……私のお父さん、ほかの皆は、どこへ行ってしまったの?――私はこれから、一体どうしたらいいの?」

 アイリスは、ドラコーンの傷だらけの尻尾に手を触れながら、教えを乞うた。
 ドラコーンは、威厳ある目をアイリスに向けて、しばらく見遣った――そして、首を垂れた。
 アイリスがドラコーンの頭を撫でる――意思疎通をとるための作法だ。

『――アイリス…、アミリア族を、守りし者よ。お前の父ドリドルンは、お前にドラコーンの森を託した。その首に掛ける秘石がその証だ』

 アイリスは、首から下げた深い紅色の『ドラコーンの秘石』に触れた。

『――恐れることはないぞ。お前の行く道は、我、ドラコーンが照らそう――』

 するとドラコーンは、前足の爪先をアイリスの首元に近づけた。
 アイリスは一瞬身をビクッとさせたが、成されるがままでいる。
 ――すると、ドラコーンの爪先に小さな炎が灯される。その炎はアイリスの首元の秘石へと、吸い込まれていった。
 秘石は小さく炎を発し、アイリスの足元の一寸先を照らした。

『森のことは、我が引き受けよう。恐れることはない。――さあ、行くがよい!』

 ――こうして、『ドラコーンの秘石』から放たれる炎が照らす道を進んで、4日間――森を出るまでの道のりはアイリスにとっては慣れたもので、動植物の恵みから食物を得ながら、なんとかやってこれた。
 ――しかし、森の外の世界。商業都市『ベレンツィア』にたどり着いたアイリスは、どうしたらよいか、ほとほと困り果てていた。
 初めて見るたくさんの人々。お金も持っていなかった。

 ――そんな心細い状況で、エルとリアードに出会ったアイリスは、本当に神に感謝したい気持ちでいっぱいだった。

 これから先の道のりも、どうか神のご加護がありますように、と祈るアイリスだった
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