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第一幕 千歳の世界

4.セフレの対価

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 頭が痛くてズキズキする。微かな明かりが瞼を刺激し、頭痛と共にあたしを起こした。

「……あれ」

 どこだここ。目を開けて周囲を確認してみる。

 大きなテレビに鏡。ソファと机。造りからして、多分ラブホだ。

「あー、やっちゃった……」

 バルに着いて、途中からの記憶がない。ジビエを中心にしたコースが美味しかったことは覚えている。ワインも。

 ワインを二杯開けたときから記憶はほとんど朧気になっていて、あたしは頭を抱えた。飲んだのは確か、イタリア産のアマローネって名前のものだった気がする。それすら定かじゃない。

 軽い頭痛を堪え、自分の姿を確認してみた。下着姿にストッキング。破れも汚れも見当たらない。どうやら致したわけではなさそうで、ちょっと安心する。

 そんなあたしの体をがっちり抱き留めているのは、横に眠る玲だった。

 掛け布団をそっと持ち上げて確認すると、玲は下着だけで寝ていた。たくましい胸が僅かに上下している。腕はあたしのお腹近くをホールドしていて、その力は大分強い。

 こんなこと、今までにされたっけ? と一人小首を傾げる。セフレになった関係上、互いに次の日が休みでホテルに泊まったことはある。でもその大半、玲は背中を向けて寝るし、こっちも胸にすり寄って眠ったことは一度もない。

 そりゃ、少しはその胸板に縋りたい気持ちはあるけど。鍛えられてて肌つやもいいし、憧れてるから。けれどそんな風に甘えるなんて、あたしには到底できそうにない。要は可愛くない女の見本みたいなものなのだ、あたしという人間は。

 可愛いといえば、今の玲かもしれなかった。安心しきった様子であたしに身を預けてくれる姿は、今までに見たことがなくてつい、笑みがこぼれる。

「ずっとそうしてなさいよ、アンタ。そっちの方が可愛い」

 ささやいて、起こさないように腕を外す。飲酒していることもあるのだろう、軽く身じろぎしただけで玲が起きる様子はなかった。

 そっと立ち上がり、ベッドの側にある時計で時間を確認してみる。午前一時。こりゃだめだ、今から帰るのには遅すぎ。五時くらいになったら玲を起こして帰ろう。

 クローゼットを開けると、あたしの服も玲の服も、丁寧にハンガーにかかっていた。玲がしたのか、それともあたしがしたのかさっぱりわからん。とりあえず皺にはならずに済んだから、胸を撫で下ろす。

 未だこめかみが痛む中、あたしは昨日の記憶を探ってみた。

 バルで食事しながら、勧められるままにワインを飲んだ。玲は饒舌で、仕事のこととかどうのとか、珍しく色々話しかけてきてた気がする。あたしもそれに答えたり、笑って過ごしたような覚えがある。

「……恋人じゃあるまいし、しないで食事だけっていうのもねえ」

 寝込みでも襲ってやろうか、この野郎。と一瞬考えたけれど、やめた。頭痛の方がひどいし、何より酒で温まった体が汗ばんでいて、それどころじゃない。

「お風呂入ろ」

 ストッキングを脱いで浴室に入る。鏡を見ると、そこには化粧が乱れた顔があった。こりゃ一度、落とした方がいいかも。すっぴんを晒して無残になるほどの厚化粧はしていない。

 裸になってタオルやら諸々を持ち、ひんやりとしたタイルに足を乗せると、背筋に悪寒が走った。風呂の栓を開けてバスタブにお湯を溜める。

 髪と体を入念に洗った。化粧も落としたあとは、ジャグジーつきのバスタブで一息だ。

 小型テレビがついてたから、適当にチャンネルを変える。ジャグジーの圧が背中や足の疲れをとってくれるような気がして、ほっとした。

「あー、気持ちいい。やっぱりお風呂は広い方がいいわ」

 家の風呂では足を完全に伸ばせない。その点、ラブホの風呂は大きくて楽だ。

 少しずつ頭痛が治まってきて、そろそろ上がろうか、そう考えたときだった。

「おい、入るぞ」
「玲?」

 ドアから裸体の玲が入ってきて、一瞬きょとんとする。

 まだ寝足りないのか、玲の目が少し据わっていた。ぶっきらぼうな顔つきと態度は、さっきまでの可愛らしさを微塵も感じさせない。

「なんでお前、ベッドにいないんだ」
「起きちゃったんだもん。別にいいじゃないの、アンタ、寝てたし」
「……お前、やっぱり酒飲むと記憶が飛ぶんだな」
「何それ」

 唇の端を器用に歪めた玲に、あたしは焦る。え、何、あたしやっぱりなんかした?

「別に。……お前、他の男の前で酒飲むのか?」
「飲まないわよ。今日、じゃない、昨日か。だって無理やりアンタが飲ませたんでしょうが」
「それならいい」
「何がいいのよ。教えなさいよ」
「無自覚は怖いってことだな」

 簡単に体を洗った玲は鼻で笑うと、さっさとバスタブの中に入ってきた。無意識に場所を作ってしまう自分が恨めしい。縮こまりながら、もう一度昨日の出来事を探ってみる。だめだった。

「無自覚って……全然思い出せないんだけど」
「だからいいんだろ。それにしてもお前、化粧とってもあんまり変わらないんだな」
「褒めてんの? それ」
「ケバいのよりはいいさ。香水臭くもないし、やってるときとは全然違うな」
「どうせあたしはしてるとき、声が大きいですよ。悪い?」
「いや? マグロはつまらないだけだ」

 セフレとして合格点ですか。そりゃ結構なことで。不敵な笑みで答える玲を尻目に、あたしは内心で皮肉を飛ばした。

「ちょっとこっち来い」
「あたし、そろそろ上がりたいんだけど」
「いいからこっちに来い」

 まさか風呂場でするわけじゃなかろうな。そう思いつつ、尊大な命令に渋々体を動かし、玲の側へ近寄る。お湯の中で体を反転させられて、後ろから抱きすくめられた。

「な、何?」
「黙ってろ、少し」

 均整のとれた体に背中がくっつく。両腕は動くことなく、あたしの胸元を強く抱き留めている。愛撫も何もない中で、テレビの音だけが大きく反響していた。

 なんだろう、今日の玲は少しおかしい。いつもは互いにシャワーを浴びて、して、終わる。たまに風呂に入ることもあるけど、そのときは必ず、胸や体の一部を弄り合う……言わば準備運動をするはずなのに。

 玲があたしの頭に顔をうずめる。体を抱き留める力が強くなる。

 ど、どうした。なんでこんなことになってるんだ。あたしは少しのぼせた頭で考えるも、混乱ばかりが思考を支配して、ろくに働いてくれない。

 恋人同士がするような状況に、あたしは慌てて玲の太股をそっと撫でた。したい、の合図。玲の体が一瞬、動く。玲がようやく手で乳房を揉んできた。

「玲」

 しなきゃ。セックスしないと。あたしたちは恋人じゃないんだから。

 あたしは振り返る。長い睫に縁取られた、切れ長の瞳。玲がこちらをじっと、見つめている。どこか不機嫌な顔つきも、パーツが揃えられた端正な顔では色っぽさを漂わせるだけだ。

「ん……」

 乳房の尖りを何度も指で弾かれ、快楽があたしの脳髄を駆け巡る。

「……して」

 ねだるようにささやいた。本当はそんな気分なんかじゃなかったけれど、このままじゃ何かが壊れるような気がして、怖い。その思いを消し去りたくて。

 体の向きを変え、お湯の中、まだ立ってもいない肉茎を手で擦る。玲が両手であたしの頬を挟み、かぶりつくようなキスをしてくる。あたしも舌を絡め、それに答えた。

 胸の蕾を弄られていくうちに、段々とその気になってくるのが不思議だ。頭痛はいつの間にか消え去っていた。

「……出るぞ」

 玲があたしから離れ、浴槽から出て行く。うん、と小さくうなずいて、あたしも後に続く。

 その後、あたしと玲は結局、した。それでいい。そうじゃなきゃ対価に見合わない。あたしとアイツはセフレであって、恋人でもなんでもないのだ。体を貪るだけの関係が、今のあたしにはあっている。

  ※ ※ ※

 タクシーで自宅に帰ったのは七時過ぎ。ほとんど寝ていなくて、ついでに腰も重たくて辛かった。仕事が午後からでよかった、とベッドに寝そべりながらしみじみ感じる。

「んー……」

 抱き枕を叩きながら、別れ間際の玲の様子を思い出す。してるとき、ラブホで休憩しているときも、アイツはなんだか機嫌が悪かった。タクシー代まで出してくれてはいたが、なんだか拗ねている子供みたいな感じ。

「あたし、酔ってるときにやっぱりなんかした?」

 無自覚って何よ、と抱き枕をベッドに叩きつける。答えはどこからもやってこない。やはり、どんな相手であれ酒は飲まないようにしよう。

 あたしは勢いよく起き上がり、服を脱いでいく。ワンルームの部屋は狭いが、今の給料ではこれ以上贅沢はいえないのが現状だ。

 服を洗濯カゴに突っこんで、スウェットに着替えた。ミネラルウォーターを飲む。適当に卵を焼いて、パンと一緒に食べる。頭の中はもうすっかり切り替わってオフモード。玲のことは隅に置き、いつものあたしに戻る。

 テレビをつけ、携帯をチェック。連絡が一件あった。友人の瑤子ようこからだ。

 瑤子:おはよー、今日、合コンなんだけど行かない?

 むむ、またもや安く食事を食べられそうなチャンスだ。でも、合コンとなればやはり酒を飲まねば場の空気を悪くするし、今日は仕事もある。

 なぜか一瞬、再び玲の不機嫌そうな顔が頭によぎって、軽く目をつむった。なんでアイツが出てくる。

 苛立ちまぎれに携帯をタップし、返事を打った。

 千歳ちとせ:ごめん、今日はちょっとだるいからパス

 瑤子は起きていたのだろう、すぐに返答が来た。

 瑤子:りょー、また今度誘うからそのときは来てね
 千歳:ありがと、そうする

 携帯を置いて、一つため息。使った皿やフォークなどを洗ってから、アラームをセットする。

 二時間くらいなら眠れるだろう。シングルサイズのベッドに横になり、目を閉じたけど、浮かぶのはやはり玲の顔だった。

 したことがそんなにいやだったのだろうか? なぜ? アイツもやる気じゃなかったとか。

 あんなに温かく、熱く抱きしめられたのはいつぐらいか、もう思い出せない。思い出したくない。あたしは恋をしたくない。傷つくのはもういやだ。

 温かさを振り切って、一人で眠る。ビーズクッションの抱き枕、その冷えた感触が心を落ち着かせてくれる気がした。
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