【R18】二重の執愛〜花枯らしの歌姫と呪われた王〜【完結】

双真満月

文字の大きさ
上 下
25 / 27
第五幕:呪いと奇跡

5-4:残酷なる歌

しおりを挟む
 真紅の輝きが自分の体にまとわりついている――シュトリカは朦朧とした意識の中、それだけを理解した。

「なんだ……?」
「シュトリカ……っ」

 自分から離れ、後退るコル、苦しげなエンファニオの声がぼやけて聞こえる。

(歌いなさい、加護の子よ)
「……歌、う」

 知らない誰か、尊い声を持った女性の声がはっきり、頭の中で繰り返された。シュトリカはすっと立ち上がる。怖さも、悔しさもない。まるで全てが虚無に吸いこまれてしまったかのように、平坦な心のまま、コルを指さした。

花枯はながらしかっ、くそ!」

 毒づき、コルは両手を解いて振りかざす。炎の魔術。蛇のようにのたくる熱が、嵐となってシュトリカに襲いかかる。

 だが、真紅の輝きがそれを吸いこんだ。平然とした足取りで、また一歩、コルを追い詰めるようにシュトリカは歩を進める。

「花枯らしじゃない……なんだ、これは、なんだ!」

 水、風、土――様々な魔術を駆使し、コルが小屋の大半を吹き飛ばしても、シュトリカにはなんの影響も与えない。むしろ清々しかった。絶対的な力で『敵』を屠れることに、今、自分は高揚している。

「コル=リーバ」

 両手を広げた。赤いきらめきが天に立ち上り、紅の光を夜空に舞わせる。

 喉の痛みがない。いがらっぽさもない。自分が今まで感じたことのない嗜虐的な高揚感で、心がどこまでも満たされていく。

 そして高らかに、歌う。フェレネが死んだときの歌を。まだ彼女が人として生きていた頃、はりつけになったときの悲しみと憎しみ、恨みをこめた歌を。

 旋律はおどろおどろしく、歌詞は勝手に頭の中に浮かんだ。怨嗟と憎悪、それに満ちた歌は、花枯らしの力、その域を超えてコルへと襲いかかる。

「ぎっ……」

 見えない手に掴まれるように、コルの体が宙づりになる。喉笛を潰されたと思しきコルは口から泡を吹き、苦悶で顔が歪んでいた。それが楽しくて仕方ない。シュトリカの声はますます大きくなり、湖畔全体に響く。

 楽しくて、面白くてならない。歌は恐ろしく低く単調で、恨み辛みの句を何度も繰り返すばかりなのだが、そんな歌を口が奏でることに喜びしかなかった。

 ああ、これは――とぼんやりとした頭の中で、感じる。

 これは、処女神フェレネの加護だ。フェレネが今、自分の中に形となって現れている。巫女であった母の力を越えた、花枯らしという名の加護。それが本当の意味での奇跡。

 シュトリカは知らずのうちに微笑んでいた。

 これから『こいつ』を、どうやって処理してやろう。まじな風情が、偉そうに――浮かぶのは自分のものではない。フェレネの思考だ。頭の声に導かれるように、また一歩近付くと、コルの体がより痙攣する。

「シュトリカ、だめだ! 殺してはいけない!」

 うるさい声がした。青い髪を持った『男』が、こちらを見て叫んでいる。

 誰だろう。誰だっけ。とても、何よりも大切な人だった気がする――頭が酷く痛い。

「君が手を汚す必要はない! 君の歌は、優しい歌のはずだ。子守歌、春の歌。もう、悲しい歌もそんな恐ろしい歌も歌わなくていいんだ、シュトリカ!」

 男が声を荒げるたび、頭痛は酷くなっていく。紫の目。差し出された手。必死の形相。それらを見つめ続ければ、こめかみが心臓のように脈打った。

 シュトリカ――シュトリカ――シュトリカ。

 何度も繰り返される単語が、自分から何かを剥がしていく。自分とは何か。誰なのか。思い出せず、声が震えた。呪い師が落ちる。でも、頭の中で声がする。歌えと言い続けている。なんのために歌うのか、もう何もわからない。

 金切り声みたいな裏声を出すと、体中が楽になる。その都度、紅の光が膨張しては弾け、旋風のように周囲を吹き飛ばす。

「シュト、リカ……っ!」

 うるさくて堪らない。男の声が煩わしい。風が舞う。光が刃となって、男の体に無数の切り傷を負わせる。それでも男はこちらに近付いてくる。怖がることもなく、ただただ両手を差し出して、その肌に切り傷と血を刻みながら。

「……おいで、シュトリカ」

 細波のような優しい声音が、今度ははっきりと耳に滑りこんできた。家屋を破壊し続け、椅子や机が吹き飛ぶ強風の中、それでも男はしかとそこに立ち、自分を待ちわびている。

 その手を知っている。その声も、台詞も、温もりでさえも全部、知っている。

 そこから全てがはじまったのだ。おいでと呼ばれ、手を握ったあの日から。

「シュトリカ……こっちへおいで」

 シュトリカ。そうだ、それは、わたしの名前――そう認識した瞬間、頭の中で閃光が弾けた。同時に形見の鉱石に罅が入り、音を立てて割れる。

 紅の光が消えた。体中が気怠くて堪らない。思わず倒れそうになった刹那、男――いや、エンファニオが全身で体を受け止めてくれた。あちこちに傷を作りながら。

「エンファニオ……様」
「シュトリカ……よかった……」

 抱きしめてくれるエンファニオの顔に、手にある無数の傷跡。そこから鮮血が滴り、頬にかかるものだから、シュトリカは思わず泣き出した。

「ごめんなさい、ごめんなさい……わたし、エンファニオ様、を」

 傷付けた――フェレネに意識を乗っ取られていたとはいえ、自らの手で愛する人を傷付けてしまった。それだけでなく、コルまで。そのことが怖くて、恐ろしくて堪らない。自分の歌声を恨んだのは、これがはじめてだ。

「大丈夫だよ、シュトリカ。もう怖いものなんてないのだから」
「わたし、自分が怖いです……こんな歌、もういらない……」
「君の歌がなければ、私は死んでいた。君の歌があったからこそ、こうして今ここにいる」

 強くきつく抱きしめられ、温もりにまた、涙が溢れる。こんな人間が、恐ろしい歌声を持つ女が、優しい彼の側にいていいのだろうか。そう思うも、どうしても体を振り切れない脆い自分が顔を出す。

「シュトリカ、陛下! ご無事かっ!」

 もはや家の形をなさない廃墟に、カイルヴェンが飛びこんでくる。抱きしめられたままのシュトリカが視線を向けると、倒れているディーンも見えた。

「今の光と歌は……いや陛下、それよりもそのご様子は……」
「この程度なんともないよ。そちらはどうなっている?」
「シュトリカの歌が聞こえると共に、ディーン殿が倒れられましてな。息はしております、ご安心を」
「そう……伯爵、コルの様子を見てくれないか。できれば、捕縛も」

 エンファニオの言葉に、カイルヴェンは剣を鞘へと納めた。すでに老人と化したコルの姿に、若干驚いた様子を見せつつも、手をとり、脈を測っていた。こちらにうなずいて、それからコルへ、体を拘束する捕縛の術をかけていく。

 シュトリカは涙を拭い、コルを見つめる。未だ気絶しているままの彼を。

 仄かに、喉笛を潰したいやな感触がまだ残っていた。喉が潰れたとするなら、呪いはもう、かけることはできないだろう。しかしそれは、エンファニオの呪いを解くことも叶わないと同じ意味だ。

「アーベ様……まだ、います、か」
「いるよ、ここに」
「……アーベ様を消すことができないかもしれません……コ、コルの喉を潰したから」
「ああ、そうじゃないよ、シュトリカ」

 エンファニオに頬を撫でられた。慈悲に満ちた笑みを浮かべられ、胸が苦しくなる。

「アーベは私だ。私もまた、アーベ。君の言う通り、私たちは表裏一体。同じ人間なんだ。それがようやくわかった。アーベは呪いの化身ではないということがね」
「で、でも……魔術も使えないままじゃ……」
「己だと認めたら、あっさり主導権を明け渡してくれたよ。魔術の方も大丈夫。たまに出ることはあると思うけれど、多分、君の前にしか姿を見せないのではないかな」
「どうして、わたしの前だけなんですか?」
「君しか愛していないから」

 エンファニオは笑みを深め、優しく額に口付けをしてくれる。

 そのとき、こほん、と咳払いの音が聞こえた。我に返る。父がなんとも言えない顔でこちらを見ていた。

「お、お父様。来て下さって、ありがとうございます」
「……いや、お主が無事で何よりだ、シュトリカや」
「伯爵、力添え感謝する。もうじき親衛隊がこちらに来るだろう。ディーンとサミーを連れて戻ろう。……シュトリカ、辛いと思うけれど、コルと話したことを聞かせてほしい」
「……はい」

 シュトリカはうなずいた。ペクがどこかで見ているだろうが、彼との会話は聞こえなかったはずだ。全てを明るみに晒すためにも、自分の証言が必要なことはわかっている。

 幸いにも、近くで見た限りエンファニオに深い傷はなさそうで、それには安堵した。傷付けてしまったのが自分だとわかっているから、後悔と罪悪感が胸を苛むが。

 しばらくして、親衛隊の面々が馬車を伴って姿を見せた。エンファニオに手当てを施した彼らは、眠り続けるディーンを運んでいく。父の馬車に乗っていたサミーはすぐに目を覚まし、無事を喜んでくれた。

 捕縛の術だけでなく、猿轡さるぐつわと革で拘束され、連れて行かれるコルを見て思う。

(僕らはどうせ、忌まれる身分なんだ)

 コルの言葉が何度も、何度も頭の中で繰り返される。境遇が似ている、とも言っていた。もしかすれば、自分も一歩間違えれば彼のように誰かを恨み、憎み、戦のために力を使っていたのかもしれない。そう考えれば、やるせなかった。

 でも、と同時に感じる。コルが見せてくれた笑顔は、全部演技だとは思えなかった。誰もが別の顔を持つ、それはきっと、コルも同じだったのではないだろうか。まじなとしてのコルと、親衛隊で護衛をしてくれたコルの顔。

 それはエンファニオとアーベにも当てはまるように思える。表裏一体。同じ人間。ただ、思考が少し、道が少し違うだけで。

 馬車に乗ったシュトリカは、陰鬱な気持ちを振り払うようにエンファニオを見た。すぐ隣にいるのに、呪いの波動が全く感じられない。

「どうかしたかな」
「あ、いえ……呪いの波動がわからなくて」
「私がアーベを認めたから消えた、というのではなく?」
「違う、と思います……どうしてだろう……」
「……もしかして、花枯はながらしの力が消えた……とかかな?」

 エンファニオの言葉に、思わず喉を押さえた。

 あれだけの力を行使したのだ、その線もある。事実は歌ってみなければわからない。しかし、試すことをためらう。もう一度歌い、またフェレネが現れたらと思うと、恐ろしさの方が勝った。

「……歌ってごらん、シュトリカ」
「で、でも、陛下。またあんなことになったら……わたし」
「大丈夫だよ。そうなったときはまた、君を引き戻してみせる。別に悲しい歌でなくとも、花枯はながらしは使えるのだろう?」
「はい……それはできます。けど……怖くて……」
「私を信じて。君の歌を聞かせてほしい」

 微笑むエンファニオの言葉に悩みあぐねる。静寂が重い。考えた末、シュトリカは口を開いた。できるだけ明るい歌、夏の祭りを詩にした歌を思い出し、怖々と歌ってみる。

 アーベを想像して歌ったけれど、扉を押すような感覚、押し戻してくるはずの抵抗の波動、それらの欠片は微塵も感じ取れない。

「……ど、どうですか? アーベ様に何か変化はありますか?」
「寝ているね。君の歌を聞いて、安心して眠っているよ。変わらないかな」
「じゃあ、やっぱり……?」
「花枯らしの力は消えた。そう考えるのが妥当だろうね」

 力が抜ける。魔術は元々使えず、唯一の取り柄である花枯らしすらもなくなった。それはフェレネからの加護を、使い果たしたからなのかもしれない。

「わたし、何もなくなってしまいました……」
「そんなことはないよ、シュトリカ。私とアーベがいる。二人の祝福では、不満かな?」

 祝福、その言葉に不思議と胸が安らいだ。微笑み、頭を振る。

 愛した人に愛される、それが何よりも幸せだった。何もない自分への新しい祝福。エンファニオがいる、父がいる、サミーたちも。彼らからの思いが、新しい道を照らしてくれているように感じた。

「幸せです、わたし。凄く今……」
「これからはもっと幸せになろう。一緒にね。愛しているよ、シュトリカ」

 肩を引き寄せられ、エンファニオの胸元に顔をうずめたシュトリカはうなずく。

 優しさと愛情に満ちた馬車内を、柔らかな月明かりが温かく照らしていた。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

エリート警察官の溺愛は甘く切ない

日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。 両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉

【完結】今世も裏切られるのはごめんなので、最愛のあなたはもう要らない

曽根原ツタ
恋愛
隣国との戦時中に国王が病死し、王位継承権を持つ男子がひとりもいなかったため、若い王女エトワールは女王となった。だが── 「俺は彼女を愛している。彼女は俺の子を身篭った」 戦場から帰還した愛する夫の隣には、別の女性が立っていた。さらに彼は、王座を奪うために女王暗殺を企てる。 そして。夫に剣で胸を貫かれて死んだエトワールが次に目が覚めたとき、彼と出会った日に戻っていて……? ──二度目の人生、私を裏切ったあなたを絶対に愛しません。 ★小説家になろうさまでも公開中

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。 そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。 だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。 そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。

僕は君を思うと吐き気がする

月山 歩
恋愛
貧乏侯爵家だった私は、お金持ちの夫が亡くなると、次はその弟をあてがわれた。私は、母の生活の支援もしてもらいたいから、拒否できない。今度こそ、新しい夫に愛されてみたいけど、彼は、私を思うと吐き気がするそうです。再び白い結婚が始まった。

処理中です...