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第五幕:呪いと奇跡

5-1:ほんの少しの別れ

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「シュトリカ嬢、陛下に結婚を申しこまれたこと、おめでとうございます」
「あ、ありがとうございます、コル……わたしでいいのか、まだ迷ってますけど……」

 離れ近くの花畑で花を愛でていたシュトリカは、コルの言葉にはにかんでみせた。

 思いを通じ合わせ、抱き合った日から三日が経過している。エンファニオが自分に求婚してきたのはその翌日、すなわち昨日のことだ。戸惑いながら受け入れた直後、ディーンをはじめとする親衛隊を含め、サミーたち使用人にエンファニオが王の宣言として伝えた。

 ただ、これは当初の『見初められた令嬢』から『婚約者』になっただけで、正式に婚姻するのは一週間後――すなわちエンファニオと共に王都へ行ってからになるようだ。

「で、シュトリカ嬢はどこの貴族なんですか? 王都で発表されるみたいですけど」
「それは……陛下が仰った通り、秘密です」

 好奇心に満ちたコルの瞳に苦笑し、肩に止まっているペクを撫でた。

 自分の出自は未だ秘密となっている。それでも、シュトリカの父であるカイルヴェン、それからエンファニオの父――先王には内密に話をつけてあるという。二人とも、あっさり了承したとも。

 もう逃げられない、と思った。逃げたくないという方が正解か。今までは全ての事柄を諦めたり、自分の殻にこもってやり過ごしてきたけれど、それは通用しない。シュトリカはエンファニオに愛される覚悟を決めた。彼を愛し抜く覚悟も。

 懸念の一つである呪い、すなわちアーベはここのところ、姿を現していない。消えてはいないとはエンファニオの言だ。なぜ姿を見せないのか不安に思うが、エンファニオ自身、あまり困っていないとも言っている。まだ、強い魔術は使えないままのようだが。

 穏やかなエンファニオの中に巣くう、苛烈な情熱を持つアーベ。シュトリカには、どうしても切り離して考えることができなかった。エンファニオが自分を抱くとき、いや、こちらに向けている思いはとても、似ている。

 だとすると、どういった類いの呪いなのか、余計わからなくなる。まじなは議会のとき以来動かず、正体をディーンたちが調べている最中だ。取り立てて成果は上がっていないらしいけれど。

「いやあ、平和ですねえ。ポラートも目立った動きを見せてないようだし」
「平和が一番だと思いますけど……コルは、いやですか?」
「退屈なのがいやなだけですよ。爵位も早く売って、悠々自適に暮らしたいもんです」

 足で石ころを蹴るコルの言い方に、思わずくすりと笑みが漏れた。それを見てか、コルがいたずらっ子のように唇をつり上げる。

「それにしても、本当に奇麗になりましたよね、シュトリカ嬢。はじめて見たときは少し暗く感じてたのに。これも陛下のおかげかな?」
「そ、そんなことは、ないです……」
「陛下が一番大事にしているのって、シュトリカ嬢ですよね、きっと。愛されてるなあ」

 揶揄するような台詞ばかりで、シュトリカはただ恥ずかしく思う。奇麗になった自覚などない。だが、愛されているのは本当だろう。鎖のような重い愛が絡みついて、それすら喜ぶ自分が確かにいた。

 離れたくないと思うこと、ずっとエンファニオの側にいたいと感じること、強欲さばかり表に出てきて、嫌われないか心配だ。

 サミーにそんな不安を吐き出したこともある。しかし彼女曰く、恋をすれば誰でもそうなると言われた。恋――思えば最初に名を呼ばれたとき、優しく手を握られたときから、エンファニオへほのかな慕情を抱いていたのかもしれない。

「あっ、そろそろ離れに行く時間ですよ、シュトリカ嬢」
「あ……そ、そうですね。コル、護衛お疲れ様でした」
「いえいえこのくらい。ちゃんと仕事してること、陛下に伝えて下さいね」

 うなずくと、コルは本館へといつものように素早く戻っていく。いわゆる逢瀬の時間を邪魔するまいと思ってくれたのだろう。だが、離れに行くのは、エンファニオと甘い時間を共有するためではない。カイルヴェンと会う約束があるのだ。

 シュトリカは立ち上がり、離れへと歩きながら小さく嘆息する。未だ彼を、父とは呼べていない。それはだめだ。胸飾りを握り、亡き母から力をもらうように前を見据えた。

 離れにはすぐに着いた。入り口にはサミーがおり、こちらに向かって一礼してくる。

「皆々様、揃っておられますよ」
「……わかりました。すぐに行きます」

 サミーに付き添われながら、談話室へと足を運ぶ。一呼吸おいて扉を叩き、中へ入った。

 室内にはエンファニオ、ディーン、そしてカイルヴェンがすでにソファに座っていた。茶の香りが充満する中、シュトリカはドレスの裾を摘まみ、丁寧に腰を落とす。

「来たね、シュトリカ。さあ、座って」
「はい、陛下」

 微笑むエンファニオの横に、静かに腰かけた。ペクが机の端に乗る。シュトリカを見て、カイルヴェンは黄色の瞳を柔らかく細めた。

「この度はご婚約、まことめでたく。……シュトリカ、おめでとう」
「……ありがとうございます、お、お父様……」

 ささやくように父と呼べば、カイルヴェンは感極まったかのように目を潤ませ、うなずく。実の父親という実感はまだほとんどないけれど、母が愛した人が彼でよかった、そう思える程度の余裕はできた。

「話を進めてもよろしいか、お二方」

 しんみりとした空気を裂くディーンの言葉に、シュトリカは小首を傾げる。一体、三人はなんの話をしていたのだろう。疑問に思う自分の横で、エンファニオが言う。

「君の力について話していたんだよ、シュトリカ」
「わたしの力、ですか……? 前に話したときは、確か……加護や奇跡だって」
「貴族たちからはその力、花枯はながらしとしてある意味恐れられている。ポラート、ならびに我が国ベルカスターの貴族が依頼したこともあるはず。姿を覚えられている可能性も高い。王妃が忌むべき歌姫とわかれば、反対するものが数多く出ることもあり得る」
「そこで私が考えたのはね。君のご母堂、シーカの出自も明らかにすることなんだ」
「お母様の? あ、巫女だったから、でしょうか」
「その通り。伯爵の辛い過去を広めてしまうことになるけれど。巫女の長であるシーカの娘、すなわちシュトリカ。君の力は、処女神フェレネの特別な加護だと思わせてしまえばいい。どうかな、伯爵。醜聞の的になってしまうかもしれないのは、重々承知だ」
「陛下、今更何を。我が身がどうなろうとも、シュトリカが幸せに、皆に祝福されて結婚することができればそれでよろしいのです」
「シュトリカ、君はどう思う? それでも反対してくる人間はいるとは思うけれど」

 エンファニオに問われ、少し考える。花枯らしの力が忌み嫌われていることはわかっている。果たして両親を踏み台にし、自分だけ幸せになってもいいのだろうか、とも。

 だが、父のカイルヴェンは覚悟を決めてくれた。例え石をぶつけられるようなことになっても、噂で胸が痛むようなことがあっても、エンファニオの側にありたいと感じる。貪欲と呼んでいいほどの思いが、自らの背中を後押しした。

「……わたしも、覚悟はできています。まだ至らない点も多いですけど……陛下や皆さんの力をお借りしたいと思っています」

 予想していた以上に、力強い声が出た。ディーンが少し、驚いたように目を見開く。

「ふむ。当初会ったときは、か弱い女人と感じていたが……どうやら芯は強いと見える。よろしい、自分も全力を尽くすことを約束しよう」
「ありがとうございます、ディーン様。わたし、とても心強いです」

 賛辞の言葉に恥ずかしくなるが、シュトリカは素直に微笑んだ。強くなれたのは、きっとエンファニオへの愛からだ。彼の側にいて、恥ずかしくない人間でありたい。そんな気持ちが今の自分を支えている。

「すぐに噂を払拭することは難しいだろうね。でも、このまま無事にポラートと和睦が成立すれば、神話を愛する民たちは、シュトリカをきっと祝福すると思うよ」
「しかしながら陛下。お言葉を返すようで申し訳ない。問題はあの、雑技団の団長ですぞ」
「何を仰るか、ディーン殿。ゆすり、たかり……そのようなもので我らをどうにかできると思っているならば、それ相応の報いを受けさせてやるのが筋というもの」
「伯爵、落ち着いて。なるべく穏便に済ませよう。何も後ろ暗いことはないのだから」

 鼻息荒く身を乗り出すカイルヴェンに、エンファニオが苦笑した。同意を求められるようにこちらを見て微笑むから、シュトリカも首肯した。

「わたし、雑技団で変なことはしていません。花枯らしは使いましたけど……」

 紅茶を飲みながらふと、頭に疑問がよぎる。ディーンのことだ。あの夜の会話、そして自分を狙ったかもしれない毒。エンファニオに以前聞いたのだが、ディーンは傀儡くぐつの呪いをかけられている可能性があると言っていた。

 だが、今こうして側にいても、呪いの波動は感じられない。アーベという化身を身に宿すエンファニオが近くにいるからだろう、そちらの呪いの存在は確かに感じる。気配が上書きされてしまっているからなのか、それとも別の要因があるのか。

 それでも、今のシュトリカにはどうすることもできない。大分よくなったとはいえ、喉が完全な状態ではないのだ。ディーンが呪いにかかっていたとしても、解くことは叶わない。もどかしい気持ちを抑えこみ、静かにカップを置いた。

「陛下、もしよければ、我が館にシュトリカを招きたいのですが」
「伯爵の館に? それはまた、突拍子もないね。何か理由があるのかな」

 シュトリカはエンファニオと顔を見合わせ、目を瞬かせた。カイルヴェンはどこか浮かれている調子でうなずく。

「ご結婚なさればあまり話せなくなりますゆえ。その間にシーカの話をしておきたい次第。式典用のドレスもあつらえたく……シュトリカにぜひ、着てもらおうと思いましてな」
「わ、わたしが頂いてもいいんでしょうか?」
「うむ。幸い、シーカへ捧げようと思ったドレスがござる。型は流行と若干異なるゆえ、少し直しに手間取るやもしれませぬが、三日で終わるよう取り計らいますぞ」
「お母様へのドレスを……」

 父の言葉に、少し心が動く。式典は簡易に行われると聞いているし、そのときの作法も普段とほとんど変わらないらしい。三日間、エンファニオから離れるのは寂しい気もするが、母のことをもっと、父の口から聞いておきたいという思いもある。

「陛下、あの、わたし……」
「そうだね。とてもいい申し出だ。ただ、伯爵の娘ということはまだ伏せてあるから、こちらからはサミーだけをつけよう。彼女ならシュトリカの世話も慣れている」

 シュトリカの思いを汲み取ったように、エンファニオは微笑みを深めた。カイルヴェンもまた、瞳を三日月みたいに細めて嬉しそうにしている。

「本来ならば、この館に持ってくるのが一番よかったのですがな。どうにも思い入れが強いため、持ち出すことを拒む心もあるのだと承知願いたい」
「いや、それより問題は、伯爵の館にシュトリカ嬢が赴くこと。伯爵はまだ、陛下の政敵という事実がある。陛下の婚約者たる令嬢をなぜ迎え入れるか、理由をつけねば」
「あ、そうですね……」

 ディーンの台詞は至極真っ当だ。シュトリカは考えるも、なかなかいい案が出てこない。助け船を出したのは、やはりエンファニオだった。

「それこそ歌姫、という立場を利用してはどうかな。議会の際に出会い、歌に感銘を受けた。報奨としてドレスを与える、という形だね。少し強引かもしれないけれど」
「それはいい。我が家の使用人たちは、誰もが我と深い付き合い。働いて五年以下のものはおりませぬ。口も堅く、信頼できるものばかり置いておりますゆえ、秘密が漏れることはないかと」
「ふむ……確かに強引なれど、無難な選択でしょうな。シュトリカ嬢とサミーがこちらにいないのは、他の貴族にドレスを見繕ってもらっている、と致しましょう」

 話はすぐに決まった。念のため、と称してペクを連れていくことも。カイルヴェンは今日、馬車で来ているという。馬に乗れないシュトリカとしてはありがたかった。

 それぞれ用意をするために、ディーンとカイルヴェンが外に出ていく。残ったのはシュトリカとエンファニオだけだ。

「少し、寂しいな。三日とはいえ君と離れるなんて」

 手を握られ、甲に口付けを落とされてシュトリカは頬を染めた。同じ気持ちで、嬉しい。はにかみながら、そっとエンファニオの肩に頭を寄せた。

「わたしも同じです、エンファニオ様。でも、ペクがいますし」
「ペクに妬いてしまいそうだよ。……ふふ」
「ど、どうかしたんですか?」
「アーベも同じだそうだ。拗ねている」
「エンファニオ様、アーベ様と仲良くなったんですね……?」
「仲がいいというのかな。奇妙なもう一人の自分と言えばいいのか……ともかく今は、アーベは大人しい。この調子だと、いずれ消えてくれるかもしれないね」

 言って、エンファニオが優しく体を抱きしめてきた。暖かい温もりと穏やかな鼓動を全身で受け止める。アーベが消える、その言葉がなぜか胸を締めつけた。理由はわからない。アーベが時折見せる優しさを知っているからだろうか。

 でもわたしは、エンファニオ様が好きだから――そう思い、しばらくの間エンファニオの体温を体に刻みつけた。

「コルがいないから心配だけれど……気をつけて行くこと。何かあったら、ペクに話して」
「……はい。ありがとうございます」

 見つめ合い、互いに唇を軽く重ねたとき、扉が叩かれる。慌てて体を離すと、鳥籠を持ったサミーが入ってきた。

「失礼致します。シュトリカ嬢、準備ができました。裏口からどうぞ」
「は、はい。……陛下、どうか何事もありませんように」
「うん。シュトリカ、君も」

 何もなかったかのように笑うエンファニオに一礼し、机の端にいるペクを呼ぶ。ペクは一声上げると自分の肩に乗ってきた。

 優しく自分を見送る視線に、心が弾む。もう一度振り返り、立ったエンファニオへ微笑みを投げかけた。慈愛に溢れた視線とうなずきを胸に閉じこめ、シュトリカはサミーと共に裏口へと歩いて行った。
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