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第三幕:守る意志
3ー1:戸惑う心
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議会が開かれる当日の昼近く――シュトリカは離れの図書室にいた。貴族たちが集まる前に、とディーンの指示で深夜、館を移動させられたのだ。夜、アーベは来なかった。久しぶりに一人でぐっすり眠ることができ、胸を撫で下ろす。体も随分楽だ。
それはきっと、今までエンファニオが口移しで飲ませてくれた滋養薬のおかげでもあるだろう。口付けの甘さを思い出し、頬が熱くなる。毎日続いていた行為に胸の奥が疼いた。ちっぽけで、身分すらもない自分に、エンファニオはどこまでも優しい。
だめよ――ともう一人の自分がささやく。その優しさに甘えてはいけない。彼は王だ。花枯らしのこの身は汚れている。結ばれるはずがない。思いは秘めてしまわなければ。
それでも、どうしても髪を梳いてくれた指先や、触れ合う唇の温もりを忘却するには、ここ数日あまりに濃密な時間を過ごしてしまった。小さくため息を漏らす。
「……どうしよう」
本館のものより小さな図書室には、サミーが入れてくれた紅茶の香りが漂っており、窓から入る陽射しと微かな風も心地よい。穏やかさに、母の形見に彫られていたという紋様、処女神フェレネのことを調べようと集中するも、気分はなかなか落ち着いてくれなかった。
梢が風になびく音に耳を傾けながら、水色のドレスの上、腹部をそっと撫でた。まだ、月のものは来ていない。その周期ではないということもあるが、もしこのまま印が来なければ、そんな一抹の不安がよぎる。
アーベは避妊を許さなかった。恥ずかしいことに、胸や体に子種を注がれたこともあるが、大抵は胎内へ出されている。本当に、自分を身籠もらせたいらしい。でも、それはアーベの意志だ。エンファニオが望んでいることではないだろう。
アーベのことはエンファニオとだけの秘密だ。ペクのことといい、エンファニオとは秘密ばかりを共有している。まるで、自分が特別な存在みたいな錯覚に陥る。そんなはずはないというのに。
けれど、エンファニオの情熱的な眼差しや口付けを思い返す都度、胸が高鳴る。優しく、聡明な彼に迷惑はかけたくないと思う一方、このままエンファニオの側にいられれば――そんな浅ましさが募って止まない。汚れた身であると、理解しているはずなのに。
「本当に、どうしよう……」
「何がですか、シュトリカ嬢」
独り言に反応されて、小さな悲鳴を上げそうになった。窓を見る。そこには顔だけを出して笑うコルがいた。
「コ、コル。そんなところで、何をしているんですか?」
「あはは。見回りの最中ですよ。この館の見回り、僕しかいませんからね」
窓の縁に足をかけ、いとも容易くコルが室内に入ってくる。そして、断りもなく空いていた眼前の椅子に腰かけた。
「何を読んでたんです? 本?」
「え、ええ。処女神フェレネに関する本です」
「ああ、あの神話の。僕、ああいうのって興味ないんですよね。楽しいですか?」
「楽しいというか……ちょっと調べたいことがあって……」
「真面目だなあ、シュトリカ嬢って。そこも陛下の気を惹く理由になったのかな」
「そ、そんなことは……ないです……」
「わあ、自覚ないんですか。こないだも陛下、もの凄く僕のこと牽制してきてましたよ」
牽制と言われて首を傾げた。何のことだろう、と考えていれば、コルが声を上げて笑う。
「わからないならいいですよ、別に。でもあんな陛下は見るのはじめてで、面白くて」
「そう……ですか?」
「ま、意外な一面って誰でも持ってますからね。シュトリカ嬢にもあるでしょ、きっと」
「意外な一面……」
ますますわからなくて、頬を手を添え、考える。自分のもう一つの顔といえば、夜、アーベだけに見せる淫らな姿かもしれない。思わず顔が熱くなり、慌てて苦笑を浮かべた。
「そ、それよりコル。見回りはしなくていいんですか?」
「貴族の皆さんは本館にだけ集中してますからねえ。こっちに来る人なんていなくて……シュトリカ嬢も、退屈してるんじゃないですか?」
「いえ……静かですし、本もたくさんあるので……」
「今、時間あります? 陛下の格好いいとこ、見に行きません?」
唐突な申し出に、思わず目が瞬いた。コルは空のカップに紅茶を注ぎ、美味しそうに飲んでから、いたずらっ子のように微笑みを深める。そうすると、ますます幼く見えた。
「議会を覗きに行きませんかってお誘いです。内側からならともかく、今なら外の警備も手薄ですし。ちょっと見るくらいなら、僕の魔術でどうにかできますよ」
「で、でもディーンさんには、あまり外には出るなって……」
「少しくらいならバレませんよ、ねっ。陛下の格好いいとこ、見たくないですか?」
「それ、は……」
実を言えば、気になる。アーベが表に出ていないか、すなわち自分との約束を破っていないかどうかが。難しい話はよくわからないけれど、ポラートとの和平に関する話も気がかりだ。思わずシュトリカはうなずいていた。コルがますます笑みを深める。
「じゃ、早速行きましょう。窓から出ますよ」
「あ、す、少し待って下さい。書き置き、残しますから」
側にあったペンで、紙にぎこちない文字で『近くの花畑へ行きます』とサミーへと伝言を残した。少し考え、形見の胸飾りも外して置いておく。すぐに帰る意思表示もこめて。
コルが何かを呟くと、ふわりと体が宙に浮く。同時に体が透明になった。
「これは……?」
「光の術です。姿を見られたらさすがにね。浮いてるのは風の魔術。さあて、行きますよ」
扱う術が多才なことに驚きながらも、コルと共に窓から外に出た。少しふらつくが、完全に魔術の制御が効いているようだ。ドレスも変に広がることはない。
鳥のように、自由に晴天の下、二人で飛んだ。本館近くはさすがに人が多く、馬車の元には馭者などもいたが、誰もがこちらを気にする様子は見られなかった。
「声だけはどうしても聞こえちゃいますから、話すときは小声で、ですよ」
「は、はい。わかりました」
「あっ、見えてきた。あの窓です。あそこ近くの空から、中を覗きましょう」
コルに先導され、言われた通り大きな一面張りの窓を見下ろす。見慣れない人々がいた。多分、貴族たちなのだろう。誰もが正装をし、気難しそうな顔で何かを語り合っている。
大胆に窓に近付くも、中にいる騎士や貴族の中で、誰一人こちらに気付くものはいない。ここまで強く、正確な魔術を見るのははじめてだ。技量に感心しつつ、窓際へと寄った。
大きい円卓、最も遠いところにエンファニオを見つけた。その側にはディーンがいる。席から立ち上がって熱弁を振るう、白髪の男性は誰だろうか。記憶の中には全くない。窓も密閉されているのだろう、中の声は聞こえなかった。
「カイルヴェン伯爵だ。反主流派の。やっぱり来てたんだな」
「反主流派……陛下に反対する人、ですね」
「今は少数派になっちゃってますけど、昔は彼を筆頭に多数派だったんですよ? まあ、先代の王の策略で立場が逆転。でも、今でも意見を変えない頑固親父です。なんでも昔、ポラート軍に愛する人を殺されたらしいですけど」
「そ、そうなんですね……だから反対するんですね、陛下に」
見つめる先のエンファニオは、どこまでも凜然とした表情を崩そうとはしない。それは、今まで見てきたどの顔とも違う迫力があり、思わず見惚れてしまう。青を中心とした服は王の正装か。ゆったりとした衣がいくつも重なり、腕輪などの装飾品が陽に輝いている。
今のところ、アーベが表に出ている様子は見受けられない。いつもの陛下だ――そう思い、ほっとした直後だった。
カイルヴェン伯爵が何かを言った瞬間、中がざわめいた気がした。誰もが顔を見合わせ、感嘆の表情を作っている。だがディーンが口を開き、滔々と語っていくたび、次第に喝采の拍手すらわき上がる始末だ。形勢が逆転したのだろうか。伯爵が悔しそうな顔を作る。
「さっすがディーン様。元反主流派。弱点を突くのが上手いや」
「え……ディーンさんは、陛下に賛成してるんじゃないんですか?」
「あれ、知りません? ディーン様は元々は反主流派で、王位も陛下と競い合ってたんですよ。けど、ほら、今は主流派が派閥多いですし。選挙で落選したんです」
ディーンがエンファニオと競っていた、そんな素振り、今まで見たことがなかった。
「ま、反主流派の意向を聞くために、陛下はディーン様を側近にした、って話です。陛下もなかなかあざといですよね。あんな奇麗な顔して、やることはちゃんとやる」
「そうだったんですか……ディーンさんが、陛下とは真逆の立場……」
ディーンは、どう思っているのだろうと考えた。競い合っていた相手に使われる立場を、今は受け入れているように見える。でも、その内心まではわからない。
少なくともエンファニオの方は、ディーンに心を許しているように感じる。仕事すら任せるくらいだ、向ける信頼は厚いだろう。一方、ディーンの心は読めない。遠慮なく小言を述べている姿くらいしか思い出せなくて、少し頭が混乱した。
「これ、内緒の話なんですけど、知ってます? シュトリカ嬢」
「……なんの話、ですか?」
「あくまで噂ですよ、噂。陛下の目の病は、呪い師がかけたものじゃないかっていう」
放たれた単語にどきりとした。勝手に瞳が見開いてしまう。コルが真剣な顔を作った。そうすると、不思議と年相応の顔立ちに見えるから、それにもびっくりしてしまう。
「ポラートの連中がかけたものか、それとも反主流派……例えばカイルヴェン伯爵のやり方に業を煮やした貴族の誰かが頼んだのか、それは定かじゃないんですけどね。でも、あまりに王都から離れて長いですし。こりゃただの病じゃないぞ、と」
「う、噂でしょう? 呪い師に頼むだなんて……そんな……」
「まあ、そう言われちゃおしまいなんですけどね。ただ、陛下を憎む人も少なからずいるって話で。知るのは本人のみっていう……あ、議会、休みに入ったみたいだ」
コルから室内に目線をやれば、確かに一時休憩を挟むようだ。貴族たちが室内から出て行くのが見えた。エンファニオはどこか疲れた様子で、ディーンと話をしている。
今すぐ駆け寄りたい気持ちを抑える横で、コルがちぇっ、と子供っぽく呟いた。
「そろそろ僕たちも戻りましょうか。なんか、ディーン様の格好いいとこだけ見せちゃいましたね。もう少し、陛下の見所があると思ったんだけどなあ」
「い、いえ……充分です。コル、離れ近くの花畑で降ろしてもらえますか?」
「承知しました、っと。あっ、僕が言った噂話、絶対内緒ですよ」
「はい。聞かなかったことにしておきます」
うなずいて、微かに笑む。けれど未だ心臓は脈を打っているし、呪い師という単語や、カイルヴェン伯爵のことが気になって仕方なかった。まだエンファニオを見守りたい、その心を抑えて、コルと一緒に窓から離れる。
花畑にはすぐに到着した。コルが指を鳴らせば、すぐに自分の体が透明から元に戻る。
「ありがとうございました……疲れていませんか?」
「この程度お安いもんです。明日もまた見ます? どうせ主流派ばかり目立つだろうけど」
「……お願いします。いろんなことを見聞きしたいので……わたし、少しお花を摘んでから離れに戻りますね」
「それならサミーさんに、お茶とお菓子を頼んできますよ。僕、喉がカラカラだし」
「じゃあ、お言葉に甘えて……」
「それじゃ、ひとっ走り行ってきます。ここにいて下さいよ」
首肯すると、やはりコルは驚嘆すべき速さで離れへと走っていく。風の術でも使っているんじゃないか、そう思うほど速く遠くなる後ろ姿を見てから、その場にへたりこんだ。
ディーンはポラートの連中が、エンファニオに呪いをかけたのではと言っていた。でも、蓋を開ければどうだ。陛下を憎む人も少なからずいる――コルの言葉を思い返すたび、寒くもないのに肌が震えた。実際のところ、首謀者の目星はついているのだろうか。
「わからないことばかり……」
風にそよぐニゲラの花弁に触れながら、一人ため息をつく。
エンファニオを恨んでいる人、憎んでいる人。反主流派。ポラート。カイルヴェン伯爵、そしてディーン。疑わしいのは誰だか、見当もつかない。もっと物事を見聞きしなければ。そう決意し、花の一本を手折ろうとした刹那――
「そこの女人。何をしておられるのか」
微かな魔力を察知したと同時に、厳しい声音をかけられてはっと顔を上げる。
白髪に臙脂色の正装、蓄えられた髭が目立つ男。カイルヴェン伯爵が、近くにいた。
それはきっと、今までエンファニオが口移しで飲ませてくれた滋養薬のおかげでもあるだろう。口付けの甘さを思い出し、頬が熱くなる。毎日続いていた行為に胸の奥が疼いた。ちっぽけで、身分すらもない自分に、エンファニオはどこまでも優しい。
だめよ――ともう一人の自分がささやく。その優しさに甘えてはいけない。彼は王だ。花枯らしのこの身は汚れている。結ばれるはずがない。思いは秘めてしまわなければ。
それでも、どうしても髪を梳いてくれた指先や、触れ合う唇の温もりを忘却するには、ここ数日あまりに濃密な時間を過ごしてしまった。小さくため息を漏らす。
「……どうしよう」
本館のものより小さな図書室には、サミーが入れてくれた紅茶の香りが漂っており、窓から入る陽射しと微かな風も心地よい。穏やかさに、母の形見に彫られていたという紋様、処女神フェレネのことを調べようと集中するも、気分はなかなか落ち着いてくれなかった。
梢が風になびく音に耳を傾けながら、水色のドレスの上、腹部をそっと撫でた。まだ、月のものは来ていない。その周期ではないということもあるが、もしこのまま印が来なければ、そんな一抹の不安がよぎる。
アーベは避妊を許さなかった。恥ずかしいことに、胸や体に子種を注がれたこともあるが、大抵は胎内へ出されている。本当に、自分を身籠もらせたいらしい。でも、それはアーベの意志だ。エンファニオが望んでいることではないだろう。
アーベのことはエンファニオとだけの秘密だ。ペクのことといい、エンファニオとは秘密ばかりを共有している。まるで、自分が特別な存在みたいな錯覚に陥る。そんなはずはないというのに。
けれど、エンファニオの情熱的な眼差しや口付けを思い返す都度、胸が高鳴る。優しく、聡明な彼に迷惑はかけたくないと思う一方、このままエンファニオの側にいられれば――そんな浅ましさが募って止まない。汚れた身であると、理解しているはずなのに。
「本当に、どうしよう……」
「何がですか、シュトリカ嬢」
独り言に反応されて、小さな悲鳴を上げそうになった。窓を見る。そこには顔だけを出して笑うコルがいた。
「コ、コル。そんなところで、何をしているんですか?」
「あはは。見回りの最中ですよ。この館の見回り、僕しかいませんからね」
窓の縁に足をかけ、いとも容易くコルが室内に入ってくる。そして、断りもなく空いていた眼前の椅子に腰かけた。
「何を読んでたんです? 本?」
「え、ええ。処女神フェレネに関する本です」
「ああ、あの神話の。僕、ああいうのって興味ないんですよね。楽しいですか?」
「楽しいというか……ちょっと調べたいことがあって……」
「真面目だなあ、シュトリカ嬢って。そこも陛下の気を惹く理由になったのかな」
「そ、そんなことは……ないです……」
「わあ、自覚ないんですか。こないだも陛下、もの凄く僕のこと牽制してきてましたよ」
牽制と言われて首を傾げた。何のことだろう、と考えていれば、コルが声を上げて笑う。
「わからないならいいですよ、別に。でもあんな陛下は見るのはじめてで、面白くて」
「そう……ですか?」
「ま、意外な一面って誰でも持ってますからね。シュトリカ嬢にもあるでしょ、きっと」
「意外な一面……」
ますますわからなくて、頬を手を添え、考える。自分のもう一つの顔といえば、夜、アーベだけに見せる淫らな姿かもしれない。思わず顔が熱くなり、慌てて苦笑を浮かべた。
「そ、それよりコル。見回りはしなくていいんですか?」
「貴族の皆さんは本館にだけ集中してますからねえ。こっちに来る人なんていなくて……シュトリカ嬢も、退屈してるんじゃないですか?」
「いえ……静かですし、本もたくさんあるので……」
「今、時間あります? 陛下の格好いいとこ、見に行きません?」
唐突な申し出に、思わず目が瞬いた。コルは空のカップに紅茶を注ぎ、美味しそうに飲んでから、いたずらっ子のように微笑みを深める。そうすると、ますます幼く見えた。
「議会を覗きに行きませんかってお誘いです。内側からならともかく、今なら外の警備も手薄ですし。ちょっと見るくらいなら、僕の魔術でどうにかできますよ」
「で、でもディーンさんには、あまり外には出るなって……」
「少しくらいならバレませんよ、ねっ。陛下の格好いいとこ、見たくないですか?」
「それ、は……」
実を言えば、気になる。アーベが表に出ていないか、すなわち自分との約束を破っていないかどうかが。難しい話はよくわからないけれど、ポラートとの和平に関する話も気がかりだ。思わずシュトリカはうなずいていた。コルがますます笑みを深める。
「じゃ、早速行きましょう。窓から出ますよ」
「あ、す、少し待って下さい。書き置き、残しますから」
側にあったペンで、紙にぎこちない文字で『近くの花畑へ行きます』とサミーへと伝言を残した。少し考え、形見の胸飾りも外して置いておく。すぐに帰る意思表示もこめて。
コルが何かを呟くと、ふわりと体が宙に浮く。同時に体が透明になった。
「これは……?」
「光の術です。姿を見られたらさすがにね。浮いてるのは風の魔術。さあて、行きますよ」
扱う術が多才なことに驚きながらも、コルと共に窓から外に出た。少しふらつくが、完全に魔術の制御が効いているようだ。ドレスも変に広がることはない。
鳥のように、自由に晴天の下、二人で飛んだ。本館近くはさすがに人が多く、馬車の元には馭者などもいたが、誰もがこちらを気にする様子は見られなかった。
「声だけはどうしても聞こえちゃいますから、話すときは小声で、ですよ」
「は、はい。わかりました」
「あっ、見えてきた。あの窓です。あそこ近くの空から、中を覗きましょう」
コルに先導され、言われた通り大きな一面張りの窓を見下ろす。見慣れない人々がいた。多分、貴族たちなのだろう。誰もが正装をし、気難しそうな顔で何かを語り合っている。
大胆に窓に近付くも、中にいる騎士や貴族の中で、誰一人こちらに気付くものはいない。ここまで強く、正確な魔術を見るのははじめてだ。技量に感心しつつ、窓際へと寄った。
大きい円卓、最も遠いところにエンファニオを見つけた。その側にはディーンがいる。席から立ち上がって熱弁を振るう、白髪の男性は誰だろうか。記憶の中には全くない。窓も密閉されているのだろう、中の声は聞こえなかった。
「カイルヴェン伯爵だ。反主流派の。やっぱり来てたんだな」
「反主流派……陛下に反対する人、ですね」
「今は少数派になっちゃってますけど、昔は彼を筆頭に多数派だったんですよ? まあ、先代の王の策略で立場が逆転。でも、今でも意見を変えない頑固親父です。なんでも昔、ポラート軍に愛する人を殺されたらしいですけど」
「そ、そうなんですね……だから反対するんですね、陛下に」
見つめる先のエンファニオは、どこまでも凜然とした表情を崩そうとはしない。それは、今まで見てきたどの顔とも違う迫力があり、思わず見惚れてしまう。青を中心とした服は王の正装か。ゆったりとした衣がいくつも重なり、腕輪などの装飾品が陽に輝いている。
今のところ、アーベが表に出ている様子は見受けられない。いつもの陛下だ――そう思い、ほっとした直後だった。
カイルヴェン伯爵が何かを言った瞬間、中がざわめいた気がした。誰もが顔を見合わせ、感嘆の表情を作っている。だがディーンが口を開き、滔々と語っていくたび、次第に喝采の拍手すらわき上がる始末だ。形勢が逆転したのだろうか。伯爵が悔しそうな顔を作る。
「さっすがディーン様。元反主流派。弱点を突くのが上手いや」
「え……ディーンさんは、陛下に賛成してるんじゃないんですか?」
「あれ、知りません? ディーン様は元々は反主流派で、王位も陛下と競い合ってたんですよ。けど、ほら、今は主流派が派閥多いですし。選挙で落選したんです」
ディーンがエンファニオと競っていた、そんな素振り、今まで見たことがなかった。
「ま、反主流派の意向を聞くために、陛下はディーン様を側近にした、って話です。陛下もなかなかあざといですよね。あんな奇麗な顔して、やることはちゃんとやる」
「そうだったんですか……ディーンさんが、陛下とは真逆の立場……」
ディーンは、どう思っているのだろうと考えた。競い合っていた相手に使われる立場を、今は受け入れているように見える。でも、その内心まではわからない。
少なくともエンファニオの方は、ディーンに心を許しているように感じる。仕事すら任せるくらいだ、向ける信頼は厚いだろう。一方、ディーンの心は読めない。遠慮なく小言を述べている姿くらいしか思い出せなくて、少し頭が混乱した。
「これ、内緒の話なんですけど、知ってます? シュトリカ嬢」
「……なんの話、ですか?」
「あくまで噂ですよ、噂。陛下の目の病は、呪い師がかけたものじゃないかっていう」
放たれた単語にどきりとした。勝手に瞳が見開いてしまう。コルが真剣な顔を作った。そうすると、不思議と年相応の顔立ちに見えるから、それにもびっくりしてしまう。
「ポラートの連中がかけたものか、それとも反主流派……例えばカイルヴェン伯爵のやり方に業を煮やした貴族の誰かが頼んだのか、それは定かじゃないんですけどね。でも、あまりに王都から離れて長いですし。こりゃただの病じゃないぞ、と」
「う、噂でしょう? 呪い師に頼むだなんて……そんな……」
「まあ、そう言われちゃおしまいなんですけどね。ただ、陛下を憎む人も少なからずいるって話で。知るのは本人のみっていう……あ、議会、休みに入ったみたいだ」
コルから室内に目線をやれば、確かに一時休憩を挟むようだ。貴族たちが室内から出て行くのが見えた。エンファニオはどこか疲れた様子で、ディーンと話をしている。
今すぐ駆け寄りたい気持ちを抑える横で、コルがちぇっ、と子供っぽく呟いた。
「そろそろ僕たちも戻りましょうか。なんか、ディーン様の格好いいとこだけ見せちゃいましたね。もう少し、陛下の見所があると思ったんだけどなあ」
「い、いえ……充分です。コル、離れ近くの花畑で降ろしてもらえますか?」
「承知しました、っと。あっ、僕が言った噂話、絶対内緒ですよ」
「はい。聞かなかったことにしておきます」
うなずいて、微かに笑む。けれど未だ心臓は脈を打っているし、呪い師という単語や、カイルヴェン伯爵のことが気になって仕方なかった。まだエンファニオを見守りたい、その心を抑えて、コルと一緒に窓から離れる。
花畑にはすぐに到着した。コルが指を鳴らせば、すぐに自分の体が透明から元に戻る。
「ありがとうございました……疲れていませんか?」
「この程度お安いもんです。明日もまた見ます? どうせ主流派ばかり目立つだろうけど」
「……お願いします。いろんなことを見聞きしたいので……わたし、少しお花を摘んでから離れに戻りますね」
「それならサミーさんに、お茶とお菓子を頼んできますよ。僕、喉がカラカラだし」
「じゃあ、お言葉に甘えて……」
「それじゃ、ひとっ走り行ってきます。ここにいて下さいよ」
首肯すると、やはりコルは驚嘆すべき速さで離れへと走っていく。風の術でも使っているんじゃないか、そう思うほど速く遠くなる後ろ姿を見てから、その場にへたりこんだ。
ディーンはポラートの連中が、エンファニオに呪いをかけたのではと言っていた。でも、蓋を開ければどうだ。陛下を憎む人も少なからずいる――コルの言葉を思い返すたび、寒くもないのに肌が震えた。実際のところ、首謀者の目星はついているのだろうか。
「わからないことばかり……」
風にそよぐニゲラの花弁に触れながら、一人ため息をつく。
エンファニオを恨んでいる人、憎んでいる人。反主流派。ポラート。カイルヴェン伯爵、そしてディーン。疑わしいのは誰だか、見当もつかない。もっと物事を見聞きしなければ。そう決意し、花の一本を手折ろうとした刹那――
「そこの女人。何をしておられるのか」
微かな魔力を察知したと同時に、厳しい声音をかけられてはっと顔を上げる。
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