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第二幕:化身との契約

2-2:けだものの口付け

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 四阿あずまやの机には冷たい紅茶、それから甘い茶菓子などが用意されていた。特に香辛料をかけて焼き固めた木の実と果物の菓子は、エンファニオの好物だ。

 もしかしたら、サミーはここに来ることを予見していたのかもしれない、そうも思う。

「それではお二方、ごゆるりと。あたくしは用事がありますので、これにて失礼致します」
「ご苦労、サミー。ありがたく頂くよ」
「ありがとうございます」

 礼を述べるエンファニオとシュトリカに一礼し、サミーは四阿を後にした。

 小さくペクが鳴き、用意された胡桃をねだる。微笑み、胡桃の欠片を与えるシュトリカの様子を盗み見ながら、カップに口をつける。爽やかな後味が喉に心地よい。

「ペクは迷惑をかけていないかな」
「はい、とてもいい子で……」
「今まで秘密にしていたけれどね、ペクは私と魔力を共有しているんだ。ペクが見たものを私は見ることができる。魔術はさすがに使えないけれど」
「そんなことまでできるんですか? 凄い……」
「二人だけの秘密だよ。ディーンにも内緒にしていることだから」
「ひ、秘密、ですね。わかりました」

 真剣な顔でうなずき、菓子を口に含むシュトリカの所作は、そこいらの令嬢にも劣らない。地位などなくても十分、淑女のようにも感じた。これも実母の教育なのだろうか。菓子を飲みこんだシュトリカが、心配そうにこちらを見てくるものだから、微笑む。

「どうしたのかな」
「あの、陛下。……今は、大丈夫ですか?」
「うん。呪いのやつは大人しくしている。これは君の歌が効いた、と考えてもいいのかもしれない。ただ、やつが出たことはサミーにも、ディーンにも言っていない」
「ど、どうしてですか? わたしの力が及ばなかったら、他の方法もとれるんじゃ」
「なぜだろうね」

 首を傾げたシュトリカに、曖昧に笑って言葉を濁した。

 シュトリカの力が効かないと知れば、サミーはともかくディーンはシュトリカの言う通り、彼女を用済みとして己から引き離すかもしれない。不思議とそうされたくはなかった。

「でも、このままじゃ陛下が大変なことになります……お仕事だってできなくなったら」
「王が一年で代替わりか。今まで一番、短期の王として歴史に名を刻むかもしれないね」
「だ、だめですそんなの……。陛下はとても、皆さんから慕われてるとサミーから聞きました。なのに……」
「若いから注目されているだけだよ。私は王として、自覚に欠けているとよく言われる」
「そんなこと、ないです。陛下はとても優しいし、皆さんもきっと、そこが好きなんだと思います」

 優しい、そう言われて複雑な気持ちになった。ごまかすため、また茶を口に含む。

 本当に優しい人間ならば、今、昨夜目にしたシュトリカの姿を想起などしないだろう。それにこうして茶を共になどしない。離れてしかるべきだ。なのに、彼女に少しでも近付きたくて堪らない、そんな欲深さと自己満足を満たそうとしている。

 どこまでも自分勝手だ。王としても、人としても醜悪すぎる。

「陛下、あの、お願いがあるんですけど」
「……私にできることなら、なんでもするよ」

 そう思うのに、パッと輝くシュトリカの顔から、目が離せなかった。

「わたし、よければ陛下の温室が見てみたいです。花がたくさん咲いてるって」
「ああ、それくらい容易たやすいよ。ただ、少し手入れをおこたっていたからね。見苦しいことになっているかもしれないけれど……その代わり、私からもお願いがあるんだ」
「お願い、ですか? なんでしょう」
「あとでまた、歌を、花枯はながらしの歌を歌ってみてはくれないかな。紋様は消えているんだ。もしかしたら、定期的に歌を聞くことで、完全に呪いから解き放たれることができるかもしれない」

 シュトリカは少し、考える素振りを見せた。だが、すぐにうなずいてくれた。

「わかりました。わたし、そのためにここにいるんですから。お仕事、しますね」
「君は真面目だね、シュトリカ。私なんてディーンに仕事を押しつけてきたのに」
「ふふ、ディーンさん、かわいそう」

 肩をすくめてみせれば、シュトリカはまた、小さく笑う。それを見ながら、椅子から立ち上がった。

「ペク、留守番を頼むよ。胡桃は食べ過ぎないこと。わかったね」
「お願いね、ペク」

 賢い鳥は、任せておけ、とばかりに小さく鳴く。机にペクを下ろし、シュトリカも席から立った。二人、並んで温室へと向かう。

 風に乗って流れる香りは、横を歩くシュトリカの体臭か、それとも香水のものか。爽やかな中にも甘みのある匂いに、頭がおかしくなりそうだ。いや、もうおかしくなっているのかもしれない。シュトリカという女性に、酔っている。

 レースに隠れている手を取り、指を絡めたい。唇で愛撫したい――

 止まない不埒な考えを、頭を振って追い出す。シュトリカは安心しきったように、その歩みを軽くしている。低い踵の靴を履いている、ということもあるのだろうが。

 シュトリカの横顔は、短髪のせいか歳のわりには幼く見えた。だが、その瞳の輝きは強い。相反する神秘的な面もまた、気に入った。どんな花よりもきらめいて見える。

 見つめていることがわからないよう、視線を外した。しばらくして辿り着いた温室は、閉め切られている。使用人たちに水やりなどを任せてはいたが、大分ひどい有様かもしれない。

 扉を開けると、むっとした湿気が外気と混ざる。だが、ぱっと見ではそこまで枯れている花々はなさそうだ。

「さあ、中に入って、シュトリカ」
「あ、ありがとうございます」

 シュトリカが温室の中へ入ったのを確認し、己もまた、中に入る。扉を閉めると、少し蒸し暑い空気がこもった。

「わあ……奇麗……」

 緑にまぎれ、様々な色の花が咲く温室は、異国を思わせる作りになっている。自慢の温室を褒められて、少し嬉しくなった。

「気に入ってくれたようだね。好きに見て回るといい。ただ、毒があるものも中にはあるから、手では触れないように」
「はい」

 物珍しそうに、楽しそうに目を瞬かせるシュトリカを見て、思わず笑みが零れた。どこまでも純真で、無垢な彼女に惹かれるのは、間違いなのだろうか。

 奥へ行くシュトリカを見送って、近くにあった茜色の花、サンタンカの確認をする。日光に当たらなかった茂みの部分が、少ししおれていた。すぐ側の机から鋏をとり、自ら花の手入れをしていく。

 ここに来るのも久々だ。東南にある国から種を輸入し、育成した花たちは、どれもが子供みたいなものだった。もし、これからポラートとの交渉が上手くいけば、特別に贈呈しようと考えているくらいには大事にしている。

 しばらくぶりの手入れに、夢中になった。時間を忘れて。

「……ここは、あらかた片付いたか」

 少し暑い。マントを外してくればよかった、そう思うと共に、シュトリカがまだ帰っていないことを不審に感じた。もう、三十分は経過している。鋏を置き、奥へと進んだ。

「シュトリカ? どこにいるんだい。シュトリカ」

 出入り口は一つしかない。まさか、毒のある花に触れたのでは――そう思うと、自然と足が速くなる。長い背丈、尖った形の葉などの群れを掻き分けて先へと急いだ。

 少し開けた場所に出た。湿度が高すぎたためか、オウソウカの香りが充満している。心を落ち着かせる効果を持つが、代わりにむせかえるような甘さを誇る花だ。その近くにあるデイゴの木の幹に、シュトリカは背中を預けていた。

「シュトリカ、よかった。ここにいたのだね」
「陛下……」

 放心しきったかのような声音だった。頬は少し、赤い。肩で息をしている状態だ。どこか扇情的に蕩けている瞳を見て、思わず胸が高鳴った。

「ごめんなさい……何か、体が熱くなって……」

 しまった、と舌打ちしそうになった。オウソウカの匂いは、特に女性に強く、催淫作用をもたらすことを失念していた。無論、男性にも効果があるが。

「今……ここから出ます、ね……」
「危ないっ」

 シュトリカが体を起こしたとき、その足がもつれるのを見た。瞬発的に体を受け止める。腕に伝わる柔らかい感触。荒い息。うなじに浮かぶ、汗の玉――ぞくりと、した。

 抱き留めた体の細さと温もりに、心臓が跳ね上がった。全身がそれそのものになったかのように、体中に血が駆け巡っている。

 ほしい――シュトリカが、堪らなくほしい。いやだめだ、これ以上傷付けてはいけない。

 理性と本能がせめぎ合う中、オウソウカの香りとシュトリカの体臭が、呼気を繰り返す都度、頭をおかしくさせていく。

 きっと、シュトリカも似たような状態なのだろう。抱かれたまま、身じろぎもしない。後ろからシュトリカを抱きしめ、二人、少しの間、無言になる。

「陛下……離して、下さい……もう、大丈夫ですから……」

 無音のとばりを割いたのは、シュトリカだった。こちらへ振り返り、小さく微笑む。

 しかしそれは、エンファニオの理性を壊したも同然だった。

 本能の赴くまま、肩を掴んで体を回し、己の方へシュトリカを引き寄せる。

「あ……」
「シュトリカ……!」

 小さな体躯を抱きしめた。頬に片手を当て、そのまま頤を持ち上げる。潤んだ翡翠の瞳が欲情を煽って止まない。少し薄い唇が震えていて、堪らず、そのまま獣のようにかぶりついた。

「んっ……!」

 腰を引き寄せ、顔の角度を変えて深く、強く口付けを交わす。シュトリカが軽く、抵抗するように胸板に手を当ててきた。

 あれには許して、私には許さないのか――そんな嫉妬にも似た感情が胸を占め、口付けが乱暴なものになる。舌を食いこませるようにねじこみ、口腔の中を蹂躙する。必死で息をし、目を閉じるシュトリカを見て、めちゃくちゃにしてやりたい衝動に駆られた。

 唾液が絡まる音が、淫靡さを伴って温室に響く。たっぷり唇と舌を堪能した後、興奮が冷めやらぬまま、一度顔を離した。開いた瞼の奥、潤みきった翡翠色の目を見つめる。

 今にも泣き出しそうなおもてに、欲情を感じながらも歯を食いしばり、静かに体を離した。

「……すまない」

 己は、呪いの化身などではない。彼女を傷付けてはいけない――理性が本能に打ち勝つ。

「わ、わたしの方こそ……ごめんなさい、陛下」
「謝らないでくれ、シュトリカ。ここは少し刺激が強い。外に出よう」

 頬を朱に染め、うなずくシュトリカの手をとった。荒れてはいるが、小さくて、可愛らしい手を。シュトリカは少し戸惑った様子を見せたが、大人しく、されるがままになっている。その手に指を絡ませて、握りしめた。顔を背け、歩き出す。

 もう少しで、呪いの化身と同じけだものに成り果てるところだった。いや、途中までは同じだ。唇が熱い。あのまま続けていたなら、きっとシュトリカを抱いていたことだろう。

 己の中にある激情。信じられないほどに強く、醜い独占欲があることを今まで知らなかった。シュトリカだけに感じる、異様な執着心は一体どこからやって来るものなのか。知らなかった己の一面は、心を乱して止まない。

 それでも必死に取り繕って、優しい陛下とやらに戻る。

「お茶で少し、気分を変えよう。ペクも待っていることだろうから」

 己の中に巣くうけだもの染みた感情。それを押し殺して、気付かれぬように唇を舌で舐めた。やはり、甘い――そう思ってしまうのはきっと、獣の証しだと内心、悔やみながら。
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