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第一幕:彼岸花に呪われた王

1-1:国王の名

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 軍神ゾーレを崇めるベルカスター。そして処女神フェレネを崇めるポラート。この二国は常に小競り合いを繰り返していた。二国間には大きな山脈があり、そこからとれる鉱石の所有権を巡ってのことだ。戦渦は広がり、一時期ベルカスターの領地をポラートが制したこともあった。今から二十年前のことである。

 元々、軍神ゾーレと処女神フェレネは死して結ばれたという神話があり、彼らに親愛の念を抱く国民たちは、繰り返される小さな揉め事をこぞって嘆いた。

 しかし、丁度一年前。ベルカスターの議会選挙で王が代替わりし、和睦わぼくの道が開かれている、と町人が噂しているのを、シュトリカも聞いたことがあった。春を祝う祭りで、雑技団として参加したときに。

 ベルカスターの領地に長く滞在していたから、王都の位置、大抵の町の地図は頭の中に入っている。だが、男たちに連れてこられた場所には全く見覚えがない。

 白磁の柱を左右に並ばせた道。剪定せんていされた花や木々。針葉樹の森に囲まれた高台には、二階建ての立派な館が、早朝の陽射しに照り輝いている。きっと、爵位持ちの領地内なのだろう、そう勝手に感じた。

 高台を上がった先にある庭園、そこで馬車が止まる。庭園には一人の女がおり、こちらに向かって深く頭を垂れていた。

「お疲れ様でございます。お帰りを待ちわびておりました」
「迎え、苦労。この娘が例のものだ。早速だが身支度を整えさせろ」
「承知致しました」

 栗色の目と瞳を持つ女がこちらを見た。歳は、三十くらいだろうか。少しきつい顔立ちだが、白い服は清潔感に溢れており、瞳に悪意と呼べそうな感情は微塵も浮かんでいない。いつも忌避と不穏をこめた目で見られていたシュトリカにとって、意外なことだ。

「身支度もいいけれど、少し休ませてあげてほしい。多分疲れているだろうからね」
「そんなことを言っている場合ではないだろう。ご自身の症状を自覚しておられるのか」
「いや、私が疲れたのさ。眠たいし、小腹も空いた」

 橙の瞳を持つ男が、大げさな様子でため息をつく。一方、自分の手を握ったままの男は、どこか楽しげだ。

「わ、わたしのことは、気にしないで下さい」

 そこではじめて、シュトリカは声を上げた。上擦り、掠れてしまったが。

 三人の視線が一気に自分に集中したことを感じ、再びうつむく。

 今、口を開いてもよかったのだろうか。しゃべることに慣れていないから、よくわからなかった。それの答えと言わんばかりに、隣の男が小さく笑う。

「やっと話してくれたね。でも、だめだ。少し休みなさい」
「み、皆さんの手間をかけさせるわけには……」
「私も食事をする。そのときにまた会おう。わかったね、シュトリカ」

 咎める様子はないが、男の口調は厳しい。握られていた手が離れていく。残った温もりを大事にするように、両手を組んで、うなずくことしかできない。

 命令されることに不満はなかった。雑技団ではいつも「はい」と言えば済んでいたのだから。ここでもそうあればいい。そう自らに言い聞かせ、男が馬車から降りるのを待った。それから恐る恐る、地面へ足をつけた。

「シュトリカ嬢、こちらへ。湯浴みの準備ができております」
「は……い」

 女の丁寧な言葉遣いに戸惑いながら、煉瓦でできた道を行く。女の後ろについて歩き、はじめてそこでちらりと背後を振り返った。紫の瞳がこちらを見ていて、その目はやはり、どこまでも優しい。動揺し、すぐ女の背中へ視線を逸らしてしまった。

 なぜ、こんなにも優しくしてくれるのだろう。全くもってわからない。悪意の掃き溜めみたいな場所で生きていた自分にとって、不意に与えられる優しさは、不思議とときめきに似た何かをもたらした。無論、混乱も大きいが。

 連れてこられた館は、これまた白く、朝日の色によく映える。今まで入ったこともない立派な建物に呆然としていると、女が足を止めて振り返った。

「ご挨拶が遅れました。あたくしはサミーと申します。シュトリカ嬢、あなたの身の回りの世話をするようにと仰せつかっております」
「身の回りの……世話? だ、誰に、でしょうか……」
「全ては準備が整ってからでございます。ご注意頂きたいのは、あたくし以外の使用人たちのことです。あなた様の正体を知るのはあたくしと、先程の男性お二人だけですので」
「わ、わたしが花枯はながらしだと知っているんですね? さっきの男の人たちも?」
「無論、そうです。魔力を封じる花枯らしの歌姫。だからこそあなた様はここにいます」
「周りの人には……その、なんと言ってあるんでしょう」
「とある方に見初められた、廃嫡はいちゃくされていた伯爵のご令嬢、と。ここに来たのは、礼儀作法を学ぶためという口実になっておりますので、くれぐれもご留意を」

 言って、女――サミーは再び歩き出す。なんてこともないような様子で。それが信じられず、シュトリカの足は何歩か遅れた。

 花枯らし。それは、シュトリカの歌に秘められた能力だった。

 ベルカスターやポラート、それからもう一つの中立国バルカイルに生まれたものは、誰もが『花』という別称で、神の加護を受ける。それは軍神、処女神、天体神からそれぞれ分け与えられる魔力の源であり、簡単な魔術なら誰でも使うことが可能だ。

 しかし、ベルカスターで生まれたというのに、自分にその加護はない。あるのは逆に、魔術――魔力を封じる忌まれるべき歌声だ。雑技団での特別な仕事、というのは、それを使って行ってきたことである。

 強すぎる力を制御できず、弱めてほしいと願う貴族、あるいは敵対勢力の魔力を弱めたいと願う貴族が主な相手だった。いつしかそれらを上流階級の人間たちが噂とし、シュトリカのことを、花枯らしの歌姫と揶揄するようになったのである。

 それにしても、と震える足を叱咤し、再び歩きながら考える。

 自分の身柄まで買う、というのは、どういう了見でのことなのだろう。まさか、戦場に送られる? でも、それなら身支度なんてどうでもいいだろうし、歌だって全ての魔術を抑えこめられるわけではない。一度に二人がせいぜいだ。

 考えれば考えるほどわからなくなって、震えが止まらなくなる。

「シュトリカ嬢? どうかなさいましたか」
「い……いえ……」
「浴室まではもうすぐです。そのドレスも着替えましょう。お部屋も用意してございます」
「あ、あの……」
「なんでしょうか」
「この、胸飾りは……捨てないで下さい。母の形見で……だから……」
「さようですか。承知致しました。そのように計らいます」

 幼いときに亡くなった母、優しかった実母の思い出を胸に、胸飾りを握りしめる。そしてシュトリカはすぐに、思考を放棄した。どうせ金で買われた身だ。悲しむ身内なんていないし、辛い目に遭うことにも慣れている。ここでもきっと、何も変わりはしないだろう。

 豪華な調度品や生け花で飾られた館の中、諦めにも似た思いを抱いて、ただ足を動かすことだけに専念した。

 しばらく館の中を進むと、どこからともなく数名の女性たちが現れた。皆、一様にサミーと同じ白のエプロンドレスをまとい、髪を結っている。多分彼女たちが、身の回りの世話をしてくれるという使用人たちなのだろう。

「軽食の用意を。それからシュトリカ嬢に似合うドレスを数着、持ってきなさい。彼女は湯浴みに慣れてないでしょうから、丁寧に扱うこと……それと、今着ているドレスは捨てても構いませんが、胸飾りだけは必ず彼女に返してあげなさい」

 きびきびとしたサミーの言葉に、女性たちが早速動き出す。

「こちらへどうぞ」
「は、はい」

 サミーと別れ、使用人数名に囲まれて、浴室と思しき部屋に通された。

 あっという間にドレスを脱がされ、恥じらう暇もなかった。それからは、記憶がない。金木犀きんもくせいの香りがする香料と石鹸で、体中を洗われる感覚。柔らかいブラシが髪を梳く感触。二十年間生きてきてはじめての経験は、夢見心地と思う余裕すら与えない。

 浴室の隣にある部屋へ半ば運ばれるように行けば、今度はサミーと着替えが待っていた。下着まで着せられ、鏡台に座らされたときにはもう、シュトリカは疲労の極みにあった。

「シュトリカ嬢、お好きな色はありますか?」
「と、特にありません……」
「ではドレスはこちらで決めさせて頂きます。薄紫のものが似合いそうですね」

 再び髪を梳かしてもらいながら、紫と聞いてなぜか、手を握ってくれた男のことを思い出す。彼の目の色は、本当に綺麗だった。宝石も色褪せんばかりの澄んだ瞳。

「あの……サミー、さん」
「サミーで結構ですよ、シュトリカ嬢。何か質問がおありでしょうか」
「あの人、紫の目の……男の人の名前を、せめて……」

 眠気と戦いながら尋ねた途端、使用人たちの空気が張り詰めた。少なくとも、シュトリカにはそう感じた。だが、鏡に映るサミーが手を軽く動かすだけで、その空気が元に戻る。

「お忘れですか? シュトリカ嬢」

 あ、と眠たさが吹き飛ぶ。ここでは令嬢として振る舞わねばならないのに。だが、サミーは自分の失態を責めることなく、何事もないような口調で続けた。

「あの方は、我らが主」

 シュトリカの金髪に、赤いリボンを結びながら、サミーはそっと小声でささやく。

「ベルカスターが現国王、エンファニオ=アーベ=ベルカスター様でらっしゃいます」
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