【R18】二重の執愛〜花枯らしの歌姫と呪われた王〜【完結】

双真満月

文字の大きさ
上 下
2 / 27
第一幕:彼岸花に呪われた王

1-1:国王の名

しおりを挟む

 軍神ゾーレを崇めるベルカスター。そして処女神フェレネを崇めるポラート。この二国は常に小競り合いを繰り返していた。二国間には大きな山脈があり、そこからとれる鉱石の所有権を巡ってのことだ。戦渦は広がり、一時期ベルカスターの領地をポラートが制したこともあった。今から二十年前のことである。

 元々、軍神ゾーレと処女神フェレネは死して結ばれたという神話があり、彼らに親愛の念を抱く国民たちは、繰り返される小さな揉め事をこぞって嘆いた。

 しかし、丁度一年前。ベルカスターの議会選挙で王が代替わりし、和睦わぼくの道が開かれている、と町人が噂しているのを、シュトリカも聞いたことがあった。春を祝う祭りで、雑技団として参加したときに。

 ベルカスターの領地に長く滞在していたから、王都の位置、大抵の町の地図は頭の中に入っている。だが、男たちに連れてこられた場所には全く見覚えがない。

 白磁の柱を左右に並ばせた道。剪定せんていされた花や木々。針葉樹の森に囲まれた高台には、二階建ての立派な館が、早朝の陽射しに照り輝いている。きっと、爵位持ちの領地内なのだろう、そう勝手に感じた。

 高台を上がった先にある庭園、そこで馬車が止まる。庭園には一人の女がおり、こちらに向かって深く頭を垂れていた。

「お疲れ様でございます。お帰りを待ちわびておりました」
「迎え、苦労。この娘が例のものだ。早速だが身支度を整えさせろ」
「承知致しました」

 栗色の目と瞳を持つ女がこちらを見た。歳は、三十くらいだろうか。少しきつい顔立ちだが、白い服は清潔感に溢れており、瞳に悪意と呼べそうな感情は微塵も浮かんでいない。いつも忌避と不穏をこめた目で見られていたシュトリカにとって、意外なことだ。

「身支度もいいけれど、少し休ませてあげてほしい。多分疲れているだろうからね」
「そんなことを言っている場合ではないだろう。ご自身の症状を自覚しておられるのか」
「いや、私が疲れたのさ。眠たいし、小腹も空いた」

 橙の瞳を持つ男が、大げさな様子でため息をつく。一方、自分の手を握ったままの男は、どこか楽しげだ。

「わ、わたしのことは、気にしないで下さい」

 そこではじめて、シュトリカは声を上げた。上擦り、掠れてしまったが。

 三人の視線が一気に自分に集中したことを感じ、再びうつむく。

 今、口を開いてもよかったのだろうか。しゃべることに慣れていないから、よくわからなかった。それの答えと言わんばかりに、隣の男が小さく笑う。

「やっと話してくれたね。でも、だめだ。少し休みなさい」
「み、皆さんの手間をかけさせるわけには……」
「私も食事をする。そのときにまた会おう。わかったね、シュトリカ」

 咎める様子はないが、男の口調は厳しい。握られていた手が離れていく。残った温もりを大事にするように、両手を組んで、うなずくことしかできない。

 命令されることに不満はなかった。雑技団ではいつも「はい」と言えば済んでいたのだから。ここでもそうあればいい。そう自らに言い聞かせ、男が馬車から降りるのを待った。それから恐る恐る、地面へ足をつけた。

「シュトリカ嬢、こちらへ。湯浴みの準備ができております」
「は……い」

 女の丁寧な言葉遣いに戸惑いながら、煉瓦でできた道を行く。女の後ろについて歩き、はじめてそこでちらりと背後を振り返った。紫の瞳がこちらを見ていて、その目はやはり、どこまでも優しい。動揺し、すぐ女の背中へ視線を逸らしてしまった。

 なぜ、こんなにも優しくしてくれるのだろう。全くもってわからない。悪意の掃き溜めみたいな場所で生きていた自分にとって、不意に与えられる優しさは、不思議とときめきに似た何かをもたらした。無論、混乱も大きいが。

 連れてこられた館は、これまた白く、朝日の色によく映える。今まで入ったこともない立派な建物に呆然としていると、女が足を止めて振り返った。

「ご挨拶が遅れました。あたくしはサミーと申します。シュトリカ嬢、あなたの身の回りの世話をするようにと仰せつかっております」
「身の回りの……世話? だ、誰に、でしょうか……」
「全ては準備が整ってからでございます。ご注意頂きたいのは、あたくし以外の使用人たちのことです。あなた様の正体を知るのはあたくしと、先程の男性お二人だけですので」
「わ、わたしが花枯はながらしだと知っているんですね? さっきの男の人たちも?」
「無論、そうです。魔力を封じる花枯らしの歌姫。だからこそあなた様はここにいます」
「周りの人には……その、なんと言ってあるんでしょう」
「とある方に見初められた、廃嫡はいちゃくされていた伯爵のご令嬢、と。ここに来たのは、礼儀作法を学ぶためという口実になっておりますので、くれぐれもご留意を」

 言って、女――サミーは再び歩き出す。なんてこともないような様子で。それが信じられず、シュトリカの足は何歩か遅れた。

 花枯らし。それは、シュトリカの歌に秘められた能力だった。

 ベルカスターやポラート、それからもう一つの中立国バルカイルに生まれたものは、誰もが『花』という別称で、神の加護を受ける。それは軍神、処女神、天体神からそれぞれ分け与えられる魔力の源であり、簡単な魔術なら誰でも使うことが可能だ。

 しかし、ベルカスターで生まれたというのに、自分にその加護はない。あるのは逆に、魔術――魔力を封じる忌まれるべき歌声だ。雑技団での特別な仕事、というのは、それを使って行ってきたことである。

 強すぎる力を制御できず、弱めてほしいと願う貴族、あるいは敵対勢力の魔力を弱めたいと願う貴族が主な相手だった。いつしかそれらを上流階級の人間たちが噂とし、シュトリカのことを、花枯らしの歌姫と揶揄するようになったのである。

 それにしても、と震える足を叱咤し、再び歩きながら考える。

 自分の身柄まで買う、というのは、どういう了見でのことなのだろう。まさか、戦場に送られる? でも、それなら身支度なんてどうでもいいだろうし、歌だって全ての魔術を抑えこめられるわけではない。一度に二人がせいぜいだ。

 考えれば考えるほどわからなくなって、震えが止まらなくなる。

「シュトリカ嬢? どうかなさいましたか」
「い……いえ……」
「浴室まではもうすぐです。そのドレスも着替えましょう。お部屋も用意してございます」
「あ、あの……」
「なんでしょうか」
「この、胸飾りは……捨てないで下さい。母の形見で……だから……」
「さようですか。承知致しました。そのように計らいます」

 幼いときに亡くなった母、優しかった実母の思い出を胸に、胸飾りを握りしめる。そしてシュトリカはすぐに、思考を放棄した。どうせ金で買われた身だ。悲しむ身内なんていないし、辛い目に遭うことにも慣れている。ここでもきっと、何も変わりはしないだろう。

 豪華な調度品や生け花で飾られた館の中、諦めにも似た思いを抱いて、ただ足を動かすことだけに専念した。

 しばらく館の中を進むと、どこからともなく数名の女性たちが現れた。皆、一様にサミーと同じ白のエプロンドレスをまとい、髪を結っている。多分彼女たちが、身の回りの世話をしてくれるという使用人たちなのだろう。

「軽食の用意を。それからシュトリカ嬢に似合うドレスを数着、持ってきなさい。彼女は湯浴みに慣れてないでしょうから、丁寧に扱うこと……それと、今着ているドレスは捨てても構いませんが、胸飾りだけは必ず彼女に返してあげなさい」

 きびきびとしたサミーの言葉に、女性たちが早速動き出す。

「こちらへどうぞ」
「は、はい」

 サミーと別れ、使用人数名に囲まれて、浴室と思しき部屋に通された。

 あっという間にドレスを脱がされ、恥じらう暇もなかった。それからは、記憶がない。金木犀きんもくせいの香りがする香料と石鹸で、体中を洗われる感覚。柔らかいブラシが髪を梳く感触。二十年間生きてきてはじめての経験は、夢見心地と思う余裕すら与えない。

 浴室の隣にある部屋へ半ば運ばれるように行けば、今度はサミーと着替えが待っていた。下着まで着せられ、鏡台に座らされたときにはもう、シュトリカは疲労の極みにあった。

「シュトリカ嬢、お好きな色はありますか?」
「と、特にありません……」
「ではドレスはこちらで決めさせて頂きます。薄紫のものが似合いそうですね」

 再び髪を梳かしてもらいながら、紫と聞いてなぜか、手を握ってくれた男のことを思い出す。彼の目の色は、本当に綺麗だった。宝石も色褪せんばかりの澄んだ瞳。

「あの……サミー、さん」
「サミーで結構ですよ、シュトリカ嬢。何か質問がおありでしょうか」
「あの人、紫の目の……男の人の名前を、せめて……」

 眠気と戦いながら尋ねた途端、使用人たちの空気が張り詰めた。少なくとも、シュトリカにはそう感じた。だが、鏡に映るサミーが手を軽く動かすだけで、その空気が元に戻る。

「お忘れですか? シュトリカ嬢」

 あ、と眠たさが吹き飛ぶ。ここでは令嬢として振る舞わねばならないのに。だが、サミーは自分の失態を責めることなく、何事もないような口調で続けた。

「あの方は、我らが主」

 シュトリカの金髪に、赤いリボンを結びながら、サミーはそっと小声でささやく。

「ベルカスターが現国王、エンファニオ=アーベ=ベルカスター様でらっしゃいます」
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

片想いの相手と二人、深夜、狭い部屋。何も起きないはずはなく

おりの まるる
恋愛
ユディットは片想いしている室長が、再婚すると言う噂を聞いて、情緒不安定な日々を過ごしていた。 そんなある日、怖い噂話が尽きない古い教会を改装して使っている書庫で、仕事を終えるとすっかり夜になっていた。 夕方からの大雨で研究棟へ帰れなくなり、途方に暮れていた。 そんな彼女を室長が迎えに来てくれたのだが、トラブルに見舞われ、二人っきりで夜を過ごすことになる。 全4話です。

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

燻らせた想いは口付けで蕩かして~睦言は蜜毒のように甘く~

二階堂まや
恋愛
北西の国オルデランタの王妃アリーズは、国王ローデンヴェイクに愛されたいがために、本心を隠して日々を過ごしていた。 しかしある晩、情事の最中「猫かぶりはいい加減にしろ」と彼に言われてしまう。 夫に嫌われたくないが、自分に自信が持てないため涙するアリーズ。だがローデンヴェイクもまた、言いたいことを上手く伝えられないもどかしさを密かに抱えていた。 気持ちを伝え合った二人は、本音しか口にしない、隠し立てをしないという約束を交わし、身体を重ねるが……? 「こんな本性どこに隠してたんだか」 「構って欲しい人だったなんて、思いませんでしたわ」 さてさて、互いの本性を知った夫婦の行く末やいかに。 +ムーンライトノベルズにも掲載しております。

英雄騎士様の褒賞になりました

マチバリ
恋愛
ドラゴンを倒した騎士リュートが願ったのは、王女セレンとの一夜だった。 騎士×王女の短いお話です。

婚約者が巨乳好きだと知ったので、お義兄様に胸を大きくしてもらいます。

恋愛
可憐な見た目とは裏腹に、突っ走りがちな令嬢のパトリシア。婚約者のフィリップが、巨乳じゃないと女として見れない、と話しているのを聞いてしまう。 パトリシアは、小さい頃に両親を亡くし、母の弟である伯爵家で、本当の娘の様に育てられた。お世話になった家族の為にも、幸せな結婚生活を送らねばならないと、兄の様に慕っているアレックスに、あるお願いをしに行く。

森でオッサンに拾って貰いました。

来栖もよもよ&来栖もよりーぬ
恋愛
アパートの火事から逃げ出そうとして気がついたらパジャマで森にいた26歳のOLと、拾ってくれた40近く見える髭面のマッチョなオッサン(実は31歳)がラブラブするお話。ちと長めですが前後編で終わります。 ムーンライト、エブリスタにも掲載しております。

隠れドS上司をうっかり襲ったら、独占愛で縛られました

加地アヤメ
恋愛
商品企画部で働く三十歳の春陽は、周囲の怒涛の結婚ラッシュに財布と心を痛める日々。結婚相手どころか何年も恋人すらいない自分は、このまま一生独り身かも――と盛大に凹んでいたある日、酔った勢いでクールな上司・千木良を押し倒してしまった!? 幸か不幸か何も覚えていない春陽に、全てなかったことにしてくれた千木良。だけど、不意打ちのように甘やかしてくる彼の思わせぶりな言動に、どうしようもなく心と体が疼いてしまい……。「どうやら私は、かなり独占欲が強い、嫉妬深い男のようだよ」クールな隠れドS上司をうっかりその気にさせてしまったアラサー女子の、甘すぎる受難!

処理中です...