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第四幕 思いを、放て

4-2.覚悟という名の目覚め

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 ビドゥーリが踏みしめた花畑に鮮血が落ちる。剣、服、ビドゥーリがまとう全てのものから血の匂いがして、しゃがんでいたアレグリアの気分は悪くなる一方だ。

「僕が来ること、わかってたみたいだね。軍服なんて着ちゃってさ。長剣まで用意して」

 頬についた返り血を拭い、ビドゥーリは言う。彼が森に入ったことをフィロンが察知したときから、迎え撃つ準備をアレグリアはしていた。

 他の同族たちは家と城に避難させてある。ネスには姉の元に行ってもらった。秋雨が降る中、妖精郷の広場にいるのは自分とビドゥーリのみだ。

 菫から手を離し、立ち上がりながら慎重に口を開く。

「もう一度聞く。君は、何者だ」
「妖精と人との合いの子だよ。父はアンマーセルの前国王。母は馬鹿な妖精でね。王族の血を引いているから、僕でも簡単に道がわかったってわけ」
「……どうして今、動いたんだ? 機会はもっと早くにあったはずだろう」
「数ヶ月前から、歳を取りはじめちゃったんだよね。慌てたけど、丁度よくエルテ王子の誕生祭があったからそれを利用させてもらった。酒に入れたのは僕の血。妖精の血は人を酔わせる効果があるからね。そのくらい、知ってるでしょ」

 片刃の剣を手に、滔々とうとうと語るビドゥーリの瞳は陶酔していた。人を斬り、気分が高揚しているのかもしれない。

「僕を拾ったアウロ家でも学園でも、ついでに王太子の元でも僕はずっといい子を演じてきたけど。もうそれもおしまい。ここを潰せばアンマーセルは破滅する」
「ビドゥーリ、君はそれで本当にいいのか」
「どういう意味かな、お姫様?」
「君は努力してきたんだろう。勉強も、他のことも。そこを国王陛下に認められたと聞いてる。自分の才能を無駄にするつもりなのか?」
「あはは、馬鹿だなあ。全部このときのためだよ。そのための努力さ」

 嘲りの笑みに、本当にそうだろうかとアレグリアは思う。例え憎しみが根底にあるとしても、努力と才能を結びつけられる人間はなかなかいない。それに、補佐役として活躍していたとき、皆と共にいたとき、少しでも情けのようなものを抱かなかったのだろうか。

「ね、アレグリア姫。そろそろお喋りは終わりにしようよ。今死ぬのと皆のあとで死ぬのと、どっちがいい?」

 一瞬、ごく僅かな刹那、ビドゥーリの瞳に何か別のものが灯った気がした。憎しみでも恨みでもない、まるで思い出に浸るような静かな思いが。

「……私は死ぬ気はない。姉様たちを殺させもしない」
「あくまでも僕と戦う気なんだ。まあいいや、その綺麗な羽もむしり取ってあげる」

 ビドゥーリが剣を構えた。明確な殺意に気圧されながらも、アレグリアは羽を広げ、長剣を突き出す。

 ――私の武器は、速さ。

 内心で呟いたとき、ビドゥーリが動いた。

 距離を詰められる。片刃の剣が空を切って振り下ろされた。後ろに、避ける。そのまま飛ぶ。着地はしない。横払いの一撃をも躱し、空中から背中に向かって斬りかかる。振り返ったビドゥーリが瞬時に対応した。刃と刃がぶつかる。重い。

 力では勝てないとわかっている。隙を突いて抜け出そうとした刹那、ビドゥーリの手刀が剣を握るアレグリアの手首を打った。痛みにしかし、獲物は落とさない。再び宙に舞い、袈裟切り、逆袈裟切りとを繰り出す。

「邪魔な虫だなあ、もう!」

 刃同士が重なる鉄の匂い、音。その中で苛立ったビドゥーリの声だけが大きい。三度、飛ぼうとしたアレグリアの隙――呼吸の乱れを読まれた。下に引っ張られるように刃を跳ね返され、体勢が崩れる。姿勢を正すよりも、ビドゥーリの動きの方が早かった。

「うあっ……!」

 剣の柄頭部分でこめかみを強打される。目眩がし、視界がちかちかと光った。ふらつくアレグリアの軍服、胸元をビドゥーリが強い力で握り、空中へ釘付けにする。

「遊びは終わり、っと。それじゃあさよなら、アレグリア姫」
「く……」

 雨で濡れた剣が、静かにアレグリアの胸を貫こうとした瞬間。

「リアっ!」

 馬のいななきと共に、急いた声、アレグリアが最も聞きたかった声が聞こえた。エルテ、と思った刹那、無造作に投げ飛ばされ、花畑に落ちる。

「ビドゥーリぃっ!」
「馬鹿がここにもいたね! 相手になってあげるよ、王子様っ」

 馬から飛び降りたエルテが、駆け出す。同時にビドゥーリも。二人とも速い。鈍痛がするこめかみを押さえ、上体を起こしたアレグリアは二人の戦いを見る。剣同士がぶつかる音が広場に、妖精郷全体に響いていた。

 剣の動きは互角だ。ビドゥーリは息を切らした様子もない。エルテも体力がまだあるのだろう、凄まじい速さで技を繰り出していく。

 見守ることしかできないことが、アレグリアには歯痒い。肩で息をしながら立ち上がる。

 ――守りたい。

 この場所も、姉も、同族たちも、そして何よりエルテも。目をつむり、祈る。いや、祈るのでも願うのでもなく、決意する。

 ――私は願うのも祈るのも、やめる。ただここに命じよう。長老よ、私に力を貸せ!

 またたきほどの間に、今までぼやけていた波動を確かに掴む。離さない、とばかりに、長老の木から溢れる力を全身に伝わらせる。

 木々の梢が動く。蔦が蠢く。花弁が風に吹き荒れる。剣をぶつけ合う音はまだ、続いていた。アレグリアが見つめたのはエルテではなく、ビドゥーリだ。

「長老の木よ、我が名はアレグリア。次の女王になるものなり!」

 高らかに叫び、溜めた力を一度に解放した。広場を囲うようにしてそびえ立つ木々、その無数の蔦がビドゥーリ目がけて飛び出す。

「なっ……!」

 驚くビドゥーリの四肢を蔦が絡めとった。動きが止まった一瞬、エルテが最後の一撃を繰り出そうと銀の剣を振り上げる。

「エルテ、やめて!」

 肩に刃が食いこむ寸前、アレグリアが言うとエルテの持つ剣の柄が光った。剣はまるで意志を持つように、エルテの手から離れる。呆然としていたエルテが、こちらへと不満をぶちまけた。

「リア、せっかくの機会をなんで!」
「殺すのはだめだ。生きる方がビドゥーリには辛いと思うから」

 言い切り、ふらつきながらも二人の元へと赴く。ビドゥーリは恨めしそうに自分の方を見ていた。剣も蔦で取られ、すでに丸腰だ。

「……女王として目覚めたわけか、お姫様。僕を殺さないとあとで後悔するよ?」
「君の処分は、……皆で決める。もうその命は、君だけの……ものじゃ、ない」

 頭が痛い。体全体が重く、気怠かった。そんな自分に気付いたのか、エルテがよろめく体を支えてくれる。エルテの剣は近くの地面に刺さり、今は光っていない。

「大丈夫か? 今、兄上も来るからもう少し頑張れ、リア」
「うん、平気だ。少しずつ体に力が馴染んできてる。それに、私は君が来てくれたことが嬉しい」
「言ったろ? 守るって。まあ、逆に守られたって感じだけどさ」
「わかったんだ、私に足りないものが、覚悟だってこと。長老が応えてくれなかったのはそれが原因だったんだって、今なら思う」

 肩を優しく抱かれながら微笑んだ。エルテはどこか寂しそうな面を作り、それでも笑い返してくれた。

「次の女王か……リアはそれになる気なんだな」
「そうなる。と言うか、もうなっているようなものなんじゃないかな。姉様の力が感じられないし」
「そっか。オレには力がわかんないけど……リアが女王か」

 エルテは何かを考えているようだ。アレグリアは小首を傾げ、目をまたたかせる。

「あのさあ、普通、敵の前で睦まじい様子見せつける? 別にいいけど」
「あ」

 うんざりした様子のビドゥーリの言葉に、エルテと共に声を上げた。その直後だ。

「リア……!」
「エルテっ」

 それぞれを呼ぶ声が聞こえた。背後の森から聞こえたのはソルタオのもので、城側から聞こえたのはフィロンのものだ。

「ビドゥーリ、貴様……!」

 こちらに駆けつけたソルタオが、珍しく焦った形相でビドゥーリを睨みつける。アレグリアは間に入り、ビドゥーリを庇うように両手を広げた。

「待ってくれ、ソルタオ様。姉様も皆も無事だ。エルテにも怪我はないよ」
「アレグリア姫……無事で何よりだ。だが、事を起こそうとしたのは事実。極刑にも値する」
「落ち着いて下さいませ。新しき妖精王の言葉を蔑ろになさってはいけませんわ」

 憤慨するソルタオをやんわりと止めたのは、羽を畳んだフィロンだ。

「フィロン……? 新しき妖精王……?」
「混乱するのも無理はないさ、兄上。アレグリアがついさっき、新しい妖精王になったんだから」
「どういうことだ? 一から話してくれないか」

 肩をすくめるエルテに、ソルタオは困惑した顔を作る。当然だろうな、とアレグリアは思った。観念しきり、目を閉じたままのビドゥーリを見て少し考える。

「ソルタオ様、ビドゥーリを一時的にこちらで預かりたい。構わないだろうか」
「……しかし」
「それよりソルタオ様は、姉上に何か言うべきことがあるんじゃないのか?」

 意地悪く笑うと、眉を寄せていたソルタオがフィロンを見つめた。美しい顔が辛そうに、そして安堵に歪んでいる。

「ご無事で……本当によかった」
「ソルタオ様……わたくし、あなたが駆けつけて下さっただけで報われますわ」
「……お腹の子は、その、無事だろうか……俺とあなたの子は……」
「はい……」

 フィロンが悲しげに微笑んだのと同時だった。彼女をソルタオが抱きしめたのは。

「ソ、ソルタオ様……?」
「報われたなんて言わないでくれ……これからも側にいてほしい。ずっと、ずっと俺の側に、フィロン。俺が愛しているのはあなただけなんだ」
「……ソルタオ、様……っ」

 フィロンが桃色の瞳から、大粒の涙を零す。熱い抱擁を交わす二人を見て、アレグリアは目を伏せた。落胆でも悲しみでもなく、喜びと安堵で。

 ――二人は幸せになれる。私が女王になれば。

 そんな思いで長老へと思念を伝える。蔦が動き、ビドゥーリを地面へと降ろした。地中から出た丈夫な木の根が座りこんでいるビドゥーリを囲む。火にも刃にも強い牢獄の中なら、ビドゥーリは何もできないだろう。もはや、何もする気になりそうにないが。

「リア、アイツをどうする気だ?」
「私にちょっと考えがある。皆がよければだけど。それを含めて話し合い、かな」

 アレグリアはエルテに笑った。

 女王になったなら、エルテとは今までのように付き合うことができなくなる。そうでなくとも、彼には婚約者の話も持ち上がっているのだ。優しく強いエルテなら、きっと器量のよい女性が見つかるだろう。

 今まで以上に軋む胸を手で押さえて、それでも微笑みは絶やさなかった。エルテが真剣な眼差しで、こちらを見つめていることに気付きながらも。
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