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第一幕 淡い夢の日
1-2.出会いと恋と
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「ご機嫌麗しゅう、ソルタオ様、エルテ王子」
「そちらもご壮健で何よりです、フィロン妖精王。そしてアレグリア姫」
昼を少し過ぎての茶会は、いつも二人の堅苦しい言葉からはじまる。
王城の庭にある四阿。その円卓に座っていたソルタオとエルテが、アレグリアとフィロンを優しく出迎えてくれた。
真紅の長い髪、瞳と同じ薄桃色のドレスをふんわりと風に揺らしながら、フィロンが椅子に腰かけたのを見計らい、アレグリアも座る。自分が着ているレモン色のドレスは姉のものとは違い、前は膝上までで、代わりに後ろが長いものだ。
正装とまではいかないが、ネスがお気に入りの服を持ってきてくれたことに感謝しつつ、背筋を伸ばして二人の兄弟を見つめた。
「今日もエルテが申し訳ないことをした。女性に剣を向けるな、と何度も言っているのだが……アレグリア姫、すまなかった」
「い、いえ、ソルタオ様。ソルタオ様が謝ることではありません」
「そうか、エルテはいい友に恵まれたな」
ソルタオが長い金髪を揺らし、エルテと同じ赤い瞳を細めて微笑む。それだけのことなのに、アレグリアの胸は大きく鼓動した。
ソルタオの笑顔はいつも涼やかで、美貌は輝く月のようだ。エルテはどちらかというと、暑い夏の太陽を想起させる顔を持っている。ソルタオは王妃に、エルテは国王に似たらしい。
蜂蜜入りのお茶を飲もうとしたとき、意地悪い笑みを浮かべてエルテが言う。
「兄上、アレグリア姫はしおらしくしてますけどね。誘ってきたのはあっちです」
「あ、エルテ、君は……」
「まあ、そうなのですか? では、謝るのはわたくしの方ですわ。妹がやんちゃを過ぎてごめんなさいませ、エルテ王子」
「なるほど。これは両方に罰を、だな。それなら公平になる」
「い、いや、兄上。もう十分ビドゥーリに罰を受けたところなんで」
慌てるエルテに、アレグリアは小さく声を上げて笑った。だが、フィロンは困ったように眉をひそめ、その白い指を頬に当てる。
「いけませんわ、リア。エルテ王子も勉学にお忙しい身。それを邪魔するなんて」
「すみません、姉様。その、つい……」
「ネスに言って、あなたの勉強時間も増やしてもらわなくてはなりませんわね」
余計なことを言ってくれたな、と内心思い、アレグリアはエルテを睨んだ。エルテも同じく、肩を落としながらもこちらに鋭い視線を向けてきている。
その顔つきは、昔、アレグリアたちと兄弟が出会った頃を彷彿とさせた。
今から十年前――妖精郷に十一歳のソルタオと、六歳のエルテが迷いこんできた。森で遊んでいる内に、長老の木の結界をくぐり抜けてしまったらしい。ちょうど近くで花を摘んでいたアレグリアとフィロンが彼らと出会ったのは、偶然と言えるだろう。
泣き顔を見せまいと潤んだ瞳を堪え、兄の腕にしがみつくエルテと対照的に、ソルタオは凛とした様を崩してはいなかった。彼は神童と呼ばれるほどの天才で、妖精のこともちゃんと理解していたらしい。
『俺たちは、ヴァンヘリオを荒らしに来たのではありません。迷ってしまったのです』
丁寧な物腰で言うソルタオは、まさに王族にふさわしい雰囲気をまとっていた。顔だけでなく、助けを求める声にも張りがあり、大人にも引けを取らない態度は未だ、アレグリアの印象に強く残っている。
それから姉妹、兄弟の交流がはじまり、今やこうして茶も共にできる仲となった。五年前に父である前妖精王が寿命を迎え、フィロンが女王に即位しても変わらずに、だ。
それにしても、と改めて居住まいを正し、アレグリアは兄弟を軽く盗み見た。
赤を基調とした衣を身にまとうソルタオは、本当に立派になった。ビドゥーリやエルテから聞くところによると、すでに二人の父――現国王は、ソルタオに跡を継がせる準備を整えているらしい。本人はまだ未熟だと頑なに拒んでいるようだが。
もちろんエルテも大きくなり、自分の身長をあっという間に越え、剣技の腕を磨いている。それでもソルタオに目がいってしまうのは、アレグリアが一目で彼に恋をしたからだ。
――格好いいなあ……飲み方も綺麗だし、顔も……。
「リア、聞いていますの?」
「あ、え、ええと……」
「仕方のない子。植物と意思の疎通をできるようになったのか、を聞いているのですわ」
「……まだです、姉様。花に思念を飛ばすことはできますが……」
「それではやはり、力の使い方をもっと学ばねばなりませんね。長老の木を操ることができなければ、王族としてまだ未熟という証しなのですから」
「はい……」
姉にたしなめられ、しゅんとするアレグリアを見てか、ソルタオが微笑む。
「アレグリア姫、焦ることはないと俺は思う。フィロン妖精王をよく見て、少しずつ自らの配分で、力を操るすべを身につけていけばいい」
「あ、ありがとうございます、ソルタオ様」
「そうそう、アレグリアは不器用なんだからさ。焦ったら余計混乱するだろ」
「お前のことでもあるのだぞ、エルテ。剣技や馬術にばかりうつつを抜かして。補佐として俺の支えになるためには、もっと努力が必要だ」
「うっ。わ、わかってるよ兄上……でもビドゥーリがいるなら、って思っちゃってさ」
笑って茶を飲むエルテに反して、ソルタオの顔に陰が降りた。それは一瞬のことだったが、何かある、とアレグリアは察する。だが、自分が疑問を口にする前に、フィロンが話題を変えた。
「ところでソルタオ様。本日のお茶会で、わたくしたちに何か、伝えたいことがあったと聞いておりますけれど」
「ああ……今度開くエルテの誕生祭に、ぜひお二人が参加してくれれば嬉しいと思ったのです」
「あっ、そうだ。もうそんな季節なんだな」
「なんだよアレグリア。アンタ、オレの誕生日のこと忘れてたわけ?」
「そういうわけじゃあないけど……おめでとう、エルテ」
「まだ先だっての、馬鹿」
「馬鹿とはなんだ、馬鹿とはっ」
「リア」
「エルテ」
話の矛先が喧嘩に向かおうとしたとき、フィロンとソルタオが止めた。はい、とアレグリアたちは、浮かべた腰を慌てて元に戻す。ソルタオへみっともない姿を見せてしまったことに、アレグリアは頬が熱くなった。
「わたくしたちでよろしければ、ぜひ参加させて下さいませ。ね、リア?」
「は、はい。かけがえのない友がこの世に誕生したことは、喜ばしく思いますから」
「快諾、感謝します。誕生祭とは言え、来るのは町人たちくらいのものですが。他国の人間は、いつものように呼んでおりません。気兼ねなく参加して下さい」
言って、ソルタオが二枚の手紙を机に置いた。招待状だ。蝋印がされた手紙をフィロンが受け取るのを見てから、アレグリアも手にする。表には達筆でアレグリア=ヴァンヘリオと書かれてあった。間違いなくソルタオの文字だ。
忙しい中、わざわざ時間を割いて招待状を作ってくれたことが嬉しい。空いたドレスの背中、そこから飛び出した羽が無意識に左右に揺れてしまう。
上目遣いでフィロンと会話をしているソルタオを見ると、その隣にいるエルテが呆れた様子で――というより、どこか不機嫌な顔でこちらを見ていることに気付いた。そんなに誕生月を忘れていたことが気に触ったのか、と目をまたたかせる。
鼻を鳴らすような所作で、エルテは茶菓子を食べはじめた。まるで、駄々をこねる子供みたいだ。不機嫌の理由がわからず、アレグリアも少し、菓子を摘まむ。
蜂蜜をふんだんに使ったケーキは美味しい。妖精は、ものを食べなくとも花や植物の精気を吸うことで生きていける。だが、人間の食べ物を口にするとわかるが、その豊富さや味の種類に驚くばかりだ。
「それでは一週間後、迎えのものをよこします。当日は俺もエルテも忙しいので、信頼できる近衛兵を数人、護衛につけましょう」
「ありがとうございます、ソルタオ様。なにごともないとは思いますけれど」
「あなたたちに何かあれば、妖精郷は混乱に陥ります。念には念を入れておきたい」
「お心遣い、痛み入りますわ。……では、そろそろわたくしたちは失礼いたします。リアに力の使い方を学ばせたいので」
それこそ蕾が花咲くような所作で、優雅にフィロンが音もなく立つ。それを見てアレグリアもフォークを置き、なるべく音を立てずに椅子から腰を上げた。
「それではごきげんよう、ソルタオ様。エルテ王子」
「失礼します、ソルタオ様。エルテ」
「お気をつけて、フィロン妖精王。アレグリア姫も」
エルテは何も言わない。ソルタオと共に立ち上がって一礼するだけだ。いつもならここで一言、アレグリアを揶揄する言葉を発するのが常なのだが。よほど機嫌が悪いらしい。
アレグリアは内心で唸りつつ、フィロンと共に歩きだした。さくさくとした芝生の感触が心地いい。
アーチ状になっている柵を越え、庭から出ると、ネスとビドゥーリがいた。
「これは妖精王。ご機嫌麗しく」
うやうやしく礼をするビドゥーリに、フィロンがうなずいた。
「ごきげんよう、ビドゥーリ様。ネスもご苦労様ですわ」
「いいえ、フィロン様。あたしは別に」
「そういやお二人とも、エルテ王子の誕生祭にもいらっしゃるんですよね? ソルタオ様、張り切ってますよ。僕の出番がないくらいだ」
「喜ばしいことではありませんの? お休みができるのですから」
「そうでもないですよ。エルテ王子があれじゃあ、ね」
ビドゥーリが水色の瞳で、意味ありげにアレグリアを見てくる。多分、エルテを誘う自分に、何か言いたいことでもあるのだろう。
「アレグリア姫に問題もあるけど、それに釣られるのは本人が未熟だからよ」
言い返そうとしたとき、代わりに痛烈な言葉を発したのはネスだった。わあ、と大仰な声を上げ、ビドゥーリは黒い前髪をかき上げる。
「なかなかな問題発言をするね、君って」
「本当のことじゃない。さ、フィロン様、アレグリア姫、帰りましょ」
「……それでは失礼しますわ、ビドゥーリ様」
「ええ。どうぞお気をつけて」
結局、アレグリアの出番はなく、ビドゥーリに見送られるようにして三人は森へ入った。
四季に関係なく花が咲き乱れ、様々な木々が連なる妖精郷。色彩豊かな光景に、美しい蝶が飛び交う様は、まさにこの世の楽園とも言える。
いつ戻っても落ち着く故郷に、アレグリアは肩から力を抜いた。
「『ビドゥーリには気をつけろ』」
「姉様?」
そんなとき、ぽつりとフィロンが呟いたものだから、思わず足を止めてしまう。
「いえ、彼には気をつけろと……ソルタオ様がそう仰っていたのを思い出したのですわ」
「ビドゥーリに? どうして、そんな」
「わたくしも聞いていません。まだ調べてきっていないから、と」
そこでアレグリアは思い出す。ビドゥーリの名をエルテが出したとき、ソルタオの顔に翳りが差したことを。
「ネス、何か知っているか?」
「知らないわ。だってほとんど話さないもの、あの人と」
「ソルタオ様の忠告ですわ。聞いておいて損はないでしょう」
「……そう、だな」
肩に止まった蝶に触れながら、フィロンは微笑む。その笑みに、一瞬暗い思いがアレグリアの胸を締めつけた。一体いつ、姉はソルタオにそれを聞いたのか。文でもやり取りしているのだろうか。城に出向いている自分とはほとんど、話してもいないのに――
蜜でも食べ過ぎたかのような感覚に、思わず胸元で片手を握った。
「帰ったら、力の制御の仕方ですわ、リア。ネス、しっかり教えてあげて下さいませ」
「厳しいよ、姉様」
得体の知れない感情を隠し、アレグリアは笑う。馬鹿だな、と自分を罵りながら。
「そちらもご壮健で何よりです、フィロン妖精王。そしてアレグリア姫」
昼を少し過ぎての茶会は、いつも二人の堅苦しい言葉からはじまる。
王城の庭にある四阿。その円卓に座っていたソルタオとエルテが、アレグリアとフィロンを優しく出迎えてくれた。
真紅の長い髪、瞳と同じ薄桃色のドレスをふんわりと風に揺らしながら、フィロンが椅子に腰かけたのを見計らい、アレグリアも座る。自分が着ているレモン色のドレスは姉のものとは違い、前は膝上までで、代わりに後ろが長いものだ。
正装とまではいかないが、ネスがお気に入りの服を持ってきてくれたことに感謝しつつ、背筋を伸ばして二人の兄弟を見つめた。
「今日もエルテが申し訳ないことをした。女性に剣を向けるな、と何度も言っているのだが……アレグリア姫、すまなかった」
「い、いえ、ソルタオ様。ソルタオ様が謝ることではありません」
「そうか、エルテはいい友に恵まれたな」
ソルタオが長い金髪を揺らし、エルテと同じ赤い瞳を細めて微笑む。それだけのことなのに、アレグリアの胸は大きく鼓動した。
ソルタオの笑顔はいつも涼やかで、美貌は輝く月のようだ。エルテはどちらかというと、暑い夏の太陽を想起させる顔を持っている。ソルタオは王妃に、エルテは国王に似たらしい。
蜂蜜入りのお茶を飲もうとしたとき、意地悪い笑みを浮かべてエルテが言う。
「兄上、アレグリア姫はしおらしくしてますけどね。誘ってきたのはあっちです」
「あ、エルテ、君は……」
「まあ、そうなのですか? では、謝るのはわたくしの方ですわ。妹がやんちゃを過ぎてごめんなさいませ、エルテ王子」
「なるほど。これは両方に罰を、だな。それなら公平になる」
「い、いや、兄上。もう十分ビドゥーリに罰を受けたところなんで」
慌てるエルテに、アレグリアは小さく声を上げて笑った。だが、フィロンは困ったように眉をひそめ、その白い指を頬に当てる。
「いけませんわ、リア。エルテ王子も勉学にお忙しい身。それを邪魔するなんて」
「すみません、姉様。その、つい……」
「ネスに言って、あなたの勉強時間も増やしてもらわなくてはなりませんわね」
余計なことを言ってくれたな、と内心思い、アレグリアはエルテを睨んだ。エルテも同じく、肩を落としながらもこちらに鋭い視線を向けてきている。
その顔つきは、昔、アレグリアたちと兄弟が出会った頃を彷彿とさせた。
今から十年前――妖精郷に十一歳のソルタオと、六歳のエルテが迷いこんできた。森で遊んでいる内に、長老の木の結界をくぐり抜けてしまったらしい。ちょうど近くで花を摘んでいたアレグリアとフィロンが彼らと出会ったのは、偶然と言えるだろう。
泣き顔を見せまいと潤んだ瞳を堪え、兄の腕にしがみつくエルテと対照的に、ソルタオは凛とした様を崩してはいなかった。彼は神童と呼ばれるほどの天才で、妖精のこともちゃんと理解していたらしい。
『俺たちは、ヴァンヘリオを荒らしに来たのではありません。迷ってしまったのです』
丁寧な物腰で言うソルタオは、まさに王族にふさわしい雰囲気をまとっていた。顔だけでなく、助けを求める声にも張りがあり、大人にも引けを取らない態度は未だ、アレグリアの印象に強く残っている。
それから姉妹、兄弟の交流がはじまり、今やこうして茶も共にできる仲となった。五年前に父である前妖精王が寿命を迎え、フィロンが女王に即位しても変わらずに、だ。
それにしても、と改めて居住まいを正し、アレグリアは兄弟を軽く盗み見た。
赤を基調とした衣を身にまとうソルタオは、本当に立派になった。ビドゥーリやエルテから聞くところによると、すでに二人の父――現国王は、ソルタオに跡を継がせる準備を整えているらしい。本人はまだ未熟だと頑なに拒んでいるようだが。
もちろんエルテも大きくなり、自分の身長をあっという間に越え、剣技の腕を磨いている。それでもソルタオに目がいってしまうのは、アレグリアが一目で彼に恋をしたからだ。
――格好いいなあ……飲み方も綺麗だし、顔も……。
「リア、聞いていますの?」
「あ、え、ええと……」
「仕方のない子。植物と意思の疎通をできるようになったのか、を聞いているのですわ」
「……まだです、姉様。花に思念を飛ばすことはできますが……」
「それではやはり、力の使い方をもっと学ばねばなりませんね。長老の木を操ることができなければ、王族としてまだ未熟という証しなのですから」
「はい……」
姉にたしなめられ、しゅんとするアレグリアを見てか、ソルタオが微笑む。
「アレグリア姫、焦ることはないと俺は思う。フィロン妖精王をよく見て、少しずつ自らの配分で、力を操るすべを身につけていけばいい」
「あ、ありがとうございます、ソルタオ様」
「そうそう、アレグリアは不器用なんだからさ。焦ったら余計混乱するだろ」
「お前のことでもあるのだぞ、エルテ。剣技や馬術にばかりうつつを抜かして。補佐として俺の支えになるためには、もっと努力が必要だ」
「うっ。わ、わかってるよ兄上……でもビドゥーリがいるなら、って思っちゃってさ」
笑って茶を飲むエルテに反して、ソルタオの顔に陰が降りた。それは一瞬のことだったが、何かある、とアレグリアは察する。だが、自分が疑問を口にする前に、フィロンが話題を変えた。
「ところでソルタオ様。本日のお茶会で、わたくしたちに何か、伝えたいことがあったと聞いておりますけれど」
「ああ……今度開くエルテの誕生祭に、ぜひお二人が参加してくれれば嬉しいと思ったのです」
「あっ、そうだ。もうそんな季節なんだな」
「なんだよアレグリア。アンタ、オレの誕生日のこと忘れてたわけ?」
「そういうわけじゃあないけど……おめでとう、エルテ」
「まだ先だっての、馬鹿」
「馬鹿とはなんだ、馬鹿とはっ」
「リア」
「エルテ」
話の矛先が喧嘩に向かおうとしたとき、フィロンとソルタオが止めた。はい、とアレグリアたちは、浮かべた腰を慌てて元に戻す。ソルタオへみっともない姿を見せてしまったことに、アレグリアは頬が熱くなった。
「わたくしたちでよろしければ、ぜひ参加させて下さいませ。ね、リア?」
「は、はい。かけがえのない友がこの世に誕生したことは、喜ばしく思いますから」
「快諾、感謝します。誕生祭とは言え、来るのは町人たちくらいのものですが。他国の人間は、いつものように呼んでおりません。気兼ねなく参加して下さい」
言って、ソルタオが二枚の手紙を机に置いた。招待状だ。蝋印がされた手紙をフィロンが受け取るのを見てから、アレグリアも手にする。表には達筆でアレグリア=ヴァンヘリオと書かれてあった。間違いなくソルタオの文字だ。
忙しい中、わざわざ時間を割いて招待状を作ってくれたことが嬉しい。空いたドレスの背中、そこから飛び出した羽が無意識に左右に揺れてしまう。
上目遣いでフィロンと会話をしているソルタオを見ると、その隣にいるエルテが呆れた様子で――というより、どこか不機嫌な顔でこちらを見ていることに気付いた。そんなに誕生月を忘れていたことが気に触ったのか、と目をまたたかせる。
鼻を鳴らすような所作で、エルテは茶菓子を食べはじめた。まるで、駄々をこねる子供みたいだ。不機嫌の理由がわからず、アレグリアも少し、菓子を摘まむ。
蜂蜜をふんだんに使ったケーキは美味しい。妖精は、ものを食べなくとも花や植物の精気を吸うことで生きていける。だが、人間の食べ物を口にするとわかるが、その豊富さや味の種類に驚くばかりだ。
「それでは一週間後、迎えのものをよこします。当日は俺もエルテも忙しいので、信頼できる近衛兵を数人、護衛につけましょう」
「ありがとうございます、ソルタオ様。なにごともないとは思いますけれど」
「あなたたちに何かあれば、妖精郷は混乱に陥ります。念には念を入れておきたい」
「お心遣い、痛み入りますわ。……では、そろそろわたくしたちは失礼いたします。リアに力の使い方を学ばせたいので」
それこそ蕾が花咲くような所作で、優雅にフィロンが音もなく立つ。それを見てアレグリアもフォークを置き、なるべく音を立てずに椅子から腰を上げた。
「それではごきげんよう、ソルタオ様。エルテ王子」
「失礼します、ソルタオ様。エルテ」
「お気をつけて、フィロン妖精王。アレグリア姫も」
エルテは何も言わない。ソルタオと共に立ち上がって一礼するだけだ。いつもならここで一言、アレグリアを揶揄する言葉を発するのが常なのだが。よほど機嫌が悪いらしい。
アレグリアは内心で唸りつつ、フィロンと共に歩きだした。さくさくとした芝生の感触が心地いい。
アーチ状になっている柵を越え、庭から出ると、ネスとビドゥーリがいた。
「これは妖精王。ご機嫌麗しく」
うやうやしく礼をするビドゥーリに、フィロンがうなずいた。
「ごきげんよう、ビドゥーリ様。ネスもご苦労様ですわ」
「いいえ、フィロン様。あたしは別に」
「そういやお二人とも、エルテ王子の誕生祭にもいらっしゃるんですよね? ソルタオ様、張り切ってますよ。僕の出番がないくらいだ」
「喜ばしいことではありませんの? お休みができるのですから」
「そうでもないですよ。エルテ王子があれじゃあ、ね」
ビドゥーリが水色の瞳で、意味ありげにアレグリアを見てくる。多分、エルテを誘う自分に、何か言いたいことでもあるのだろう。
「アレグリア姫に問題もあるけど、それに釣られるのは本人が未熟だからよ」
言い返そうとしたとき、代わりに痛烈な言葉を発したのはネスだった。わあ、と大仰な声を上げ、ビドゥーリは黒い前髪をかき上げる。
「なかなかな問題発言をするね、君って」
「本当のことじゃない。さ、フィロン様、アレグリア姫、帰りましょ」
「……それでは失礼しますわ、ビドゥーリ様」
「ええ。どうぞお気をつけて」
結局、アレグリアの出番はなく、ビドゥーリに見送られるようにして三人は森へ入った。
四季に関係なく花が咲き乱れ、様々な木々が連なる妖精郷。色彩豊かな光景に、美しい蝶が飛び交う様は、まさにこの世の楽園とも言える。
いつ戻っても落ち着く故郷に、アレグリアは肩から力を抜いた。
「『ビドゥーリには気をつけろ』」
「姉様?」
そんなとき、ぽつりとフィロンが呟いたものだから、思わず足を止めてしまう。
「いえ、彼には気をつけろと……ソルタオ様がそう仰っていたのを思い出したのですわ」
「ビドゥーリに? どうして、そんな」
「わたくしも聞いていません。まだ調べてきっていないから、と」
そこでアレグリアは思い出す。ビドゥーリの名をエルテが出したとき、ソルタオの顔に翳りが差したことを。
「ネス、何か知っているか?」
「知らないわ。だってほとんど話さないもの、あの人と」
「ソルタオ様の忠告ですわ。聞いておいて損はないでしょう」
「……そう、だな」
肩に止まった蝶に触れながら、フィロンは微笑む。その笑みに、一瞬暗い思いがアレグリアの胸を締めつけた。一体いつ、姉はソルタオにそれを聞いたのか。文でもやり取りしているのだろうか。城に出向いている自分とはほとんど、話してもいないのに――
蜜でも食べ過ぎたかのような感覚に、思わず胸元で片手を握った。
「帰ったら、力の制御の仕方ですわ、リア。ネス、しっかり教えてあげて下さいませ」
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