【R18】妖精姫の蜜は苦くて、甘い【完結】

双真満月

文字の大きさ
上 下
2 / 14
第一幕 淡い夢の日

1-1.いつもという時間

しおりを挟む
 ガン、と庭に大きな音が響いた。横から薙いだアレグリアの木刀が、足下へと落ちる。手を痺れさせる一撃には容赦がない。首元に木刀の先をあてがわれ、悔しさで唇を噛みしめた。

「オレの勝ち、だな。アレグリア」

  逆光に染まった白銀の短髪を見上げながら、かけられた言葉にむっとする。

「まだ一勝一敗じゃないか。今回は手元が狂ったんだ」
「まだ、って……アンタ、本当に強がりだな」
「君には負けられないからだ、エルテ」

 言って、稽古相手――エルテが未だ降ろそうとしない木刀を、指先で下げた。エルテは跳ねた短髪をかき上げて、ため息交じりに木刀を収める。赤い目には呆れが宿っており、それがアレグリアの気に触った。

 瞬間、兎のように跳ねて木刀を持ち直す。下からすくうように不意打ちで放った一撃は、しかし。

「甘いっての!」
「わっ」

 いともたやすく弾かれた。再び手に痺れが走り、今度は遠く、空中にまで木刀が上がる。今度はさらしを巻いた胸元へ、ぴたりとエルテの持つ木刀の先が突きつけられていて、完全な敗北だった。

「く……」
「はい、これでオレの二連勝。今回の稽古はオレの勝利ってことで」

 汗一つ掻いていないエルテの笑みに、仕方なく両手を挙げて降参した。こちらは汗だくだというのに、少しずるい、そんな風に思いつつ。

「わかった。私の負けだ、エルテ。これでも素早さには自信があるんだけどな」
「その分、無駄な動きが多いんだよ、アレグリアは。そりゃアンタは女だから、動きや速度で翻弄するのは間違っちゃいないけどさ。見切られちゃおしまいだ」
「ふん。羽を出せばもっと早いぞ。借り物の軍服に穴を開けられないのが残念だ」
「空を飛ぶのは反則だって、妖精のお姫様」
「君は私がそう言われるのがいやなのを知っていて、わざと口にしているな?」
「事実だろ。……それより手、冷やしに行こう。捻挫させてたら大変だし」

 睨みながら追求すれば、逃げるようにエルテが明るい笑い声を上げる。エルテの笑顔も、軽やかな声も嫌いではない。それに免じ、むきになって怒るのはやめてやることにした。

 転がっていた木刀を拾う。エルテと共に並んで、庭の稽古場から出た。

 季節は初夏。まだ本格的な暑さはなく、火照った体に、少し強めの風が心地いい。それでも肩までの紫の髪が邪魔だと感じる。波がかっている分、風に舞う部分が汗で頬に張りつくのだ。

「髪、また短く切ろうかな」
「アンタ、そんなことしたらフィロン妖精王に怒られるぞ。ただでさえ剣の稽古にも反対してるんだからさ」
「姉様に怒られるのはいやだな……でも、怒られるのはエルテも同じだろう? ソルタオ様に」
「なんで兄上の名前が出るんだよ。ま、勉強から逃げてるのは事実だけど」
「ほら、やっぱり怒られる。君も私も同じだ」

 ちぇっ、と唇を尖らせるエルテに笑った。自分の姉である妖精の王フィロンも、エルテの兄である王太子ソルタオも、やんわりと咎めてくるであろうことを想像しながら。

 広い王城の庭には夏の花が咲きはじめ、新緑が眩しい広葉樹に彩りを添えている。微かに流れてくる花の香り、緑の匂いは豊かで、アレグリアは香りを楽しむように目一杯、風を吸いこんだ。

 ここ――アンマーセル王国は、小さな島にある人間たちの国だ。周りは一面海に囲まれ、隣国に行くにも、船で一週間はかかる距離にある。アンマーセルという小さな国に実りをもたらすのは、アレグリアが普段住む花の都、妖精郷ヴァンヘリオである。

 アンマーセルとヴァンへリオは、五十年程前まではあまり仲がよくなかった。エルテの祖父に当たる前国王が暴君だったとは、アレグリアの父である前妖精王の言だ。しかし、今の国王は温和で妖精たちにも偏見を持たず、互いに少しずつ交流を深めていった。

 そして今や、妖精郷への入り口を王族専用の森へ開くまでに至る。無論、ヴァンへリオを人間たちに荒らされては、と長老の木と呼ばれる樹齢五千年の大樹によって、結界が張られてはいるが。それでもアンマーセルの王族は、血筋ならば誰でも入ることが可能だ。

 言わば、蜜月なのである。人間に好奇心を抱き、街に降りる妖精だっているし、人間もまた敬意と友愛を持ってアレグリアたちに接してくれる。そのことが何より嬉しい。

「なーに、にやけてるんだよ。だらしないな」
「うるさいな、君は。年上には敬意を払えと教わらなかったのか?」
「……どう見ても同い年っぽいけど」
「見た目が止まると言ったろう、私たち妖精は。実年齢は十六の君より上だ」
「はいはい。精神年齢はお子様だけどな、アンタは」
「なんだとっ? 君に言われたくない、エルテ!」

 やるか、と立ち止まり、互いに睨みあう。一触即発、その瞬間だった。

「あーっ! やっぱりここにいた、アレグリアっ!」
「エルテ王子も一緒だ。よかった……僕がまた怒られずに済んで」

 金切り声と弱々しい声が混ざって聞こえ、アレグリアはエルテと共に振り向いた。

「ネ、ネス……」
「げっ、ビドゥーリ……」

 そこには薄茶の髪を風になびかせながら、こちらに向かって飛んでくるお目付役、ネスの姿があった。隣にいるエルテとソルタオの補佐役、ビドゥーリは半ば泣きそうなまでに水色の瞳を細めている。

「なぁにが『ネ、ネス』よ。また剣の稽古なんてして! 茶会に呼ばれたんでしょっ?」
「あのね、エルテ王子。僕が怒られるから、勝手に勉強時間に抜け出さないで欲しいな」
「す、すまないネス……あと、ビドゥーリも……」
「ごめんって。ビドゥーリ、泣きそうになるなよ……」
「心から謝罪してると思えない」

 ネスとビドゥーリ、同時に言われて、アレグリアはこっそりため息をついた。それを察し、ネスが橙の目を思い切りすがめてくる。

「反省が足りないようね、アレグリア。いいわ、今日のお茶会、しっかりと着飾らせてもらうから」
「それは勘弁してくれ、ネス。化粧とか似合わないことをさせられるのは辛い……」
「自業自得ね。もっと妖精王の妹として、淑女のたしなみを覚えなさい」
「あ、エルテ王子には追加で勉強の方、時間取るから。もう準備はしてあるんだ」

 満面の笑みを浮かべる二人が、アレグリアには恐ろしく見えた。エルテも同じなのだろう、ここではなく遠い場所を見ている目付きをしている。

「アレグリアはさっさと湖で汗、流してきて。あたしドレス持ってくるから」
「エルテ王子もお風呂に入ってさっぱりしたら、すぐに部屋に戻ること。僕が監視してる」
「わかりました……」

 アレグリアは、エルテと共に観念した。ネスとビドゥーリはいつもこうだ。剣の稽古をよく思っておらず、フィロンやソルタオ以上に激しく叱咤してくる。しかもお仕置きに、アレグリアたちの苦手なものを持ってくるところがそっくりだ。

 この二人、取り立てて仲がいいというわけではない。ネスはあまり人間に興味がないみたいだし、ビドゥーリはアレグリアのいるところ、それはエルテのいるところ、と考えて行動するからネスと鉢合わせるという。

 要するに、と肩を落としてアレグリアは思う。自分とエルテとの関係性に似ているのだろう。付かず離れず、容赦なく互いの意見をぶつけ合える間柄。ネスは目付役でも友でもあるが、それともまた違う。友人というより同志と呼んだ方がいい。

「……じゃあな、アレグリア。昼にまた」
「うん……せいぜい勉強、頑張るんだな」
「こっちもアンタの似合わないドレス姿、楽しみにしてるから」

 エルテの無駄な一言に、アレグリアは軽く彼の腕を叩いた。自分だって好んでドレスをまとっているわけではない。

 よろめいたエルテが、ビドゥーリに引っ張られていくのを見ながら、また嘆息した。

「何よ、ため息ばっかり。安心なさい。ソルタオさんもびっくりするような姿にしてあげるから」
「う」
「好きな人に綺麗に見られたい、ってのは間違ってないわよ」

 けらけらと笑うネスの言葉で、自分の頬が熱くなるのがわかった。木刀を元の場所に置いて、小さく頭を振る。そんなんじゃない、と囁きながら。

「強情よね、アレグリアって。ま、あたしはそこが気に入ってるけど」
「君はずけずけ物を言うな。私も嫌いじゃないからいい」

 二人、顔を見合わせて微笑む。なんだかんだ言っても、ネスのさっぱりした気質は気持ちがいい。

「それじゃあ私は、水浴びをしてくる」
「しっかり汗を落としなさい、菫の妖精さん。いくら甘い香りを漂わせてるっても、香水じゃあるまいし」

 ネスはそれだけ言うと、半透明の羽をはためかせ、城の方へと飛んでいく。言われたことが気になって、アレグリアは自分の腕を鼻に近付けた。確かに、甘い。菫の花の加護を持つ身は、体臭や汗すらも蜜のようにする。

 なんだか自分が子供っぽいように感じ、胸がもやもやする。姉のフィロンは薔薇の加護を持ち、いつでも大人びた香りを漂わせていることを思い出して。

 どうしようもできない違いに、むくれた顔をしながら森へ入り、湖の方へと向かった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。 そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。 だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。 そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

甘すぎるドクターへ。どうか手加減して下さい。

海咲雪
恋愛
その日、新幹線の隣の席に疲れて寝ている男性がいた。 ただそれだけのはずだったのに……その日、私の世界に甘さが加わった。 「案外、本当に君以外いないかも」 「いいの? こんな可愛いことされたら、本当にもう逃してあげられないけど」 「もう奏葉の許可なしに近づいたりしない。だから……近づく前に奏葉に聞くから、ちゃんと許可を出してね」 そのドクターの甘さは手加減を知らない。 【登場人物】 末永 奏葉[すえなが かなは]・・・25歳。普通の会社員。気を遣い過ぎてしまう性格。   恩田 時哉[おんだ ときや]・・・27歳。医者。奏葉をからかう時もあるのに、甘すぎる? 田代 有我[たしろ ゆうが]・・・25歳。奏葉の同期。テキトーな性格だが、奏葉の変化には鋭い? 【作者に医療知識はありません。恋愛小説として楽しんで頂ければ幸いです!】

婚約者の本性を暴こうとメイドになったら溺愛されました!

柿崎まつる
恋愛
世継ぎの王女アリスには完璧な婚約者がいる。侯爵家次男のグラシアンだ。容姿端麗・文武両道。名声を求めず、穏やかで他人に優しい。アリスにも紳士的に対応する。だが、完璧すぎる婚約者にかえって不信を覚えたアリスは、彼の本性を探るため侯爵家にメイドとして潜入する。2022eロマンスロイヤル大賞、コミック原作賞を受賞しました。

赤ずきんちゃんと狼獣人の甘々な初夜

真木
ファンタジー
純真な赤ずきんちゃんが狼獣人にみつかって、ぱくっと食べられちゃう、そんな甘々な初夜の物語。

処理中です...