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第五幕 永遠の愛
5-5.忘れがたい何か
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木でできた、若干周りの家より大きい家屋。そこが村長が住む場所だ。手入れされた庭では秋の花が様々に揺らいでおり、トゥトゥナの気分を慰めてくれる。
一呼吸置いて、木製の扉を叩いた。少し経って中から出てきたのは、村長だった。
「おはようございます、村長さん。私にお話があると聞いて来ました」
「おはよう、トゥトゥナや。すまんなあ、こちらから向かうべきなのに……さあさ、中に入りなさい。今お茶を入れてもらうからの」
「それじゃあ失礼しますね」
村長は優しい笑みを浮かべたままだ。悪い話ではないかもしれないとトゥトゥナは思う。
窓際にある椅子を勧められ、篭を床に置いて村長と向かい合った。村長の妻である老婆がハーブティーを入れてくれる。
老婆が部屋から出ていくのを見計らい、トゥトゥナは話を切り出した。
「あの、私に話とはなんでしょう? やっぱりお医者様の件ですか?」
「いやな、ちゃんとした医者様が来て下さるのはありがたい。しかしなあ……よその村では法外な金銭を要求してくる医者様もいると言うし。そこでな」
茶を飲み、間を置いて村長は続ける。
「このまま医者様として働いてはくれんかな。ああ、もちろんこれから来る医者様の様子を見て、だがね。去年からは、女性が医者手伝いをすることも許されているし……来る医者様の考えにもよるだろうが」
「……そう、でしたか?」
「領主様から聞いたのを話したはずだがね? 喜んでおったのはトゥトゥナや、お前さんだろう。今の龍皇様が魔女狩りを禁止なさったからなあ」
トゥトゥナは温かいお茶を一口含んだ。小首を傾げ、あまり回らない頭で考える。
言われれば、ゆっくりとだが朧気だった記憶が戻ってきた。
そうだ。確かに今の龍皇フリーデが大々的に令を出した。闇医者を罰することはしない、と。代わりに医者の助手程度にはなるが。そのことに安堵していたはずなのに、どうして忘れてしまっていたのだろう。
部屋の片付けなんて馬鹿な真似を、なぜしようと考えたのか。それすら不明だ。闇医者だから、本物の医者が来るからか。思い出した記憶と行動が噛み合っておらず、小さく唸ってしまう。
「どうかしたかね?」
「いえ……それでは私は、この村にいてもいいのでしょうか?」
「当たり前だ、トゥトゥナや。ティムにも、あんたにもワシや村人は世話になりっぱなしだ。婆さんの腰痛だって、あんたがいなけりゃ酷いことになっていただろうに」
大仰に肩をすくめる村長にトゥトゥナは笑った。ほっとしてカップを置く。
「ありがとうございます。もし今度来るお医者様が許せば、その手伝いとしてちゃんと、私も働きますから」
「うんうん。そうしてもらえるとありがたいなあ。……ところで」
皺だらけの顔を微笑ませた村長が、身内を見るような優しい目付きを作った。
「トゥトゥナは、まだ誰かを待っておるのかね?」
「えっ?」
「おや、昔からの口癖だったじゃないかね。『待っているから』と。だから自分は結婚はしないと」
――待つ? 私が、誰を待つというの?
「おかげで孫もすっかり諦めての。まあ、今の奥さんと幸せにしているからいいのだが」
「え、ええと。そうだったかしら……」
「疲れておるのかい? 少し、顔色が悪いぞ?」
村長の言葉にトゥトゥナは混乱する。無意識に胸元へ手をやり、ペンダントを握った。
――待つ……そうだわ、私は誰かを待っている。でも……誰を? どうして?
考えれば考えるほど、頭の中が靄がかる。頭痛までしてきた。
誰を待ち焦がれているのか、さっぱり思い出せない。大切な、何か。誰か。忘れたくない気持ちだけはある。しかしそれが誰に対してのものなのか、思い出すことができない。
焦燥ばかりが胸を占め、静かに立ち上がる。
「すみません……やっぱり私、今日は具合が悪いみたいです。おいとましても?」
「それは大変だ。三日後の祭りじゃあんたも主役だからな。帰って休むといい」
「はい、ごめんなさい。それじゃあ失礼します」
心配そうにうなずく村長に一礼し、トゥトゥナは篭を持ち直す。それから老婆にも大きな声で茶の礼を述べ、そそくさと家を後にした。
帰る途中で農夫の妻に会う。ラズベリーを渡したところで顔色が悪い、とまた指摘された。心配してくれる彼女に大丈夫、とだけ告げ、明日ジャムを分けてもらうことにする。
――本当に私、おかしいわ……。
歩けばため息が風に乗って消えた。はしゃぐ子供たち、掛け合う農夫たちの声だけが大きい。それでも胸が疼いてどうしようもなかった。動悸のようなものまでしてくる。
不安と、焦り。二つは何についてのものなのかはっきりしない。しかし、同時にこの村にいればという、不思議とした安息の思いが自然と込み上げてくる。
――なんなのかしら……早いけれど今日は寝ておきましょう。
陽はまだ傾いてもいない。紅葉を見るのもいいが、大病だったらまずいだろうと思い、村から急いで離れた。
小道を通り、未だ鳴る鼓動に身を任せて自宅へと戻る。
大きめの家屋は静かに自分を迎えてくれた。擦り傷や切り傷に効く軟膏をいくつか持ち出し、篭の中に入れて外に置いておく。急患以外なら、これで村人も自分たちで対処できるだろう。
簡易な鍵を閉め、ドングリを水につけたのち、寝室へと入る。
少し錆びた姿見で自分の顔を確認してみた。確かに顔色は悪い。だが熱はなさそうだし、目眩もない。
「休めばきっとよくなるわよね」
答えなどどこからも来なかったが、自分に言い聞かせて着替えることにする。
カートルなどを脱いで、長い寝間着に着替えようとしたときだ。
「……傷?」
腹部に何かの傷跡があることに気が付いた。ありありとした傷は、刃物で刺されたかのように鋭利だ。
そっと腹の傷に触れてみる。痛くも痒くもない。
「あ、そうよね。傷があるんだったわ」
ティムがトゥトゥナを拾った際、傷はもうできていたことを不意に思い出す。これも昔からのもので、なぜ今まで当たり前のことを忘れていたのか、と苦笑した。
よっぽど疲れているのだろう。着替えたあと、さっさとベッドに横たわる。
なぜか寂しい、と感じた。こんな感情、養父が死んだとき以来だ。十年も前の感傷に今頃どうして浸るのか、やはりわからない。
胸の疼きを堪えるよう、何度も寝返りを繰り返してトゥトゥナはようやく眠りにつく。
夢などこれっぽっちも見なかった。
一呼吸置いて、木製の扉を叩いた。少し経って中から出てきたのは、村長だった。
「おはようございます、村長さん。私にお話があると聞いて来ました」
「おはよう、トゥトゥナや。すまんなあ、こちらから向かうべきなのに……さあさ、中に入りなさい。今お茶を入れてもらうからの」
「それじゃあ失礼しますね」
村長は優しい笑みを浮かべたままだ。悪い話ではないかもしれないとトゥトゥナは思う。
窓際にある椅子を勧められ、篭を床に置いて村長と向かい合った。村長の妻である老婆がハーブティーを入れてくれる。
老婆が部屋から出ていくのを見計らい、トゥトゥナは話を切り出した。
「あの、私に話とはなんでしょう? やっぱりお医者様の件ですか?」
「いやな、ちゃんとした医者様が来て下さるのはありがたい。しかしなあ……よその村では法外な金銭を要求してくる医者様もいると言うし。そこでな」
茶を飲み、間を置いて村長は続ける。
「このまま医者様として働いてはくれんかな。ああ、もちろんこれから来る医者様の様子を見て、だがね。去年からは、女性が医者手伝いをすることも許されているし……来る医者様の考えにもよるだろうが」
「……そう、でしたか?」
「領主様から聞いたのを話したはずだがね? 喜んでおったのはトゥトゥナや、お前さんだろう。今の龍皇様が魔女狩りを禁止なさったからなあ」
トゥトゥナは温かいお茶を一口含んだ。小首を傾げ、あまり回らない頭で考える。
言われれば、ゆっくりとだが朧気だった記憶が戻ってきた。
そうだ。確かに今の龍皇フリーデが大々的に令を出した。闇医者を罰することはしない、と。代わりに医者の助手程度にはなるが。そのことに安堵していたはずなのに、どうして忘れてしまっていたのだろう。
部屋の片付けなんて馬鹿な真似を、なぜしようと考えたのか。それすら不明だ。闇医者だから、本物の医者が来るからか。思い出した記憶と行動が噛み合っておらず、小さく唸ってしまう。
「どうかしたかね?」
「いえ……それでは私は、この村にいてもいいのでしょうか?」
「当たり前だ、トゥトゥナや。ティムにも、あんたにもワシや村人は世話になりっぱなしだ。婆さんの腰痛だって、あんたがいなけりゃ酷いことになっていただろうに」
大仰に肩をすくめる村長にトゥトゥナは笑った。ほっとしてカップを置く。
「ありがとうございます。もし今度来るお医者様が許せば、その手伝いとしてちゃんと、私も働きますから」
「うんうん。そうしてもらえるとありがたいなあ。……ところで」
皺だらけの顔を微笑ませた村長が、身内を見るような優しい目付きを作った。
「トゥトゥナは、まだ誰かを待っておるのかね?」
「えっ?」
「おや、昔からの口癖だったじゃないかね。『待っているから』と。だから自分は結婚はしないと」
――待つ? 私が、誰を待つというの?
「おかげで孫もすっかり諦めての。まあ、今の奥さんと幸せにしているからいいのだが」
「え、ええと。そうだったかしら……」
「疲れておるのかい? 少し、顔色が悪いぞ?」
村長の言葉にトゥトゥナは混乱する。無意識に胸元へ手をやり、ペンダントを握った。
――待つ……そうだわ、私は誰かを待っている。でも……誰を? どうして?
考えれば考えるほど、頭の中が靄がかる。頭痛までしてきた。
誰を待ち焦がれているのか、さっぱり思い出せない。大切な、何か。誰か。忘れたくない気持ちだけはある。しかしそれが誰に対してのものなのか、思い出すことができない。
焦燥ばかりが胸を占め、静かに立ち上がる。
「すみません……やっぱり私、今日は具合が悪いみたいです。おいとましても?」
「それは大変だ。三日後の祭りじゃあんたも主役だからな。帰って休むといい」
「はい、ごめんなさい。それじゃあ失礼します」
心配そうにうなずく村長に一礼し、トゥトゥナは篭を持ち直す。それから老婆にも大きな声で茶の礼を述べ、そそくさと家を後にした。
帰る途中で農夫の妻に会う。ラズベリーを渡したところで顔色が悪い、とまた指摘された。心配してくれる彼女に大丈夫、とだけ告げ、明日ジャムを分けてもらうことにする。
――本当に私、おかしいわ……。
歩けばため息が風に乗って消えた。はしゃぐ子供たち、掛け合う農夫たちの声だけが大きい。それでも胸が疼いてどうしようもなかった。動悸のようなものまでしてくる。
不安と、焦り。二つは何についてのものなのかはっきりしない。しかし、同時にこの村にいればという、不思議とした安息の思いが自然と込み上げてくる。
――なんなのかしら……早いけれど今日は寝ておきましょう。
陽はまだ傾いてもいない。紅葉を見るのもいいが、大病だったらまずいだろうと思い、村から急いで離れた。
小道を通り、未だ鳴る鼓動に身を任せて自宅へと戻る。
大きめの家屋は静かに自分を迎えてくれた。擦り傷や切り傷に効く軟膏をいくつか持ち出し、篭の中に入れて外に置いておく。急患以外なら、これで村人も自分たちで対処できるだろう。
簡易な鍵を閉め、ドングリを水につけたのち、寝室へと入る。
少し錆びた姿見で自分の顔を確認してみた。確かに顔色は悪い。だが熱はなさそうだし、目眩もない。
「休めばきっとよくなるわよね」
答えなどどこからも来なかったが、自分に言い聞かせて着替えることにする。
カートルなどを脱いで、長い寝間着に着替えようとしたときだ。
「……傷?」
腹部に何かの傷跡があることに気が付いた。ありありとした傷は、刃物で刺されたかのように鋭利だ。
そっと腹の傷に触れてみる。痛くも痒くもない。
「あ、そうよね。傷があるんだったわ」
ティムがトゥトゥナを拾った際、傷はもうできていたことを不意に思い出す。これも昔からのもので、なぜ今まで当たり前のことを忘れていたのか、と苦笑した。
よっぽど疲れているのだろう。着替えたあと、さっさとベッドに横たわる。
なぜか寂しい、と感じた。こんな感情、養父が死んだとき以来だ。十年も前の感傷に今頃どうして浸るのか、やはりわからない。
胸の疼きを堪えるよう、何度も寝返りを繰り返してトゥトゥナはようやく眠りにつく。
夢などこれっぽっちも見なかった。
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