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第四幕 幸せをまさぐるように
4-5.深まる謎
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少し暗いが、切り揃えられた茶髪と巫女の服は、月光の下ではよく見える。数軒先の廃屋に入った彼女は、そのまま出てこない。
――どうしてダリエがここにいるのかしら……。
トゥトゥナは視線を、対面したまま隠れているシュテインへと戻す。シュテインは厳しい顔つきで外の様子をうかがったままだ。
――ヴィシュ卿も館を持っているはずだから、近くにいるのはおかしくないけれど……。
再度トゥトゥナの視線は違う廃墟へ釘付けになる。
しばらくの間、沈黙と緊張が続いた。呼気すら大きく聞こえるほど空気が張り詰める。そうしてどのくらいの時間が経っただろう。ダリエが、廃墟から出てきた。
手には白いケープがあった。何かを隠しているのだろうか、少し盛り上がっている気がする。ここからではよく確認できない。
ダリエは周りを注意深く見渡したあと、駆け足でその場を立ち去っていく。向かうのは山の方――館がある道だ。
「……あれは確か、ヴィシュ卿の巫女だね」
「ルノ……ダリエよ。何をしていたのかしら」
ダリエの姿が完全に消えたあとも、トゥトゥナたちは小声でささやきあう。
シュテインが何かを考えている顔つきを作ったのち、唐突に近くにあった棚を開けた。風化した棚が小さな音を立てる。
その中に収められていたのは、錆び付いた三日月の像だった。
「これって……」
「やはり大地神イナの象徴か。トゥトゥナ、君はルノが出る夢を見たと言ったね。大地神を崇めている夢を」
「ええ。もしかして、ダリエが? ダリエが輪廻を紡いでいると言うの?」
「わからない。けれど関係しているのは確かだと思う。……兄上がそれを知らないはずが」
そこまで言って、シュテインは眉をひそめた。何かに気付いた、というように。
「……まさか、いや。考えられるのはただ一つだ」
「シュテイン?」
「聖印。彫り師カルゼ。そして大地神イナの信仰……兄上の聖印はカルゼに彫らせたものだと考えるなら、彼が命を狙われている理由もわかる」
「嘘……」
トゥトゥナは思わず口を手で覆う。
清廉で自制に満ちたギュント、その聖印が偽物であるなんて考えもしなかった。驚くトゥトゥナに対し、シュテインは小さく頭を振る。
「以前にも聖印を偽ったものがいる。彫り師が闇商売と言われる所以はそこにもあるんだ。兄上なら用済みになった彫り師を殺す、なんてことは容易にやってのけるだろう」
「で、でもそれならすぐに……カルゼさんをや殺せたんじゃあ……」
「カルゼの話では、彼は念のために町中を転々としていたらしい。寝床が決まり、顔を知られるようになったことで場所が割れた。兄上の聖印は僕たち補佐の中で一番最後に出ている。カルゼがイスクに告げた仕事と聖印の発現は、時期も丁度同じくらいだ」
トゥトゥナが見つめる先、シュテインの顔は険しい。落胆と、怒りと。それらがない交ぜになった顔立ちを月の明かりが照らしている。
トゥトゥナは怖々と口を開いた。
「大地神イナを、ヴィシュ卿も崇めていたのかしら?」
「もしそうだとしたら、なぜ僕と敵対していたのかわからない。君が死ぬ理由も。念のために聞くけれど、兄上との交流は? 今までにあったかい」
「いいえ、ないわ。ただ、皇領市で迷ったときに一度だけヴィシュ卿の馬車に乗ったことはあるけれど……そのときにスネーツ男爵が失脚した話を聞いたの」
「あれもまた奇妙な事件だ。僕はすぐにスネーツを捕らえようとした。しかし動いたときにはもう、彼は姿をくらましていたからね……兄上がなんらかの理由で保護し、スネーツを使い捨てにしたということも考えられる」
「でも、男爵の狙いは私だったわ」
「イスクが調べたところ、彼が発狂したのは禁制品の薬物が原因だった。僕を襲うということより、君への執着が正気をなくさせた理由なのかもしれない」
シュテインの言葉にぞっとした。シュテインが庇ってくれなかったら確実に死んでいただろうことに体が震える。
そんなトゥトゥナに気付いたのだろう、シュテインは静かに頬を撫でてくれた。
「いろいろ考えることがあるね。館に戻ろう。大丈夫、兄上が相手と言えど君を害するものには僕は容赦しない」
「……二人きりの兄弟なのに?」
「聖印すらごまかしているはずの卑劣漢を寛容する心は、あいにく持ち合わせていなくてね。元々、歩む道も違う相手だ」
はっきりと言い放つシュテインの瞳は、どこまでも真摯だった。トゥトゥナは申し訳なさを感じつつ、黙って首肯する。
「ランプはつけないでおこう。館からこの辺りは見渡せる。兄上、いや、ヴィシュ卿の館からもね。足下に気をつけて」
「ええ……」
再びシュテインに手を引かれながら、トゥトゥナは考える。
ダリエが輪廻を引き起こしている張本人だとして、ギュントがそれを見過ごす、あるいは見逃す理由がわからない。しかし、ダリエと自分にはアロウスという共通点がある。
ダリエの目的が『アロウスを生かすこと』だとしたら、繰り返しのときにすがるのにもうなずけた。
大地神という存在を人々が崇めることで、特異な時間軸となった世界。既視感を覚える町人もいる。何度も繰り返す時間の中、もしかすれば輪廻の歯車が少しずつ緩んでいるのかもしれない。
――私が今生きているのも、歯車がずれているからなのかしら。
何かを思案しながら、足下を確認しつつ進むシュテイン。多分ギュントへの対策を練っているのだろう。廃屋から出て、月だけが明るい道を黙々と進む。
白い月がやたら不気味に思えた。こうしているときもどこかで、大地神を崇める儀式が行われているのだろうか。そしてそこに、夢で見たようにダリエもいるのか。
――ダリエがアロウスを求めてさまよっているのだとしたら……シュテインがもし、アロウスと同じ道を辿ると知ったら。私も大地神を信奉してしまうかもしれない。
愛するものを求めての狂気。それが今なら、よくわかる。
「せっかくの逢瀬が台無しだね」
ぽつりとシュテインが呟いたものだから、トゥトゥナは微笑んだ。
「結果が出るまで数日あるわ。またこうして海を見ましょう?」
「そうだね。少しの間でも君と共にいたい」
「ええ」
思いを同じにできていることが嬉しかった。手に指を絡めながら、かけがえのないだろう時間と温もりを共有する。
幸せは、確かにトゥトゥナの胸にあった。
――どうしてダリエがここにいるのかしら……。
トゥトゥナは視線を、対面したまま隠れているシュテインへと戻す。シュテインは厳しい顔つきで外の様子をうかがったままだ。
――ヴィシュ卿も館を持っているはずだから、近くにいるのはおかしくないけれど……。
再度トゥトゥナの視線は違う廃墟へ釘付けになる。
しばらくの間、沈黙と緊張が続いた。呼気すら大きく聞こえるほど空気が張り詰める。そうしてどのくらいの時間が経っただろう。ダリエが、廃墟から出てきた。
手には白いケープがあった。何かを隠しているのだろうか、少し盛り上がっている気がする。ここからではよく確認できない。
ダリエは周りを注意深く見渡したあと、駆け足でその場を立ち去っていく。向かうのは山の方――館がある道だ。
「……あれは確か、ヴィシュ卿の巫女だね」
「ルノ……ダリエよ。何をしていたのかしら」
ダリエの姿が完全に消えたあとも、トゥトゥナたちは小声でささやきあう。
シュテインが何かを考えている顔つきを作ったのち、唐突に近くにあった棚を開けた。風化した棚が小さな音を立てる。
その中に収められていたのは、錆び付いた三日月の像だった。
「これって……」
「やはり大地神イナの象徴か。トゥトゥナ、君はルノが出る夢を見たと言ったね。大地神を崇めている夢を」
「ええ。もしかして、ダリエが? ダリエが輪廻を紡いでいると言うの?」
「わからない。けれど関係しているのは確かだと思う。……兄上がそれを知らないはずが」
そこまで言って、シュテインは眉をひそめた。何かに気付いた、というように。
「……まさか、いや。考えられるのはただ一つだ」
「シュテイン?」
「聖印。彫り師カルゼ。そして大地神イナの信仰……兄上の聖印はカルゼに彫らせたものだと考えるなら、彼が命を狙われている理由もわかる」
「嘘……」
トゥトゥナは思わず口を手で覆う。
清廉で自制に満ちたギュント、その聖印が偽物であるなんて考えもしなかった。驚くトゥトゥナに対し、シュテインは小さく頭を振る。
「以前にも聖印を偽ったものがいる。彫り師が闇商売と言われる所以はそこにもあるんだ。兄上なら用済みになった彫り師を殺す、なんてことは容易にやってのけるだろう」
「で、でもそれならすぐに……カルゼさんをや殺せたんじゃあ……」
「カルゼの話では、彼は念のために町中を転々としていたらしい。寝床が決まり、顔を知られるようになったことで場所が割れた。兄上の聖印は僕たち補佐の中で一番最後に出ている。カルゼがイスクに告げた仕事と聖印の発現は、時期も丁度同じくらいだ」
トゥトゥナが見つめる先、シュテインの顔は険しい。落胆と、怒りと。それらがない交ぜになった顔立ちを月の明かりが照らしている。
トゥトゥナは怖々と口を開いた。
「大地神イナを、ヴィシュ卿も崇めていたのかしら?」
「もしそうだとしたら、なぜ僕と敵対していたのかわからない。君が死ぬ理由も。念のために聞くけれど、兄上との交流は? 今までにあったかい」
「いいえ、ないわ。ただ、皇領市で迷ったときに一度だけヴィシュ卿の馬車に乗ったことはあるけれど……そのときにスネーツ男爵が失脚した話を聞いたの」
「あれもまた奇妙な事件だ。僕はすぐにスネーツを捕らえようとした。しかし動いたときにはもう、彼は姿をくらましていたからね……兄上がなんらかの理由で保護し、スネーツを使い捨てにしたということも考えられる」
「でも、男爵の狙いは私だったわ」
「イスクが調べたところ、彼が発狂したのは禁制品の薬物が原因だった。僕を襲うということより、君への執着が正気をなくさせた理由なのかもしれない」
シュテインの言葉にぞっとした。シュテインが庇ってくれなかったら確実に死んでいただろうことに体が震える。
そんなトゥトゥナに気付いたのだろう、シュテインは静かに頬を撫でてくれた。
「いろいろ考えることがあるね。館に戻ろう。大丈夫、兄上が相手と言えど君を害するものには僕は容赦しない」
「……二人きりの兄弟なのに?」
「聖印すらごまかしているはずの卑劣漢を寛容する心は、あいにく持ち合わせていなくてね。元々、歩む道も違う相手だ」
はっきりと言い放つシュテインの瞳は、どこまでも真摯だった。トゥトゥナは申し訳なさを感じつつ、黙って首肯する。
「ランプはつけないでおこう。館からこの辺りは見渡せる。兄上、いや、ヴィシュ卿の館からもね。足下に気をつけて」
「ええ……」
再びシュテインに手を引かれながら、トゥトゥナは考える。
ダリエが輪廻を引き起こしている張本人だとして、ギュントがそれを見過ごす、あるいは見逃す理由がわからない。しかし、ダリエと自分にはアロウスという共通点がある。
ダリエの目的が『アロウスを生かすこと』だとしたら、繰り返しのときにすがるのにもうなずけた。
大地神という存在を人々が崇めることで、特異な時間軸となった世界。既視感を覚える町人もいる。何度も繰り返す時間の中、もしかすれば輪廻の歯車が少しずつ緩んでいるのかもしれない。
――私が今生きているのも、歯車がずれているからなのかしら。
何かを思案しながら、足下を確認しつつ進むシュテイン。多分ギュントへの対策を練っているのだろう。廃屋から出て、月だけが明るい道を黙々と進む。
白い月がやたら不気味に思えた。こうしているときもどこかで、大地神を崇める儀式が行われているのだろうか。そしてそこに、夢で見たようにダリエもいるのか。
――ダリエがアロウスを求めてさまよっているのだとしたら……シュテインがもし、アロウスと同じ道を辿ると知ったら。私も大地神を信奉してしまうかもしれない。
愛するものを求めての狂気。それが今なら、よくわかる。
「せっかくの逢瀬が台無しだね」
ぽつりとシュテインが呟いたものだから、トゥトゥナは微笑んだ。
「結果が出るまで数日あるわ。またこうして海を見ましょう?」
「そうだね。少しの間でも君と共にいたい」
「ええ」
思いを同じにできていることが嬉しかった。手に指を絡めながら、かけがえのないだろう時間と温もりを共有する。
幸せは、確かにトゥトゥナの胸にあった。
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