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第三幕 夢と輪廻と
3-6.恐ろしいものばかり
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「……あの二人は隠れ家に置く、それでよろしいですな」
カルゼが無事であるように願っていたところに、表通りの方からイスクが現れる。神官たちの消えた方を見ながら。
「正規の医者も用意してあげてくれ。見張りももちろんだけれどね」
「承知。すぐに手配しましょうぞ」
「他に気になる情報は得られたかい?」
「いや、酔っ払いの戯言、与太話程度のものしか今のところは」
「些細なことでも構わないと言ったはずだよ。ともかく、一旦場所を変えよう。トアもそれでいいね?」
「はい。私はどこでも」
気付けば、周囲の酔っぱらいたちが起きはじめている。怪しまれる前に退散した方がよさそうだ。
イスクを先頭にシュテインに挟まれながら、表通りの方に出た。人はまだ多い。
混み合う表通りに面する一つの酒場へとイスクが入っていく。トゥトゥナたちも同じく。宿場はない食事専門のところのようだ。
昨夜の残りなのか、濃い酒精の香りが木造の中に充満している。朝のためか、客の姿はほとんどない。
酒場の主人へ飲み物を頼んでくれたイスクが、奥の席へ案内してくれた。四人用の席にそれぞれ腰かける。主人はシュテインに気付く素振りもなく、果実酒や茶を置いて去っていった。
「わからないものなんですね、意外と」
「人は姿形でしか判別しないものだからね。それに護衛を率いているわけでもない。まさか龍皇候補がこんなところに来るなんて、誰も思いはしないだろう?」
「確かに……」
小声で笑うシュテインに、トゥトゥナは納得した。温かいハーブティーを一口飲む。
「それで? どんな話があったのかな、イスク」
「口の端に上るようなことでもないのでしょうが……何やら、夢のようなものを皆、見るようで」
「夢?」
「は。既視感……と言うのですかな。そんな夢を見るものが少しばかりいるらしく」
「それは同じようなことを繰り返す夢、ではないかな」
「仰るとおり」
二人の言葉に、思わずトゥトゥナは呆然としてしまった。
既視感。それは自分が覚えている記憶のことではないのだろうか。そう、輪廻の記憶。
「薄ぼんやりとしか覚えてないものがほとんどでしてな。ろくな話題でもないかと」
「夢、か。君たちは見ていないのかな」
「あいにく夢を見る暇もないほど熟睡しております。他のものたちも同じだと」
「そう。トア、君はどう思う?」
「え……ええと……」
シュテインがこちらを見つめている。まるで探るような目付きで。
彼は言った。何度もトゥトゥナが死ぬ姿を夢に見ると。トゥトゥナ自身も、夢ではないが輪廻の体験をしている。自分がはっきりと繰り返しの記憶を持っているのは、死という鮮烈な体験をしているからではないのだろうか。
「……変なことだとは思います」
しかし、そのことを口にする勇気はなかった。二人を死の繰り返しに巻き込むような真似はしたくない。シュテインはいささか、一部を体験しているようだが。
「何か気になられるのですかな」
「少しばかりね。町のもの全てが見ているのかい」
「まちまちですな。見るものもいればいないものもいる……ゆえに与太話と言ったまでで」
「なるほど、わかった。少し引っかかるものがある。調査を進めたいところだけれど、あの彫り師のことも気になる。イスク、夢ではなく彫り師を使った貴族がいるかどうか、そちらの調べに集中してくれ」
「承知。……ちなみに先程、何者かを追った間者ですが。取り逃がした模様」
「それは残念。やはり大貴族に仕えているものかな」
「そちらも含め、調査を進めて参りましょう。それではこれにて」
言って、イスクが席を立つ。主人に支払いを済ますと酒場から出て行った。
残ったトゥトゥナは、ただ考えることしかできない。
既視感のような夢。繰り返しはやはり自分の死がきっかけではないのだろうか。少なくともドルナ村の面々やアロウスに、輪廻の兆候は見られなかった。
「僕の夢も既視感の一つと言ってもよさそうだね」
「……そうかもしれないわ」
酒を飲むシュテインを見て、トゥトゥナは悩んだ。
言うべきだろうか、洞窟の場所の夢を。シュテインはトゥトゥナが死ぬ夢を見ている。もし同じ輪廻に混ざったというのなら、少しでも情報を共有した方がいいかもしれない。
「シュテイン、私……変な夢を見たの」
「どんなものだい?」
「銀でできた女神像の下で、その……大勢の人々が祈っている夢を」
さすがに淫らな行為に耽っていた、とは言えない。しかもそこにダリエがいたことも。
「洞窟のような場所だったわ。槍と三日月を持った女神像……あれって」
「そうだね。概ねその女神像の見当はつく。崇拝されていることは確かにあるけれど、大規模で祈りを捧げるような場所か」
「私は地理に疎いから、どこかは想像もつかなかったけど」
「鉱山の跡地かもしれないね。僕の別館近くにもあるし、廃棄された跡地ならいくらでもこの国には点在している……それにしても」
シュテインがコップを置き、真顔を作る。
「彫り師に対しての君の剣幕は凄かった。怖いくらいの勢いがある、と言うより現実味があったね。まるで死んだことがあるようだった」
トゥトゥナは微笑んだ。嘘をつくために。
「医者の真似事をしていたとき、死は身近なものだったから」
シュテインの瞳が細くなる。優しい視線だった。全てを許し、受け入れるような目付き。胸の内を洗いざらい話してしまいそうになり、トゥトゥナはそっと目を逸らす。茶を飲んでそれ以上は答えない。
多分、シュテインは嘘を見抜いている。それでもトゥトゥナには言えなかった。信じてもらえるかどうか、ということは心配していない。むしろ自分が繰り返しの中にいることを口にしても、今の彼なら受け止めてくれるだろう。
それでも本当のことを言えないのは、怖いからだ。シュテインを巻き込んでしまうのはいやだった。いつから、どうしてこんな思いを持ったのかはわからないけれど。
――本当に臆病者だわ、私。
臆病で、生きることに執着して、女としてシュテインの思いを受け止めない醜い自分。それなのに優しい眼差しが、包みこむようにこちらに注がれている。柔らかな視線を、まっすぐ見つめ返すことがいつかできるだろうか。
「少し町を見て歩こうか、トゥトゥナ」
シュテインの声は相変わらず柔和で、トゥトゥナを責めることすらしない。それがまた、少し辛かった。
「いいの? せっかくの休日なのに」
「だからこそだよ。ここにもいいところはあるからね」
「なら、少しだけ……でも正体がわかったりしないかしら」
はにかむトゥトゥナに、シュテインは笑った。立ち上がり、トゥトゥナの手を取る。
「堂々としていれば誰も気にしない。曲芸団が来ているらしいから、それを見よう」
「……ええ」
シュテインの手はいつものように暖かかった。温もりに酔いそうなくらいに。
それからトゥトゥナは、酒場を出てシュテインと一緒に町を見て回った。貸本屋の大きさに驚き、曲芸団の見事な踊り、歌に喝采を送ったりと、楽しい時間を共有する。
龍皇候補と巫女ではなく、ただの男と女として過ごす時間。穏やかで貴重なひとときに、トゥトゥナは夢のようだと思った。とても魅力的な、幸せな夢だ。
――そう、これは、夢。
手を引かれながらぼんやり感じる。自分には不釣り合いなほど幸福な現実は幻みたいだ。
……その夜、いつものように閨を共にした。が、シュテインはただトゥトゥナに口付けをし、抱き締めるだけしかしなかった。裸になりながらも、温もりだけを欲するように。
それが苦しくて、でも心が満ち足りて、トゥトゥナは怯えた。
自分が変わっていくことを。幸福に飲まれていくことを。
カルゼが無事であるように願っていたところに、表通りの方からイスクが現れる。神官たちの消えた方を見ながら。
「正規の医者も用意してあげてくれ。見張りももちろんだけれどね」
「承知。すぐに手配しましょうぞ」
「他に気になる情報は得られたかい?」
「いや、酔っ払いの戯言、与太話程度のものしか今のところは」
「些細なことでも構わないと言ったはずだよ。ともかく、一旦場所を変えよう。トアもそれでいいね?」
「はい。私はどこでも」
気付けば、周囲の酔っぱらいたちが起きはじめている。怪しまれる前に退散した方がよさそうだ。
イスクを先頭にシュテインに挟まれながら、表通りの方に出た。人はまだ多い。
混み合う表通りに面する一つの酒場へとイスクが入っていく。トゥトゥナたちも同じく。宿場はない食事専門のところのようだ。
昨夜の残りなのか、濃い酒精の香りが木造の中に充満している。朝のためか、客の姿はほとんどない。
酒場の主人へ飲み物を頼んでくれたイスクが、奥の席へ案内してくれた。四人用の席にそれぞれ腰かける。主人はシュテインに気付く素振りもなく、果実酒や茶を置いて去っていった。
「わからないものなんですね、意外と」
「人は姿形でしか判別しないものだからね。それに護衛を率いているわけでもない。まさか龍皇候補がこんなところに来るなんて、誰も思いはしないだろう?」
「確かに……」
小声で笑うシュテインに、トゥトゥナは納得した。温かいハーブティーを一口飲む。
「それで? どんな話があったのかな、イスク」
「口の端に上るようなことでもないのでしょうが……何やら、夢のようなものを皆、見るようで」
「夢?」
「は。既視感……と言うのですかな。そんな夢を見るものが少しばかりいるらしく」
「それは同じようなことを繰り返す夢、ではないかな」
「仰るとおり」
二人の言葉に、思わずトゥトゥナは呆然としてしまった。
既視感。それは自分が覚えている記憶のことではないのだろうか。そう、輪廻の記憶。
「薄ぼんやりとしか覚えてないものがほとんどでしてな。ろくな話題でもないかと」
「夢、か。君たちは見ていないのかな」
「あいにく夢を見る暇もないほど熟睡しております。他のものたちも同じだと」
「そう。トア、君はどう思う?」
「え……ええと……」
シュテインがこちらを見つめている。まるで探るような目付きで。
彼は言った。何度もトゥトゥナが死ぬ姿を夢に見ると。トゥトゥナ自身も、夢ではないが輪廻の体験をしている。自分がはっきりと繰り返しの記憶を持っているのは、死という鮮烈な体験をしているからではないのだろうか。
「……変なことだとは思います」
しかし、そのことを口にする勇気はなかった。二人を死の繰り返しに巻き込むような真似はしたくない。シュテインはいささか、一部を体験しているようだが。
「何か気になられるのですかな」
「少しばかりね。町のもの全てが見ているのかい」
「まちまちですな。見るものもいればいないものもいる……ゆえに与太話と言ったまでで」
「なるほど、わかった。少し引っかかるものがある。調査を進めたいところだけれど、あの彫り師のことも気になる。イスク、夢ではなく彫り師を使った貴族がいるかどうか、そちらの調べに集中してくれ」
「承知。……ちなみに先程、何者かを追った間者ですが。取り逃がした模様」
「それは残念。やはり大貴族に仕えているものかな」
「そちらも含め、調査を進めて参りましょう。それではこれにて」
言って、イスクが席を立つ。主人に支払いを済ますと酒場から出て行った。
残ったトゥトゥナは、ただ考えることしかできない。
既視感のような夢。繰り返しはやはり自分の死がきっかけではないのだろうか。少なくともドルナ村の面々やアロウスに、輪廻の兆候は見られなかった。
「僕の夢も既視感の一つと言ってもよさそうだね」
「……そうかもしれないわ」
酒を飲むシュテインを見て、トゥトゥナは悩んだ。
言うべきだろうか、洞窟の場所の夢を。シュテインはトゥトゥナが死ぬ夢を見ている。もし同じ輪廻に混ざったというのなら、少しでも情報を共有した方がいいかもしれない。
「シュテイン、私……変な夢を見たの」
「どんなものだい?」
「銀でできた女神像の下で、その……大勢の人々が祈っている夢を」
さすがに淫らな行為に耽っていた、とは言えない。しかもそこにダリエがいたことも。
「洞窟のような場所だったわ。槍と三日月を持った女神像……あれって」
「そうだね。概ねその女神像の見当はつく。崇拝されていることは確かにあるけれど、大規模で祈りを捧げるような場所か」
「私は地理に疎いから、どこかは想像もつかなかったけど」
「鉱山の跡地かもしれないね。僕の別館近くにもあるし、廃棄された跡地ならいくらでもこの国には点在している……それにしても」
シュテインがコップを置き、真顔を作る。
「彫り師に対しての君の剣幕は凄かった。怖いくらいの勢いがある、と言うより現実味があったね。まるで死んだことがあるようだった」
トゥトゥナは微笑んだ。嘘をつくために。
「医者の真似事をしていたとき、死は身近なものだったから」
シュテインの瞳が細くなる。優しい視線だった。全てを許し、受け入れるような目付き。胸の内を洗いざらい話してしまいそうになり、トゥトゥナはそっと目を逸らす。茶を飲んでそれ以上は答えない。
多分、シュテインは嘘を見抜いている。それでもトゥトゥナには言えなかった。信じてもらえるかどうか、ということは心配していない。むしろ自分が繰り返しの中にいることを口にしても、今の彼なら受け止めてくれるだろう。
それでも本当のことを言えないのは、怖いからだ。シュテインを巻き込んでしまうのはいやだった。いつから、どうしてこんな思いを持ったのかはわからないけれど。
――本当に臆病者だわ、私。
臆病で、生きることに執着して、女としてシュテインの思いを受け止めない醜い自分。それなのに優しい眼差しが、包みこむようにこちらに注がれている。柔らかな視線を、まっすぐ見つめ返すことがいつかできるだろうか。
「少し町を見て歩こうか、トゥトゥナ」
シュテインの声は相変わらず柔和で、トゥトゥナを責めることすらしない。それがまた、少し辛かった。
「いいの? せっかくの休日なのに」
「だからこそだよ。ここにもいいところはあるからね」
「なら、少しだけ……でも正体がわかったりしないかしら」
はにかむトゥトゥナに、シュテインは笑った。立ち上がり、トゥトゥナの手を取る。
「堂々としていれば誰も気にしない。曲芸団が来ているらしいから、それを見よう」
「……ええ」
シュテインの手はいつものように暖かかった。温もりに酔いそうなくらいに。
それからトゥトゥナは、酒場を出てシュテインと一緒に町を見て回った。貸本屋の大きさに驚き、曲芸団の見事な踊り、歌に喝采を送ったりと、楽しい時間を共有する。
龍皇候補と巫女ではなく、ただの男と女として過ごす時間。穏やかで貴重なひとときに、トゥトゥナは夢のようだと思った。とても魅力的な、幸せな夢だ。
――そう、これは、夢。
手を引かれながらぼんやり感じる。自分には不釣り合いなほど幸福な現実は幻みたいだ。
……その夜、いつものように閨を共にした。が、シュテインはただトゥトゥナに口付けをし、抱き締めるだけしかしなかった。裸になりながらも、温もりだけを欲するように。
それが苦しくて、でも心が満ち足りて、トゥトゥナは怯えた。
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