【R18】魔女が愛に溺れる月夜まで【完結】

双真満月

文字の大きさ
上 下
4 / 32
第一幕 壊れていく

1-3.洗礼と真実

しおりを挟む
 一階に降り、言われたとおり祈祷室へと向かう。館の中にも神官がいるのだろうが、誰とも遭遇しない。

 重い足を引きずるように両開きの扉の前まで赴いた。村の教会より大きい扉の片方は、それでも意外と薄いのか、トゥトゥナの力でも簡単に開く。

「来たね、トア」

 一面のステンドグラスから夕陽が入りこみ、祭壇の奥に立っているシュテインを鮮やかに照らしていた。戸を閉めたトゥトゥナはうなずく。

 左右に並ぶベンチには誰も座っておらず、厳かな雰囲気に気後れしながらシュテインの下へと歩いていった。床に複雑な印が描かれた場所までトゥトゥナが来たところで、シュテインが手で止める。

「そこで跪き、頭を下げなさい。これから君へ洗礼を施す」
「はい、リシュ卿」

 両膝を床に突け、トゥトゥナは頭を垂れた。目をつむり両手を組んでじっと待つ。

 シュテインが動く気配がした。すぐに頭頂へ手を添えられる。

「ザインズール聖龍神、その代行者シュテイン=リシュ=トトザールの名において、このものに祝福を与えん。トゥトゥナ、洗礼名トアよ。ここに新たな生を歩むことを誓うか?」
「……はい、誓います」
「よろしい。清めの水を受け取りなさい」

 頭に液体を軽く注がれ、トゥトゥナは少し身を震わせた。水がこめかみから滴り、頬を濡らしていく。

「これを口に入れて飲みこみなさい」

 そっと顔を上げる。シュテインの指に摘ままれているのは、粒ほどの木の実だ。指ごと咥えることを一瞬ためらったが、トゥトゥナは言われるがまま指と実を口に含む。実は小さく、飲みこむことはたやすかった。指が外れる。

 そのまま頬を撫でられた。水を拭ってくれるシュテインの手は、細くて長い。

「立ち上がって構わない。これで洗礼は終わりだ。聖龍神の加護があらんことを」
「ありがとうございます」

 トゥトゥナはシュテインを見上げ立ち上がる。そこでモノクルがないことに気付いた。トゥトゥナを見下ろすシュテインの左目、その中に四角形の紋様が刻まれている。

「その左目は……」
「聖印だよ。これが体のどこかに出た七人が龍皇りゅうおう候補となるんだ」
「痛くはないのですか?」

 トゥトゥナが聞くとシュテインは驚いたように目を丸くし、それから微笑んだ。

「医者として心配してくれているのかな」
「それも少しはあります」
「君は正直だね。疼くぐらいで痛みはない。心配には及ばないよ」

 シュテインはそのまま振り返り、祭壇の上にあった本をトゥトゥナに差し出す。

「祈祷の基本はここに記載されている。読み書きはできるかな」
「はい、少しは」
「ならこれも読めるだろう。毎日最初のページを唱えるように」
「わかりました。最初のページですね」

 トゥトゥナは受け取った。ザインズール聖龍神のシンボルと、炎のような印が彫られた本を。

 洗礼も無事終わったが、まだ自分が聖龍神の信徒になった自覚はない。巫女として生きていく新たな今世に希望を持つも、まだ拭い去れていない不安が胸をよぎる。

「巫女の服は急いで用意させよう。しばらくはその服を着ていること」
「はい……」
「失礼します、リシュ様」

 トゥトゥナが本を抱きしめたとき、聞き覚えのある声がした。扉が開き、外から黒髪の神官兵――イスクと呼ばれた男が入ってくる。

「リシュ様、ギュント殿……いえ、ヴィシュ卿が来訪されております」
「兄上が、かい。応接室に通してくれるかな」
「は。巫女候補も一緒ですが」
「両方通して構わない。トア、君も顔を出した方がいいだろうね。龍皇候補の一人とこれから神殿で一緒に学ぶ娘が来たんだ。顔と名を知ることは大事だよ」
「わかりました、お供します」

 トゥトゥナは自分の顔が緊張で強張るのがわかった。しかし、シュテインの言うとおりだろう。同じ巫女候補というのであれば先輩に当たる。どんな相手か少し気になった。

 イスクは一足早く扉を閉め、来客を出迎えるために祈祷室から出ていった。

 水差しなどを片付けているシュテインを待つ間、トゥトゥナは渡された本に軽く目を通す。難しい言い回しなどはなく、これなら全て読むことができるだろう。

「……さて、兄上に会いに行くか」
「リシュ卿のお兄様も龍皇候補様なんですね」
「トトザール家は聖職者を多く輩出している。けれどこれまで、実の兄弟で龍皇候補になった記録はないよ」
「凄いことだと思うのですが」
「革新派の僕と保守派の兄が龍皇候補だ。そのおかげか周りがうるさくてね」

 ローブのポケットからモノクルをかけ直し、シュテインは歩き出す。その後ろに着いて、トゥトゥナは揺れる銀髪を見つめた。

 ――お兄様と仲が悪いのかしら。

 疑問にも思うが、実際会えばわかるだろう。革新派と保守派という言葉もはじめて聞いた。知らなければならないことが多すぎるが、それでいい、とトゥトゥナは感じる。多忙の方が全てを忘れることができそうだから。

 再び応接室に来た。イスクの姿はもうない。シュテインが扉を叩き、開けた。

「お待たせしましたヴィシュ卿」
「気にしてはおらんよ、リシュ卿。茶をいただいていたところだ」

 ソファに座っていたのは、二人の男女だった。

 ――え……?

 金髪に金目、右手の甲に四角形の聖印を持つ男がヴィシュ卿だろう。だが、その横に座る巫女服姿の娘を見て、トゥトゥナは驚きを隠せない。

 ――ダリエ? どうしてここに。

 肩までに切り揃えられた濃い茶髪。少しきつい翡翠色の瞳の女性を見間違えるはずもない。ダリエ。ドルナ村の隣にある漁村に住んでいた娘だった。

 アロウスと共に親交のあった顔なじみがいて、トゥトゥナの緊張が少しほどける。

「ふむ、その女性がトゥトゥナ=エンディアだな。わたしはギュント=ヴィシュ=トトザールだ」
「は、はじめてお目にかかります、ヴィシュ卿」

 厳しい視線を向けられ、ただ礼をすることしかできない。シュテインがソファに座ったため、ちょっと迷ったあと、トゥトゥナもその横に腰かけた。

「彼女はトアですよ、ヴィシュ卿。先程洗礼を与えたところです」
「そのことで今日はうかがったのだがな。スネーツ男爵から告発文が届いている」
「おや、男爵は鷹でも飛ばしましたか。どのような内容でしょう」
「そこにいるトゥトゥナ=エンディアが魔女である、といったものだ」

 トゥトゥナはぎくりとした。スネーツ男爵が、まさか告発文などを飛ばしているなど思わなくて。

 しかしシュテインは、トゥトゥナの内心を無視したまま笑みを浮かべる。

「それは虚偽の告発です。一方的な逆恨みでもありますが……ヴィシュ卿はそれを信じると?」
「禁じられた医療行為を行い、夫を見捨てふしだらに自分を誘惑した、とあるが」
「ヴィシュ卿、それこそ逆です。男爵は龍皇りゅうおう選挙間近だというのに彼女を私刑にかけようとしました。それこそ罪に問われるべきではありませんか?」
「私刑か。けしからんことだ。同時に嘆かわしくもあるな」
「それには同意しますよ」
「……結構。この件は一時不問としよう。トゥトゥナ=エンディア……いや、トアをどうするつもりだね、シュテイン」
「巫女とするつもりです、兄上」
「そうか。お前がやっと巫女を育てるようで安心した」
「ご心配痛み入ります。彼女ならば聡明な巫女となるでしょう」

 ギュントが軽く笑った。笑うと口元がシュテインに似ている、とトゥトゥナは思う。

「愚弟をよろしく頼むぞ、トア。ルノ、お前は彼女の先輩になる。導いてやりなさい」
「……ええ、ヴィシュ様」

 ルノというのが洗礼名なのだろうか、ダリエがトゥトゥナを見た。見た、というよりは睨んできた。トゥトゥナは思わず目を瞬かせる。翡翠の瞳には、確かに憎悪という感情が灯っていたから。

 ――ダリエ……?

「それではこれで失礼する。夕餉ゆうげの時間もあるのでな」
「見送らせていただきます」

 戸惑うトゥトゥナをよそに、シュテインはギュントと共に部屋を出て行く。残ったダリエが立ち上がったのを見て、トゥトゥナもまた慌てて腰を浮かせた。

「あ、ダリエ……」
「ここではルノ」
「そ、そうね。ルノ、あの……」
「……したくせに」
「え?」
「アロウスを見殺しにしたくせに。この藪医者」

 自分を憤怒の顔で見下ろすダリエの言葉に、トゥトゥナの頭は真っ白になった。

「アロウスが死んだと手紙が来た。その矢先に巫女候補になるなんて……恥知らずもいいところ。裁かれてしまえばいい、あなたなんて」

 殴られたような衝撃がトゥトゥナを襲う。自分では理解していたつもりでも、顔なじみに言われてしまえばまた、どうしようもない罪悪感が胸を締めつけた。

「わ、私……は」
「あなたを導くだなんて冗談じゃない」

 それだけを言い残し、ダリエは長い裾を翻して二人のあとを追っていく。トゥトゥナは動けなかった。脱力する。握りしめていた本が床に滑り落ちた。

 ――どうしてダリエが……アロウスのことを……。

 確かに二人は仲がよかった。漁村に出かけたときは、必ず彼女が出迎えてくれたくらいには。その際、買い物をする自分に代わり、アロウスの体調を気遣ってあれこれ世話をしてくれていた。

 二人の様子を思い出す。どこか入り込めない雰囲気があったことに今更気付いて、トゥトゥナははっと口に手を当てた。

 ――ダリエはまさか、アロウスのことを思っていたの?

 だとすると、ダリエがトゥトゥナを恨むのも当然だ。思い人を縛る枷となっていたのは、紛れもなくトゥトゥナなのだから。

 妻としても医者としても、アロウスに何一つ貢献できなかった自分が恨めしい。

「……私が一人で、生き残っても……」

 震える手で歪む顔を覆い、泣いた。

 自害すればまた繰り返せるかもしれない。そのときはアロウスとダリエを幸せにしてあげられるかもしれない。

 そう思うのに、生への執着と死の恐怖が、命を絶つことを許してくれそうになかった。

「ごめんなさい……アロウス、ごめんなさい……」

 肩を震わせ、ただ涙を零すトゥトゥナは気付かない。扉の外でこれ以上ない冷淡な瞳をしたシュテインが、トゥトゥナを見つめていたことを。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

男装騎士はエリート騎士団長から離れられません!

Canaan
恋愛
女性騎士で伯爵令嬢のテレサは配置換えで騎士団長となった陰険エリート魔術師・エリオットに反発心を抱いていた。剣で戦わない団長なんてありえない! そんなテレサだったが、ある日、魔法薬の事故でエリオットから一定以上の距離をとろうとすると、淫らな気分に襲われる体質になってしまい!? 目の前で発情する彼女を見たエリオットは仕方なく『治療』をはじめるが、男だと思い込んでいたテレサが女性だと気が付き……。インテリ騎士の硬い指先が、火照った肌を滑る。誰にも触れられたことのない場所を優しくほぐされると、身体はとろとろに蕩けてしまって――。二十四時間離れられない二人の恋の行く末は?

ウブな政略妻は、ケダモノ御曹司の執愛に堕とされる

Adria
恋愛
旧題:紳士だと思っていた初恋の人は私への恋心を拗らせた執着系ドSなケダモノでした ある日、父から持ちかけられた政略結婚の相手は、学生時代からずっと好きだった初恋の人だった。 でも彼は来る縁談の全てを断っている。初恋を実らせたい私は副社長である彼の秘書として働くことを決めた。けれど、何の進展もない日々が過ぎていく。だが、ある日会社に忘れ物をして、それを取りに会社に戻ったことから私たちの関係は急速に変わっていった。 彼を知れば知るほどに、彼が私への恋心を拗らせていることを知って戸惑う反面嬉しさもあり、私への執着を隠さない彼のペースに翻弄されていく……。

一途なエリート騎士の指先はご多忙。もはや暴走は時間の問題か?

はなまる
恋愛
 シエルは20歳。父ルドルフはセルベーラ国の国王の弟だ。17歳の時に婚約するが誤解を受けて婚約破棄された。以来結婚になど目もくれず父の仕事を手伝って来た。 ところが2か月前国王が急死してしまう。国王の息子はまだ12歳でシエルの父が急きょ国王の代理をすることになる。ここ数年天候不順が続いてセルベーラ国の食糧事情は危うかった。 そこで隣国のオーランド国から作物を輸入する取り決めをする。だが、オーランド国の皇帝は無類の女好きで王族の女性を一人側妃に迎えたいと申し出た。 国王にも王女は3人ほどいたのだが、こちらもまだ一番上が14歳。とても側妃になど行かせられないとシエルに白羽の矢が立った。シエルは国のためならと思い腰を上げる。 そこに護衛兵として同行を申し出た騎士団に所属するボルク。彼は小さいころからの知り合いで仲のいい友達でもあった。互いに気心が知れた中でシエルは彼の事を好いていた。 彼には面白い癖があってイライラしたり怒ると親指と人差し指を擦り合わせる。うれしいと親指と中指を擦り合わせ、照れたり、言いにくい事があるときは親指と薬指を擦り合わせるのだ。だからボルクが怒っているとすぐにわかる。 そんな彼がシエルに同行したいと申し出た時彼は怒っていた。それはこんな話に怒っていたのだった。そして同行できる事になると喜んだ。シエルの心は一瞬にしてざわめく。 隣国の例え側妃といえども皇帝の妻となる身の自分がこんな気持ちになってはいけないと自分を叱咤するが道中色々なことが起こるうちにふたりは仲は急接近していく…  この話は全てフィクションです。

月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~

真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

不器用騎士様は記憶喪失の婚約者を逃がさない

かべうち右近
恋愛
「あなたみたいな人と、婚約したくなかった……!」 婚約者ヴィルヘルミーナにそう言われたルドガー。しかし、ツンツンなヴィルヘルミーナはそれからすぐに事故で記憶を失い、それまでとは打って変わって素直な可愛らしい令嬢に生まれ変わっていたーー。 もともとルドガーとヴィルヘルミーナは、顔を合わせればたびたび口喧嘩をする幼馴染同士だった。 ずっと好きな女などいないと思い込んでいたルドガーは、女性に人気で付き合いも広い。そんな彼は、悪友に指摘されて、ヴィルヘルミーナが好きなのだとやっと気付いた。 想いに気づいたとたんに、何の幸運か、親の意向によりとんとん拍子にヴィルヘルミーナとルドガーの婚約がまとまったものの、女たらしのルドガーに対してヴィルヘルミーナはツンツンだったのだ。 記憶を失ったヴィルヘルミーナには悪いが、今度こそ彼女を口説き落して円満結婚を目指し、ルドガーは彼女にアプローチを始める。しかし、元女誑しの不器用騎士は息を吸うようにステップをすっ飛ばしたアプローチばかりしてしまい…? 不器用騎士×元ツンデレ・今素直令嬢のラブコメです。 12/11追記 書籍版の配信に伴い、WEB連載版は取り下げております。 たくさんお読みいただきありがとうございました!

隠れドS上司をうっかり襲ったら、独占愛で縛られました

加地アヤメ
恋愛
商品企画部で働く三十歳の春陽は、周囲の怒涛の結婚ラッシュに財布と心を痛める日々。結婚相手どころか何年も恋人すらいない自分は、このまま一生独り身かも――と盛大に凹んでいたある日、酔った勢いでクールな上司・千木良を押し倒してしまった!? 幸か不幸か何も覚えていない春陽に、全てなかったことにしてくれた千木良。だけど、不意打ちのように甘やかしてくる彼の思わせぶりな言動に、どうしようもなく心と体が疼いてしまい……。「どうやら私は、かなり独占欲が強い、嫉妬深い男のようだよ」クールな隠れドS上司をうっかりその気にさせてしまったアラサー女子の、甘すぎる受難!

巨乳令嬢は男装して騎士団に入隊するけど、何故か騎士団長に目をつけられた

狭山雪菜
恋愛
ラクマ王国は昔から貴族以上の18歳から20歳までの子息に騎士団に短期入団する事を義務付けている いつしか時の流れが次第に短期入団を終わらせれば、成人とみなされる事に変わっていった そんなことで、我がサハラ男爵家も例外ではなく長男のマルキ・サハラも騎士団に入団する日が近づきみんな浮き立っていた しかし、入団前日になり置き手紙ひとつ残し姿を消した長男に男爵家当主は苦悩の末、苦肉の策を家族に伝え他言無用で使用人にも箝口令を敷いた 当日入団したのは、男装した年子の妹、ハルキ・サハラだった この作品は「小説家になろう」にも掲載しております。

処理中です...