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第1章 働かなくてもいい世界 〜 it's a small fairy world 〜
神は神でも……
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マダムの後に続いて、俺たちは屋敷に入る。エントランスを抜け、促されるまま右の部屋に入ると、そこは小さな応接室であった。二つの三人掛けソファに挟まれるように座卓が置いてあり、大きな窓から光が入ってくるため部屋は自然と明るい雰囲気だ。マダムがソファに座り、その反対側にセミル、ユリカが座る。俺はセミルの側に移動する。
「お茶とお菓子だよ、ママ」
「ああ、ありがとうね」
さっき窓から顔を覗かせていた男が入ってきた。
「ユリカ達、今日はどうしたの?」
「あ、ありがとね、ソーン。うーん、相談事かな。ちょっと、マダムにね」
「ふーん。直接会いに来るなんて珍しいね」
そう言って、ソーンと呼ばれた男性はテキパキとお茶と茶菓子をテーブルに並べて、部屋から出ていった。マダムのことをママと呼んでいたが、あまり似ていないな。
(ソーンって言ったか。あいつはマダムと親子なのか?)
「親子? 親子って何?」
(いや、親子は親子だよ。親と子供。マダムのこと、ママって呼んでたし、そうなのかなと思ったんだけど……)
「よく分からないけど、ママはマダムの愛称よ。ここに住んでるニンゲンはみんなそう呼んでるわ」
ふーん、じゃあ血の繋がりがあるってわけではないんだな。
「そうさね。私の屋敷に住むものは、みんな私のことをそう呼ぶさね」
(ふうん、そうなのか)
「それで、相談事っていうのは何だい。ユリカ、セミルと喧嘩でもしたのかい? セミル、また、ここが恋しくなったのかい? それとも……」
と一呼吸置いて、マダムはしっかりと俺のことを見据え、笑いながら言った。
「そこのけったいな妖精、わたしのパンツが見たいのかい?」
……なるほど、確かにマダムには俺の声が聞こえているようだ。
(あー、すまん。そのことについては忘れてもらえるとありがたい。どうやら、俺の声が聞こえる相手は限られるみたいでな。マダムに声が聞こえているか反応が見たかっただけなんだ)
「別に私はいいさね。パンツが見たいんだろ? ん?」
と言って、マダムは急に身につけているロングスカートをたくし上げた。
(ちょ、やめ、やめろーーーー!!)
元の体の癖で、目を瞑り手で顔を覆おうとしたのだがそれは叶わず、ぐりんと視線を動かすことで俺は危機を回避しようとする。しかし、時すでに遅し。視界の端にたくし上げられたその光景が焼き付いてしまった。そして否が応でもクローズアップされるその部分に、パンツがないことに気づいてしまった。
(ていうか、なんで履いてないんだよ! オカシーだろ!!)
「うるさいね。そのほうが動きやすいんだよ。目的のものが見れて満足かい? あ、違うさね。お前さんの見たかったものは私のパンツか。待っておいで、今ちょっくら取ってきてやるから……」
(いや、いい、いい、止めて止めて。お願い見せないで)
「遠慮することないさね。とっておきの勝負パンツだ。お前さんも見たかろう? ん?」
(ごめんなさい、許してつかーさい……)
消えゆく俺の語尾に、カッカッカとマダムは笑う。
「冗談さね。それで、セミル。相談事というのはこいつかい?」
「うん。妖精さんに似てるんだけど、絶対妖精さんじゃないよね、これ。で、マダムならこいつのこと知らないかと思ったんだけど」
「こいつのこと? こんなに流暢に意思疎通ができるんだ。こいつのことはこいつに聞けばいいだろう?」
「うーん、それがね……」
セミルと俺は、マダムに俺が別の世界から来たことを伝える。その最中に、「お土産渡してくるね」とユリカは部屋を出ていった。ユリカには俺の言葉が聞こえないから、飽きてしまったのだろうか。
「ふうん。つまり、悪霊とやらはなぜ自分がこの世界に来たのかが分からない。何か知っていたら教えてほしいと、そういうことさね?」
(そうだ。あるいは、俺みたいに喋る妖精さんのことでもいい。教えてくれると助かるんだが……)
しばらく考え込むようにしたマダムは、やがて残念そうに口を開いた。
「……残念さね。私もお前さんみたいな妖精さんは初めて耳にしたね」
(……そうか。他に知ってそうな人に心当たりはないか?)
「知らないこともないが、私が知らないとなるとその望みは薄いさね。私は三千年は生きてるし、大抵のことは私の耳に入る。その間にお前さんみたいな存在がいたら、私の耳に入らぬはずがない」
(そう、か……)
三千年とはまた、随分と長生きだ。しかし、そんなニンゲンでも俺のことを知らないのか。
「それで、悪霊。お主はどうするつもりさね」
(ん? どうするとは?)
「お主が、なぜここに来たのか知りたい気持ちはよく分かる。よく分かるが、それはいくら考えても分からないことの類かもしれん。なぜ我々がこの世界に産まれたのか分からぬことと同じようにな」
(……)
「であれば、探るべきはなぜここにいるのかというよりも、これからどうしたいのかではないか? 悪霊となったその体で、この世界でどう生きるのか、あるいはどう死にたいのか。こちらを探るほうが良いかと思うのだが……」
(……)
それは、確かにその通りだ。もし、俺の理解の及ぼない超自然現象的な何かで俺が今この場に居るのだとしたら、もうどうしようもない。このまま出口のない迷宮をさまよい続けるだけだ。
けれど、まだそれには早いと思う。まだ、俺はこの世界のことをよく知らない。マダムがこの世界の大賢者的な存在であったとしても、その知識は俺が実際に調べつくしたものではない。だから、少なくとも自分が納得できるまでは、なぜ俺がここに来たのか調べようと思う。
「……ああ、すまん。まだこちらに来て日が浅いのだったな。もう少し自身のルーツを探るほうが良いさね」
(……そうだな。そうするよ。忠告ありがとう。俺はもう少しこの世界を見て回る。そして、なぜ自分がここにいるのか、もう少し自分で調べてみるよ。この世界でどう過ごすのかについては、まあ追々考えるさ)
「そうかい。まあ、飽きたらまたココに来な。話し相手になってやるさね。なんだったらパンツも見せてやるぞ?」
(そいつは結構だ)
俺とマダムは二人して笑った。
部屋を出ると、人がわんさか居た。ソーンやユリカを含め、十数人のニンゲンがいる。子供からオッサンまで年齢は幅広い。
(何これ?)
「この屋敷のひとたち。みんな話が気になってたみたい」
なるほど。ドアに耳を押し付けてたのね。こんなに人数が居るんじゃお土産も多くなるわな。
「どうだった?」
「駄目ね。悪霊さんは悪霊さんのままだったわ。正体不明のまま」
「そう。ね、ね、悪霊さん例のやつ、やって」
(ん? いいぞ。おパンツ拝見!)
「あ、略した」
特に変な反応をするヒトは……見当たらないな。
「んー。この子らも聞こえないようさね」
(そいつは残念)
それから俺は、屋敷の連中及び、セミル、ユリカと別れた。流石にこれ以上迷惑はかけられないので、ひとりで世界を見て回ろうと思う。近場に二人も俺の声が聞けるニンゲンがいたのだ。また、すぐそういったニンゲンと会えるだろう。そして、もしかしたら悪霊さんについて知っているニンゲンも居るかも知れない。まずは、そのニンゲンを探す旅だ。
旅に出て、一週間が経過した。あれから何十人のニンゲンと出会ったが、まだ誰とも話せないでいる。大丈夫、次のムラには話せるニンゲンが居るさ。
旅に出て、二週間が経過した。まだ誰とも話せないでいる。やばい、そろそろ理性が崩壊する。とりあえず、屋敷の方向に戻ろう。あれ、道はどっちだ? よくわからんが、適当に進めば突き当たるか。
さらに二しゅうかんがけいかした。まだひととはなせない。あー、おパンツおパンツおパンツおパンツ。え、おパンツって何かって? ハハッ! それはね、ひととはなせるようになるまほうのじゅもんだよ~。あ、ひとがいた。おい! おまえ! ほんとうはきこえてるんだろう? オパーンツ!! ほらのぞくぞ? いいのかー? ……あ、はいてない。ぞうさんがみえる。
そして俺は考えるのを止めた。誰に何を言っても反応がない。魚にメンチ切っても無視される。風は俺を通り抜け、光は影を作らない。世界のすべてに無視される俺は、貝のようにじっとして、天を見上げていた。灰色の分厚い雲が空を覆っている。
ああ、俺はどこで選択を間違えたのだろう。無理を言ってでも、セミルに着いてきて貰えばよかった。マダムでもいい。それか、あの屋敷でぬくぬくと暮らしていればよかった。ああ、それともあの会社の面接を受けたことがそもそも間違いだったのかもしれない。
「あのー」
いや、もしかすると大学に入ったことが間違いだったのかもしれない。高卒で就職するか、専門の道に進むのもありだったのかもしれない。そうすれば少なくともあの日あの場であのトラックに出会うことなどなかっただろう。
「あのー、もしもしー」
そうだ。これは夢だ。寝ている僕が見ている夢だ。僕は小学三年生で、今は夏休み。朝起きたらラジオ体操に行って、涼しい午前中に宿題を終えて、午後から友達とプールで遊ぶんだ……。
「いい加減に起きんかーい!」
(ぶへぇ!)
衝撃に視界が歪み、変な声が出た。
(痛いじゃないか! 何するんだ!)
「いくら呼びかけてもあなたがまともに返事しないからじゃないですか!」
眼の前には一人の女性が居た。手をプラプラさせている。ビンタでもされたのだろう。
(うるさい!僕はこれからラジオ体操に行くんだ!邪魔するな!)
「あ、これはまだ目が覚めていませんねー。もう一発いっときましょうか」
怒気を浮かべて、女性は手のひらにハァと息を吐いている。反射的に避けようとするも、体が動かない。あ、そういえば体はなかったっけ。
「そいや!」
掛け声とともに衝撃が来る。というか、体がないのに何で衝撃が来るんだ……?
「……ようやく目が覚めましたか。まったく、心配かけさせないで下さいよ」
視線を巡らせても、相変わらず自分の体は存在しない。にも関わらず、この女性は俺に触れるのか?
「はい、触れますよ」
心に強く念じなくても、考えていることが伝わるのか?
「読心術を心得てますので」
あ、あなたは、もしや神様では?
「そう言えなくもないですね」
では、やはり、これは……異世界転生……!
「あー、惜しい!」
異世界転生ではない……?
「そうですね。異世界転生(仮)といったところですね」
やはり(仮)が付くのか……。それでは……。
「あ、ごめんなさいね。いろいろ聞きたいことがあるだろうけど、まずは私の話を聞いて下さい」
あ、これは申し訳ない。つい質問攻めにしてしまって。
「いえいえ、あなたの境遇を思えば、しょうがないですよ。それではまず自己紹介させてください」
おお、こちらの境遇が分かってらっしゃる! これは期待できるぞ! これはついにアレか? 異世界転生+神様ときたら、ついに、俺にもチート能力が授けられるのか……!
「私は、死神です」
「お茶とお菓子だよ、ママ」
「ああ、ありがとうね」
さっき窓から顔を覗かせていた男が入ってきた。
「ユリカ達、今日はどうしたの?」
「あ、ありがとね、ソーン。うーん、相談事かな。ちょっと、マダムにね」
「ふーん。直接会いに来るなんて珍しいね」
そう言って、ソーンと呼ばれた男性はテキパキとお茶と茶菓子をテーブルに並べて、部屋から出ていった。マダムのことをママと呼んでいたが、あまり似ていないな。
(ソーンって言ったか。あいつはマダムと親子なのか?)
「親子? 親子って何?」
(いや、親子は親子だよ。親と子供。マダムのこと、ママって呼んでたし、そうなのかなと思ったんだけど……)
「よく分からないけど、ママはマダムの愛称よ。ここに住んでるニンゲンはみんなそう呼んでるわ」
ふーん、じゃあ血の繋がりがあるってわけではないんだな。
「そうさね。私の屋敷に住むものは、みんな私のことをそう呼ぶさね」
(ふうん、そうなのか)
「それで、相談事っていうのは何だい。ユリカ、セミルと喧嘩でもしたのかい? セミル、また、ここが恋しくなったのかい? それとも……」
と一呼吸置いて、マダムはしっかりと俺のことを見据え、笑いながら言った。
「そこのけったいな妖精、わたしのパンツが見たいのかい?」
……なるほど、確かにマダムには俺の声が聞こえているようだ。
(あー、すまん。そのことについては忘れてもらえるとありがたい。どうやら、俺の声が聞こえる相手は限られるみたいでな。マダムに声が聞こえているか反応が見たかっただけなんだ)
「別に私はいいさね。パンツが見たいんだろ? ん?」
と言って、マダムは急に身につけているロングスカートをたくし上げた。
(ちょ、やめ、やめろーーーー!!)
元の体の癖で、目を瞑り手で顔を覆おうとしたのだがそれは叶わず、ぐりんと視線を動かすことで俺は危機を回避しようとする。しかし、時すでに遅し。視界の端にたくし上げられたその光景が焼き付いてしまった。そして否が応でもクローズアップされるその部分に、パンツがないことに気づいてしまった。
(ていうか、なんで履いてないんだよ! オカシーだろ!!)
「うるさいね。そのほうが動きやすいんだよ。目的のものが見れて満足かい? あ、違うさね。お前さんの見たかったものは私のパンツか。待っておいで、今ちょっくら取ってきてやるから……」
(いや、いい、いい、止めて止めて。お願い見せないで)
「遠慮することないさね。とっておきの勝負パンツだ。お前さんも見たかろう? ん?」
(ごめんなさい、許してつかーさい……)
消えゆく俺の語尾に、カッカッカとマダムは笑う。
「冗談さね。それで、セミル。相談事というのはこいつかい?」
「うん。妖精さんに似てるんだけど、絶対妖精さんじゃないよね、これ。で、マダムならこいつのこと知らないかと思ったんだけど」
「こいつのこと? こんなに流暢に意思疎通ができるんだ。こいつのことはこいつに聞けばいいだろう?」
「うーん、それがね……」
セミルと俺は、マダムに俺が別の世界から来たことを伝える。その最中に、「お土産渡してくるね」とユリカは部屋を出ていった。ユリカには俺の言葉が聞こえないから、飽きてしまったのだろうか。
「ふうん。つまり、悪霊とやらはなぜ自分がこの世界に来たのかが分からない。何か知っていたら教えてほしいと、そういうことさね?」
(そうだ。あるいは、俺みたいに喋る妖精さんのことでもいい。教えてくれると助かるんだが……)
しばらく考え込むようにしたマダムは、やがて残念そうに口を開いた。
「……残念さね。私もお前さんみたいな妖精さんは初めて耳にしたね」
(……そうか。他に知ってそうな人に心当たりはないか?)
「知らないこともないが、私が知らないとなるとその望みは薄いさね。私は三千年は生きてるし、大抵のことは私の耳に入る。その間にお前さんみたいな存在がいたら、私の耳に入らぬはずがない」
(そう、か……)
三千年とはまた、随分と長生きだ。しかし、そんなニンゲンでも俺のことを知らないのか。
「それで、悪霊。お主はどうするつもりさね」
(ん? どうするとは?)
「お主が、なぜここに来たのか知りたい気持ちはよく分かる。よく分かるが、それはいくら考えても分からないことの類かもしれん。なぜ我々がこの世界に産まれたのか分からぬことと同じようにな」
(……)
「であれば、探るべきはなぜここにいるのかというよりも、これからどうしたいのかではないか? 悪霊となったその体で、この世界でどう生きるのか、あるいはどう死にたいのか。こちらを探るほうが良いかと思うのだが……」
(……)
それは、確かにその通りだ。もし、俺の理解の及ぼない超自然現象的な何かで俺が今この場に居るのだとしたら、もうどうしようもない。このまま出口のない迷宮をさまよい続けるだけだ。
けれど、まだそれには早いと思う。まだ、俺はこの世界のことをよく知らない。マダムがこの世界の大賢者的な存在であったとしても、その知識は俺が実際に調べつくしたものではない。だから、少なくとも自分が納得できるまでは、なぜ俺がここに来たのか調べようと思う。
「……ああ、すまん。まだこちらに来て日が浅いのだったな。もう少し自身のルーツを探るほうが良いさね」
(……そうだな。そうするよ。忠告ありがとう。俺はもう少しこの世界を見て回る。そして、なぜ自分がここにいるのか、もう少し自分で調べてみるよ。この世界でどう過ごすのかについては、まあ追々考えるさ)
「そうかい。まあ、飽きたらまたココに来な。話し相手になってやるさね。なんだったらパンツも見せてやるぞ?」
(そいつは結構だ)
俺とマダムは二人して笑った。
部屋を出ると、人がわんさか居た。ソーンやユリカを含め、十数人のニンゲンがいる。子供からオッサンまで年齢は幅広い。
(何これ?)
「この屋敷のひとたち。みんな話が気になってたみたい」
なるほど。ドアに耳を押し付けてたのね。こんなに人数が居るんじゃお土産も多くなるわな。
「どうだった?」
「駄目ね。悪霊さんは悪霊さんのままだったわ。正体不明のまま」
「そう。ね、ね、悪霊さん例のやつ、やって」
(ん? いいぞ。おパンツ拝見!)
「あ、略した」
特に変な反応をするヒトは……見当たらないな。
「んー。この子らも聞こえないようさね」
(そいつは残念)
それから俺は、屋敷の連中及び、セミル、ユリカと別れた。流石にこれ以上迷惑はかけられないので、ひとりで世界を見て回ろうと思う。近場に二人も俺の声が聞けるニンゲンがいたのだ。また、すぐそういったニンゲンと会えるだろう。そして、もしかしたら悪霊さんについて知っているニンゲンも居るかも知れない。まずは、そのニンゲンを探す旅だ。
旅に出て、一週間が経過した。あれから何十人のニンゲンと出会ったが、まだ誰とも話せないでいる。大丈夫、次のムラには話せるニンゲンが居るさ。
旅に出て、二週間が経過した。まだ誰とも話せないでいる。やばい、そろそろ理性が崩壊する。とりあえず、屋敷の方向に戻ろう。あれ、道はどっちだ? よくわからんが、適当に進めば突き当たるか。
さらに二しゅうかんがけいかした。まだひととはなせない。あー、おパンツおパンツおパンツおパンツ。え、おパンツって何かって? ハハッ! それはね、ひととはなせるようになるまほうのじゅもんだよ~。あ、ひとがいた。おい! おまえ! ほんとうはきこえてるんだろう? オパーンツ!! ほらのぞくぞ? いいのかー? ……あ、はいてない。ぞうさんがみえる。
そして俺は考えるのを止めた。誰に何を言っても反応がない。魚にメンチ切っても無視される。風は俺を通り抜け、光は影を作らない。世界のすべてに無視される俺は、貝のようにじっとして、天を見上げていた。灰色の分厚い雲が空を覆っている。
ああ、俺はどこで選択を間違えたのだろう。無理を言ってでも、セミルに着いてきて貰えばよかった。マダムでもいい。それか、あの屋敷でぬくぬくと暮らしていればよかった。ああ、それともあの会社の面接を受けたことがそもそも間違いだったのかもしれない。
「あのー」
いや、もしかすると大学に入ったことが間違いだったのかもしれない。高卒で就職するか、専門の道に進むのもありだったのかもしれない。そうすれば少なくともあの日あの場であのトラックに出会うことなどなかっただろう。
「あのー、もしもしー」
そうだ。これは夢だ。寝ている僕が見ている夢だ。僕は小学三年生で、今は夏休み。朝起きたらラジオ体操に行って、涼しい午前中に宿題を終えて、午後から友達とプールで遊ぶんだ……。
「いい加減に起きんかーい!」
(ぶへぇ!)
衝撃に視界が歪み、変な声が出た。
(痛いじゃないか! 何するんだ!)
「いくら呼びかけてもあなたがまともに返事しないからじゃないですか!」
眼の前には一人の女性が居た。手をプラプラさせている。ビンタでもされたのだろう。
(うるさい!僕はこれからラジオ体操に行くんだ!邪魔するな!)
「あ、これはまだ目が覚めていませんねー。もう一発いっときましょうか」
怒気を浮かべて、女性は手のひらにハァと息を吐いている。反射的に避けようとするも、体が動かない。あ、そういえば体はなかったっけ。
「そいや!」
掛け声とともに衝撃が来る。というか、体がないのに何で衝撃が来るんだ……?
「……ようやく目が覚めましたか。まったく、心配かけさせないで下さいよ」
視線を巡らせても、相変わらず自分の体は存在しない。にも関わらず、この女性は俺に触れるのか?
「はい、触れますよ」
心に強く念じなくても、考えていることが伝わるのか?
「読心術を心得てますので」
あ、あなたは、もしや神様では?
「そう言えなくもないですね」
では、やはり、これは……異世界転生……!
「あー、惜しい!」
異世界転生ではない……?
「そうですね。異世界転生(仮)といったところですね」
やはり(仮)が付くのか……。それでは……。
「あ、ごめんなさいね。いろいろ聞きたいことがあるだろうけど、まずは私の話を聞いて下さい」
あ、これは申し訳ない。つい質問攻めにしてしまって。
「いえいえ、あなたの境遇を思えば、しょうがないですよ。それではまず自己紹介させてください」
おお、こちらの境遇が分かってらっしゃる! これは期待できるぞ! これはついにアレか? 異世界転生+神様ときたら、ついに、俺にもチート能力が授けられるのか……!
「私は、死神です」
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