どうか、私のことを思い出さないでください【改稿版】

七宮 ゆえ

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一話

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遠い遠い過去の話。記憶の奥底にそれはあった。

「ねえ、レティ。大きくなったら僕と結婚してくれる?」
「もちろん!私のことをお嫁さんにしてね!」

 色とりどりの花があたりに咲き誇っていたその場所で、私は彼と無邪気に笑いあってそんな約束を交わした。
 あれは何歳の頃の出来事だったか。古い記憶すぎてそれはとても曖昧なものだった。
 だからこそ、そんなにも幼かったからこそ私は彼のその言葉に素直に頷いてしまったのだ。その言葉がどれ程の重みを持つものなのか、その頃の私には知る由もなかった。
 けれどもまあ、それも今となっては時効でしょう。何せ相手はきっと私の事なんて覚えていないに決まっているのだから。
 そもそも、その約束が果たされるなんてことは決してあってはならない。何故なら私には既に、その約束を果たしてはならない理由があるのだから。
 

 私の名前はレティーシア・シャルワール。シャルワール公爵家の次女だ。
 白金プラチナブロンド色の髪にシャルワール家特有である菫色の瞳。メイドの手によって隅々まで手入れの行き届いている私は、お母様譲りの整った顔立ちをしている。
 そんな私には、どうしても消したい過去の記憶があった。
 それは、幼い頃にどこかの誰かさんと口約束とはいえ、結婚の約束をしてしまったことだ。
 どこかの誰かさん。そう、どこかの誰かさんである。
 相手の名前?勿論覚えているに決まっている。いっそ忘れてしまいたいと何度願ったことか。しかし忘れることなんてきっと出来ない。
 なにせ、その相手は……────








 ***


 それは、本当に前触れなく起こった出来事だった。

「シャルワール公爵令嬢、お前との婚約を破棄させてもらう!」

 場所は、夜会会場である王宮の大広間。

 その豪奢で煌びやかな大広間の中は、賑やかだった先程までとは打って変わって、今は水を打ったように静まり返っていた。

 大広間の真ん中には、この国エルセリナ王国の第二王子であるレオナード殿下が腕組をして立っている。そんな殿下の後ろには、肩まである桃色の髪をふんわりとカールさせたまるで小動物を彷彿させるような可愛らしい令嬢が、彼の後ろに隠れるかのように腰へぎゅっと抱きついていた。

「見ろ!ユリアがお前を見て怯えているではないか!貴様がこれまでユリアに行ってきていた数々の悪質な嫌がらせ所為で!!」

 レオナードは後ろから抱きつく少女──ユリアを振り返りながら、大声でそう叫ぶ。

(ピーピーピーピーうるさいわね。まるで癇癪持ちの子供だわ)

 そんなレオナードを冷めた瞳で私は見つめる。

 しかし、そんな私の内心などが読めるはずも無いレオナード達は、その場で場違いな程に甘ったらしい雰囲気を醸し出していた。

「もう大丈夫だからな、ユリア。俺が、お前を守ってやるから」
「レオナード様……!!」

 まさにお互いしか目に入っていないような状態の二人を、周りの人物達は白けた様子で眺め続けている。

 きっと会場中の誰もが心の中で揃ったようにこう思っていることだろう。


 ———とんだ茶番劇だ、と。


(はぁ、もう私帰っていいかしら。別に婚約破棄されようと私にとってはどうでも良いことなのだし。公爵家という後ろ盾がない状態では碌に動くことの出来ない無能な第二王子派が困るだけだし。それどころかあんな馬鹿王子との婚約を取り下げに出来るのなら私は喜んでその話に食いつくわ)

 婚約破棄を宣言された後、詳しい説明も無しに目の前でいちゃつき始めた馬鹿二人に、私はそんなことを思いながら欠伸をかみ殺しつつ気引きを返そうとする。

 しかし、それも既のところで止められてしまった。

「……なんでしょうか?」

 勿論、止めたのはレオナードだ。

 舌打ちをしたくなるのをなんとか堪えながら、私は淑女らしく悠然と笑みを浮かべて振り返った。

「まだ話は終わっていないのに、その場を立ち去ろうとするなんて無礼だろう!俺をなんだと思ってるんだ!」
「第二王子殿下だと思っておりますけれど、それがどうかされましたか?それに婚約破棄を告げられ、その後はそちらのユリアさんと仲睦まじくしていらしたので邪魔者はさっさと退散しようと気を遣った次第にございます」

 言外にお前らなんてどうでも良いという旨を含ませながら小首を傾げてみせる。私のことなど気にも止めずに二人だけの世界に入っていちゃついていたのだから、そのまま続けていてくれて良かったのに。

「……まだ、返事を聞いていないだろう。それにユリアにも謝っていない!」
「……婚約破棄については承りましたわ。ですが、私と殿下の婚約については国王陛下の決めたことですので、今すぐ婚約破棄をするということには出来かねます。それからユリアさんに謝罪をしろとのことですけれど、私は何もしていないので謝る必要性を感じません」
「そうやってお前は公爵家の令嬢という身分を傘に立ててシラを切るつもりだろう!?」

 いや、ですから私何もやってないですし。濡れ衣ですけれど。

 しかし私の言葉にまるで聞く耳を持たないレオナードは、ユリアの背中に手を添えて喧しく喚き散らす。

 ああ、かしましい。王族としての品位すらないなんて、第二王子様は見事に落ちぶれたものである。

 そんなただ喚き散らすだけのレオナードにいい加減痺れを切らした私は、少しだけ声を張り上げた。

「でしたら私がユリアさんに対して何をしたのか、はっきりと仰って頂けないでしょうか」

 その言葉にレオナードは、「いいだろう」とふんっと鼻で笑った。
 なんとまあ、漸く言葉が通じたらしい。

「お前は学院内でユリアを散々虐めていたらしいな。大方、俺と仲良くしていたユリアに嫉妬でもしたのだろう」
「……はぁ?」

 何言ってるんだこの阿呆は。誰が誰に嫉妬したですって?

  思わず声が漏れてしまった。しかしそれも仕方が無い頃だと思うのだ。なにせ自慢じゃないがレオナードの婚約者を務めてきたこの七年間、私は一度も彼に対して恋心を抱いたことは無いのだから。

 誰から見てもこの婚約は打算まみれの政略結婚なのだから、そんなことは当たり前だろう。

 私は自然と半目でレオナードを見つめてしまう。それは、他の参加者も同様だったらしい。
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