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8.殺人と寿司②*
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庄助はいつかの景虎の言葉を思い出していた。
『殴られて、犯されて、いじめ抜かれてボロボロにされて。もう殺してくださいって泣く頃には、山に捨ててもらえるかもな』
殴られるのはわかるけれど、男だから犯されるなんてことはそうそうないと思っていた。でもそんなことはなかった。相手を踏みにじるために、手段を選ばない人間もいるのだ。
「おか……っ!? な、なんでやねん、普通に殺せっ!」
納得がいかなさすぎて、庄助は暴れた。通すべき筋を通して男として死ぬのは良かった、いや、ほんとはちっとも良くないのだが。でも、意味もなく這いつくばらされて、いたずらに尊厳を奪われて惨めに泣かされたあとにむざむざ殺されるのはごめんだった。
「あれ? やっとピーピー喚いてくれるようになったじゃん。そうそう、そっちのほうが俺らもやりがいがあるからさ」
茶髪は折り畳みナイフをズボンのポケットにしまい込むと、庄助の頬に触れた。
「い……触んなっ!」
信じられないほど不快だ。カサついて毛羽立ったような指先が、肌の柔らかい部分に触れる。そのたびにゾワゾワと、虫に這われたほうがマシだというほどの嫌悪感が庄助を襲った。
「お、肌キレー。いいね、子供に無理矢理ぶち込むみたいで興奮するわ……っ痛!?」
遠慮なく撫で回してくる男の指に食らいついた。噛み砕く勢いで顎を閉じ、前歯を骨に食い込ませる。茶髪は痛みに悲鳴を上げた。が、
「はがっ……!」
肥った男の相撲取りのように分厚い平手が、庄助の横っ面を思い切りはたいた。噛みついていた指は庄助の口から離れ、星が飛ぶ視界の中、歯の跡が深く刻まれた茶髪の指がうっすらと見えた。
首の筋が鈍く痛むと同時に、鼻の奥から温い液体が流れてきて、唇に垂れた。鼻血だ。
「ぅ……」
「痛ぇなクソガキ」
椅子ごと仰向けに引き倒されて床に背中と後頭部をぶつけた。ビニールが敷いてあるとはいえ、コンクリートの床は硬くて冷たい。ザラザラとした感触が、裸の肩に伝わってくる。
ジーンズを抜き去られ、パンツを下ろされそうになるのを必死に足を閉じて抵抗した。
「やめ……っ!」
「いい度胸だ、ケツの穴から腸が垂れ下がってくるまで掘ってやる。覚悟しな」
「い、イヤじゃボケっ!」
恐ろしいことを言われて総毛立った。
庄助は鼻血が滴るのも構わず、肥った男の膝下目がけて、身体をぐるりと反転させて体当たりをした。男はよろめきたたらを踏んだ。
そのまま、玄関のドアまで、庄助はもつれるように裸のまま走った。手を拘束されて開けられないことはわかっていたが、玄関の近くまで言って大きな声で叫べば、近くのビルの誰かに聞こえるかもしれない。みすみす黙って犯されされたくはなかった。
「待て!」
すぐに立て直して、肥った男が飛びかかってきた。庄助は再度地面に、今度はうつ伏せに肩から倒れた。体重でビニールシートが破れて、剥き出しになったコンクリートに膝が擦れた。
「がひ……ッ!」
背中を踏まれてまた息が止まる。身体中、擦り傷や打撲だらけで、痛くない場所のほうが少ないほどだった。それでも、ふざけて軽い力でいたぶられているだけだからこの程度で済んでいる。本格的なリンチの段階に入ったら一体どうなってしまうのか、もう想像したくなかった。
大阪に居る母親のこと、田舎の祖父母のこと、幼馴染や友人たちのことを、まるで走馬灯のように思い出して、庄助は泣きそうになった。
裸の背中に体重をかけられ、靴の底に踏みにじられた皮膚がひどく痛む。身動きが取れない。ついにパンツをずらされて、剥き出しの尻を拡げられた。
「……っ見るな、やめろっ!」
「あー狭そう。庄助ちゃんて、処女だよね?」
何がおかしいのか茶髪が笑った。コンドームを装着した指で、無遠慮に探られて縮み上がった。残念ながら、先日景虎によって破瓜されたそこは初めてではない。だが、二度目であろうがいきなり潤いもなしに入るわけがない。
「うぐぅっ……」
「怖がってぎゅーぎゅーに閉じてる。この入り口さえ開けば、ゴム着けたら入ると思うんだけどな」
カチャカチャとベルトを外す音、ファスナーを引き下げる音、そのあとにペニスを擦るごそごそという小さな音が聞こえた。背後で行われていることが見えないのが、庄助にとって救いでもあり恐怖でもあった。
「そのナイフでちょっと切って拡げれば? 血で滑りも良くなるんじゃない」
「は!? ふざけんな!」
ピアスの男の恐ろしすぎる提案に、庄助は目を剥いた。
「嫌だったら力抜いて大人しくしろ」
チキチキと刃が擦れる音が聞こえて血の気が引いた。全身のバネを使って躙り上がろうとしたが、砂浴びをするハムスターのように、硬い床に身体を擦り付けるだけの結果に終わった。
地面に接地している頬から鉄錆の味がした。頭に流れる血液が、こめかみの辺りでどくどくと脈動する。
尻の穴にグッと勃起したペニスが押し当てられたが、やはりちっとも入らない。
景虎に犯されたときの、痛くて怖いけれど腰が甘く痺れるような感覚と全然違う。身体が本当に拒んで、冷たく硬くなってゆくのがわかった。気持ち悪くて吐き気がした。
「やっぱ入らんわ。ちょっとチクッとするけど、我慢してな」
「っ……ひう、うゔっ……! やめっ、ひあっあ、ぎ……!」
尻たぶを割られ、きつく閉じた穴をどこを切り裂くか探るように、男の指が圧迫する。鈍痛にうっかりと喉から漏れ出た悲鳴を、男たちが嘲笑う声が聞こえた。
「おい、動画撮ってろ。庄助ちゃんが男に犯されて泣いてよがってる映像、ちゃんと事務所に送ってやるからな。大丈夫、死んだあとだから恥ずかしくないだろ?」
そんなことをされるくらいなら、今すぐ死んだほうがマシだと庄助は本気で思った。
絶対に見られたくない、特に景虎には。庄助は叫び出しそうになった。窄まった尻の穴に、ひんやりとしたナイフの刃が押し当てられる。大して寒くもないのに奥歯が鳴った。
「いややぁ、カゲっ……!」
そんなつもりはなかったのに、うっかり名前を呼んでしまって、その名前の響きに涙が出た。景虎の名前を呼んでいた日常が、あまりにも遠いことのように思えた。
ここでいたぶられて殺されて、そうしたら景虎はどう思うだろうか。たかが一晩抱いただけの存在でも、少しは悲しむだろうか……なんて考えることがもう、女々しくて嫌になる。
命乞いをして、景虎を売る選択肢だってある。でもどうしても嫌だった。それをしてしまったら、23年間自分を自分たらしめていた大切な何かがこぼれ落ちて、例え命が助かったとしても空っぽになってしまう。庄助はそんな気がしていたからこそ、こんな限界の状態でも痛みと恥辱に耐えていた。
これは任侠道を、人の道を通した結果だと自分に言い聞かせた。言い聞かせたからと言って、痛みが消えるわけではない。せめて犯されている間、情けない声を出さないようにと、殴られて腫れた唇をきつく噛んだ。
その時だった。ガチガチ……と、小さくなにかを巻き上げるような音がした。ドアの向こうだろうか? 庄助は大きな声を上げようとしたが、男たちも勘付いたようで口を塞がれてしまった。
「んぅ……!」
音はそれきり沈黙した。と、思うと少しの間をおいて、ブゥゥンとモーターの唸るような音が聞こえた。
ピアスの男が恐る恐る、ドアのスコープを覗き込んだ。それと同時に、ギュルギュルと音を立てながら、何かが回転しながらドアノブの下から突き出てきた。
「なぁ……っ!?」
数センチズレていたらその刃に当たっていたであろうピアスの男は、腰を抜かして床に尻餅をついた。飛び出してきたそれは一瞬引っ込むと、今度は縦に、ちょうどカギのデッドボルトの部分を切り裂くように、ドアの隙間を高速回転をしながら侵入してきた。
鉄が焼き切れる時に出るアセチレンの火花が、ぱちぱちとドアの間からまばゆいほどに吹きこぼれた。ガゴンと重量のあるものがそこそこの高さから落ちたような音を最後に、轟音はぴたりと止んだ。
何が起こったかわからず、庄助も男たちも啞然とする中、ゆっくりとドアが外側に開く。
「か……っげ……」
スラリと伸びた背の上に、左頬に疵のある綺麗な顔が乗っている。庄助がかすれた声で呼ぶと、景虎は目線を部屋の中に向けた。手に持っていたチェーンソーのような何かを、ゴトリと地面に置いた。
「エンジンカッター……? 嘘だろ」
それは、工事や人命救助の際に建物のドアを切ったりコンクリートを切ったりするような、大仰な切断用の工具だった。そんなものをわざわざ、手下を助けるために持って来るなんて頭がおかしいとしか思えない。茶髪は「狂ってんな」と小さく呟いた。
「お前ら、俺のものに手を出したな」
静かな、しかし確実に怒りを含んだ低い声が響く。
「全員、シャコの糞になるぞお前ら」
言うが早いか、尻餅をついているピアスの男の顔面に、景虎の靴のつま先がめり込んだ。ぱこっと思いの外間抜けな音がしたが、ピアスが空いた鼻の下、人中に命中した打撃は、上顎の骨ごと前歯をへし折った。
ピアスの男はゴボゴボと泡立つような音を顔面からさせて、それきりうずくまってしまった。
「おいっ! 来るな、このガキが……」
どうなってもいいのかと言い終わるまでに、タイトめなスラックスを纏った筋肉質な長い脚が二歩、三歩と伸びる。庄助を押さえつけていた茶髪は、とっさに顔面をガードした腕ごと回し蹴りを食らって吹っ飛んだ。
茶髪は上手く転がり体勢を立て直すと、ナイフを握った手を突き出して吠えた。
「遠藤ッ! 殺してやる!」
そう言われて、景虎は鼻白んだ。
「どうして殺す前に宣言するんだ?」
「なに……?」
「寿司を食う前に、寿司に向かって食ってやる、とは言わないだろう。黙ってやればいいのにといつも思う」
食前に食べ物に向かって言う「いただきます」がそれに該当する言葉なのではないのだろうか、と庄助はへたばったままぼんやりと思った。
「そうやって宣言して、自らを奮い立たせないと人も殺せない。寿司も食えない。だからお前らは三下なんだ」
景虎は距離を詰める。茶髪は躙るように下がったが、すぐにコンクリートの壁に背中がぶち当たった。いや、寿司は食うやろ。庄助は心の内でツッコミを入れた。
以前の時も庄助は不思議に思ったが、景虎はこういう時あまりにも淡々としている。まるで日常の一部に暴力があって当然だというふうに、慣れた調子で殴ったり殴られたり、たとえ自分が無手で向こうが得物を持っていようが動じていない様子だった。
「カゲっ!」
肥った男が景虎の背後で、パイプ椅子を振りかぶっているのが見えて、庄助は裏返った声を上げた。どうにか立ち上がろうともがく膝が笑う。
しかし男のがら空きの胴体は、振り返って後ろ手に胸ぐらを掴まれただけで簡単に軸を失った。景虎は肥った男を体重差を利用して背負い投げた。無理矢理引っ張られた男の肩からはぶちぶちと、筋の千切れる音がした。
「わからん……どうして人を殺したいのにちゃんとした道具を持ってこないのか、理解に苦しむ」
心底不思議そうに呟きながら、景虎は肥った男を慣れた手つきで伸してしまうと、今度は茶髪に詰め寄った。腰が引けながら繰り出したナイフは、景虎の前腕をほんの少しだけ斜ってそのまま、捻り上げられあっけなく地に落ちた。
「何回ヤったんだ?」
「なんの……話だよっ!」
「とぼけるな」
顔面にジャブが炸裂する。よろけた反対側にもう一発。アクション映画のような小気味よい打撃音はなく、鈍く不気味な湿った音がグチャグチャと鳴る。
「俺の庄助をヤっただろう」
「おっ、ぼ……まッ゙、なにも」
「他の奴に手を出されるくらいなら、我慢しないで俺が毎日、何発もやってればよかった」
「べぼっび、ぼ」
景虎が悲しみと怒りの表情で拳を打ち据えるたびに、茶髪の唇が何か別物のように腫れて、血をまぶしたえびせんみたいに膨れ上がってくる。ふらついて倒れたところにマウントを取ろうとした景虎を見て、あまりのことに呆気にとられていた庄助はやっとのことで駆け寄った。足が震えている。
「か、カゲ! 待て、そいつ、死ぬって! それはまずいし、俺……俺なにもされてない!」
「庄助……でも、裸だ」
「まだパンツ履いてるやろ! 殴られただけや。お前がきてくれたから! 未遂や! ギリセーフ!」
庄助が下着のずれた腰を突き出して見せつけると、景虎はようやく殴る手を止め、茶髪の男を放りだした。ぐでんと無抵抗のまま、男はうつ伏せに地に伏せた。ビニールシートを貼り付けている床が埃を舞い上げる。裸で寒いのと埃を吸い込んだことで、庄助はくしゃみをひとつした。
景虎は庄助を抱き寄せると、濡れてアルコールの匂いを放つ髪に頬を擦り付けて、良かったとちいさく呟いた。庄助も景虎の肩に頭を預けて、鼻をすすった。触れた素肌に、景虎のシャツ越しの鼓動を感じる。血が通っていなさそうな蒼白い肌の下に、しっかりとしたぬくもりがある。
恐怖と興奮で震える指先を、固く握り込んで深呼吸した。その息すらも不安定に震えている。景虎は、庄助をきつく抱きしめた。
「……好きだ、庄助」
「何で今言うたんや、意味がわからん……」
ドアを切った時に出たらしい、粉塵が付着したままのドレスシャツは、近くでよく見るとわかめに絡まって遊ぶラッコの総柄だ。庄助はそれを見てヘナヘナと脱力してしまった。
『殴られて、犯されて、いじめ抜かれてボロボロにされて。もう殺してくださいって泣く頃には、山に捨ててもらえるかもな』
殴られるのはわかるけれど、男だから犯されるなんてことはそうそうないと思っていた。でもそんなことはなかった。相手を踏みにじるために、手段を選ばない人間もいるのだ。
「おか……っ!? な、なんでやねん、普通に殺せっ!」
納得がいかなさすぎて、庄助は暴れた。通すべき筋を通して男として死ぬのは良かった、いや、ほんとはちっとも良くないのだが。でも、意味もなく這いつくばらされて、いたずらに尊厳を奪われて惨めに泣かされたあとにむざむざ殺されるのはごめんだった。
「あれ? やっとピーピー喚いてくれるようになったじゃん。そうそう、そっちのほうが俺らもやりがいがあるからさ」
茶髪は折り畳みナイフをズボンのポケットにしまい込むと、庄助の頬に触れた。
「い……触んなっ!」
信じられないほど不快だ。カサついて毛羽立ったような指先が、肌の柔らかい部分に触れる。そのたびにゾワゾワと、虫に這われたほうがマシだというほどの嫌悪感が庄助を襲った。
「お、肌キレー。いいね、子供に無理矢理ぶち込むみたいで興奮するわ……っ痛!?」
遠慮なく撫で回してくる男の指に食らいついた。噛み砕く勢いで顎を閉じ、前歯を骨に食い込ませる。茶髪は痛みに悲鳴を上げた。が、
「はがっ……!」
肥った男の相撲取りのように分厚い平手が、庄助の横っ面を思い切りはたいた。噛みついていた指は庄助の口から離れ、星が飛ぶ視界の中、歯の跡が深く刻まれた茶髪の指がうっすらと見えた。
首の筋が鈍く痛むと同時に、鼻の奥から温い液体が流れてきて、唇に垂れた。鼻血だ。
「ぅ……」
「痛ぇなクソガキ」
椅子ごと仰向けに引き倒されて床に背中と後頭部をぶつけた。ビニールが敷いてあるとはいえ、コンクリートの床は硬くて冷たい。ザラザラとした感触が、裸の肩に伝わってくる。
ジーンズを抜き去られ、パンツを下ろされそうになるのを必死に足を閉じて抵抗した。
「やめ……っ!」
「いい度胸だ、ケツの穴から腸が垂れ下がってくるまで掘ってやる。覚悟しな」
「い、イヤじゃボケっ!」
恐ろしいことを言われて総毛立った。
庄助は鼻血が滴るのも構わず、肥った男の膝下目がけて、身体をぐるりと反転させて体当たりをした。男はよろめきたたらを踏んだ。
そのまま、玄関のドアまで、庄助はもつれるように裸のまま走った。手を拘束されて開けられないことはわかっていたが、玄関の近くまで言って大きな声で叫べば、近くのビルの誰かに聞こえるかもしれない。みすみす黙って犯されされたくはなかった。
「待て!」
すぐに立て直して、肥った男が飛びかかってきた。庄助は再度地面に、今度はうつ伏せに肩から倒れた。体重でビニールシートが破れて、剥き出しになったコンクリートに膝が擦れた。
「がひ……ッ!」
背中を踏まれてまた息が止まる。身体中、擦り傷や打撲だらけで、痛くない場所のほうが少ないほどだった。それでも、ふざけて軽い力でいたぶられているだけだからこの程度で済んでいる。本格的なリンチの段階に入ったら一体どうなってしまうのか、もう想像したくなかった。
大阪に居る母親のこと、田舎の祖父母のこと、幼馴染や友人たちのことを、まるで走馬灯のように思い出して、庄助は泣きそうになった。
裸の背中に体重をかけられ、靴の底に踏みにじられた皮膚がひどく痛む。身動きが取れない。ついにパンツをずらされて、剥き出しの尻を拡げられた。
「……っ見るな、やめろっ!」
「あー狭そう。庄助ちゃんて、処女だよね?」
何がおかしいのか茶髪が笑った。コンドームを装着した指で、無遠慮に探られて縮み上がった。残念ながら、先日景虎によって破瓜されたそこは初めてではない。だが、二度目であろうがいきなり潤いもなしに入るわけがない。
「うぐぅっ……」
「怖がってぎゅーぎゅーに閉じてる。この入り口さえ開けば、ゴム着けたら入ると思うんだけどな」
カチャカチャとベルトを外す音、ファスナーを引き下げる音、そのあとにペニスを擦るごそごそという小さな音が聞こえた。背後で行われていることが見えないのが、庄助にとって救いでもあり恐怖でもあった。
「そのナイフでちょっと切って拡げれば? 血で滑りも良くなるんじゃない」
「は!? ふざけんな!」
ピアスの男の恐ろしすぎる提案に、庄助は目を剥いた。
「嫌だったら力抜いて大人しくしろ」
チキチキと刃が擦れる音が聞こえて血の気が引いた。全身のバネを使って躙り上がろうとしたが、砂浴びをするハムスターのように、硬い床に身体を擦り付けるだけの結果に終わった。
地面に接地している頬から鉄錆の味がした。頭に流れる血液が、こめかみの辺りでどくどくと脈動する。
尻の穴にグッと勃起したペニスが押し当てられたが、やはりちっとも入らない。
景虎に犯されたときの、痛くて怖いけれど腰が甘く痺れるような感覚と全然違う。身体が本当に拒んで、冷たく硬くなってゆくのがわかった。気持ち悪くて吐き気がした。
「やっぱ入らんわ。ちょっとチクッとするけど、我慢してな」
「っ……ひう、うゔっ……! やめっ、ひあっあ、ぎ……!」
尻たぶを割られ、きつく閉じた穴をどこを切り裂くか探るように、男の指が圧迫する。鈍痛にうっかりと喉から漏れ出た悲鳴を、男たちが嘲笑う声が聞こえた。
「おい、動画撮ってろ。庄助ちゃんが男に犯されて泣いてよがってる映像、ちゃんと事務所に送ってやるからな。大丈夫、死んだあとだから恥ずかしくないだろ?」
そんなことをされるくらいなら、今すぐ死んだほうがマシだと庄助は本気で思った。
絶対に見られたくない、特に景虎には。庄助は叫び出しそうになった。窄まった尻の穴に、ひんやりとしたナイフの刃が押し当てられる。大して寒くもないのに奥歯が鳴った。
「いややぁ、カゲっ……!」
そんなつもりはなかったのに、うっかり名前を呼んでしまって、その名前の響きに涙が出た。景虎の名前を呼んでいた日常が、あまりにも遠いことのように思えた。
ここでいたぶられて殺されて、そうしたら景虎はどう思うだろうか。たかが一晩抱いただけの存在でも、少しは悲しむだろうか……なんて考えることがもう、女々しくて嫌になる。
命乞いをして、景虎を売る選択肢だってある。でもどうしても嫌だった。それをしてしまったら、23年間自分を自分たらしめていた大切な何かがこぼれ落ちて、例え命が助かったとしても空っぽになってしまう。庄助はそんな気がしていたからこそ、こんな限界の状態でも痛みと恥辱に耐えていた。
これは任侠道を、人の道を通した結果だと自分に言い聞かせた。言い聞かせたからと言って、痛みが消えるわけではない。せめて犯されている間、情けない声を出さないようにと、殴られて腫れた唇をきつく噛んだ。
その時だった。ガチガチ……と、小さくなにかを巻き上げるような音がした。ドアの向こうだろうか? 庄助は大きな声を上げようとしたが、男たちも勘付いたようで口を塞がれてしまった。
「んぅ……!」
音はそれきり沈黙した。と、思うと少しの間をおいて、ブゥゥンとモーターの唸るような音が聞こえた。
ピアスの男が恐る恐る、ドアのスコープを覗き込んだ。それと同時に、ギュルギュルと音を立てながら、何かが回転しながらドアノブの下から突き出てきた。
「なぁ……っ!?」
数センチズレていたらその刃に当たっていたであろうピアスの男は、腰を抜かして床に尻餅をついた。飛び出してきたそれは一瞬引っ込むと、今度は縦に、ちょうどカギのデッドボルトの部分を切り裂くように、ドアの隙間を高速回転をしながら侵入してきた。
鉄が焼き切れる時に出るアセチレンの火花が、ぱちぱちとドアの間からまばゆいほどに吹きこぼれた。ガゴンと重量のあるものがそこそこの高さから落ちたような音を最後に、轟音はぴたりと止んだ。
何が起こったかわからず、庄助も男たちも啞然とする中、ゆっくりとドアが外側に開く。
「か……っげ……」
スラリと伸びた背の上に、左頬に疵のある綺麗な顔が乗っている。庄助がかすれた声で呼ぶと、景虎は目線を部屋の中に向けた。手に持っていたチェーンソーのような何かを、ゴトリと地面に置いた。
「エンジンカッター……? 嘘だろ」
それは、工事や人命救助の際に建物のドアを切ったりコンクリートを切ったりするような、大仰な切断用の工具だった。そんなものをわざわざ、手下を助けるために持って来るなんて頭がおかしいとしか思えない。茶髪は「狂ってんな」と小さく呟いた。
「お前ら、俺のものに手を出したな」
静かな、しかし確実に怒りを含んだ低い声が響く。
「全員、シャコの糞になるぞお前ら」
言うが早いか、尻餅をついているピアスの男の顔面に、景虎の靴のつま先がめり込んだ。ぱこっと思いの外間抜けな音がしたが、ピアスが空いた鼻の下、人中に命中した打撃は、上顎の骨ごと前歯をへし折った。
ピアスの男はゴボゴボと泡立つような音を顔面からさせて、それきりうずくまってしまった。
「おいっ! 来るな、このガキが……」
どうなってもいいのかと言い終わるまでに、タイトめなスラックスを纏った筋肉質な長い脚が二歩、三歩と伸びる。庄助を押さえつけていた茶髪は、とっさに顔面をガードした腕ごと回し蹴りを食らって吹っ飛んだ。
茶髪は上手く転がり体勢を立て直すと、ナイフを握った手を突き出して吠えた。
「遠藤ッ! 殺してやる!」
そう言われて、景虎は鼻白んだ。
「どうして殺す前に宣言するんだ?」
「なに……?」
「寿司を食う前に、寿司に向かって食ってやる、とは言わないだろう。黙ってやればいいのにといつも思う」
食前に食べ物に向かって言う「いただきます」がそれに該当する言葉なのではないのだろうか、と庄助はへたばったままぼんやりと思った。
「そうやって宣言して、自らを奮い立たせないと人も殺せない。寿司も食えない。だからお前らは三下なんだ」
景虎は距離を詰める。茶髪は躙るように下がったが、すぐにコンクリートの壁に背中がぶち当たった。いや、寿司は食うやろ。庄助は心の内でツッコミを入れた。
以前の時も庄助は不思議に思ったが、景虎はこういう時あまりにも淡々としている。まるで日常の一部に暴力があって当然だというふうに、慣れた調子で殴ったり殴られたり、たとえ自分が無手で向こうが得物を持っていようが動じていない様子だった。
「カゲっ!」
肥った男が景虎の背後で、パイプ椅子を振りかぶっているのが見えて、庄助は裏返った声を上げた。どうにか立ち上がろうともがく膝が笑う。
しかし男のがら空きの胴体は、振り返って後ろ手に胸ぐらを掴まれただけで簡単に軸を失った。景虎は肥った男を体重差を利用して背負い投げた。無理矢理引っ張られた男の肩からはぶちぶちと、筋の千切れる音がした。
「わからん……どうして人を殺したいのにちゃんとした道具を持ってこないのか、理解に苦しむ」
心底不思議そうに呟きながら、景虎は肥った男を慣れた手つきで伸してしまうと、今度は茶髪に詰め寄った。腰が引けながら繰り出したナイフは、景虎の前腕をほんの少しだけ斜ってそのまま、捻り上げられあっけなく地に落ちた。
「何回ヤったんだ?」
「なんの……話だよっ!」
「とぼけるな」
顔面にジャブが炸裂する。よろけた反対側にもう一発。アクション映画のような小気味よい打撃音はなく、鈍く不気味な湿った音がグチャグチャと鳴る。
「俺の庄助をヤっただろう」
「おっ、ぼ……まッ゙、なにも」
「他の奴に手を出されるくらいなら、我慢しないで俺が毎日、何発もやってればよかった」
「べぼっび、ぼ」
景虎が悲しみと怒りの表情で拳を打ち据えるたびに、茶髪の唇が何か別物のように腫れて、血をまぶしたえびせんみたいに膨れ上がってくる。ふらついて倒れたところにマウントを取ろうとした景虎を見て、あまりのことに呆気にとられていた庄助はやっとのことで駆け寄った。足が震えている。
「か、カゲ! 待て、そいつ、死ぬって! それはまずいし、俺……俺なにもされてない!」
「庄助……でも、裸だ」
「まだパンツ履いてるやろ! 殴られただけや。お前がきてくれたから! 未遂や! ギリセーフ!」
庄助が下着のずれた腰を突き出して見せつけると、景虎はようやく殴る手を止め、茶髪の男を放りだした。ぐでんと無抵抗のまま、男はうつ伏せに地に伏せた。ビニールシートを貼り付けている床が埃を舞い上げる。裸で寒いのと埃を吸い込んだことで、庄助はくしゃみをひとつした。
景虎は庄助を抱き寄せると、濡れてアルコールの匂いを放つ髪に頬を擦り付けて、良かったとちいさく呟いた。庄助も景虎の肩に頭を預けて、鼻をすすった。触れた素肌に、景虎のシャツ越しの鼓動を感じる。血が通っていなさそうな蒼白い肌の下に、しっかりとしたぬくもりがある。
恐怖と興奮で震える指先を、固く握り込んで深呼吸した。その息すらも不安定に震えている。景虎は、庄助をきつく抱きしめた。
「……好きだ、庄助」
「何で今言うたんや、意味がわからん……」
ドアを切った時に出たらしい、粉塵が付着したままのドレスシャツは、近くでよく見るとわかめに絡まって遊ぶラッコの総柄だ。庄助はそれを見てヘナヘナと脱力してしまった。
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