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6.郵便で「カワウソ送れ」は全て詐欺①
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眠い身体を無理矢理奮い立たせて、庄助は事務所のシャッターを上げた。鍵を開けて朝一番の掃除をするのは、いちばん下っ端の庄助の役目だ。
「ふあ……」
欠伸を噛み殺す。まだ朝早く、誰もいない雑居ビルは肌寒い。人気がなくて不気味ですらある。ドアの鍵を開けて看板を引きずり出すと、外の壁面の下の方にひっそりと設置された、古いコンセントにプラグを差し込んだ。ぴかぴかと二度ほど蛍光灯の光が瞬いて「ユニバーサルインテリア」のロゴと、その下に奇妙な、国枝がカワウソだと言い張るずんぐりとしたイメージキャラクターの書かれた看板の明かりがついた。
営業所兼事務所、というと大袈裟に聞こえるが、狭いビルの一室を借りているので、ぶっちゃけそこらのマンションの部屋と大差ない。
リビングにあたる部分をぶち抜いてデスクを数個並べ、パーテーションで仕切った応接間を作って、なんとかオフィスという体裁にしてはいる。が、わざわざここを訪れるカタギの客はほぼいない。
実際、事務所は国枝の手下のたまり場と化していて、競馬を見たり将棋をさしたりゲームをやったり、ヤクザたちが各々自由に過ごしている。
毎日の業務は面倒くさいが、色々な人がかわるがわるやってくる事務所は学校の部室みたいで楽しい、と庄助は思っていた。庄助は学生時代に、部活をやったことはなかったが。
「消臭剤と、窓拭き用のぞうきんと……あと何買うっけ」
オフィスの電気をつけながら、一人で呟く。雑用仕事にも少し慣れた。
「あれっ、庄助。早いねえ」
後ろから野太い声で話しかけられ、飛び上がった。振り向くと、よく見知った顔が廊下から中を覗き込んでいた。
「ナカバヤシさん、おはようございます」
「なんだよ。朝から誰かゴソゴソしてっから、強盗でも入ったのかと思ったよ」
毛のないツルツルの頭を撫でて、ナカバヤシは人が良さそうな笑みを浮かべた。学生の頃は柔道で全国大会までいったというだけあって、筋肉の上に中年の脂肪が乗ったがっしりとした体躯だが、だいぶ腹が出ている。
「ナカバヤシさんこそ、まだ9時前ですよ。何してんすか?」
「いや~、俺はホラ。徹夜あけよ」
「また賭場行ってたんですか?」
「そう。ケツの毛まで毟られたからよ、やってられんって逃げてきたよ」
ナカバヤシには前科があって、その懲役の時に奥さんと子供と別れたという。そのせいか、親子ほど歳が離れた庄助を子供のようにかわいがっている。パチンコに行けば菓子を引き換えて持ってくるし、空いた時間には庄助と一緒にゲームもやる。父親がいたらこんな感じかもと、母一人に育てられた庄助も、彼を好ましく思っていた。
「景虎は?」
眠そうに眼窩を揉んであくびを一つ、ナカバヤシはパイプ椅子に腰掛けた。
「まだ寝てます。あいつ昨日は夜から国枝さんと出かけてたから、今日は遅番や言うてました。しゃーないから朝飯だけ作って置いてきました」
不機嫌そうに庄助は言った。コードレスの業務用掃除機のスイッチを入れると、亡霊の怨嗟の声のようなヒュウッという音がした。
「いいなあ、景虎は。若い子に朝飯作ってもらえて」
「キモいこと言わんとってください。おにぎり握って鮭焼いただけやし」
ガーガーとわざとらしく騒音を奏でながら、掃除機のヘッドを床の木目に沿って這わせてゆく。ナカバヤシは「思ったよりすごくちゃんとした朝飯だ」と思ったが、庄助が嫌な顔をするので口に出さなかった。
実際に庄助は最初、景虎の食生活を目の当たりにして驚いたのだ。スーパーで買った食パンを焼かずにまるまる食ったり、一日三食菓子パンだけで済ませたり。外食の牛丼はまだいい方で、早死に一直線みたいな食事だった。曰く、食にあまり興味がないそうだ。
別に女房ぶるわけでもないし料理も下手くそだが、誰かと一緒に食事を摂るのが好きな庄助は、遠藤家の台所係を買って出た。
「景虎とはいい友達になれそうか?」
「ともだち……? まあ……はい」
何も知らないナカバヤシから、そんな風に聞かれるのが辛くて濁してしまう。セックスもしたし、昨日もいっぱいチューしてしまったが、はたしてフレンドシップとはなんぞやと考える。
そもそも自分は景虎のことをよく知らない。無口だし何を考えているかよくわからない、友達としてなら選ばないタイプかもしれない。それでも殴られてるのを見て腹が立ったし、人として嫌いかと聞かれると嫌いではない。物理的にくっつけば気持ちいいし興奮するが、それは恋愛感情なのかと聞かれるとそんなんじゃない。複雑だ。
「あいつには父ちゃんがいなくてな。まだ10歳かそこらの時に、母ちゃんが死んでからはウチの組長に育てられた。けっこう不憫なやつだよ」
「……そうなんですか?」
景虎本人から親がいないことは聞いていたが、庄助はあえて知らないふりをした。そうなんですか? というのは“不憫なやつ”だとナカバヤシが勝手に評することへの疑念も混じっていた。
「学生ン時からこんなヤクザ稼業に足を突っ込んでるから、まともな青春を送れなかったと思う。だからお前が一緒に……」
ナカバヤシは何やら長々とそれっぽいことを言っているが、庄助はその言葉を意識的にふっと遮断して、掃除に集中した。この手の、歳上との説教じみた会話が好きではなかった。庄助はいつも思うのだ。自分も片親だが、お前らの言うまともな青春ってなんやねんと。
友達と遊んで異性と付き合って勉強してスポーツして泣いて笑って、それこそフィクションの中にしかない、実体のない“セイシュン”やのに。
子供に現実を見ろというその口で、在りし日の美しい夢を押し付けているのはいつも大人たちだと、庄助は思う。ナカバヤシのことは好きだが、ヤクザになっても学校の先生と言うことはそんな変わらんねんな、と少しがっかりした。
片親だからとか、ヤクザの世界に入ったからとか、友達がいなかったからとか。そんなんで他人に可哀想とか言われたくないやろ。
「ヤクザってそんなにあかんのかなぁ。俺は国枝さんもカゲもかっこいいって思うのに……」
庄助はわざとらしく首を傾げた。精一杯の、大人に対する反抗だった。なんで他の人にカゲのことをどうこう言われるの、ちょっとむかつくんやろ。庄助は胸のつっかえを説明できないままでいた。
「俺は!?」
ナカバヤシが焦ったように問いかけるのを、庄助は「もちろんナカバヤシさんもですよ」といたずらっぽく笑い飛ばした。
手の下で、床の大きなゴミを吸い混んだ掃除機が素っ頓狂に唸った。
「ふあ……」
欠伸を噛み殺す。まだ朝早く、誰もいない雑居ビルは肌寒い。人気がなくて不気味ですらある。ドアの鍵を開けて看板を引きずり出すと、外の壁面の下の方にひっそりと設置された、古いコンセントにプラグを差し込んだ。ぴかぴかと二度ほど蛍光灯の光が瞬いて「ユニバーサルインテリア」のロゴと、その下に奇妙な、国枝がカワウソだと言い張るずんぐりとしたイメージキャラクターの書かれた看板の明かりがついた。
営業所兼事務所、というと大袈裟に聞こえるが、狭いビルの一室を借りているので、ぶっちゃけそこらのマンションの部屋と大差ない。
リビングにあたる部分をぶち抜いてデスクを数個並べ、パーテーションで仕切った応接間を作って、なんとかオフィスという体裁にしてはいる。が、わざわざここを訪れるカタギの客はほぼいない。
実際、事務所は国枝の手下のたまり場と化していて、競馬を見たり将棋をさしたりゲームをやったり、ヤクザたちが各々自由に過ごしている。
毎日の業務は面倒くさいが、色々な人がかわるがわるやってくる事務所は学校の部室みたいで楽しい、と庄助は思っていた。庄助は学生時代に、部活をやったことはなかったが。
「消臭剤と、窓拭き用のぞうきんと……あと何買うっけ」
オフィスの電気をつけながら、一人で呟く。雑用仕事にも少し慣れた。
「あれっ、庄助。早いねえ」
後ろから野太い声で話しかけられ、飛び上がった。振り向くと、よく見知った顔が廊下から中を覗き込んでいた。
「ナカバヤシさん、おはようございます」
「なんだよ。朝から誰かゴソゴソしてっから、強盗でも入ったのかと思ったよ」
毛のないツルツルの頭を撫でて、ナカバヤシは人が良さそうな笑みを浮かべた。学生の頃は柔道で全国大会までいったというだけあって、筋肉の上に中年の脂肪が乗ったがっしりとした体躯だが、だいぶ腹が出ている。
「ナカバヤシさんこそ、まだ9時前ですよ。何してんすか?」
「いや~、俺はホラ。徹夜あけよ」
「また賭場行ってたんですか?」
「そう。ケツの毛まで毟られたからよ、やってられんって逃げてきたよ」
ナカバヤシには前科があって、その懲役の時に奥さんと子供と別れたという。そのせいか、親子ほど歳が離れた庄助を子供のようにかわいがっている。パチンコに行けば菓子を引き換えて持ってくるし、空いた時間には庄助と一緒にゲームもやる。父親がいたらこんな感じかもと、母一人に育てられた庄助も、彼を好ましく思っていた。
「景虎は?」
眠そうに眼窩を揉んであくびを一つ、ナカバヤシはパイプ椅子に腰掛けた。
「まだ寝てます。あいつ昨日は夜から国枝さんと出かけてたから、今日は遅番や言うてました。しゃーないから朝飯だけ作って置いてきました」
不機嫌そうに庄助は言った。コードレスの業務用掃除機のスイッチを入れると、亡霊の怨嗟の声のようなヒュウッという音がした。
「いいなあ、景虎は。若い子に朝飯作ってもらえて」
「キモいこと言わんとってください。おにぎり握って鮭焼いただけやし」
ガーガーとわざとらしく騒音を奏でながら、掃除機のヘッドを床の木目に沿って這わせてゆく。ナカバヤシは「思ったよりすごくちゃんとした朝飯だ」と思ったが、庄助が嫌な顔をするので口に出さなかった。
実際に庄助は最初、景虎の食生活を目の当たりにして驚いたのだ。スーパーで買った食パンを焼かずにまるまる食ったり、一日三食菓子パンだけで済ませたり。外食の牛丼はまだいい方で、早死に一直線みたいな食事だった。曰く、食にあまり興味がないそうだ。
別に女房ぶるわけでもないし料理も下手くそだが、誰かと一緒に食事を摂るのが好きな庄助は、遠藤家の台所係を買って出た。
「景虎とはいい友達になれそうか?」
「ともだち……? まあ……はい」
何も知らないナカバヤシから、そんな風に聞かれるのが辛くて濁してしまう。セックスもしたし、昨日もいっぱいチューしてしまったが、はたしてフレンドシップとはなんぞやと考える。
そもそも自分は景虎のことをよく知らない。無口だし何を考えているかよくわからない、友達としてなら選ばないタイプかもしれない。それでも殴られてるのを見て腹が立ったし、人として嫌いかと聞かれると嫌いではない。物理的にくっつけば気持ちいいし興奮するが、それは恋愛感情なのかと聞かれるとそんなんじゃない。複雑だ。
「あいつには父ちゃんがいなくてな。まだ10歳かそこらの時に、母ちゃんが死んでからはウチの組長に育てられた。けっこう不憫なやつだよ」
「……そうなんですか?」
景虎本人から親がいないことは聞いていたが、庄助はあえて知らないふりをした。そうなんですか? というのは“不憫なやつ”だとナカバヤシが勝手に評することへの疑念も混じっていた。
「学生ン時からこんなヤクザ稼業に足を突っ込んでるから、まともな青春を送れなかったと思う。だからお前が一緒に……」
ナカバヤシは何やら長々とそれっぽいことを言っているが、庄助はその言葉を意識的にふっと遮断して、掃除に集中した。この手の、歳上との説教じみた会話が好きではなかった。庄助はいつも思うのだ。自分も片親だが、お前らの言うまともな青春ってなんやねんと。
友達と遊んで異性と付き合って勉強してスポーツして泣いて笑って、それこそフィクションの中にしかない、実体のない“セイシュン”やのに。
子供に現実を見ろというその口で、在りし日の美しい夢を押し付けているのはいつも大人たちだと、庄助は思う。ナカバヤシのことは好きだが、ヤクザになっても学校の先生と言うことはそんな変わらんねんな、と少しがっかりした。
片親だからとか、ヤクザの世界に入ったからとか、友達がいなかったからとか。そんなんで他人に可哀想とか言われたくないやろ。
「ヤクザってそんなにあかんのかなぁ。俺は国枝さんもカゲもかっこいいって思うのに……」
庄助はわざとらしく首を傾げた。精一杯の、大人に対する反抗だった。なんで他の人にカゲのことをどうこう言われるの、ちょっとむかつくんやろ。庄助は胸のつっかえを説明できないままでいた。
「俺は!?」
ナカバヤシが焦ったように問いかけるのを、庄助は「もちろんナカバヤシさんもですよ」といたずらっぽく笑い飛ばした。
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