ぬきさしならへんっ!

夢野咲コ

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5.恐怖! 人喰いオポッサム、闇に消ゆ!①

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 年一回、チューだけしてもいい。
 それは半分ふざけて言ったはずだったし、まあ別に実際、それくらいならしてやってもいいかと普通に考えていた。
 庄助は、自分はすぐに一人前のヤクザになれるし、そうなれば景虎との同居を辞めて出ていけると根拠もなく考えていた。だからこそ、あんなことがあった後でも軽々しく約束したのに。

「……ぁ、う」
 口の中は性器みたいに、触れられると居ても立っても居られなくなる、というような器官ではない。なのに、前歯の裏を優しくなぞられたり舌に舌を絡めて吸われたり、なんだかそういうことをずっとされていると、頭の芯がぼーっと熱くなってくる。
「もう、や……ぷ」
 拒否の声を食われるのも好いと、庄助はほんのり思ってしまった。二人の唇と唇の間は明らかに酸素が薄い。脳に回すはずの酸素が荒い息で溶けてゆき、このままだと馬鹿になる。
「おいっ……いつまですんねん」
 ようやくそれだけ言葉にする。景虎の唇が自分の唾液で濡れているのが恥ずかしくて、庄助は目を逸らした。

「キスならいいんだろう?」
「でもっ、しつこいて……は、ん……!」
 初めてのセックスから一週間程経った夜のこと。食事の準備をしていると、風呂から出てきた景虎が後ろから抱きしめてきて、庄助は驚いた。いや、もうそういうことをした仲ではあるし、景虎は自分をそういう対象に見ていると宣言したから不思議ではない。
 でもなんとなく、嫌ならしないと言った約束を簡単に反故にする奴ではないと思っていたのだ。それにきっと景虎が約束を破るなら、初めてのあの時と同じように、お前がいいと言ったからなどと、こちらのせいにするに違いない。こいつはそのへん意外と周到な奴や。庄助はなんとなく、景虎が単なる不思議ちゃんでないことがわかってきていた。

 チューはネンイチの約束や、また来年。そう言って逃れようとした庄助を腕の中に捕まえながら案の定、景虎は悪びれもせず問いかけた。前借りは駄目なのか? と。その手があったかと思ったがすかさず、駄目に決まっている、そんなのはナシだと庄助は強く答えた。すると景虎は、どことなく寂しそうに言った。
 一度だけ前借りさせてくれ、一年分だけでいい。今まで一緒に居て庄助もわかったと思うが、俺は沢山の恨みを買っている。こんな仕事をしているし、明日死んでも不思議はない。だから、一年分だけ先にくれないか。
 嫌気が差すほど整った顔でそういうことを言われると、逆にむかついてくる。殺しても死ぬタマじゃないくせに、弱いフリしやがってと思った。しかし確かに景虎は、しょっちゅう喧嘩を売られたり殴られたりしていて、庄助はほんの少しだけ心配はしていた。そのうちの一回は自分のせいだということも、犯されることで禊は済んだ気になってはいたが、やはり胸の何処かに引っかかっていた。

 なんか、かわいそうやな……。ん~まあ一回だけならいいか。カゲのチュー、ちょっと気持ちいいし。と、泣き落としにコロッと引っかかってしまった。
 庄助は情にも快楽にも流されやすく、妙に楽観的なところがある。思案の入口に立ったあたりで、すぐに面倒になってしまって深く考えずに物事を決めてしまう。
 今回も面倒臭くなって、絶対にキスから先はあかんぞ、そう言って目を閉じ唇を許した。景虎が意外と卑怯な奴だとわかっていたのに。数分後にすごく後悔することになる可能性を、庄助は考えなかった。

「あっ、ん……む、っゥ……!」
 最初はキッチンでキスしていたのに、いつの間にかソファベッドに押し倒されている。朝、遅刻しそうになって急いで出勤したので、座面が広げたままになっていたのを幸いとばかりに、そこに寝かされて口の中をじっくりと弄ばれる。
「んんっ、ぃ……うっ、はっ、あぁっ」
 上から景虎の顔や前髪が降ってくると、まともに鼻でその香りを吸い込んでしまう。なんとなく落ち着くいい匂いだと感じてしまうのが、庄助にとってすごく癪だった。
 唾液でぬめった唇を、音を立てて啄むように何度も吸われる。そんなねちっこいキスは、女の子とだってしたことがない。今後誰かとキスするたびに、景虎のした様々なやり方を思い出すだろう。それくらいに鮮烈な体験を今、している。
「ひ……」
 脚で挟んでいる景虎の腰が自分の下腹に押し付けられると、ゴリゴリと服越しに硬いものが当たるのを感じる。狼狽えるのを面白がるように強めに擦ると、庄助の目の表面がじわりと熱っぽい涙に潤む。
「や、あかんっ! チューだけって言うた……!」
「何だ? お前の言う通りキスしかしてないだろ?」
 そう言ってまた景虎は、庄助の唇に噛みついた。小さく尖った犬歯は、舐めるとつるつるしている。少し前にもあんなにたくさんキスをしたのに、びくびくしてちっとも慣れる気配がしない。
 力でどうにでもなる存在を、組み敷いてしつこく焦らしていじめている。暴力と似て非なる背徳感に、得も言われぬ興奮が満ちてくる。

「でもぉ、ん……んっ……やめろって、もう……!」
「はあ、庄助……」
 ほんまはヤりたいくせに、勃起してるくせに。庄助はそう思ったけれど、勃起しているのは自分も同じだった。こんなのはヘンだと思うのに、身体も頭も痺れて言うことを聞かない。抵抗するのはかろうじて残っている理性の部分だけで、それももはや上辺の拒否の言葉だけだった。
「うきゅ……っ、んぐぅ……」
 指と指を絡ませてマットに押し付けられた恋人繋ぎの状態の手がふと目に入って、腰がズキンと疼いた。乱暴で強くて血管の浮いた景虎の手が、今は優しく自分の手を握っているということにドキドキした。
「んあっ、あ……! や……」
 こちらが手を伸ばせばきっと景虎は応えてくれる。キスの前借りとか言いつつ、我慢できなくなって庄助が求めるのを待っている。やっぱりこいつは卑怯者や。庄助は後悔と悦楽でどろどろになりながら、深い口づけを受け入れた。もっと、もっとほしい。
「カゲぇ……」
 唇がきつく触れ合う。自らの熱くて湿った舌を景虎の歯に押し付けようと、庄助が歯列を開けたその時。

 ピリリリ、ピリリリと、無粋な通話の着信音が部屋に鳴り響いた。景虎のスマートフォンだった。景虎はソファの足元に放りっぱなしのそれを拾って画面を見ると、眉を少し動かした。ふう、と一つ息を吐き出すと身体を起こし、キッチンの流しの前まで移動する。
「は……」
 突然解放された熱が、行き場をなくして宙ぶらりんになった。はい、もしもし。と、真面目なトーンの景虎の声が、少し離れた場所から聞こえる。
 庄助は服の上からペニスにゆるく触れた。硬く、芯を持っている。景虎がキッチンに立って軽くこちらを振り向いたので、庄助は慌ててそこから手を離して、素早く身体を起こした。
 すぐに通話を終えた景虎はクローゼットを開けると、外出用の奇妙な柄の開襟シャツをハンガーごと手に取り、ちょっと出てくる、と言った。
「今から!?」
 庄助は驚いた。もう風呂も入ったし、時間は21時を回ろうとしているのに。さっきまでの砂を吐くほどの甘い雰囲気が嘘のように、景虎はテキパキと着替えてゆく。
「国枝さんが俺を呼んでるからな。あの人は酔っ払うとクセが悪い。他の組の客と揉め事が起こらないようにしてくる」
「酒飲んどんの? どこで?」
「さあな、キャバクラかそこらへんだろう」
「行きたい!」

 キャバクラと聞いて庄助は奮い立ったが、景虎は首を振った。
「話、聞いてたか? 他の組の奴も同じ店に来てるから、揉めるかもしれないって言ってるんだ。庄助は先に寝て待っててくれ」
「は? 俺だって喧嘩くらいできる。連れてってくれよ!」
「はあ……」
 庄助の悪気のない懇願を聞いて、景虎はわざとらしくため息をついた。こいつこの前のこと懲りてないな、やっぱりアホだなと思った。
 景虎は、スッと庄助の下腹を指さすと、
「勃起してるぞ」
 と、事もなげに言ってシャツを羽織った。庄助は慌ててそこを手で押さえて隠し、カゲこそ! と言い返したが、景虎のものはとっくに平常の状態に戻っていた。
「帰ったら続きをするか?」
 冗談とも本気ともつかないトーンで、景虎は言った。
「いらんいらん! 死ね! いっぺん死んでこい!」
 玄関で革靴を履く景虎の背中に向けて、全力で呪いの言葉を浴びせる。さっきまで情熱的なキスをしてきた相手が、こうもすんなり出ていくものかと、ひとり取り残された部屋で庄助は悶々とした。
「クソがよ……」
 唇を拭う。むかつく、除け者にしやがって。こんな状態でほっていきやがって。
 触れられた部分がまだ熱かった。庄助はいじけたようにベッドに寝転がり、身体を丸めた。
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