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2.ハイエナと疫病神②
しおりを挟む「絶対に車から出るなよ」
「なんで。イヤや」
助手席で頬をふくらませる庄助の横顔を見て景虎は思った。リスみたいだな……じゃない、このクソガキ。
ガードレールに沿ってバンを停めた。5メートルほど前方、工事現場をぐるりと囲む遮蔽板の切れ間に黒いアルファードが停まっているのが見える。どうやら出入りする重機の搬入口を塞いで、嫌がらせをしているようだ。
「ウチはもう先方から金をもらってるんだ。余計なことをして組の信用を落としたらどうする」
織原組はすでに、建設業者からみかじめ料をもらっている。それはつまり、この場に関する揉め事は自分たちが引き受けるということだ。
「カゲは心配しすぎやって。この前は何もできへんかったけど、俺だって喧嘩には慣れとんねんぞ」
「何度も言うが、俺はここに喧嘩をしにきたわけじゃない。いいか、今からあの車まで行って、できるだけ穏便に話をつけてくる。お前はここで大人しく待っててくれ」
「どんな話するんか聞きたい!」
「お前……国枝さんに迷惑かけませんって言ってただろ」
「でも、俺はカゲみたいに強いヤクザになりたいもん。ちょっとくらい参考にさせてもらってもええやんか」
あくまで言うことを聞かない庄助に辟易する。景虎は頭を抱えた。ふと、右の方からコツコツと音がした。顔を上げる。
「最悪だ」
景虎はそう声に出した。ピラーの部分を拳で軽く叩く音だった。二人組の男がニヤニヤしながら、車の中を覗き込んでいた。一人はパンチパーマで眼鏡の男、もう一人はレスラーのような体型の角刈りの男だった。どうやら庄助と揉めている間に、アルファードから降りてきたらしい。景虎は庄助に静かにしてろと小さな声で言うと、ウインドを少し開けた。
「痴話喧嘩か? 兄さんたち」
パンチパーマは薄ら笑いを浮かべている。
「あの黒い車、あんたらのか」
景虎は静かに問いかけた。
「そうだけど?」
「あそこに停めてあったら、他の車が出入りできない。退けてもらえるか?」
「兄ちゃんや。そんな運転席に座ったまんまふんぞり返って、それが人にモノ頼む態度かいな」
レスラーは庄助のものと少し違うイントネーションの関西弁で威圧した。景虎はシートベルトを外すと、ドアを開け車の外に出た。おいカゲ、と庄助の声が聞こえたが、背中越しに、中で待ってろとだけ言い捨てた。
「工事の音がうるさいって、近隣から声があがってるんだわ」
パンチパーマは、景虎の長身を下から上まで睨めつけた。
「あんたらは近隣住民なのか?」
「あ? なんでそんなことお前に教えないといけないんだよ」
「待てや、こいつアレや。織原の……」
レスラーは景虎の顔を指した。
「なんだ。その顔、どっかで見たことあると思ったら、“織原の虎”か。相変わらず男前だねえ」
「……わかってるなら話は早い。ここは退いてくれないか」
「こんな若いの差し向けるとか、ナメられたもんやの」
「若かろうがなんだろうが、代紋は背負ってるんでな」
車の中で会話に耳をそばだてていた庄助は、景虎の立ち居振る舞いと言葉にいたく感動した。やっぱ、めっちゃかっこええ!
―ここは退いてくれないか、代紋は背負ってるんでな―
庄助は口の中で景虎の言葉を復唱した。すっごい、映画みたいや。痺れる。俺も言うてみたい。庄助は助手席の窓から、景虎のすらりとした立ち姿を見つめた。筋肉の乗って跳ね上がった景虎の白いズボンの尻が、なんだか映画の中のケンさんのようにすら見えてきた。
「へえ、御大層に代紋背負って工事現場まで遠足? 車に乗せてるのは中学生か?」
いきなり挑発的に顎で指されて、庄助はパンチパーマを車の中から睨みつけた。
「まあ……そんなものだ。アレは関係ないからほっといてやってくれ」
「あ!? おいカゲっ……と、オッサン! 誰が中学生じゃアホ!」
少し開いたウインドから唇を出すようにして庄助は怒鳴った。
「おーおー、檻に入れられた仔猿みたいやの」
「きーっ! おいオッサンそこで待っとけハゲ!」
庄助はフンと鼻息を荒くして車の外へ出る。
「おい、出るなって言っただろ……」
「うっさい、どいつもこいつもナメくさりやがって」
中学生だの仔猿だのと言われて、どうにも我慢できない様子で景虎の隣に仁王立ちになった。
「はは、織原はえらい人手不足なんやな? こんな猿みたいなジャリをわざわざ雇うて」
「オッサンとこの組も雇うとるやないけ、チンパンジー」
「あ!? もっぺん言うてみろ殺すぞ」
「なんべんでも言うたるわ、チンパンジー、豚トロ、鮭わかめ」
「クッソガキ……!」
レスラーは庄助のくだらない煽りに顔を真っ赤にして、今にも掴みかからんばかりだ。景虎は盛大なため息をついた。だから庄助を連れてきたくなかった。無責任な国枝のことを思うと腹が立つが、今に始まったことではない。とりあえずこの場をおさめることが先決だと、睨み合う二人の間に靴のつま先を入れた。
「待ってくれ。あんたらがどこの組の者なのかはわからんが、この場は織原が引き受けてる。建設業者相手にチンケな金をかすめ取るのは割に合わないだろう」
「なあ兄さん、もちろん俺たちも極道者だからようくわかるよ。ここで押し問答してたって、一銭の金にもならん。けどな、面子ってもんがあんだろ。こんなガキにコケにされて、こいつだって腹の虫がおさまらねえよ」
パンチパーマはレスラーを指して、わざとらしく肩をすくめた。
「このいちびったガキだけでも置いていけや、豚の餌にしたる」
「豚はお前やろ」
「庄助ッ!」
初めて聞いた景虎の大声に、庄助はびくりと肩を震わせて口をつぐんだ。
「うちの新入りが失礼なことを言って申し訳ない。ただ、あんたらの妨害の件とはまた話が別だ。それはわかってくれ」
言って、深く頭を下げた景虎を見て、庄助はやばいことを言ったのだと、ようやく頭の芯が冷たくなるのを感じた。
「いいよ、俺たちだって失礼だったよ。こんなところで揉めるのは遠藤サン、矢野の息子であるあんたにだってよろしくないもんな……おい」
パンチパーマが合図を送ると、レスラーが景虎の髪を掴んで顔をあげさせた。いつも通りの無表情な仮面が貼り付いている。庄助は息を呑んだ。
「ちょッ……」
「一発で許したる。あの遠藤の腹に一発キメたって言うたら、こっちもハクがつくさかい」
「いいだろう」
景虎が言うやいなや、レスラーの太い腕がぐんと伸びた。土の沢山入った袋を、地面に落としたような重い音がした。腰の入ったフックが、景虎のみぞおちにめり込んでいる。
「……ぐぅっ」
膝を折った景虎の口から、胃液が溢れてアスファルトに落ちた。身体の中の空気が衝撃で全部出てしまったかのようで、肺に酸素を送ることができない。景虎は、胃液の散った地面に爪を立ててやり過ごした。
「カゲっ!」
庄助は駆け寄って崩れ落ちそうな上体を支える。重い。自分の手が震えていることに今更気づいた。
「お前の兄貴に感謝しろよガキ」
二人は背を向けて去ってゆく。パンチパーマがアルファードに乗り込む直前にこちらを振り向いて中指を立てた。庄助は景虎の身体を支えるつもりで、知らぬ間にそのシャツにしがみついていた。
前の喧嘩ではあれだけ強かった景虎が、自分のせいで殴られてしまった。庄助は悔しさと罪悪感で胸が破裂しそうだった。
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