ぬきさしならへんっ!

夢野咲コ

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1.ミナミのタスマニアデビル②

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 ヤクザの世界は任侠だけじゃない。時には人を籠絡し、騙す度量も必要。騙されるやつが悪い、そんな世界だ。
 けど、あまりにも思ってたのんと違う。庄助は大量のおしぼりの入ったプラケースを、耐えきれずに音を立てて店の床に置いた。

「お兄さん新入り? あのさあ、開店前に来てくれないと困るわけ。うちはキレイな女の子とお酒飲んでもらって楽しむお店なの、夢を売ってるの。言いたいことわかる? ガラの悪い男が出入りしてるの見られたら印象良くないのわかんないかなぁ」
 キャバクラの若い男の店長が、いかにも見下したような口調でそう言うので、庄助は頭の中でそいつの顔面を滅多打ちにしつつ、えらいすんませぇん、と答えた。

「東京は大阪なんかと比べ物にならないくらい道路が混むんだよ。それも踏まえて逆算して時間通りに届けてこそ社会人でしょ、高校卒業してるんだよね?」
「ほんまですねえ、いや勉強さしてもろて……あ、おしぼりここに置かせてもらいますぅ」
 店長の鼻の骨は砕け、血を噴出させながら何か言っている……想像をする。庄助は口の形だけでニコニコと笑った。ホールとキッチンを仕切るカーテンの向こうで、華やかなドレスを着た女の子たちが客に酒を注いでいる。ええなあ、俺も接客されたい。庄助は思った。
「ユニバーサルインテリアさんとは長い付き合いだから俺はわかってるけどさあ、お兄さんは知らないじゃん? 気をつけたほうかいいよ、そんな誰にでもできるような仕事で……」
「や~っ仰るとおりです! ほな、すみませんけど、次の配送があるんでぇ」
 空になったおしぼりのケースの角で、店長の顔面を殴る。口元を何度も打ち据え、前歯が全部折れてそこらに血と唾液とともに飛び散る。庄助は入口のところから助走をつけて、ふらふらになった店長の胸元にドロップキックをした。店長はカフェカーテンの向こうまで吹っ飛ぶ。背中からボトルの棚に突っ込み、高い酒やシャンパンが割れる。辺りがアルコールの匂いに包まれ、それを見ていたキャバ嬢たちが、キャーッ! と、恐れおののいて悲鳴を上げる。阿鼻叫喚……と、そこまで妄想しながら、庄助は店の外の狭い車道脇につけた作業車に勢いよく乗り込んだ。

「おかえり」
 運転席の景虎は、暇つぶしに読んでいた哺乳類図鑑を閉じて後部座席に置いた。
「あの店長マジでクソ! クソーっ!」
 悔しいといった感情を隠さず、庄助は助手席に座るなりジタバタと怒った。ばんばんと足元を踏み鳴らして怒る様を見て景虎は、ウサギも怒ると足踏みするな、と思った。
「遅刻のことを言われたのか」
「うん。そら遅刻はこっちが悪いけど、工事で道混んでるって事前に連絡したし謝ったし、俺の人格まで否定するほどのことか!? めっちゃムカつく!」

 念願のヤクザ(の下っ端)になった庄助は、キャバクラやホストクラブやスナックに、おしぼりの配送をしていた。ヤクザになれば他の組と抗争したり丁半博打をしたり、なんかそういった毎日を送るんだろうなとふんわり考えていた庄助だったが、実際は全く違った。そもそも、兄貴分の景虎や国枝が所属しているのは、企業の体裁を取った普通の会社なのである。
「つーかこんなんヤクザの仕事じゃないやん」
 暇さえあれば、庄助は仕事内容について憤慨していた。

 庄助が形式的に入社した"株式会社ユニバーサルインテリア"は、織原組のフロント企業で、主に店舗や法人向けにレンタリースを営んでいる。オフィスなどに置くウォーターサーバーから病院や介護施設のリネン類、スナックやラウンジ向けに絵画や造花などの調度品やおしぼりなどの貸出を幅広く行っている。庄助はその配送と営業をやることになった。
 本来は組の隠れ蓑、ダミー会社のひとつとして設立されたものだが、国枝が幹部になって数年、ダラダラと片手間にやっている間に、運良くなのかもともとの彼の才覚なのか、普通の会社として通用する実績を持ってしまった。かといって完全な優良企業かというと決してそういうわけではなく、織原組の息のかかった業者から安く買ったものを、高めのマージンで貸している。
 他と値段を比べる術を知らない情報弱者向けの商売と言えるが、ホットな層は実は老人だけではなく、若い経営者にも「他社と値段を比べるのが面倒臭い」という人間はたくさんいて、そのカネが積もり積もって大金になるのだ。地味だがヤクザらしい隙間産業ともいえる。

「言っただろう、ヤクザもサラリーマンと変わらないって」
「はぁ。せっかく東京まで出てきたのに。こんなんサラリーマンのがマシかもしらん……」
「そんな顔するな。そうだ、事務所に車を置いたら晩飯でも食うか」
「ほんまに? カゲのおごり? じゃあラーメンがいい!」
 ぶすっとふてくされていたかと思うと、すぐに目を輝かせる。庄助の仕草はまるで、小動物のようだ。成人している男なのに、表情やリアクションがいちいち大げさで幼い。
 事務所近くのラーメンチェーンにするかと景虎は提案したが、大阪で食えるようなもんを食ってもつまらんからネットで調べる、と庄助は言った。スマホのブルーライトに照らされる庄助の頬は、横から見ると子供のようなプニプニとした丸みを帯びている。
「ここ評価けっこういいやん、魚介系ベースの醤油ラーメンやって。カゲが嫌いじゃなかったらこの……ん、なに?」
 信号待ちの際に庄助の頬や耳を見ていたら、視線に気づいたようだ。ぱちぱちと訝しげにまばたきをする庄助の大きな瞳に見つめられて、景虎は思わず言葉に詰まった。目をそらして、もうすっかり暮れた夜の道路に視線をやる。

「いや……別に。庄助は面白いと思っただけだ」
「え! おもろいことまだ何も言うてないのに?」
「笑ったり怒ったり、バラエティ番組から飛び出してきたみたいに賑やかだ。関西人はみんなそうなのか?」
「ふん、逆に関東人はみんなカゲみたいな無表情なんか? そんなわけないやろ?」
「……考えたこともなかった。ふむ、なるほど。やっぱり面白いな」
 別にウケを狙って言ったわけでもないのに、景虎は謎の納得をしている。事務所の借りている、屋根付きの月極の駐車場に車を停める間、なるほどと繰り返していた。庄助はバツが悪くなった。

 しばらく一緒に居てわかったが、遠藤景虎という男はやはりだいぶ変わっているというか、世間ズレしている。
 一般の若い人に通じる話のネタが通じない。例えば流行りの動画の話、有名人や音楽やスポーツの話、好きな漫画やゲームや映画の話、果てはネットミームまで……庄助は、同世代と会話する時に使う会話の引き出しを開け続けてきたが、いずれにも景虎はピントのズレた返答をするだけだった。
 服のセンスも独特だし、仕事の待ち時間に動物図鑑を読んでいるのもわけがわからない。モデルみたいな高身長にキレイな顔を持っているのにも関わらず、恋人はいないと話す景虎に、まあそうやろうな……と、庄助は得心した。所謂残念なイケメンというやつだ。

「おい、遠藤」
 車から出たところを、男の声が呼び止めた。二人してそちらを向くと、いかにもガラの悪そうな若い男が3人、他の車の陰から出てきたところだった。一人は角材を手に持っている。
「憶えてるよな俺らのこと?」
 真ん中の、90年代に流行ったようなどこか古めかしい色合いの茶髪の男は、ニヤつきながら景虎を睨めつけるように上から下まで見た。憶えているかと聞かれて、景虎は少し考えて答えた。
「……自信はあまりないが、確か多摩動物公園のボルネオオランウータンの飼育員の人だな?」
 自信はないといいつつ、景虎は指を鳴らして少し嬉しそうに答えた。
「そんなわけねえだろ殺すぞ!」
「違うのか、すまない」
 男が吠えたのにも関わらず、本当に申し訳なさそうに謝罪する景虎に、庄助は驚きを通り越してなんやコイツ、と引いてしまった。

「忘れたとは言わせねえんだよ。先週にお前とお前のとこのヒゲのオッサンに、俺ら殴られてんだわ」
「ああ……ウチのシマのラウンジで女のスカートに手を入れた半グレの奴らか。自業自得じゃないのか?」
「うるせえ、俺ら黒弧蛇入くろこだいるをナメんなよ!? 倍にして返してやる……つーかそこのガキ、遠藤の子分か」
「ガキやないっ」
 指を差されて、庄助はムッとして前に躍り出ようとした。が、景虎に首根っこを捕まえられた。
「下がってろ」
「なんで! いやや!」
「はあ……あのな庄助。人は拳で一発殴られただけでも、下手すれば死ぬんだ。お前の好きなヤクザ映画みたいに、腹を銃で撃たれてから何分も喋ったりできないんだぞ」
「しっ、知ってるし」
「何呑気に喋ってんだ、死ね!」
 その声が合図かのように、3人のうちの1人、ツーブロックの剃り込みの部分に、十字架のバリアートの入った肥った男が、景虎の方に弾丸みたいに飛び込んできた。屈めた身体の真ん中、鈍く光るものを握っているのが見える。

 ナイフや! そう庄助が声を上げる前に、景虎は庄助をポイッと猫の子を放るかのように作業車の脇に投げ捨てた。強かに地面で尻を打ちつける。尾てい骨が痺れて、庄助は呻いた。
「カゲっ!」
 怪我する! 刺さって死ぬ! 庄助は慌てた。が、景虎は身を引いて長い脚を大きく一振りすると、肥った男のこめかみにかすめるように靴のつま先を当てた。一瞬のことで派手な音もなかったが、たったそれだけで男はガクンと力なく膝をつく。何事かを呻きながら、丸いシルエットの身体を更に地面の上で丸め、まるで卵みたいになってしまった。
「強く蹴らなくても、脳さえ揺れればしばらく動けなくなる。ちょうどいい、見てろ庄助」
 男の手からカランと音を立てて落ちたナイフを、庄助の方に蹴り飛ばしてから景虎は構えた。
「ナメんな!」
 もう一人が角材を振りかぶって襲い掛かる。景虎はそれを、まるで軌道が読めるかのように容易く躱した。狙いを外し、勢い余って地面を殴って、勢いよく跳ね返った長物を捉えるように脇腹に挟む。慌ててそれを抜こうとする男に、ぐっと近づいて至近距離から顎に掌底を叩き込んだ。
「すげー……!」
 思わず庄助は感嘆の声を漏らした。
 ナイフや長い棒は、当てるために一旦腕を引く。目線と腕の動きと握り方、そして可動域を考えれば、どこを狙っているかわかるようになる。だから躱すのも簡単なのだと、景虎は後で庄助に教えた。
 二人目が駐車場のアスファルトに崩れ落ちるのと同時に、野次馬が数名、駐車場の外に群がってきた。騒ぎになって警察が来たり、ネットに動画を上げられるのはお互いによろしくない。
 茶髪の男は「覚えてろよ」と捨て台詞を吐くと、仲間を置いて走り去った。景虎は涼しい顔で棒切れをそこらに捨てると、俺らも行くぞと庄助に手を貸して立ち上がらせた。

 争った現場から早足に離れて、何もなかったかのように大通りまで出て人混みに紛れる。夜の東京は、店の看板の光が惜しみなく溢れるようで賑やかだ。大阪に比べると建物の外観デザインも全体的にスタイリッシュにできている気がする。
 先を行く景虎の、金色の腕時計のついた左手首を、追いかけてきた庄助が捕まえた。
「待って……待ってや、カゲ!」
 キラキラと輝く邪気のない茶色の目がショウガラゴのそれみたいだと、立ち止まった景虎は見下ろしながら思った。
「お前強いねんな、すごい。めっちゃドキドキした。かっこいい~!」
 庄助は感動していた。芝居の殺陣みたいに、男たちを怪我の一つもなく見事にいなしてみせた景虎を、心からかっこいいと感じた。
 一方、ぎゅっと強く手を握られて、景虎は柄にもなく胸が高鳴った。犬歯を見せて笑う庄助の頬は、興奮で少し上気している。自分とは違う手のひらの、柔らかい体温を感じる。

 庄助は今、媚びもへつらいも打算もなく、ただ純粋に自分の存在を認めて褒めてくれている。突然、横っ面を殴られて目が覚めたみたいな心地だった。普段あまり大きく動くことのない種類の感情が、どぼどぼと血のように腹の内側に吹き出てくる。景虎は困惑した。
「いや……そんなことはない。俺はこれしかできないからヤクザになったんだし……」
 柄にもなくしどろもどろになって、まるで自分に言い含めるようにそう呟く景虎を、庄助は不思議そうに覗き込んだ。
「そうなん? でも俺もカゲみたいに強いヤクザになりたい」
 その日景虎は初めて気づいた。胸をまっすぐ射抜いてくる庄助の素直な言葉は、脅威であり暴力だと。
 チャカの弾が肉に入り込んで取れないように、飛び散った鉛が膿んでゆくように。庄助の存在はいつの間にか景虎の中に入り込んで甘く爛れはじめていた。
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