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第85話 あなたのような存在が許せない

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 ダスティンは立ち上がり、大きく口を開いた。

「はっ、はははっ! この私を、上級吸血鬼を相手に素手で戦おうと言うのか? 能力の違いを未だ理解できていないのか」

「理解できていないのは、あなたのほうだ」

「なんだと?」

 丈二は相手に向けて半身となり、左手を前方に、右手を腰に溜め、腰を落とした。体に染みついた空手の構え。

 拓斗が、丈二を切り札と言ったのは誘惑テンプテーションが効かないからだけじゃない。不測の事態が起きた時に無効化できるのは大きいが、それ以上に、拓斗は丈二の武道経験を買ってくれていたのだ。

 魔素マナの強化がなければ、拓斗と丈二の身体能力はさほど変わらない。そこで生きるのは戦闘経験だ。人と形の違う魔物モンスターとの戦闘に長ける拓斗に対し、丈二は人間を倒すための技術である武道の長ける。

 封魔銀ディマナントの影響下で、人型の魔物モンスターを相手にするなら、丈二が最も適しているのだ。

 そして――

「武道や武術というものは、自分より強い相手を倒すために生まれた技術です。あなたは私より強い。しかしあなたは、この世界で発展した武道を知らない。勝つのは私だ」

「そんなもので上位存在を倒せると思うな!」

 ダスティンがわずかに腰を落とす。踏み込んでくる兆し。その刹那に丈二も反応。足首から腰、腕、すべての関節を連動させて最速の拳を放つ。

 先の先を取ったつもりだが、さすがに上級吸血鬼。丈二の拳と、ダスティンの爪が命中するのは同時だった。胸元が鋭く切り裂かれる。攻撃を仕掛けていなければ直撃していたかもしれない。

 丈二の拳は相手の顎を捉えていた。ダスティンのダメージは薄いのか、余裕の表情。

 そんな余裕を見せた一瞬の隙。丈二はもう次の行動に移っていた。一撃で終わらせるわけがない。拳を突き出し、蹴りを放ち、矢継ぎ早に攻撃を仕掛ける。

 連撃に対し、ダスティンも反撃を繰り返す。長年研鑽してきた技に、身体能力だけで追随してくる。いや、むしろ圧倒的な能力差を丈二の技量が埋めていると言ったほうが正しいか。

 丈二は紙一重で致命傷は避け続けるが、ほとんどの攻撃を体で受け止めている。すでに数多くあった裂傷に加え、あちこちで肉を抉られていく。

 丈二の攻撃はすべてダスティンに直撃しているが、銃撃ほどの威力はない。回避も防御もしないダスティンに対し、丈二は一瞬でも気を抜けば致命傷だ。

 不利な殴り合いだったが、好機を掴んだのは丈二だった。

 執拗に同じ部位――顎を狙い続けて、いよいよダスティンの体勢が崩れたのだ。

「おぉお!」

 その瞬間、ダスティンの片腕を左腕で絡み取り、肘関節に右掌底を叩き込む。肘が折れ、逆方向に曲がる。

「ぐぅ!?」

 短い悲鳴を上げて、素早く後退していく。間合いから逃げられてしまった。

「なんなんだ貴様、なぜそれほど傷ついてまで歯向かうのだ!?」 

「あなたのような存在が許せないからですよ」

「つまらないと言われたことが、そこまで腹立たしいか」

「私の怒りは、それだけじゃない」

 逃げ腰になったダスティンに、丈二は血塗れの体で迫っていく。

「ここには、私以外にも人生を取り戻した人々がいるのです」

 丈二は職務上、多くの冒険者の個人情報を知り得ている。もちろん守秘義務はあるが、それらを目に通し、実際に冒険者と触れ合えば、共感や同情だって生まれる。

 彼らは迷宮ダンジョンという新環境で、人生における大切な何かを得ようとしている。これまでになかった居場所を手に入れている。

 冒険は危険ではあるが、みんなこの場所で、この環境で暮らしていきたいのだ。

「あなたは、それを壊す存在だ。ただの魔物モンスターならそれも仕方ないが、あなたは高い知性で、明確な意志を持ってそれをおこなっている。それが、許せない」

 あまつさえ彼らが求めた人生とは違うものを、誘惑テンプテーションや吸血鬼化で押しつけている。

 大事なパートナーを奪われた結衣の涙を見た。

 吾郎は怒っていた。文句を言いながらも親のように面倒を見ていた若者を奪われて。

 他にも、かけがえのないパーティメンバーを奪われて嘆く者たちを見てきた。

 想い合う拓斗とフィリアの仲も引き裂かれた。

 つまらないと言われた自分を、愉快な仲間として受け入れてくれた者たちを――かけがえのない友人たちを傷つけている。

 長年孤独だった丈二には、それが一番許せない。

「だからお前には償ってもらう!」

 渾身の力を込めて、丈二は踏み切った。

 空想の世界を捨てる代わりに始めた空手の技で、やっと手にした理想の日々を守るために。

 空中で弧を描くように右脚を高くかかげる。落下の勢いに乗って振り下ろされたかかとが、ダスティンの脳天を割った。

「あ、がぁああ!」

 比喩ではなく、ダスティンの頭部は割れたのだ。正確には、ダメージが蓄積しすぎて、ついに人の形を維持できなくなったのだ。

 霧化していくダスティンの体を両断するようにかかとは着地する。

 霧となった体は、周囲の封魔銀ディマナントの効果で爆発的に拡散していく。その中で、意志を持ってその場から離れていく霧の塊があった。

 きっとあれが本体。拓斗が言っていた、人格パーソナル魔素マナだ。

 丈二は腰の後ろに装備していたトランシーバーを手にしようとした。空振り。戦闘中に落としてしまったらしい。

 急いで周辺を探して回収。幸い壊れていない。すぐ拓斗に連絡。

「一条さん、人格パーソナル魔素マナが屋敷の外へ出ました。追えますか?」

『ああ! 今、魔力探査に引っかかった! 後は任せてくれ!』

「ええ、お任せします。成果を期待しておりますよ」

『もちろんだ丈二さん。ありがとう、大役を見事こなしてくれて』

「なぁに、友情のためなら、わけないことですよ」

 十数年ぶりに口にした『友情』という言葉に、丈二は自分で満足して笑った。
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