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第一章 純真妖狐(?)といっしょ

2-1.

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2-1.

ベッドサイドで鳴るアラーム。携帯とは別の音源、高校進学時に弟たちから送られた目覚まし時計を手探りで止める。

「…」

目を開けなくてもわかる、カーテンの向こうの薄暗さ。それだけでもう、布団から抜け出す気にはなれなくて、布団の中で丸まる。

確かに、この時間に目覚ましをセットしたのは私。明日からは学校が始まる。その前に、買い物と洗濯、それから掃除を済まして―

「…寒い、眠い…起きたくない」

ベッドの上、布団にくるまったまま上体を起こして座り込む。正確な時間を確かめるためにベッドサイドに目をやって、固まった。

「え…」

急速に回転し始めた頭。必死に昨夜のことを思い出す。今は沈黙している目覚まし時計、その横に、並べて置かれたミルクティの缶。

これは、確か、だけど、起きっぱなしにして―

「っ!?」

缶を凝視する内に、その後ろに突然現れた色彩。揺れる赤い布の端っこと、ピコピコ動く手触りの良さそうな白い耳。それが、缶の後ろであたふたしているのがわかる。

―多分、だけど…これは、隠れようとしてる?

サイズ的にアチコチはみ出てしまっているから成功はしていないし、態々姿を現したということは、本気で隠れるつもりもないのかもしれないけれど、

「…えっと、昨日の?」

「っ!」

悩みながらも、声をかけてみれば、缶の後ろからそろりと顔を出した女の子。

「キュ?」

「っ!」

可愛い、あざといくらいに。

缶の後ろから顔だけ覗かせて小首を傾げる姿は、まさしく小動物のようで。思わず撫で回したい誘惑にかられてしまう。

「…でも、触れないんだよなぁ」

モフモフの耳も、フワフワの白に近い金の髪も。

ウズウズする手を我慢して、警戒する女の子に笑って見せる。恐る恐るという様子で缶の後ろから出てきたその子の背中にのぞくのは、昨日は見えなかった大きなフワフワの尻尾。

「やっぱり、狐、なのかなぁ?」

「キュ?キュキュ?」

「…うーん、何て言ってるんだろう?」

何かを訴えているのか、両手を上げ下げしてアピールする様子が更に可愛くて、気づけば顔が笑っていた。

これが近所の子なら―

「ワシャワシャしたい。ワシャワシャ」

「…キュー」

困ったように下げられた耳まで可愛い。

「キュ!」

「…えっ!?」

突然、自分の尻尾を掴んだと思ったら、そのまま毛先を思いっきり引き抜いた女の子。

「わぁ!ちょっと待って!大丈夫!?」

「キュー?」

「痛くないの??禿げたりしてない??」

慌ててにじり寄り背後から確かめるが、パッと見、尻尾に異常は―流血も不自然な隙間も―見当たらない。

「…あー、びっくりした…」

「キュ?キュキュ!」

「え?」

尻尾に気をとられているうちに、気がつけば、女の子はピンポン玉サイズのファーボールを抱えていて、

「これって、今の尻尾の毛?あれ、でも丸いし、ピンク??」

「キュー!」

「?くれるの?」

必死に差し出してくるそれに、思わず手を伸ばす。

「あ、持てた。触れた」

受け取って初めてそれに気づくが、確かに感じるフワフワの手触りは、多分やっぱり、

「シロのシッポなの!」

「わぁっ!」

突如聞こえた声、出どころなんて一つしかないから、目の前、嬉しそうな顔で笑う女の子をマジマジと見つめる。

「お守りなのよ?お話できるの」

「…」

「シロをギューもできるのよ?」

「…」

両手を広げてウェルカムの体勢まで示してくれたけど、さすがにそれは潰してしまいそうだから。ファーを持っていない左手を、小さな頭にそっと伸ばす。

「…フワフワだ…」

「うふふー」

目を閉じて気持ち良さそうな顔。確かに、触れることができる。手にしたファーと女の子を見比べて、

「…『シロ』ちゃんって言うの?」

「シロのお名前は『タマシロ』なの」

「タマシロちゃん、シロちゃん、か」

言いながらも手が離せない。撫で続ければ、大きなクリクリの瞳で見上げられて、

「お名前は?」

「あ、鈴原一花、イチカ、だよ」

「イチカ!」

名前を呼ばれ、満面の笑顔を向けられる。

「イチカは優しいの!シロにいっぱいアリガトウしてくれたのよ!」

「ミルクティの缶、かな?」

「助けてくれたの!シロ、コワイ人につかまって、逃げられなくて、こわかったの!」

昨夜の恐怖を思い出したのか、シロの瞳に涙が浮かぶ。

「イチカの声が聞こえて寝ちゃったの。起きたらびっくりして、でも、イチカがアッタカイをくれたのよ!」

「…もしかして、それでうちまでついてきちゃった?」

コクリと頷くシロ。餌付け、ではないけれど、危険は無いと判断してついてきてしまったのだろう。

「シロちゃん、おうちは?」

「…」

今度はフルフルと首を振る答えが返ってきた。

「一人ではおうち帰れないかな?場所はわかる?言えるかな?」

「…わからないの」

必死に堪えていたのだろう、瞳に溜まっていた涙がポロポロとこぼれ出した。

「…大丈夫、大丈夫」

小さな頭を撫でて慰めながら、思い付いた手掛かりが一つだけ、

「…シロちゃん、シロちゃんを襲ってた男の人は?知ってる人だった?」

しゃくりあげながらも、必死に頭を振るシロ。

「シロ、おうちがわからなくて泣いてたら、お友だちができたの。一緒に遊ぼうって、おうちにおいでって」

エグエグと涙を流すシロ。

「なのに、なのに、コワイ人が、お友だちを刺したの。シロ、ガブッして、でも、お友だち、消えちゃったの!死んじゃったのよ!」

「っ!」

「シロも、シロも、追いかけられたから、がんばって逃げたの。だけど、こけちゃった。こわかったの…」

後はもう、言葉にならないらしいシロ。その体を、潰さないよう毛布でくるんでそっと抱きしめる。

しゃくりあげるシロの頭を撫でながら、思い出すのは昨日の男の姿。

「…」

昨夜、ベッドに入った後もなかなか寝付けずに、グルグルと思い起こしていた場面。目に焼き付いてしまった男の姿が何度も何度も再生され、もう忘れようにも忘れられないくらいになってしまった。

多分、二十歳前後。ロングコートを苦もなく着こなすほどに背が高くて、顔も、明かりの少ない場所でもわかるくらいに整ってはいた。

いや、実際のところ、かなり、

―綺麗だった

「…」

不審者相手に認めることにすごく抵抗はあるけれど、造形が整いすぎていたせいで、無表情な男の顔が余計に無機質なものに見えてしまったのだ。だから、シロとは別の意味で人形のようだと思えて、だけど―

「…」

手の中で大人しく撫でられるシロを見下ろす。

こんな小さな子ども相手に刃物を振り回すような男。シロの言葉をそのまま受けとるなら、シロの友達を殺すような男なのだ。

「っ!」

目を閉じても消えない、目蓋の裏に浮かぶ男の姿に、ゾクリとした。




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