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1巻
1-1
しおりを挟むプロローグ
「……婚約破棄、ですか?」
「そうだ。クリスティーナ・ウィンクラー、私と君の婚約を本日この時をもって破棄する」
王立学園内の王族専用の執務室で向かい合わせに座る王太子――アレクシス・シュタイアート殿下の言葉が信じられず、私は唖然とする。
(解消ではなく、破棄……)
到底受け入れられない内容だ。破棄という二文字だけが、グルグルと頭の中を回り続けている。
目の前に座る王太子がその豊かな金糸をかき上げた。こちらを見据える碧の瞳は冷たい怒りを湛えている。
彼の隣にはストロベリーブロンドの少女が座し、二人の背後には殿下の側近候補の学友と護衛騎士が立つ。慣れ親しんだとまでは言えないが、幼い頃よりそれなりの交流を持ってきたはずの二人の男たちの瞳にも、王太子殿下と変わらぬ怒りが滲んでいた。
「クリスティーナ、悪あがきはよせ。殿下へ了承の返事をしろ。ウィンクラーの名を汚すな」
「……お兄様」
自身の右隣りに座る兄、味方であるはずの身内にまで切り捨てられて、視界が暗くなる。傾ぎそうになる身体を必死に引き起こした。
ここで気を失うなど、そんな無様を晒すのは許されない。暗転していく視界を目をきつく閉じることでやり過ごし、顔を上げた。
先ほどと変わらぬはずの光景に、不意に違和感を覚える。脈絡もなく、一つの疑問が浮かんだ。
――どうして、卒業式での断罪じゃないの?
(卒業式? 私、何故卒業式なんて考えたのかしら?)
自分で呈した疑問がどこから生まれたのかが分からずに混乱する。
卒業式とはおそらく、一週間後に学園を卒業する殿下方三年生を見送る卒業式典のこと。そのような場での断罪などあり得ないと分かっているのに、何故かその場の光景がありありと脳裏に浮かんだ。
「クリスティーナ、君が返答を渋ろうと、今回の婚約破棄については王家と公爵家で既に話がついている。決定が覆ることはない」
殿下の宣告に返すべき言葉を探す。自身の混乱を収めるために、時間稼ぎをしなければならない。
「理由をお伺いしてもよろしいでしょうか? 何故、婚約が破棄されるに至ったのでしょうか?」
「ふん。身に覚えがないと?」
殿下の問いに、私は口をつぐんだ。彼の言わんとすることは分かるが、認めるつもりはない。
殿下が背後を振り返り、イェルク・ミューレンの名を呼ぶ。呼ばれたイェルクが一歩前に出る。
「クリスティーナ・ウィンクラー嬢。ここに、貴女がソフィア・アーメント嬢に対して行った暴行、傷害に関する証拠書類があります」
「身に覚えがありません」
「ええ、そうでしょうね。貴女自身は何の手出しもしていない。ですが、ソフィア嬢に対する一連の加害行為を貴女は知っていたはずだ。実行者は貴女の支持者、信奉者たちなんですから」
少し長めの茶色の前髪の向こう、銀縁の眼鏡の奥から真っすぐにこちらを射る榛色の瞳には、怒りと侮蔑が込められている。
イェルクの言う通り、確かに私は派閥の者たちの行いを知っていた。知っていて彼らを止めなかった。それを罪だと責められようと、私の判断は間違っていない。
けれども同時に、「悪手だった」と自身の失態を認める思いも浮かんできた。
(悪手? 何故? 平民上がりの男爵家の者が殿下のお傍近くに侍ることが間違いなのよ)
そう、思うのに――
(いいえ、違う。この女、……この方は、前王家の末裔、その身に貴き血が流れる……)
突如浮かんだ考えに眩暈がした。
花の王家と言われたハブリスタント家。未だ国民からの絶大な支持を得ている前王家は、既に百年前の政変で滅びている。目の前の彼女がその末裔だなんてあり得ない。
荒唐無稽な妄言が何故急に浮かんだのか。その原因を探るために、目の前の少女――ソフィア・アーメントをもう一度眺めた。
「……あの、クリスティーナさん?」
ストロベリーブロンドの髪に青空を写し取ったかのような澄んだ眼差しを持つ少女は、こちらの視線に怯えたのか、小さく身動ぐ。彼女の肩を殿下がそっと抱き締めた。
少女の口元に甘い笑みが浮かんだ。応えるように、殿下の碧い瞳が優しく弛む。二人の姿にはっきりとした既視感を覚えて、衝撃が走った。
(ああ、なんてことっ! 私、私はこの光景を知っている!?)
思わず立ち上がりかけたが、瞬時に剣先を目の前に突き付けられた。漏れそうになった悲鳴は、兄の叱責にかき消される。
「クリスティーナ! 何を考えている。殿下の御前だぞ。弁えろ!」
兄にドレスを引かれたせいで、中途半端に浮いた身体が引き倒された。目の前には未だ抜き身の剣が突き付けられている。剣の向こう側には、短い黒髪の男ギレス・クリーガーが、殿下とソフィアを背中に庇うようにして立っていた。
動けば切ると言わんばかりの漆黒の瞳にヒタと見据えられ、再び既視感を覚える。視界の隅に、兄が頭を下げるのが映った。
「殿下、申し訳ありません。殿下のご温情を理解しようともしない妹の非礼、父に代わり、ウィンクラーとして謝罪いたします」
「いい、許す。ユリウスには今回の件で随分と骨を折ってもらったからな」
殿下の言葉に兄がもう一度頭を下げたところで、漸くギレスが剣を下げる。
私は隣に視線を向け、顔を上げた兄の姿を茫然と眺めた。プラチナブロンドの髪に凍てついた氷のような碧い瞳。自分と同じ色を持つ兄の姿は、見知っていて当然のもの。
けれど、もっと別の場所でこの瞳を見たことが――
「クリスティーナ、帰るぞ」
「……帰る? ですが、まだ話は終わっておりません」
「いや、終わりだ。今回、殿下との面会が叶ったのは殿下の温情によるもの。本来なら、家への通告をもって婚約の破棄は完了するはずだったのだ」
兄の言葉に歯噛みする。
既に破棄は成立している、反論も許されないというのならば、何故私がこの場に呼ばれたのか。こんなものが本当に温情だと言えるのか。
「さっさと立て。帰るぞ」
混乱する頭では思考が追いつかず、言われるままに立ち上がる。
退出を告げる兄に倣って頭を下げ、部屋を出ようとした刹那、視界に飛び込んできた光景に息を呑んだ。
寄り添い合うアレクシス殿下とソフィアの二人、彼らの左右にイェルクとギレスが並び立つ。
(ああ、そうか、そういうことなのね……)
突如として蘇った記憶、流れ込む膨大な情報を理解する。
やはり、これは、この場は、殿下の温情などではない。
これは、断罪だ――
私はこの場面を知っている。本来ならこれは、一週間後に行われる殿下の卒業式典において発生するイベント。秘されし王家の末裔を害した元凶を、王太子殿下の婚約者という立場から引きずり下ろし、学園、そして王都から追放する断罪劇の一場面。
物語の主役は目の前のソフィアで、彼女に仇なす悪役は公爵令嬢クリスティーナ・ウィンクラー、この私だ。
◆ ◆ ◆
銀に近い透き通るような金髪が、扉の向こうに消えていった。
(……やっと、終わった)
知らぬ間に詰めていた息を吐き出す。隣に座るアレクシスの手が伸びてきて、髪を撫でた。
「本当に、これで良かったのか?」
「うん、十分だよ」
「私としては、ソフィアへの危害を理由に、あの女を学園から追い出したかったんだがな」
「ありがとう。でも、そこまでするには証拠が足りなかったから」
彼の言葉に苦笑すると、イェルクが頭を下げる。
「申し訳ありません。私の力が及ばず」
「そんな、違うよ! イェルクは一生懸命やってくれたじゃない! 証拠も証言もちゃんと取ってくれて、おかげで嫌がらせしてくる人たちは殆どいなくなったんだから!」
「ですが、完璧ではありません。貴女を誹謗中傷する奴らを完全に排除するには至っていない」
吐き捨てるような声に、アレクシスが苦い顔になった。
「クリスティーナと実行者との直接的な繋がりを押さえられなかったのが痛いな」
「はい。彼女を庇っているのか、何なのか。皆が皆、己の意思で動いた、クリスティーナ嬢の指示はなかったと証言していますから」
「派閥の者の統制を取れなかったとして、『クリスティーナに王太子妃たる資格なし』と陛下に婚約の破棄を認められたが、学園を追い出すにはやはり弱いか」
アレクシスとイェルクが悔しげに話すのを横で聞きながら、私は自分の人生における最大の山場を無事に越えられたことにホッとする。
(悪役令嬢に『ざまぁ』されずに済んで、本当に良かった)
私には、物心つく前から前世の記憶というものがある。その記憶のおかげで、子どもの頃から「優秀だ」と評価され、実の親も分からない孤児にもかかわらず、男爵家に養子として迎え入れられた。実の子同然に愛されて、というわけにはいかなかったけれど、衣食住に困ることもなく、貴族として最低限の教育を受けることもできた。
そうして、この世界を知っていく中で気付いたのは、自分が生きているのが前世の記憶にある乙女ゲーム『蒼穹の輪舞』の世界ではないかということだ。国名や攻略対象だったアレクシスたちの名前、王立の魔法学園が存在するという事実から、確信に近いものを感じていた。
それと同時に、自分自身の容姿にも、「もしかして」という予感があった。ストロベリーブロンドの髪に碧い瞳。それは、『蒼穹の輪舞』のヒロインが持つ色とまったく同じだ。
(最初は、単純に嬉しかったんだよね)
隣でイェルクを相手に真剣に話をしているアレクシスの横顔を盗み見る。
(綺麗な顔……)
何度見ても感動してしまう。
前世でゲームのパッケージに描かれていた彼を初めて見た時から、私はずっとアレクシスが好きだった。
その大好きだった彼が目の前に現れ、手の届く距離にいる。信じられないくらいの奇跡に何度も感謝し、アレクシスにクリスティーナという婚約者がいることを承知で、彼へアプローチし続けた。
結果、彼と想いが通じ合えたのは、前世の知識に因る部分が大きいが、そこに後悔はない。
(だって、アレクシスの隣だけは、絶対、誰にも譲れないもの)
最初こそ、思い悩むこともあった。この世界がゲームに酷似しているとはいえ、実際は別物、よく似ただけの世界という可能性もある。そんな世界で、男爵令嬢にすぎない自分が王太子であるアレクシスに近づくなんて許されるはずがない。
(実際、嫌がらせは酷かったし)
ものを隠されたり壊されたりの被害はまだしも、直接的な暴力行為には何度も心が折れそうになった。普段の生活ではアレクシスたちが傍にいてくれたので問題はなかったが、一つ年上の彼らとずっと行動を共にはできず、魔法科の演習では悪意ある攻撃にさらされ続けた。クラスで唯一の友人、ゲームの攻略対象でもあるパウルが助けてくれなければ、きっと耐えきれなかっただろう。
(ただ、そのせいで、パウルの好感度が上がりすぎちゃったのは失敗だったかな)
アレクシス以外の攻略対象者たちを「攻略」するつもりなんてないから、余計な好感度を稼いだことに不安はある。複数の攻略対象者に好かれる、所謂「逆ハーエンド」に到達していたら――
「……ソフィア、聞いているか?」
「え!? あ、ごめんなさい! ボーッとしてて」
アレクシスの問いかけに慌てて返事をする。
「いい、気にするな。余程、気を張っていたんだろう。やはりお前を残して卒業するのは心配だな」
「そんな、心配なんてしなくても……」
「いや、クリスティーナを追い出せなかったんだ。あの女がこのまま大人しく引き下がるかどうか」
不安を口にする彼に、首を横に振って答えた。
「確かに、ちょっと不安だけど、でも、パウル君やボルツ先生がいるから」
「そうだな。だが、できれば、ソフィアのことは私自身の手で守りたい」
味方になってくれる友人とクラス担任の名前を挙げると、アレクシスが困ったように笑う。
「婚約破棄を直接告げれば、クリスティーナが逆上して何かしでかすかと予想したんだが、思った以上に冷静で付け込む隙がなかった」
「でも、アレクシスがちゃんと婚約破棄してくれたから、それだけで私は嬉しかったよ」
そう告げた途端、アレクシスは柔らかな笑みを浮かべる。
前世の知識には、乙女ゲームを題材とした悪役令嬢の逆襲、「ざまぁ」というものが存在する。そうならないために、攻略対象者たち全員を攻略する「逆ハーエンド」や卒業式での婚約破棄といった常識外れな真似はしないように注意してきた。
クリスティーナの断罪の場も、自分からお願いしてアレクシスの執務室に変えてもらったくらいだ。
この閉鎖空間で、絶対に自分の味方だと確信を持てる人たちの中であれば、クリスティーナに逆襲されることはない。
「ああ、そうだ。ソフィア、お前との婚約発表についてなんだが」
今回の結果に満足している私の横で、アレクシスがすまなそうに口を開いた。
「クリスティーナとの婚約破棄についてはすぐにも周知するつもりでいるが、婚約発表については少し先になる。ただ、お前が花の王家の末裔であることは陛下にお伝えしてあるから、時間はかかろうと、必ず認めてみせる」
彼の言葉に、私は自身の胸元に触れる。ゲームにも出てきた前王家の血筋を表す花の模様は、アレクシスと想いが通じ合った時に、胸元に浮かび上がった。
愛する者に幸福をもたらすと言われるハブリスタントの花。この印さえあれば、私がアレクシスと結ばれることに何の問題もない。
「うん、分かってる。大丈夫、いくらでも待つから」
「早ければ、卒業式典後の祝宴で発表できるだろう。待ち遠しいな」
アレクシスの手が胸元に置いた手に重なる。
私は込み上げる涙を押し殺して頷いた。
前世の知識のおかげではある。だけどそれに頼り切ることなく、私は自分の努力でここまで来た。大好きだったアレクシスだけを一途に想い続けて、そして、とうとう手に入れたのだ。
前世で夢見た私だけの王子様と迎えるハッピーエンドを――
第一章 婚約破棄という名の始まり
ガタゴトと音を立てて走る馬車の中、向かい合わせに座る実の兄の姿をぼんやりと眺めていた。
眉間に皺を寄せ険しい表情で目を閉じる男の姿は、見慣れた兄のもの。
けれど、遥か彼方の記憶によると、彼は『蒼穹の輪舞』という乙女ゲームの攻略対象。悪役令嬢の兄であり、将来のウィンクラー公爵ユリウス・ウィンクラーでもある。
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(っ! ……大丈夫、大丈夫よ)
思い出してぞっとしたゲームでの彼の姿を、頭から追い払う。
仮にここがゲームの世界なのだとしても、ソフィアが選んだのはアレクシス殿下だ。兄であるユリウスとの仲は噂にもなっていないのだから、彼が私を追い詰めることはない。
(でも、だとしたら、何故あの場にユリウスがいたの?)
『蒼穹の輪舞』には逆ハーエンドも存在するが、その場合は、ヒロインが特定の誰かと結ばれる描写はない。私と殿下の婚約が破棄されたことを考えれば、間違いなく「アレクシスルート」だと思うのだが――
「……降りろ」
兄の一言に、物思いから覚めた。気付けば、馬車の振動が止まっている。
兄に急かされて降り立った場所は、ウィンクラー公爵家の王都邸だった。
王立学園では寮生活が基本のため、帰宅は一週間ぶり。一週間前にこの邸を出た時には想像もしていなかった自身の状況に、前へ進むことを躊躇した。それを見た兄に腕を引かれる。
「父上がお待ちだ。今回の不祥事について、お前自身から話を聞きたいそうだ。……せいぜい、あがいてみるがいい」
そう吐き捨てられた言葉の根底にある怒りは、ウィンクラーの名を汚されたことに対する公爵家の人間としてのものなのか。或いは、憎からず想う相手を害された男としての怒りか。
エスコートというには些か乱暴な扱いで、ウィンクラー家当主である父親の執務室に導かれた。狂信的なほどの愛国者で、国とその身に流れるウィンクラーの血を何より誇りに思う父が、この時間に邸にいるのは極めて珍しい。
(それだけ、事が重大。お怒りというわけね)
分かっていたことではあるが、父との対面を前に身体が震えそうになる。逃げ出したくてたまらない。
けれど、そんな情けない姿を、自身の腕を掴んだままの兄に悟られるのは嫌だった。
「お兄様、一人でまいります。手をお離しください」
腕が無言で離される。解放されたそこを軽く撫で、姿勢を整えてから目の前の扉を叩いた。
「……入れ」
入室を許す声に室内に踏み入ると、正面の机の向こうに兄そっくりな瞳でこちらを見据える父、ハンネス・ウィンクラーが座っている。「国の護り」と呼ばれるウィンクラー家当主との対峙。震える両手を強く握り締め、私は机の前まで歩み寄った。
「……思ったより早かったな。殿下の命はしかと受け取ったか」
「はい。殿下との婚約が既に破棄された旨、お伺いしてまいりました」
そう答えると、こちらを探るアイスブルーの瞳を向けられる。そこに親子の情愛のようなものは感じられない。
物心つく前に母を失ってから、私の家族は父と兄だけだが、今なら家族というには冷めきった関係性なのだと分かる。父の注意がこちらを向くのは何かしらの命令がある時だけ。兄と笑い合って遊んだ記憶もない。前世の記憶を思い出すまでは、それが私の知る「家族」だった。
「ヘリングの娘を抑えられてしまったのは失態だったな」
唐突に父が口にした名前に、身体が震える。
「あの娘の行為自体は大したものではないが、ヘリングはうちの係累、娘のほうもお前との繋がりが強すぎた。そこを制御できなかったと言われてしまえば、こちらとしては最早、何も言えん」
父の言うヘリングの娘、ヘリング伯爵令嬢のカトリナは、ゲームにおいては悪役令嬢の「取り巻き」の一人という設定だ。悪役令嬢の意を汲んで、ソフィアに対して数々の嫌がらせを仕掛けるのだが、実際、私が彼女に何かを指示したことはない。そんな必要はなかったから。
公爵令嬢であり、王太子の婚約者でもあった私の望みは、私が望む前に周囲によって叶えられてきた。ソフィアに関しても同じこと。「私が不快に思っている」と見なされた時点で、彼女は排除対象となった。
(私は何も指示していない。……だけど、止めることもしなかった)
それが間違いだとは思わない。おそらく、父も同じ決断をした。公爵家としては、政治の駒にもならない王太子の想い人など厄介事でしかない。だから、父は学園内での私の行いを静観していた。
学園で起きていたことを父が知らなかったはずはない。閉ざされた空間とはいえ、父にはそれだけの力があり、王太子は国の礎、父が護るべき対象だ。
(むしろ、好きにさせることで、私を試していたのかも)
私の王太子妃としての資質を測っていたのだろう。そして、私は失敗した。その失敗をどうやったら巻き返せるか。
娘であろうと、国のためならば平気で道具として扱う父に、親としての情を期待するのは無駄なだけ。挽回する方法を思案する内に、父の口から自問のような呟きがこぼれた。
「ただ、陛下の御心も解せん。婚約の破棄に関しては受け入れるが、殿下が望まれたとはいえ、何の後ろ盾もない男爵家の娘を王太子妃に据えようなどと」
不快を示す父の表情に閃きを得て、私は覚悟を決める。
(親の情が期待できないのなら、認めさせるしかない。私の価値を、自分の力で……)
そのための一手として、どうやら、父をもってしても未だ手にしていないらしい情報を口にする。
「ソフィア様は、花の王家ハブリスタントの末裔でいらっしゃいます」
「っ!? 馬鹿な、そんな情報はどこからも入っていない。不用意な発言は止せ。不敬に当たる」
「事実です」
前世のゲームという不確かな知識からの情報だが、私に切れるカードの数は限られている。断言して、言葉を続けた。
「まだ力に目覚められたばかりなのでしょう。ですが、殿下と、……私との婚約破棄をお認めになったというのであれば、陛下も既にご存じなのではないでしょうか」
「……お前の言葉が真実であれば、確かに納得はいく。ハブリスタントの再興は我が国の悲願。現王家としても、これ以上ない良縁ではあるな」
半信半疑、といったところだろうか。私の言葉を信じてはいないが、それを真とすれば成り立つ仮説に、父が困惑している。
「クリスティーナ、その情報はどこで得た? 殿下に明かされたか?」
「いいえ。殿下からは何も伺っておりません。お兄様も、おそらくご存じではないでしょう」
「では、いったいどこで?」
重ねて聞いてくる父に、首を横に振って答えた。
「それは明かせません。ただ、私にも、お父様の知り得ぬ情報を得る手段がございます」
「……この話の信憑性は?」
「私自身は間違いなく真実だと思っております。ですが、まぁ、証は何もありませんから、そのような可能性もあるとお心の隅にでもお留め置きください。お父様なら、いずれご自身で同じ真実に辿り着かれるでしょう」
値踏みする視線を向けられて、無表情で返す。暫しの沈黙の後、父が口を開いた。
「思ったほどお前が取り乱していないのは、ソフィアという娘の血筋を知ったがためか? 己の行いを省みて、悔いているとでも?」
「いいえ、まさか」
その言葉を即座に否定する。
「ソフィア様の出自を把握したのはつい最近、それこそ、殿下が私との婚約破棄に動かれた後です」
「ふん。では、何故そこまで落ち着いている? お前は殿下に婚約を破棄され、家の名に泥を塗った。おまけに、その娘が本当に前王家の血を引くというなら、国に弓を引いたことになる」
「私は今までの自分の行いが間違っていたとは思いません。全ては国のため、将来の王太子妃としての行動でした」
過去の自分は真実そう思って行動していた。結果が失敗に終わったのは、ソフィアがハブリスタントの血を引いていたという予測不可能な事態が起き、結末が覆されたからにすぎない。
淡々と答えると、父が小さく息をつく。
「まぁ、いいだろう。今回の件に関しては、私も事態を読み誤った。お前一人の責というわけではない。だが、これ以上、王家の不興を買うわけにはいかん」
「では?」
「学園を辞めろ。退学して嫁げ。嫁ぎ先は見つけておく」
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