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後日談
芽ぐみ 6
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「…エストさん?」
「…」
己の職場、呼ばれるはずのない名で呼ばれ、観念して振り返る。振り返った先、立っていたのは、ここひと月ですっかり見慣れた顔。王立学園の「教師」としてではなく、魔術での変装、ただのエストとして出会った少女だったが、いつかは己の素性が知られるかもしれないとは思っていた。相手は「いい所のお嬢さん」、つまり、王立学園の生徒であってもおかしくはない少女だったから─
「…本当に、先生が、ボルツ先生がエストさんなんですね…」
「…黙っていて悪かった。…あの恰好の時は、エストって名乗るようにしてんだよ。」
髪と目の色を魔術で変え、髪型を変える程度だが、それでも随分と印象が変わるらしく、同僚や受け持ちの生徒でもなければ見抜かれることもなかった変装。少女との会話で明かすことになった爵位も、問われなければ口にするつもりはなかった。王立学園の教師という肩書も忘れての、自分で居られる時間。昔の馴染みと会い、周囲を気にする必要もない。そんな自分で居る時に出会った少女が、今、憎しみにも近い怒りをこちらに向けている。
その、思っていた以上の怒りの大きさに、戸惑いと罪悪感を覚える中─
「っ!お姉様に聞きました!」
「姉…?」
「ボルツ先生が、お姉様の成績を改竄しようとされたこと!」
「っ!?」
言われた言葉に息を飲む。「成績を改竄」と言われて思い浮かぶ事実は一つ。忘れようとして忘れられず、今でも、胸の内のしこりとなっているそれを、何故、彼女が─
「トリシア、お前…」
「私の名は、トリシャ・タールベルグ!お姉様はクリスティーナ・タールベルクです!」
「っ!?…そっか、お前、辺境伯の…」
告げられた名、知った事実に、全身の力が抜ける気がした。
(そう、か…)
彼女、トリシャとの会話の中でいつも語られていた姉の存在。彼女が憧れ、敬い、そして、その幸福を願っていたのがあのクリスティーナだというのなら、俺は─
「酷い!酷いです!お姉様の成績に不審があるからと、一方的に疑いをかけるなんて!」
「…っ!」
「私は知っています!見ていました!!お姉様がずっと努力なされている姿を!私への指導もしてくださりながら、欠かさずに毎日!ずっと遅くまで!」
「…」
「ご覧にならなかったんですか!?お姉様に確認されなかったのですか!?あれだけのお姉様の努力を、先生はご自身のお疑い一つで、全て無駄になされるおつもりだったんですか!?」
少女の両の目から溢れ出した涙。大粒の涙を拭いもせず、ただ、怒りを叩きつけて来るそのひたむきさに、滲む悔恨。
「…違う。」
「っ!何が違うと仰るのですか!?先生は、お姉様が不正をするような人物だと、勝手にそうお疑いになったのでしょう!?」
「…」
違う、そうではなかった。
どうやら、クリスティーナは彼女に全てを語った訳ではないらしい。温情だろうか、恐らく、敢えて秘された存在。己は、クリスティーナの力に疑問を抱いていたわけではない。むしろ、認めていた。彼女の成長を。だからこその脅威だった。ソフィアを脅かす存在として─
「っ!最低です!」
「…」
「先生は、教師失格!人として最低です!」
「っ!」
言い捨てて、涙しながら走り去る背中。遠ざかるその背に、しないと誓ったはずの後悔が押し寄せて来る。
(…くそっ!)
浮かぶ悔恨を押し込める。
人としての良心も、教師としての正しさも捨てて守りたかった相手。ただ、そのために陥れんとしたクリスティーナにも、また、彼女を守らんとする人が居る。
当然のこと、分かっていて覚悟の足りなかったそれを、向けられた瞳のひたむきさに思い知らされる。それでも─
(…後悔は、しない。…許されない。)
己に許されるのは、ただ─
「…」
己の職場、呼ばれるはずのない名で呼ばれ、観念して振り返る。振り返った先、立っていたのは、ここひと月ですっかり見慣れた顔。王立学園の「教師」としてではなく、魔術での変装、ただのエストとして出会った少女だったが、いつかは己の素性が知られるかもしれないとは思っていた。相手は「いい所のお嬢さん」、つまり、王立学園の生徒であってもおかしくはない少女だったから─
「…本当に、先生が、ボルツ先生がエストさんなんですね…」
「…黙っていて悪かった。…あの恰好の時は、エストって名乗るようにしてんだよ。」
髪と目の色を魔術で変え、髪型を変える程度だが、それでも随分と印象が変わるらしく、同僚や受け持ちの生徒でもなければ見抜かれることもなかった変装。少女との会話で明かすことになった爵位も、問われなければ口にするつもりはなかった。王立学園の教師という肩書も忘れての、自分で居られる時間。昔の馴染みと会い、周囲を気にする必要もない。そんな自分で居る時に出会った少女が、今、憎しみにも近い怒りをこちらに向けている。
その、思っていた以上の怒りの大きさに、戸惑いと罪悪感を覚える中─
「っ!お姉様に聞きました!」
「姉…?」
「ボルツ先生が、お姉様の成績を改竄しようとされたこと!」
「っ!?」
言われた言葉に息を飲む。「成績を改竄」と言われて思い浮かぶ事実は一つ。忘れようとして忘れられず、今でも、胸の内のしこりとなっているそれを、何故、彼女が─
「トリシア、お前…」
「私の名は、トリシャ・タールベルグ!お姉様はクリスティーナ・タールベルクです!」
「っ!?…そっか、お前、辺境伯の…」
告げられた名、知った事実に、全身の力が抜ける気がした。
(そう、か…)
彼女、トリシャとの会話の中でいつも語られていた姉の存在。彼女が憧れ、敬い、そして、その幸福を願っていたのがあのクリスティーナだというのなら、俺は─
「酷い!酷いです!お姉様の成績に不審があるからと、一方的に疑いをかけるなんて!」
「…っ!」
「私は知っています!見ていました!!お姉様がずっと努力なされている姿を!私への指導もしてくださりながら、欠かさずに毎日!ずっと遅くまで!」
「…」
「ご覧にならなかったんですか!?お姉様に確認されなかったのですか!?あれだけのお姉様の努力を、先生はご自身のお疑い一つで、全て無駄になされるおつもりだったんですか!?」
少女の両の目から溢れ出した涙。大粒の涙を拭いもせず、ただ、怒りを叩きつけて来るそのひたむきさに、滲む悔恨。
「…違う。」
「っ!何が違うと仰るのですか!?先生は、お姉様が不正をするような人物だと、勝手にそうお疑いになったのでしょう!?」
「…」
違う、そうではなかった。
どうやら、クリスティーナは彼女に全てを語った訳ではないらしい。温情だろうか、恐らく、敢えて秘された存在。己は、クリスティーナの力に疑問を抱いていたわけではない。むしろ、認めていた。彼女の成長を。だからこその脅威だった。ソフィアを脅かす存在として─
「っ!最低です!」
「…」
「先生は、教師失格!人として最低です!」
「っ!」
言い捨てて、涙しながら走り去る背中。遠ざかるその背に、しないと誓ったはずの後悔が押し寄せて来る。
(…くそっ!)
浮かぶ悔恨を押し込める。
人としての良心も、教師としての正しさも捨てて守りたかった相手。ただ、そのために陥れんとしたクリスティーナにも、また、彼女を守らんとする人が居る。
当然のこと、分かっていて覚悟の足りなかったそれを、向けられた瞳のひたむきさに思い知らされる。それでも─
(…後悔は、しない。…許されない。)
己に許されるのは、ただ─
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