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1巻

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   プロローグ


 一目見た瞬間にわかった。彼が、私の唯一、己のつがいなのだと。
 ――なのに、彼の瞳は私を映さない。彼の微笑みの先にあるのは。
 初めて感じた、身を焦がしつくすほどの情動。膨れ上がる力によって飲み込まれそうになった私を止めてくれた祖母の優しい手は、もうここにはない。
 彼女の遺した言葉に自戒する。
 ――耐えなさい、ルアナ。愛する者のために。



   第一章 やらかした異父兄、後始末の婚姻


「……お父様、もう一度、おっしゃって頂けます?」

 散らかり放題で、荒れ果てた父の書斎。普段ならば、一部の隙もなく整っているロイスナー伯爵家の一室に二人きり。自身の口から、自分でも間の抜けたと思える声がこぼれ落ちた。

「何度も言わせるな。ルアナ、お前の婚姻が決まった。相手は平民で年は二十八。お前に拒否権はない。以上だ」
「……お父様、あまりご機嫌がよろしくないようですね?」

 チラリと周囲を見回しながら告げた言葉に、返って来たのは無言の肯定。執務机に肘をついたまま、こちらをギロリと見上げた父――ウィリアムの視線を受け止める。王国の騎士団長という立場にありながら、その役職の持つ印象からかけ離れた、どちらかというと文官寄りの体躯の父。痩身の彼が鋭い視線を向けてくると、ある種の生き物を連想させる。

(嫌だ……)

 自分と同じ、ロイスナー伯爵家の血を濃く受け継いだ赤の瞳に赤い髪。顔までも似ているとは思いたくないが、否定しようもないほど同じ「血」を感じさせる父の瞳からそっと顔を逸らす。

(えーっと、それで、何だったかしら? 私の結婚が決まって、相手のお年が二十八、爵位はなし?)

 家系の特殊さゆえ、十六になるこの年まで婚約者は決まっていなかったが、いずれ家の利となる相手へ嫁ぐことが自身の定めだと理解し、納得もしていた。例えそれが一回り年上で、身分の釣り合わぬ相手であろうと自分にはどうでもいい。ただ、それでも――

(……結婚、か)

 胸に渦巻く空虚を認めて、視線を窓へ向ける。
 父の機嫌の悪さがうかがえる、引きちぎられたカーテン。見通しの良くなった窓の外は漆黒の闇。

(大体、最初から嫌な予感しかしなかったのよね……)

 本来であれば夢の中、夜明けにはまだ遠い時間に訪れた不幸に思わずため息が漏れた。


    ◇ ◇ ◇


 ――この会話がなされる数刻前。

「ルアナ様、旦那様がお戻りです。ルアナ様をお呼びですので、旦那様の書斎へお急ぎください」

 一応は私付きの侍女、カーラの声に呼び起された。

「え? 呼ぶって、こんな時間に? ……あ、ちょっと」

 正確な時間はわからないものの、どう考えても今は深夜。入室の許可を求められた覚えも、入室を許可した覚えもない侍女は、無遠慮に開いた扉から一方的に用件を告げると、こちらの返事も待たずに去っていった。

「……用があったとは言え、あのが私に向かってあれだけ喋ったの、初めてなんじゃない?」

 眠気と戦いながら、ノロノロとベッドから抜け出し、どうでもいいことを口にしてみる。
 止むに止まれぬ理由――好きな人の側に居て会いに行かない自信がない、という己の意志の弱さ――から、王都を逃げ出し、ロイスナーの領地であるハゼルの屋敷に引きこもるようになって早十年、やたらと独り言が増えた。ロイスナーの嫡子は、前領主の息子である異父兄あにのレナウドしか認めないとするこの屋敷の使用人達とは、会話らしい会話をしたことがない。

(いくら私の方が長く住み着いちゃってるからって、領主の座なんて狙うわけないでしょうに……)

 それでも、前領主の弟であり、己の実父であるウィリアムがロイスナー伯爵位を継いだことで、実の子である私を次期当主に据えるつもりではないかという疑心暗鬼ぎしんあんきが、家人けにんにも、そして最悪なことにレナウド自身にもあるらしい。

「馬鹿馬鹿しい……」

 あの父が実の子という理由で、私を気にかけるはずがない。父にとって大事なことはたった一つで、己はそれに当たらない。だが、それを解しない彼らには何を言っても無駄だった。
 結果、日常を独り言でやり過ごし、彼らに何かを伝える時は大きな独り言で伝達するという形でここまで乗り切ってきたわけだが。

「やっぱり、誰もいないわけね」

 着替えを終えて部屋から出たところで、当然ながら付き従う侍女も先導する執事の姿もない。灯りのない廊下をただ一人で、指定された父の書斎へと向かう。

「……それにしても、嫌な予感しかしないわ」

 普段、騎士団長として王都を離れることのない父の突然の帰還と、深夜の呼び出し。
 辿り着いた部屋の前で、わずかに躊躇ちゅうちょしながら、目の前の扉を叩いた。

「お父様、ルアナです」
「……入れ」
「失礼します」

 許可を得て、扉を開けた瞬間に視界に入ってくる室内の惨状。そのあまりの酷さに、うめき声がもれそうになる。予感が確信へと変わった瞬間だった。


    ◇ ◇ ◇


「――それで、お父様? 流石さすがに、私も『以上だ』では理解のしようがありませんわ」

 入室するなり己の婚姻決定を告げ、用は済んだと言わんばかりに黙り込んだ父に、その先を促す。

「お相手はどのような方で、なぜ私が平民へ嫁ぐこととなったのか。その理由くらいは説明して頂きませんと」

 部屋の様子から、ひと暴れして気が済んだはずの父は、椅子に深く腰かけ、不機嫌をあらわにして黙り込んでいる。花瓶や置物の陶器は砕け散り、散らばった書類や本が床を覆いつくし、部屋の中は足の踏み場もなかった。
 普段、不愉快は相手への報復で返す父がこれだけ物に当たり散らし、それでも尚、満足していない様子となると、原因は一つしかない。

「……お母様に何かございましたか?」

 妻以外、実の子である私にさえ興味のない父。母の前夫――前騎士団長であった父の兄――が亡くなった時、父は既に他国で実業家として成功を収めていた。家にも国にも未練はなく、ましてや騎士団になんて興味の欠片もなかった父が、国へ戻って伯爵位を継ぎ、騎士団長という地位に就いたのは全て、母を手に入れるため。父にとっては周囲を黙らせるための手段でしかなかった。

「……お父様、目が恐いですよ。お母様に見られでもしたら……」
「わかっているっ!」

 必死にいかりをやり過ごそうとする父の指が神経質に机を叩く。やがて、壁を睨みつけたまま、おもむろに開かれた父の口から出た言葉に虚を衝かれた。

「レナウドを廃嫡した」
「えっ!」
「そのせいで、アンネリースが泣いている」

 なるほど、この部屋の惨状は、母の涙に父がいかり狂った結果ということらしい。
 元より互いに関心が薄い父娘。離れて過ごす年月の長さがそれを加速させたが、父の母に対する想いだけはわからないでもない。それどころか、大いに理解が出来てしまうから困る。
 嘆息して、惨状の元凶になった人物の姿を思い浮かべた。

「なぜ、お異父兄にい様を廃嫡なさったのですか?」

 騎士としての実力は高く、王都では身分問わずに人気のある異父兄。次期騎士団長としての未来を嘱望されているという噂が、この地にあっても流れていた。

「あのおろか者は、キースリング公爵家の令嬢を害そうとした」
「キースリング……、第二王子のアクセル殿下のご婚約者様?」

 そのご令嬢と異父兄にどのような繋がりがあるのか。己の疑問に、父が吐き捨てるように言う。

「アクセル殿下は、王立学園の在学中に血筋も定かではない平民にのぼせ上がった。あげく、学園の卒業祝賀会で、キースリングとの婚約を一方的に破棄しようと画策する始末。……結果としては未遂に終わったが、それは第一王子のディアーク殿下とキースリング公が動いたためだ。アクセル殿下とその側近はその場で取り押さえられた」

 あり得ない事態に、父の顔をまじまじと見つめた。アクセル殿下の側近ということは、つまり、次期騎士団長候補であったレナウドもその場にいたことを指す。

「お異父兄様がご令嬢を害そうとしたというのは? アクセル殿下をお止め出来なかったということでしょうか?」
「違う。……婚約破棄に抗議しようとしたキースリング公爵家の令嬢を、レナウドが拘束し、床に押さえつけた」
「……ご冗談でしょう? 騎士たる者が力尽くで女性を? なぜ、そのようなおろかな真似を?」

 母でなくとも泣きたくなるような光景を想像して、頭痛がしてくる。

「調査を入れてわかったことだが、アクセル殿下の入れ上げていた平民の娘は殿下だけではなく、レナウドをはじめ、殿下の側近四人もたらしこんでいたらしい。取り押さえられた五人が五人とも、その娘との真実の愛とやらをうたい、未だに娘の解放を請うている」

 小さく鼻で笑う父に絶句した。言葉が出てこない。

(……なんで、また、そんな、……おもしろいことに?)

 こちらではなく壁を向いたままの父が、淡々と続ける。

「騒動の中心であるアクセル殿下は王位継承権を剥奪、側近四人に関しても廃嫡、謹慎が言い渡された。既にレナウドは廃嫡し、この屋敷での謹慎を言い渡している。王都での調査が済み次第、ここへ戻ってくるだろう」
「……ボーガード達が大喜びしそうですね」

 屋敷の執事であり、先代騎士団長である伯父を唯一の主筋とする老年の使用人の名をあげると、父の口から小さく嘲笑が漏れた。少しは余裕を取り戻したらしい父の姿に、こちらも再び肝心な問いを口にする。

「それで、そのお異父兄様の失態が私の婚姻にどう関わってくるのでしょうか?」

 異父兄が廃嫡されたということは、必然的にロイスナーの跡継ぎは己ということになる。そのための婚姻というならば理解するが、平民を婿に取る利点が見当たらない。

「……ふん。義理とはいえ愚息の管理が行き届かなかったのだ。責任をとり、私は騎士団長の任を辞した。次期騎士団長は、ディアーク殿下が団内より選任されたが、団長職に就くには身分が足りない。ロイスナーは家としての責任を取るため、その者を婿入りさせ、家を継がせることになった」
「そういうこと、ですか……」

 全三部隊から構成される王立騎士団、下位貴族中心の第二隊や平民出身の者が多い第三隊はともかく、高位貴族から成る――次期騎士団長候補だったレナウドも属していた――第一隊の上に立つ者としては、それなりの身分が求められるということなのだろう。

(平民、ということは、第三隊の方ということになるのかしら……?)

 第三隊という言葉の持つ魔力に、一瞬胸がうずくが、必死にそれを打ち消す。代わりにこれからのこと、現実的な話について口にする。

「次代を……団長職も当主の座もその方に譲られるとして、お父様とお母様は今後どうなさるおつもりです?」

 この屋敷で異父兄が謹慎するのならば、父がこの地で隠居生活を送るとも思えない。かと言って、王都に留まるとも考えにくい。

「国を出る」
「え?」
「しばらく……そうだな、レナウドの騒動が収まるまでは、この国には戻らん」

 平然と言い放った父の言葉に確信する。父は、異父兄の愚行ぐこう――暴力はともかく、少なくとも平民の娘とやらに入れ込んでいたこと――を承知していたのだ。その上で、父が煩わしく思う騎士団長という立場から抜け出すために放置した。国を出ることさえ計画の内だった可能性すらある。例え、一時、母を泣かすことになろうとも、最愛を独占し、他者の目に触れる機会を排除することを選んだのだろう。
 結局、父にとっては母が全て。彼の目には娘の想いなど映らない。それでも。
 ――耐えなさい、ルアナ。愛する者のために。

「……お名前は? 私の婿になるという気の毒な方はどこのどなたなのですか?」

 完全なる政略による婚姻。その誰かを夫として尊重はするし、子も産むだろう。だが決して、心からの愛を捧げることは出来ない。政治の駒になることを強いられた、己の憐れな運命共同体に選ばれたのは――

「平民ゆえに姓はない。名は……ガリオン」
「っ!?」

 父が無造作に告げた名に息を飲んだ。胸が痛いくらいに高鳴っていく。

「第三の騎士隊長を務めている男だ」
「うそっ!? ありえません! だって彼は王女殿下の……!」
「知らん。決めたのは、ディアーク殿下だ」

 速すぎる鼓動が苦しくなって、胸元を掴む。瞳孔が形を変えていく。

(だめ、落ち着かなきゃ……)

 チラと視線を向けるが、腰かけたまま背を向ける父は、こちらの様子に気づいてはいない。
 ――ガリオン。彼の姿を、声を思い出すだけで血が沸騰したように熱くなり、心臓の早鐘がうるさい。
 己が王都を離れ、ハゼルの領地に引きこもることを決めたその理由。彼を諦めるために、祖母の言葉に従い、十年もの間、この地で己を縛り続けてきたのだ。それが、こんなにも突然に、降ってわいた幸運によって、彼が私のものになるという。

(……ガリオンが私のものに……ああ、それならば絶対に……)

 絶対に、逃がさない。
 深く息を吸う。知らず口角が上がる。彼のため、の人の幸せを守るために諦めたはずだった己の欲。幾重にもかけたはずの鎖が容易たやすくほどけていく。
 たががはずれた自身の姿と、母を至上とする父の姿が重なった。やはり、己はこの男の娘。世界が一瞬で輝きを取り戻した。己の異常を自覚して笑う。

「……お話はわかりました。お母様もご不安でしょうから、婚姻の件、承知した旨を私の口からお伝えして参ります」

 告げた言葉に、何かを勘づいたかもしれない父は、しかし、それに触れることはなかった。

「……これ以上、アンネリースを泣かすな」
「ええ。……努力はしてみます」

 わずかに感情を覗かせた父の言葉にうなずいて、部屋を出た。


「……お母様?」
「ルアナ……?」

 扉を叩くと、返ってきたのは、消え入りそうな小さな声だった。側机の灯りが、天蓋付きのベッドの上に身を起こす母の姿をぼんやりと照らす。

「ごめんなさい、寝てた?」
「いいえ、疲れたから横になっていただけ。……どうしても、眠れなくて」

 そう答えた母に近づき、その顔を覗きこむと、明らかに長時間泣き続けたとわかる目。父の役立たず具合に思わず嘆息しそうになる。

(全く、時間はいくらでもあったでしょうに……)

 王都からこの地までは馬車で一週間。それだけの時間側にいながら、慰めが不得手な父は、母の涙を止めることすら出来なかったらしい。

「お母様、ずっと泣いてらしたの? 頭は痛くない? 目もとを冷やしましょうか?」
「……ありがとう。大丈夫よ、さっきまで冷やしてもらっていたから、だいぶ楽になったわ」
「そう? ならいいのだけれど……」

 こちらを安心させようとする母の顔を、もう一度覗きこんだ。暗闇に黒く濡れて見える瞳は、日の光の下で見れば、深い碧。下ろされた栗色の髪は、年齢に見合わぬ若々しい艶を放っている。だが、父が何よりも愛する母の柔和な笑みは、今その欠片も見当たらない。

(まぁ、当然よね……?)

 母のベッドに腰を下ろし、なんとか母を元気づけられるような言葉を探した。

「……お異父兄様のこと、お父様から聞きました」

 途端、母の目に浮かんだ涙に、慌てて言葉を続ける。

「お母様、泣かないで。話は聞いたけれど、そんなに悲観するようなことでもないと思うの」
「でも、だけど、あの子が……騎士の模範たるべきロイスナーであるあの子が、あんなことをしでかしてしまうなんて……。きっと、私に至らないところがあって……」

 嘆く言葉に続いて、自身を責め出した母の言葉を遮る。

「待って、お母様。確かにお異父兄様がやってしまったことはまずかったと思うわ。だけど、お異父兄様だってまだ若いんだから。失敗の一度や二度、あっても仕方ないとは思わない?」
「でも……」
「やり直しなんて、お異父兄様さえその気になれば、これからいくらでも出来るはずよ! ここからはお異父兄様次第、本人の頑張り次第じゃないかしら?」

 ハゼルに年二、三回は帰ってくる母と、母にくっついて来る父とは違い、異父兄とは十年もの間、全く顔を合わせていない。二つ年上の彼が、今どのような人間に成長しているのか。会わなくとも、聞こえてきた王都での評判は決して悪いものではなかった。言葉にした通り、名誉を挽回する余地は十分にあるはず。

「……でも、ルアナ、あなたのことは……ごめんなさい。私達の力が足りず、あなたを守ることが出来なかったわ。あなたを家の犠牲にしてしまうなんて」
「お母様! それこそ心配しないで! 私、お相手の方、ガリオンと結婚出来るのが嬉しくて仕方ないんだから!」

 思わずはしゃいだ声を上げてしまったが、母親としては、娘に無理をさせたと判断したらしく、その顔が曇る。

「……ウィリアムからちゃんと話は聞いたの? 第三隊長は、あなたより十二も年上よ?」
「ちょうどいい年の差よね?」
「……それに騎士とはいえ、平民出身だというし……」
「変なしがらみがなくて良かったと思うわ!」

 正直なところ、相手がガリオンであれば、年も身分も何だっていい。

「あのね、お母様。本当は、私、王都で彼に会った、いいえ、彼を見かけたことがあるの……」

 母に告げるのは、祖母に明かした時よりもずっと緊張する。

「その時に、私、わかったわ。……この人だって」
「っ! そんな、本当に……? だって王都を離れた時、あなたはまだほんの子どもだったでしょう?」

 ロイスナーの血が持つ感覚を言葉にするのは難しいが、半信半疑はんしんはんぎの様子の母に、力強くうなずいて見せる。

「十年前、六歳の時よ」
「……そんな、昔のことを?」
「ええ、今でもはっきりと覚えてる。……あれは、おばあ様に連れていってもらった王宮庭園のお茶会だったわ」

 そう口にすれば、脳裏に浮かぶ光景。騎士の正装をしたガリオンの姿。優しく笑うの人の、闇を溶かした漆黒の瞳。幸福に満たされた一瞬の光景は、今でも目に焼き付いて離れない。
 そう、漆黒の煌めきに恋に落ちたのだ。

「……ルアナ、でも、あの頃の彼は、確か……」
「ええ、クリスティナ様を連れていらした」

 一瞬で敗れた恋。彼の視線の先には、既に別の女性がいた。
 母の顔に、更なる陰りが落ちる。

「そう、そうだったわね……」

 十年前、平民出身でありながら王女殿下の近衛騎士を務めていたガリオン。当時、その彼の恋物語は、それなりに世間を騒がせた。私が目にした幸福なはずの恋人達は、しかし、クリスティナの父親である男爵に――ガリオンの身分を理由に――結婚を反対され、ガリオンを気に入っていた王女殿下の横やりによって決定的な破局を迎えた。
 それは、王都でおもしろおかしく噂されていた悲劇の恋人達の物語だったが、ガリオンにとっての不幸はそこで終わらなかった。側妃腹ではあるが、唯一の姫であるエレオノーラ殿下の『ガリオンは私のものだ』という発言を、彼女のことを溺愛する国王陛下が認めたことで、事実上、ガリオンが誰かと結ばれる未来はついえた。
 だからこそ、彼の人としての安寧と幸福を、騎士としての未来を思うのならば、己は彼の側にあるべきではないと信じて疑わなかったのだ。

(けれど、それが、覆るというのなら……)

 内から溢れ出す歓喜に身が震える。

「お母様、今回のことは、私にとって、すごくすごく幸運なことなの。夢みたいな話だと言えば、お母様も少しは安心出来るかしら?」
「……本当、なのね?」
「ええ、もちろんよ!」

 真意を確かめる視線に、一欠片の嘘もなく返事を返せば、母が大きく息を吐いた。

「……わかったわ、あなたがそう言うのなら、きっと、これは喜ばしいことなのね。……だけど、六歳だったあなたが……」

 そうこぼす母の姿に苦笑する。ロイスナーの直系ではない母には、言葉としては理解出来ても、感覚としては理解出来ないこの血の持つ性。それでも、最後には納得したらしい母がうなずく。

「……そういうもの、なのよね? ……確かに、お義母かあ様もよくそんなことをおっしゃっていたものね」
「ええ、そういうもの、みたい」

 こちらを見つめる母が、思案し、やがて躊躇ためらいがちに口を開いた。

「おめでとう。ルアナ。私の愛する娘、……どうか、幸せになって」
「もちろんよ! お母様、任せて! 私、世界で一番幸せになる自信があるわ!」


 母とそんな会話をした夜から一週間、いよいよ異父兄が領地へ入ったという報せが届いた。それが、つい先ほどのこと。屋敷中の人間が、の正当なあるじを迎えるための準備に慌ただしく立ち働いている。
 一方で、異父兄の帰還をいち早く察知した父は昨日の内に母を連れて領地を発っているため、彼を迎える家族は私一人。出迎えの準備をボーガード達に任せっきりにした結果、段々と盛大になっていく屋敷の有様を、端で大人しく眺めている。

「……一応、廃嫡されて謹慎処分なんだけどなぁ……」

 彼らにもそれは伝達済みだが、その上でこの浮かれ騒ぎなのだから、もはや何も言うまい。

「ボーガードさん! レナウド様の馬車が町の方に到着されました! 町長の挨拶が済み次第、こちらに向かわれます!」
「よし。全員、玄関前に整列しなさい。レナウド様をお出迎えする」
「「「「はい!」」」」
(……正気?)

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