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第三章 堕とされた先で見つけたもの
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あの女が、消えた―
神殿から戻らないまま姿を消した、元『巫女』。神殿で親しげにしていた商人も同時に姿を消したという噂まで流れ、巫女の失踪は社交界でも大きなスキャンダルとなっている。
女が消えた後、直ぐにナハトには確認したけれど、彼は笑っているだけだった。
訪れたケルステンの家、現れたフリッツの顔には疲労の色が濃い。面白おかしく騒がれる噂の火消しに奔走しているのだから、無理もない。
「…フリッツ」
「…義姉上、この度のことは…」
「いいのよ。あなたは何も悪くないわ」
その腕に、そっと触れる。
「…あの人は、あなたの真心を踏みにじった。巫女という立場にあったとしても、それは許されることではないわ」
「っ!俺は、あいつと、ちゃんと向き合おうと!」
「わかっているわ。あなたが努力していたこと。私だけは」
「っ義姉上!」
震える拳を握るフリッツ。未だ裏切られた痛みが残るのか、その顔には悲壮が見える。
だけど、それでは困るのだ―
「…フリッツ、巫女様はあなたを裏切って他の男の手をとった。残念だけど、その事実はもう覆せないわ」
「っ!」
「でも、悲しんでいるだけでは駄目。あなたはケルステンを継ぐ者、聖都の次代を担うレオナルト様をお支えする立場にあるのよ?」
ハッとしたように顔を上げるフリッツの頬に手を添える。
「ケルステンの名を回復するためにも、あなたに非がないことを証明するためにも、婚姻無効の手続きを取りましょう」
「それはっ!?」
「やるしかないのです。家の、聖都の未来のために」
「っ!」
『離縁』ではなく『婚姻無効』。神に誓った婚姻を無かったことにするなど、余程のことがなければ神殿が許さない。
だけど、これからの私の地位を磐石にするには、実家であるケルステンの力は絶対に必要。あの女とのことを無しにすることで、こちらの瑕疵無しに、フリッツに新たな婚姻を結ばせることも出来る。
「大丈夫、神殿へは私が話を通しましょう」
「…義姉上、ご迷惑を、」
「何を言っているの!あなたにかけられる迷惑なんて存在しないわ。あなたは、私のたった一人の大切な義弟だもの」
「…ありがとう、ございます」
涙声で俯いてしまったフリッツの体を抱き締め、その背中をそっと撫で続けた―
「ようこそ、お出でくださいました、ドロテア様。本日はどのようなご用件で?」
訪れた神殿、いつも通りの胡散臭い笑顔を浮かべるハイリヒは、何事も無かったかのように落ち着き払っている。
「巫女様のことで参りました。ハイリヒ様も、彼女の失踪についてはお聞き及びでしょう?」
「ええ、それはもちろん。フリッツ殿も随分と苦慮されているようですね?」
「…神殿の出入り商人との噂も取り沙汰されているようですが。当然、こちらもご存知でいらっしゃいますわね?」
あくまで無関係を主張するようなハイリヒの態度を牽制する。神殿の責任をゼロにはさせない。
「ええ、確かにそのような噂もあるようですね」
「あら?随分と他人事のようですが?巫女様をお探しにはならないのでしょうか?」
しばし見つめ合い、先に折れたハイリヒが、ため息と共に口を開いた。
「…まあ、そろそろ公にしようとは思っていたのですが、巫女様は既に力を失われております。力を失い巫女でなくなった彼女が何をしようと、今後、神殿が関与するつもりはありません」
このセリフ。確か、ゲームでも同じ様にハイリヒに切り捨てられるイベントがあった。ハイリヒルートでは、求められる浄化の達成度が高く、達成率が低すぎると巫女としての資質無しとして、ハイリヒが離れていく。
「…つまり、神殿では、巫女様の捜索は行わないということでしょうか?」
「ええ、彼女は既に巫女ではありませんから」
「そう、ですか。では、私の方から、改めてお願いがございます。フリッツと元『巫女様』の婚姻を無効にしていただきたいのです」
「それは…」
ハイリヒの顔から微笑が消えた。神殿として一度祝福を与えたものを否定することが、かなり厄介だということは理解している。それでも、やってもらわなくては困るから。
「彼女は神殿からの帰宅途中に失踪したのですよね?しかも、神殿が許可を与えた人間と連れ立って」
難色を示すハイリヒに、神殿の非をあげつらう。その言葉に、渋々ながらもハイリヒが首を縦に振った。
「…わかりました。何とか致しましょう。ですが、婚姻無効にはそれなりの理由が必要になります。彼女の力の喪失と失踪を理由とするにしても、多少の時間はいただくことになるかと」
「…仕方ありませんわね。時間はかかっても構いません、よろしくお願い致します」
頭を下げれば、ハイリヒがにこやかに笑って返した。
微笑の戻った男に見送られて神殿を後にしながら、次に何をすべきか考える。ケルステン繁栄のため、新しくフリッツの妻にする相手を見繕わなければ。侯爵夫人に相応しい振る舞いの出来る、力ある家の者を。
今度は、私の言うことに従う、従順な娘がいい―
あの女が、消えた―
神殿から戻らないまま姿を消した、元『巫女』。神殿で親しげにしていた商人も同時に姿を消したという噂まで流れ、巫女の失踪は社交界でも大きなスキャンダルとなっている。
女が消えた後、直ぐにナハトには確認したけれど、彼は笑っているだけだった。
訪れたケルステンの家、現れたフリッツの顔には疲労の色が濃い。面白おかしく騒がれる噂の火消しに奔走しているのだから、無理もない。
「…フリッツ」
「…義姉上、この度のことは…」
「いいのよ。あなたは何も悪くないわ」
その腕に、そっと触れる。
「…あの人は、あなたの真心を踏みにじった。巫女という立場にあったとしても、それは許されることではないわ」
「っ!俺は、あいつと、ちゃんと向き合おうと!」
「わかっているわ。あなたが努力していたこと。私だけは」
「っ義姉上!」
震える拳を握るフリッツ。未だ裏切られた痛みが残るのか、その顔には悲壮が見える。
だけど、それでは困るのだ―
「…フリッツ、巫女様はあなたを裏切って他の男の手をとった。残念だけど、その事実はもう覆せないわ」
「っ!」
「でも、悲しんでいるだけでは駄目。あなたはケルステンを継ぐ者、聖都の次代を担うレオナルト様をお支えする立場にあるのよ?」
ハッとしたように顔を上げるフリッツの頬に手を添える。
「ケルステンの名を回復するためにも、あなたに非がないことを証明するためにも、婚姻無効の手続きを取りましょう」
「それはっ!?」
「やるしかないのです。家の、聖都の未来のために」
「っ!」
『離縁』ではなく『婚姻無効』。神に誓った婚姻を無かったことにするなど、余程のことがなければ神殿が許さない。
だけど、これからの私の地位を磐石にするには、実家であるケルステンの力は絶対に必要。あの女とのことを無しにすることで、こちらの瑕疵無しに、フリッツに新たな婚姻を結ばせることも出来る。
「大丈夫、神殿へは私が話を通しましょう」
「…義姉上、ご迷惑を、」
「何を言っているの!あなたにかけられる迷惑なんて存在しないわ。あなたは、私のたった一人の大切な義弟だもの」
「…ありがとう、ございます」
涙声で俯いてしまったフリッツの体を抱き締め、その背中をそっと撫で続けた―
「ようこそ、お出でくださいました、ドロテア様。本日はどのようなご用件で?」
訪れた神殿、いつも通りの胡散臭い笑顔を浮かべるハイリヒは、何事も無かったかのように落ち着き払っている。
「巫女様のことで参りました。ハイリヒ様も、彼女の失踪についてはお聞き及びでしょう?」
「ええ、それはもちろん。フリッツ殿も随分と苦慮されているようですね?」
「…神殿の出入り商人との噂も取り沙汰されているようですが。当然、こちらもご存知でいらっしゃいますわね?」
あくまで無関係を主張するようなハイリヒの態度を牽制する。神殿の責任をゼロにはさせない。
「ええ、確かにそのような噂もあるようですね」
「あら?随分と他人事のようですが?巫女様をお探しにはならないのでしょうか?」
しばし見つめ合い、先に折れたハイリヒが、ため息と共に口を開いた。
「…まあ、そろそろ公にしようとは思っていたのですが、巫女様は既に力を失われております。力を失い巫女でなくなった彼女が何をしようと、今後、神殿が関与するつもりはありません」
このセリフ。確か、ゲームでも同じ様にハイリヒに切り捨てられるイベントがあった。ハイリヒルートでは、求められる浄化の達成度が高く、達成率が低すぎると巫女としての資質無しとして、ハイリヒが離れていく。
「…つまり、神殿では、巫女様の捜索は行わないということでしょうか?」
「ええ、彼女は既に巫女ではありませんから」
「そう、ですか。では、私の方から、改めてお願いがございます。フリッツと元『巫女様』の婚姻を無効にしていただきたいのです」
「それは…」
ハイリヒの顔から微笑が消えた。神殿として一度祝福を与えたものを否定することが、かなり厄介だということは理解している。それでも、やってもらわなくては困るから。
「彼女は神殿からの帰宅途中に失踪したのですよね?しかも、神殿が許可を与えた人間と連れ立って」
難色を示すハイリヒに、神殿の非をあげつらう。その言葉に、渋々ながらもハイリヒが首を縦に振った。
「…わかりました。何とか致しましょう。ですが、婚姻無効にはそれなりの理由が必要になります。彼女の力の喪失と失踪を理由とするにしても、多少の時間はいただくことになるかと」
「…仕方ありませんわね。時間はかかっても構いません、よろしくお願い致します」
頭を下げれば、ハイリヒがにこやかに笑って返した。
微笑の戻った男に見送られて神殿を後にしながら、次に何をすべきか考える。ケルステン繁栄のため、新しくフリッツの妻にする相手を見繕わなければ。侯爵夫人に相応しい振る舞いの出来る、力ある家の者を。
今度は、私の言うことに従う、従順な娘がいい―
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