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第二章 巫女という名の監禁生活
20.
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20.
ふと、名前を呼ばれた気がした。母が起こしに来たのだろうか?もう、朝?うとうとした意識の中、突然、あり得るはずの無い状況だと気づいて、飛び起きた。
シーツを引き上げ、暗闇の中、身を守る。誰かが部屋に居る?昼間の記憶が甦り、悲鳴が漏れそうになる。
「…トーコ」
「っ!?…ヴォルフ?」
暗闇から聞こえた声。すぐそば、ベッドの横に立ち尽くす大きな影にようやく気づく。
「…えっと、どうしたの?何かあった?」
「…すまん」
謝られたが、何に対する謝罪なのか。通常、護衛であるヴォルフが深夜に部屋の中まで入ってくることはない。部屋の外に居るはずの彼がここに居ることに、何かが起きたのかと思ったのだけれど。
「…ヴォルフ?」
「…」
ベッドサイドに手を伸ばし、小さな灯りをつけた。浮かび上がったヴォルフの姿を見上げて、その顔を確かめる。
―光が足りないせいだろうか
いつもなら、無表情ながらも彼の気持ちが読み取れるのに、今は、彼が何を考えているのか、それが全く伝わってこない。
「…」
「っ!?」
「…すまん」
無言で伸ばされたヴォルフの手に驚いて、反射的に避けてしまった。謝った彼の顔が辛そうで、申し訳なさに、こちらが視線をそらした。
「すまなかった。…お前の顔を、久し振りに見れた」
「!?」
彼の言葉に、今、自分がひどく無防備なのだということを思い出す。急いでベッドサイドに置いたベールに手を伸ばそうとして―
「待て」
「っ!?」
先にベールを掴んだヴォルフの手と触れあいそうになり、慌ててその手を引っ込めた。
「…着けるな。お前の顔を見ていたい」
「っ!」
特別に、何か、口説かれたわけでもない。さらりと告げられた彼の言葉が、無性に気恥ずかしくて、顔に血がのぼる。顔を、上げられなくなってしまった。
「…トーコ、お前に聞きたいことがある」
「なに?」
うつ向いたまま答えれば、ギシリとベッドが軋む。視線を上げると、ベッドの端に腰かけたヴォルフと目が合った。その視線の鋭さに息を飲む。
「…本当に、神殿を出るつもりはないか?」
「…」
出たい。直ぐにだって、逃げ出したい。だけど、私が一人で生き抜いていくには、この世界は厳しすぎる。その前に、一人では逃げ出せるかもわからない。
だからと言って、ヴォルフの手は取れない。残された方法は、フリッツとの結婚しかないのかもしれない。だけど、その覚悟も出来ずにいて―
「っ!?ヴォルフ!」
「逃げるな」
伸びてきたヴォルフの手。ベールを外した顔に触れようとしたそれを咄嗟に避ける。首を振って必死に拒絶すれば、伸ばされた手が宙で止まる。
「…髪に」
「…髪?」
「髪に、触れるだけだ。恐がるな」
背中の中ほどまで伸びた髪。ヴォルフの手が、その毛先をほんのわずか、掬い上げる。自分の髪の先を弄ぶ彼の手から目を離せずに、じっとその動きを追った。
「…伸びたな」
「…うん」
切れなかった。一年前、母が成人式の前日に毛先を整えてくれた。式当日には、セットして、可愛いとたくさん誉めてくれて。身内びいきだと笑い合った思い出、母が触れた髪を切れずにいる。
「…伸ばしっぱなしだから。ボサボサなの」
「そんなことはない、綺麗だ。お前によく似合っている」
―嬉しい
駄目だ。また瘴気が―
「お前に、これを渡しておきたい」
髪から手を離したヴォルフが、以前に見たことのある収納袋から取り出したもの。
「…お姉ちゃんの、振袖」
差し出されたそれを、手に取った。
「…すごい」
小さな灯りの下でもわかる。あれだけ穴だらけだった振袖が綺麗になっている。今でも覚えている、大きな穴が空いてしまっていたところまで、全くわからないほど完璧についであった。
「…穴が、全然わからない」
「元の糸が手に入らずに、代用品で補修してある」
「代用品?」
「アルケニーの糸だ。預けた工房から必要だと言われて、それを取りに行くのに時間がかかってしまった。返すのが遅くなって悪かった」
頭を下げるヴォルフに、言葉が出てこない。だって、
「…ヴォルフが、取ってきてくれたの?」
「ああ」
確かに、彼は白銀の冒険者。自ら魔物を倒して素材を手にいれるのは当然という感覚なんだろう。今だって平然と答えてくれた。だけど、巫女としての知識が、アルケニーという魔物の強さ、それを倒すことがどれほど危険な行為だったかを教えてくれる。
「…ありがとう」
私のためだ。私が拘っていたから。
抑えきれない想いと共に、膨らむ不快感。
「…だけど、これはヴォルフが持ってて」
「なぜだ?」
「誰かに見られたら、取り上げられるかもしれないから」
「なら、収納袋ごとやろう」
―また、簡単なことのように
既に失われた技術で造られた、古代遺物。古代の遺跡であるダンジョンに潜り、命を危険に晒しながら、それでもよほど運が良くなければ手に入らない貴重品を、躊躇いもなく渡そうする。
―私のために
募る想いを、流れ込む瘴気の増加を止められない。滲む涙を見られたくなくて、顔を伏せた。
「トーコ?」
涙を払い。ヴォルフを見つめる。
「ありがとう。でも、やっぱりヴォルフが持ってて」
「大事なものなのだろう?」
「大切なものだから、あなたに持っていて欲しい」
言って、ヴォルフを見上げた視界がにじむ。
「…ヴォルフ?」
「…」
名前を呼んでも、応えてくれない。反応の無いまま、彼の手がこちらに伸びてくる。それが、顔に触れそうになって、
「ヴォルフ!」
「っ!」
身を捩って避ければ、ヴォルフが動きを止めた。
「…すまん。わかった、衣装は俺が預かっておく」
そう言って、いきなり立ち上がると、あっという間に窓から姿を消してしまったヴォルフ。慌てて窓辺に近づくけれど、闇の中、彼の姿を見つけることは出来ない。
―ヴォルフ
彼の言葉が、示された思いやりが、頭の中、何度も繰り返される。体に流れ込む不快感が、今までに無いほど大きく膨らんでいく。
―ああ、無理だ
きっと、もう、私はこの想いを止められない。
ふと、名前を呼ばれた気がした。母が起こしに来たのだろうか?もう、朝?うとうとした意識の中、突然、あり得るはずの無い状況だと気づいて、飛び起きた。
シーツを引き上げ、暗闇の中、身を守る。誰かが部屋に居る?昼間の記憶が甦り、悲鳴が漏れそうになる。
「…トーコ」
「っ!?…ヴォルフ?」
暗闇から聞こえた声。すぐそば、ベッドの横に立ち尽くす大きな影にようやく気づく。
「…えっと、どうしたの?何かあった?」
「…すまん」
謝られたが、何に対する謝罪なのか。通常、護衛であるヴォルフが深夜に部屋の中まで入ってくることはない。部屋の外に居るはずの彼がここに居ることに、何かが起きたのかと思ったのだけれど。
「…ヴォルフ?」
「…」
ベッドサイドに手を伸ばし、小さな灯りをつけた。浮かび上がったヴォルフの姿を見上げて、その顔を確かめる。
―光が足りないせいだろうか
いつもなら、無表情ながらも彼の気持ちが読み取れるのに、今は、彼が何を考えているのか、それが全く伝わってこない。
「…」
「っ!?」
「…すまん」
無言で伸ばされたヴォルフの手に驚いて、反射的に避けてしまった。謝った彼の顔が辛そうで、申し訳なさに、こちらが視線をそらした。
「すまなかった。…お前の顔を、久し振りに見れた」
「!?」
彼の言葉に、今、自分がひどく無防備なのだということを思い出す。急いでベッドサイドに置いたベールに手を伸ばそうとして―
「待て」
「っ!?」
先にベールを掴んだヴォルフの手と触れあいそうになり、慌ててその手を引っ込めた。
「…着けるな。お前の顔を見ていたい」
「っ!」
特別に、何か、口説かれたわけでもない。さらりと告げられた彼の言葉が、無性に気恥ずかしくて、顔に血がのぼる。顔を、上げられなくなってしまった。
「…トーコ、お前に聞きたいことがある」
「なに?」
うつ向いたまま答えれば、ギシリとベッドが軋む。視線を上げると、ベッドの端に腰かけたヴォルフと目が合った。その視線の鋭さに息を飲む。
「…本当に、神殿を出るつもりはないか?」
「…」
出たい。直ぐにだって、逃げ出したい。だけど、私が一人で生き抜いていくには、この世界は厳しすぎる。その前に、一人では逃げ出せるかもわからない。
だからと言って、ヴォルフの手は取れない。残された方法は、フリッツとの結婚しかないのかもしれない。だけど、その覚悟も出来ずにいて―
「っ!?ヴォルフ!」
「逃げるな」
伸びてきたヴォルフの手。ベールを外した顔に触れようとしたそれを咄嗟に避ける。首を振って必死に拒絶すれば、伸ばされた手が宙で止まる。
「…髪に」
「…髪?」
「髪に、触れるだけだ。恐がるな」
背中の中ほどまで伸びた髪。ヴォルフの手が、その毛先をほんのわずか、掬い上げる。自分の髪の先を弄ぶ彼の手から目を離せずに、じっとその動きを追った。
「…伸びたな」
「…うん」
切れなかった。一年前、母が成人式の前日に毛先を整えてくれた。式当日には、セットして、可愛いとたくさん誉めてくれて。身内びいきだと笑い合った思い出、母が触れた髪を切れずにいる。
「…伸ばしっぱなしだから。ボサボサなの」
「そんなことはない、綺麗だ。お前によく似合っている」
―嬉しい
駄目だ。また瘴気が―
「お前に、これを渡しておきたい」
髪から手を離したヴォルフが、以前に見たことのある収納袋から取り出したもの。
「…お姉ちゃんの、振袖」
差し出されたそれを、手に取った。
「…すごい」
小さな灯りの下でもわかる。あれだけ穴だらけだった振袖が綺麗になっている。今でも覚えている、大きな穴が空いてしまっていたところまで、全くわからないほど完璧についであった。
「…穴が、全然わからない」
「元の糸が手に入らずに、代用品で補修してある」
「代用品?」
「アルケニーの糸だ。預けた工房から必要だと言われて、それを取りに行くのに時間がかかってしまった。返すのが遅くなって悪かった」
頭を下げるヴォルフに、言葉が出てこない。だって、
「…ヴォルフが、取ってきてくれたの?」
「ああ」
確かに、彼は白銀の冒険者。自ら魔物を倒して素材を手にいれるのは当然という感覚なんだろう。今だって平然と答えてくれた。だけど、巫女としての知識が、アルケニーという魔物の強さ、それを倒すことがどれほど危険な行為だったかを教えてくれる。
「…ありがとう」
私のためだ。私が拘っていたから。
抑えきれない想いと共に、膨らむ不快感。
「…だけど、これはヴォルフが持ってて」
「なぜだ?」
「誰かに見られたら、取り上げられるかもしれないから」
「なら、収納袋ごとやろう」
―また、簡単なことのように
既に失われた技術で造られた、古代遺物。古代の遺跡であるダンジョンに潜り、命を危険に晒しながら、それでもよほど運が良くなければ手に入らない貴重品を、躊躇いもなく渡そうする。
―私のために
募る想いを、流れ込む瘴気の増加を止められない。滲む涙を見られたくなくて、顔を伏せた。
「トーコ?」
涙を払い。ヴォルフを見つめる。
「ありがとう。でも、やっぱりヴォルフが持ってて」
「大事なものなのだろう?」
「大切なものだから、あなたに持っていて欲しい」
言って、ヴォルフを見上げた視界がにじむ。
「…ヴォルフ?」
「…」
名前を呼んでも、応えてくれない。反応の無いまま、彼の手がこちらに伸びてくる。それが、顔に触れそうになって、
「ヴォルフ!」
「っ!」
身を捩って避ければ、ヴォルフが動きを止めた。
「…すまん。わかった、衣装は俺が預かっておく」
そう言って、いきなり立ち上がると、あっという間に窓から姿を消してしまったヴォルフ。慌てて窓辺に近づくけれど、闇の中、彼の姿を見つけることは出来ない。
―ヴォルフ
彼の言葉が、示された思いやりが、頭の中、何度も繰り返される。体に流れ込む不快感が、今までに無いほど大きく膨らんでいく。
―ああ、無理だ
きっと、もう、私はこの想いを止められない。
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