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Ⅲ【完結】迎えに来てくれる人【19,450字】
Ⅲ 1.
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家の近所には、小さな神社がある。神主さんも宮司さんもいない本当に小さなお社で、ご本尊の扉はいつも閉まったまま、一度もその中を見たことはない。地元の地名を冠するその神社を、だけど、地元の人達はもっと親しみをこめて、別の名前で呼んでいる。
―黒龍さま
由来はそのまま、拝殿?―ご本尊の扉の手前、東屋みたいな社―の天井いっぱいに墨で描かれた黒龍から。黒の体躯に鋭い爪、ギョロリと見開かれた黄金の瞳は、常にこちらを見下ろしているようで。小さい頃は、その姿が恐くてたまらず、決して上を向かないよう、必死に目をそらしていたのを覚えている。
成長するにつれて、「悪いことしたら、黒龍さまが見てるよ!」という親の言葉に泣き出すことはなくなっていったけれど。それでも、初詣や七五三、町内会やら何やらの行事でその姿を見るたびに、心がキュッと引き締まる思いがしていた。
その日は、夏休み中の平日早朝、休みの取れない両親に代わり、年の離れた妹の付き添いで、お社の清掃活動に訪れていた。天井の存在を見上げてから、ご本尊に手を合わせ、社の裏手へとまわる。
汚れてヨシ、虫対策草負け対策、日焼け防止も万全な、着古した長袖長ズボンルックでしゃがみこみ、軍手をはめて伸び放題の雑草をむしりとる。仮にも受験を控えた女子高生として、この夏休みの過ごし方はありなのか?とも思ったけれど。友達とキャアキャア騒ぎながら草を引っ張る―戦力としてはあまり期待出来ない―妹の姿に、まぁいいかと結論づけた。
暫く無心に雑草と格闘し続けた後、しゃがみっぱなしで凝り固まった腰をウンと伸ばして立ち上がる。むしりとった成果を一旦、袋にまとめるかと歩き始めたところで見つけた、小さな立て看板。雨ざらしのそれは、泥や錆び、よくわからない緑の何かによって、だいぶ読みづらくなっていたが、どうやら、このお社の歴史、起源が書かれているようだった。初めてきちんと認識したそれに、休憩がてら足を止めて目を凝らす。決して、サボりではない―
何とか読み取れた範囲で浮かんだのは、
「…黒龍さま、なかなかヤンチャ。」
という感想。
なんとなく、フンワリと聞いたことはあったはずの神社の起こりは五百年も昔。看板の説明によれば、祭られているのは、その昔、この当たり一体に大洪水を起こした天の龍で、暴れまわった挙げ句に神社のあるこの場所に激突、山を作ったのだという。そんな龍神の怒りを鎮めるために社を作り、崇めたて奉ることでこの地を守ってもらうことになったというお話は、何というか、まぁ、うん。
私自身、それほど信心深いわけではない。それでも、こうした歴史を知れば、へーっと思うし、参拝の作法には―省略する部分はあっても―気を遣う。
なんか、いいよな、と思うから。海やら山やら、石にだって、アチコチに神様がいて、長い時間をかければ、物にさえ神様が宿るという、そういう考え方が。だから、信心、まではいかなくても、敬意と少しの畏怖をもって、黒龍さまのいるこの場所は私のパワースポットだと思っている。その場所を少しでも美しく保つため、と指定のゴミ袋を求めて、お母様方の元へ向かおうとして、異変に気づいた。
(あれ?立ちくらみ?)
初めての経験に、戸惑いと焦り。
足が、歩きたいのに、動か―
「っ!?」
あげたはずの自分の悲鳴が聞こえない。地面からの突然の光、眩しさに、咄嗟に目を閉じた。それだけでは足りずに、腕で目をかばった瞬間、足元から、地面が消えた。
「―!?、―!!」
落下する恐怖、何にもすがることが出来ない状態に、パニックに襲われて、手を伸ばす。何か、掴まれるもの―
―愚かよな
「っ!?」
突然、頭の中に響いた声。次いで、身体がフワリと何かに着地する。
「な!?なに!?」
―娘、掴まっていろ
「え!?」
再び、聞こえた声。低く、落ち着いた、大人の男の人の。
ゆっくりと目を開ければ、真っ白な空間。その中を、先ほどとは比べものにならないくらい、緩やかな速度で、だけどまだ、下へ下へと落ちていく。
―振り落とされぬよう、掴まっていろ
「っ!?」
その声が、自分が乗っている「何か」から、聞こえた気がして、お尻の下、手をついたそこに視線を向ける。
「っ!?」
(鱗っ!?)
黒く輝く、鱗様のものがビッシリと並んでいて、その先を、顔を上げて見れば、
「龍!?」
テレビで、本で見たことのある、そして何より、先ほど社で見上げた姿ととてもよく似た生き物の頭。後ろからでは、その生き物の瞳をとらえることは出来ないけれど、
「黒龍、さま?」
―娘よ、時間がない
「え!?」
―よいか、これより先の地にて、決して誰とも言葉を交わしてはならん
「!?」
―名を名乗ることも、心通わせることも
「…」
頭に響く声に、否応なしに不安がつのる。
―彼の地の物を口にすることも、ならん
「な、何も食べたり、飲んだりしちゃダメってことですか!?」
―ならん。よいな?
「っ!はい!」
意味は、わからなかった。
彼の地って何?私はどうなるの?どうして食べちゃだめ?水を飲むのも?どれくらいの間?耐えられる?わからない。わからない、けど。
―必ず、連れて帰る
「っ!」
―だから、よいな?
「はい!」
泣きそうなくらい優しい声で、そう、言ってくれたから。前を向く、落ちていく先、ポッカリと口を開けた真っ黒な穴を見据えて。
―いい子だ…
穴に飲まれる直前、聞こえた気がした声。鱗のある背に、ギュッとしがみついた。
―黒龍さま
由来はそのまま、拝殿?―ご本尊の扉の手前、東屋みたいな社―の天井いっぱいに墨で描かれた黒龍から。黒の体躯に鋭い爪、ギョロリと見開かれた黄金の瞳は、常にこちらを見下ろしているようで。小さい頃は、その姿が恐くてたまらず、決して上を向かないよう、必死に目をそらしていたのを覚えている。
成長するにつれて、「悪いことしたら、黒龍さまが見てるよ!」という親の言葉に泣き出すことはなくなっていったけれど。それでも、初詣や七五三、町内会やら何やらの行事でその姿を見るたびに、心がキュッと引き締まる思いがしていた。
その日は、夏休み中の平日早朝、休みの取れない両親に代わり、年の離れた妹の付き添いで、お社の清掃活動に訪れていた。天井の存在を見上げてから、ご本尊に手を合わせ、社の裏手へとまわる。
汚れてヨシ、虫対策草負け対策、日焼け防止も万全な、着古した長袖長ズボンルックでしゃがみこみ、軍手をはめて伸び放題の雑草をむしりとる。仮にも受験を控えた女子高生として、この夏休みの過ごし方はありなのか?とも思ったけれど。友達とキャアキャア騒ぎながら草を引っ張る―戦力としてはあまり期待出来ない―妹の姿に、まぁいいかと結論づけた。
暫く無心に雑草と格闘し続けた後、しゃがみっぱなしで凝り固まった腰をウンと伸ばして立ち上がる。むしりとった成果を一旦、袋にまとめるかと歩き始めたところで見つけた、小さな立て看板。雨ざらしのそれは、泥や錆び、よくわからない緑の何かによって、だいぶ読みづらくなっていたが、どうやら、このお社の歴史、起源が書かれているようだった。初めてきちんと認識したそれに、休憩がてら足を止めて目を凝らす。決して、サボりではない―
何とか読み取れた範囲で浮かんだのは、
「…黒龍さま、なかなかヤンチャ。」
という感想。
なんとなく、フンワリと聞いたことはあったはずの神社の起こりは五百年も昔。看板の説明によれば、祭られているのは、その昔、この当たり一体に大洪水を起こした天の龍で、暴れまわった挙げ句に神社のあるこの場所に激突、山を作ったのだという。そんな龍神の怒りを鎮めるために社を作り、崇めたて奉ることでこの地を守ってもらうことになったというお話は、何というか、まぁ、うん。
私自身、それほど信心深いわけではない。それでも、こうした歴史を知れば、へーっと思うし、参拝の作法には―省略する部分はあっても―気を遣う。
なんか、いいよな、と思うから。海やら山やら、石にだって、アチコチに神様がいて、長い時間をかければ、物にさえ神様が宿るという、そういう考え方が。だから、信心、まではいかなくても、敬意と少しの畏怖をもって、黒龍さまのいるこの場所は私のパワースポットだと思っている。その場所を少しでも美しく保つため、と指定のゴミ袋を求めて、お母様方の元へ向かおうとして、異変に気づいた。
(あれ?立ちくらみ?)
初めての経験に、戸惑いと焦り。
足が、歩きたいのに、動か―
「っ!?」
あげたはずの自分の悲鳴が聞こえない。地面からの突然の光、眩しさに、咄嗟に目を閉じた。それだけでは足りずに、腕で目をかばった瞬間、足元から、地面が消えた。
「―!?、―!!」
落下する恐怖、何にもすがることが出来ない状態に、パニックに襲われて、手を伸ばす。何か、掴まれるもの―
―愚かよな
「っ!?」
突然、頭の中に響いた声。次いで、身体がフワリと何かに着地する。
「な!?なに!?」
―娘、掴まっていろ
「え!?」
再び、聞こえた声。低く、落ち着いた、大人の男の人の。
ゆっくりと目を開ければ、真っ白な空間。その中を、先ほどとは比べものにならないくらい、緩やかな速度で、だけどまだ、下へ下へと落ちていく。
―振り落とされぬよう、掴まっていろ
「っ!?」
その声が、自分が乗っている「何か」から、聞こえた気がして、お尻の下、手をついたそこに視線を向ける。
「っ!?」
(鱗っ!?)
黒く輝く、鱗様のものがビッシリと並んでいて、その先を、顔を上げて見れば、
「龍!?」
テレビで、本で見たことのある、そして何より、先ほど社で見上げた姿ととてもよく似た生き物の頭。後ろからでは、その生き物の瞳をとらえることは出来ないけれど、
「黒龍、さま?」
―娘よ、時間がない
「え!?」
―よいか、これより先の地にて、決して誰とも言葉を交わしてはならん
「!?」
―名を名乗ることも、心通わせることも
「…」
頭に響く声に、否応なしに不安がつのる。
―彼の地の物を口にすることも、ならん
「な、何も食べたり、飲んだりしちゃダメってことですか!?」
―ならん。よいな?
「っ!はい!」
意味は、わからなかった。
彼の地って何?私はどうなるの?どうして食べちゃだめ?水を飲むのも?どれくらいの間?耐えられる?わからない。わからない、けど。
―必ず、連れて帰る
「っ!」
―だから、よいな?
「はい!」
泣きそうなくらい優しい声で、そう、言ってくれたから。前を向く、落ちていく先、ポッカリと口を開けた真っ黒な穴を見据えて。
―いい子だ…
穴に飲まれる直前、聞こえた気がした声。鱗のある背に、ギュッとしがみついた。
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