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Ⅰ 【完結】愛に殉ずる人【57,552字】
Ⅰ 4-3.
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4-3.
逃げ出すようにして後にした王宮。リュシアンが最後に口にした言葉の意味を考え、思考が堂々巡りを繰り返す。あの男は、本当に何を考えているのか。彼のことをわかったつもりになっても、結局またわからなくなって、その言動に振り回される。心の内を語らないあの男が悪いのだと彼へのイラつきを募らせながら、神殿へと帰り着いた。
常なら昼前に終わらせる清めの儀も、王宮への呼び出しのせいで、後回しになっている。本来なら、直ぐにでも泉に入るべきなのだが、今の精神状態は、自分でも危ういとわかるほどに最悪だ。
心を落ち着かせるための儀式、と言っても、お茶を飲んだり、気心知れた女官とのおしゃべりに興じたり。そうした時間を過ごして漸く、心が落ち着きを取り戻した。
祓い用の長衣に着替え、清めの間に入る。泉を前に、最後に心を整えようとしたところで、予期しなかった邪魔―
開かれた清めの間の扉、リュシアンとミレイユを先頭に、ぞろぞろと付き従って現れたのは、先ほどの子ども達。緊張からか、皆一様に固い顔のまま、物珍しげな視線を部屋中へとさ迷わせながら入って来た。
思わず、鋭い視線を向ける。ミレイユは目を逸らしたが、リュシアンは軽く礼を返すだけ。腹立たしくはあるが、ここまで整えた準備を無駄には出来ない。
向き直り、泉へと歩を進めた。心の中、何度も繰り返し唱える。決して、高みに登らぬことを、私の場所はここにあることを、忘れぬように何度でも。
暫しの間、そうして神々の祝福を賜る。清めが終わり、地上へ戻って来た視界に映ったのは、子ども達の姿。先程までとは明らかに雰囲気が変わってしまっている。
(…当然の反応、よね…)
初めて穢れを目にした者は、先ず、その見た目の禍々しさに戦いてしまう。神殿内の者であれば、実際に一度はその不快さを味わうことになるが、それでも、慣れることはないし、好んで接するものでもない。
だと言うのに、ミレイユを先頭に、子ども達が泉へと歩を進めて来る。
(まあ、私の務めは終わっているし…)
祓いの後は、疲労が大きい。今は、ミレイユを押し止める気力もわかない。彼らが何をするつもりなのかは知らないが、リュシアンがいるのだ。下手なことにはならないだろうと判断して、扉へと向かう。最後にチラリと振り向けば、ちょうど、ミレイユが泉に入る姿が目に入った。
穢れを纏わり付かせながら笑んだ彼女が、手を差し伸ばす。伸ばした先、向けられた手に戸惑う子どもの一人に向かって、ミレイユが柔らかな声をかける。
「大丈夫よ。私がいるから、何も心配いらないわ」
恐る恐る、一歩を踏み出した子どもの手をとって、泉へと導くミレイユ。それを、黙って見守るだけのリュシアンの姿に、疑問が口をついて溢れた。
「…リュシアンは、一体、何を考えてこんなことをしているのかしら」
「神官長は、神官を育てるおつもりなのでは?」
「…」
間髪入れずに返って来た答え。長年、自身に仕える一つ年上の女官、セシルが、生真面目そうな顔で小首を傾げる。銀の髪がサラリと揺れた。
「今後、神子様が増えるのであれば、神官や神殿騎士の増強が必要になります。神殿の予算も増えるでしょうから、今の内に、使える者を育てておこうという考えなのだと思います」
「…」
言い切るセシルは、子どもらの正体を知るわけではない。だけど、かつて私が切り捨てた子ども達を、リュシアンが救済し、神殿での職を与えようとしているのなら。その都合のいい考えに、救われてみたくなる。
そんな自分に自嘲したところで、不意に、心がざわめいた。
(何?何か、何かがおかしい…)
凝視した泉、穢れが、怪しい動きを見せている。
(まさか、減っている!?)
同じく気づいたのであろう、リュシアンが泉へと飛び込んだ。ミレイユの腕の中、気を失った子どもを奪い取るようにして抱えあげ、泉を飛び出そうとしている。
「リュシアン!待ちなさい!」
子どもを抱えるリュシアンがビクリと大きく身体を震わせた。こちらを見る、その顔に浮かぶ恐怖。血の気が失せ、今にも死んでしまいそうな―
(…何て顔、してるの…)
「…リュシアン、その子を渡しなさい」
「…」
動かないリュシアンに駆けよって、本気で逃げ出そうとした彼の腕を掴んだ。
「リュシアン、お前は、本当、直ぐに忘れてしまうわね。でも、まあいいわ。お前が忘れてしまっても、私が、何度でも教えてあげる」
「…」
「私は神子よ。私を信じなさい」
リュシアンの腕の中、瞳を閉じた小さな身体に手を伸ばす。
(帰ってきなさい…)
目を閉じ、身体を離れ、小さな魂を追いかける。
(行っては駄目。そこには、お前の父も、母もいない)
上り続ける魂。これほどの高みまで上ってくるのは久方ぶり。地上が遠い。
(お前の場所は、お前のあるべき所は、ここではない)
捕まえた魂。愛を、光を、幸福を求めて暴れ狂うそれをギュッと抱き締める。離せ、行かせろと踠く姿は、頑是無い幼子のそれで。駄目なのだと、どれだけ尽くしても届かぬ言葉を諦めて、抱えた魂ごと、地上を目指す。耳に触る、狂ったように叫び続ける子どもの声を聞きながら。
逃げ出すようにして後にした王宮。リュシアンが最後に口にした言葉の意味を考え、思考が堂々巡りを繰り返す。あの男は、本当に何を考えているのか。彼のことをわかったつもりになっても、結局またわからなくなって、その言動に振り回される。心の内を語らないあの男が悪いのだと彼へのイラつきを募らせながら、神殿へと帰り着いた。
常なら昼前に終わらせる清めの儀も、王宮への呼び出しのせいで、後回しになっている。本来なら、直ぐにでも泉に入るべきなのだが、今の精神状態は、自分でも危ういとわかるほどに最悪だ。
心を落ち着かせるための儀式、と言っても、お茶を飲んだり、気心知れた女官とのおしゃべりに興じたり。そうした時間を過ごして漸く、心が落ち着きを取り戻した。
祓い用の長衣に着替え、清めの間に入る。泉を前に、最後に心を整えようとしたところで、予期しなかった邪魔―
開かれた清めの間の扉、リュシアンとミレイユを先頭に、ぞろぞろと付き従って現れたのは、先ほどの子ども達。緊張からか、皆一様に固い顔のまま、物珍しげな視線を部屋中へとさ迷わせながら入って来た。
思わず、鋭い視線を向ける。ミレイユは目を逸らしたが、リュシアンは軽く礼を返すだけ。腹立たしくはあるが、ここまで整えた準備を無駄には出来ない。
向き直り、泉へと歩を進めた。心の中、何度も繰り返し唱える。決して、高みに登らぬことを、私の場所はここにあることを、忘れぬように何度でも。
暫しの間、そうして神々の祝福を賜る。清めが終わり、地上へ戻って来た視界に映ったのは、子ども達の姿。先程までとは明らかに雰囲気が変わってしまっている。
(…当然の反応、よね…)
初めて穢れを目にした者は、先ず、その見た目の禍々しさに戦いてしまう。神殿内の者であれば、実際に一度はその不快さを味わうことになるが、それでも、慣れることはないし、好んで接するものでもない。
だと言うのに、ミレイユを先頭に、子ども達が泉へと歩を進めて来る。
(まあ、私の務めは終わっているし…)
祓いの後は、疲労が大きい。今は、ミレイユを押し止める気力もわかない。彼らが何をするつもりなのかは知らないが、リュシアンがいるのだ。下手なことにはならないだろうと判断して、扉へと向かう。最後にチラリと振り向けば、ちょうど、ミレイユが泉に入る姿が目に入った。
穢れを纏わり付かせながら笑んだ彼女が、手を差し伸ばす。伸ばした先、向けられた手に戸惑う子どもの一人に向かって、ミレイユが柔らかな声をかける。
「大丈夫よ。私がいるから、何も心配いらないわ」
恐る恐る、一歩を踏み出した子どもの手をとって、泉へと導くミレイユ。それを、黙って見守るだけのリュシアンの姿に、疑問が口をついて溢れた。
「…リュシアンは、一体、何を考えてこんなことをしているのかしら」
「神官長は、神官を育てるおつもりなのでは?」
「…」
間髪入れずに返って来た答え。長年、自身に仕える一つ年上の女官、セシルが、生真面目そうな顔で小首を傾げる。銀の髪がサラリと揺れた。
「今後、神子様が増えるのであれば、神官や神殿騎士の増強が必要になります。神殿の予算も増えるでしょうから、今の内に、使える者を育てておこうという考えなのだと思います」
「…」
言い切るセシルは、子どもらの正体を知るわけではない。だけど、かつて私が切り捨てた子ども達を、リュシアンが救済し、神殿での職を与えようとしているのなら。その都合のいい考えに、救われてみたくなる。
そんな自分に自嘲したところで、不意に、心がざわめいた。
(何?何か、何かがおかしい…)
凝視した泉、穢れが、怪しい動きを見せている。
(まさか、減っている!?)
同じく気づいたのであろう、リュシアンが泉へと飛び込んだ。ミレイユの腕の中、気を失った子どもを奪い取るようにして抱えあげ、泉を飛び出そうとしている。
「リュシアン!待ちなさい!」
子どもを抱えるリュシアンがビクリと大きく身体を震わせた。こちらを見る、その顔に浮かぶ恐怖。血の気が失せ、今にも死んでしまいそうな―
(…何て顔、してるの…)
「…リュシアン、その子を渡しなさい」
「…」
動かないリュシアンに駆けよって、本気で逃げ出そうとした彼の腕を掴んだ。
「リュシアン、お前は、本当、直ぐに忘れてしまうわね。でも、まあいいわ。お前が忘れてしまっても、私が、何度でも教えてあげる」
「…」
「私は神子よ。私を信じなさい」
リュシアンの腕の中、瞳を閉じた小さな身体に手を伸ばす。
(帰ってきなさい…)
目を閉じ、身体を離れ、小さな魂を追いかける。
(行っては駄目。そこには、お前の父も、母もいない)
上り続ける魂。これほどの高みまで上ってくるのは久方ぶり。地上が遠い。
(お前の場所は、お前のあるべき所は、ここではない)
捕まえた魂。愛を、光を、幸福を求めて暴れ狂うそれをギュッと抱き締める。離せ、行かせろと踠く姿は、頑是無い幼子のそれで。駄目なのだと、どれだけ尽くしても届かぬ言葉を諦めて、抱えた魂ごと、地上を目指す。耳に触る、狂ったように叫び続ける子どもの声を聞きながら。
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