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Ⅰ 【完結】愛に殉ずる人【57,552字】

Ⅰ 3-1. Side E

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3-1.


執務の合間、「急ぎではないが、面会を望む」と連絡を寄越した妹を、城に招くことが出来たのは結局、彼女から連絡が来た一週間後のことだった。





「あの、ごめんなさい、そういうわけで、まだ清めの泉に入ることが出来ていません。ただ、リュシアン様はとても良くして下さるし、神殿の方々に何か意地悪をされる、ということもありません」

「そうか…」

何か問題でも起きたのだろうと待ち構えていた妹が、その報告の内容の割に、瞳を輝かせて語る姿に苦笑する。

「流石にアリアーヌ様とは無理ですが、神官や女官の方々とは、普通にお話が出来ています。多分、リュシアン様が何か言って下さったんだと思うんですけど、無視されたりだとか、嫌がらせをされたりだとか、そういうことは全くなくて。…今は、少しでも彼らに認めてもらえるよう、積極的に話をするようにしています」

「成果は?その者達に、何かしらの反応はあったか?」

「いえ、…そこまでは未だ。認めてもらいたくて、神子としての勉強も一応、頑張ってはいるんですが。…リュシアン様もお忙しいらしくて、中々…」

ミレイユの言葉に、思ったほどの結果が得られていない実状を知り、自然、眉間に力が入る。途端、こちらの不満を察したミレイユが慌て出し、

「あの!でも!それでも、リュシアン様はすごく気を遣って下さってるんです!神子の勉強用に、書物庫を開放して下さって、教師役の神官の方も付けて下さるっておっしゃったんですよ?」

ミレイユの、必死に男を庇いだてする言葉に、感じるものがあった。

(確かに、見目の良い男ではあったが…)

庇護のためとはいえ、ミレイユにとってリュシアンは一方的に押し付けられただけの男、だったはずだ。それが、この短期間で。

一体、どんな築き方をすれば、これほどの信頼関係が生まれると言うのか―

「…リュシアン様は、表情が変わらないから誤解されやすいだけで、本当はとても優しい方なんです。私の失敗にも怒ったりせず、辛抱強く付き合って下さる。…神殿内でも、リュシアン様を悪く言う方なんて居ないくらいなんですよ?」

「ほう。そう、なのか?」

ミレイユのもたらした情報に軽く驚きを覚えた。神子と敵対しているというディオの報告から、リュシアンは完全な孤立無援、神殿での居場所すら無いのだろうと思っていたのだが、

「そうなんです!アリアーヌ様と仲が悪いというのは確かで、実際、お二人が衝突するところを目にしたこともあります。でも、だからと言って、彼を悪く言う人も居なくて、どちらかというと神殿の方達には慕われている、頼りにされている、みたいで」

それを、我がことのように誇らしげに話す妹に、確信に近い思いを抱く。

「ミレイユ、リュシアンが好きか?」

「え!?」

一瞬で頬を染め上げた姿に、これではもう、疑う余地すらない。

「お前が、本気でリュシアンを好きなら、あの男との縁組を整えてやる」

「!?ま、待って、お兄様!そんなこと、突然言われても!」

「お前の、この先の一生を神殿に縛り付けることになるからな。お前が望むなら、それくらいのことはしてやりたい」

「…お兄様」

赤い頬のまま黙ってしまった、それでも「否」とは言わないミレイユに笑う。

「まあ、今すぐのことではない。お前の神子としての立場が揺るぎないものとなってからの話だ。…時間はある、考えておけ」

兄の心情としては、腹心であり、頼れる身内でもあるディオと添わせることが最上だと考えていた。だが、当人達に、全くその気が無いと言うのなら仕方ない。

犠牲を強いるミレイユの幸せを、少しでも願って、想う男と添わせてやりたい。例えそれが、妹を巻き込んでしまった兄としての、贖罪でしかないのだとしても―

「…だが、まあ、今はそれよりも、ミレイユの現状をどうするか、だな。清めの間に入ることすら出来んのでは、神殿にやった意味がない」

「…ごめんなさい、お兄様。私が考え無しだったせいで…」

「いや、そのための後ろ楯、リュシアンだ。あの男でどうにもならんと言うのなら、思ったよりもアリアーヌの守りが固かったということ」

ミレイユが一度でも清めの儀を行うことが出来れば、つけこむ隙は幾らも生まれるだろうが。

「…一度、私が直接、神殿へ出向くか…?」

「え!お兄様がですか?」

「ああ。…ディオ、お前も来い」

「俺は構わんが…、エドモン、お前が行く必要があるのか?」

それまで、ミレイユの話を険しい顔で聞いていた男が、嫌そうな表情を浮かべた。

「王としての強権が発動出来ずとも、そも、私もお前も、神子たる資格はあるだろう?だったら、清めの間くらい開けてみせるさ」

そう嘯いてしまえば、渋々ながらもディオが頷いた。国王を一人行かせる危険を考えれば、そうせざるを得なかったのだろう。

決めたからには、時間のある内に。直ぐ様、王宮を抜け出し、馬車を走らせた。元からミレイユのために空けた時間。未だ残る、その余裕の内に、彼女の道をなるべく均しておきたい。

刺激し過ぎては本末転倒かと、ディオ以外の供を付けずに乗り込んだ神殿。途中、阻まれることもなく順調にたどり着いた清めの間には、しかし、厳重な警備が施されていた。扉の前に立ちはだかる騎士達は、神殿の、神子の子飼い。端から王家に従うものではない。こちらの侵入を聞き付けたのか、何処からかわらわらと集まってきた騎士達に囲まれる。

騎士達を牽制するディオを制し、

「お前達が剣を向けようとしている相手が誰なのか、わかっているのか?我々は王族である前に、神殿が奉る『始まりの神子』の血を引く人間だぞ?」

神子の忠実な犬達が見せた、一瞬の怯み。そこにつけこんだディオが男達を剣で払い、清めの間の扉を強引に押し開けた。流石に、切り捨ててまでその動きを止めようとする者はおらず、開かれた扉、一歩、足を踏み入れたそこは―

「…これは」

初めて目にした空間の異質さに、言葉を失う。

何処までも白い、床や壁、天井に到るまで、汚れ一つない部屋。清浄、そう言ってしまえば、そうなのだろうが、しかし、この息苦しさは何だ。妙に落ち着かない。この場所に、長く居続けることは出来そうにもない。正気さえ失ってしまいそうな気がする。

居たたまれなさに巡らした視線、部屋の中央、そこだけが他とは違う黒色を持っていて、

「…あれが、『清めの泉』、か…?」

そこに蠢く影のようなもの。それが、水面を越えて、地上に手を伸ばそうと踠いている。それでも決してそこから溢れては来ない影を良く見ようと、歩を進めたところで響いた、鋭い声―

「何をしているの!?泉に近づかないで!!」





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