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第二章 あ、忘れてた

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鋭いチサの視線の先、池を囲むように植えられた樹木の陰、確かに人の気配がある。

チサに近づき小声で尋ねた。

「…誰?」

「わからない。だけど、普通じゃない」

気配察知に優れるチサが『普通じゃない』と言うのだ。まさか、『あちらの世界のナニか』ということは無いだろうが、油断は出来ない。

「…誰?出てきて」

チサの怒気を含んだ声に、気配が動いた。

「…ごめんね、警戒させるつもりはなかったんだけど。まさか気づかれると思ってなくて」

そう言いながら木立から出てきたのは、大学生くらいの細身の男の人。銀フレームの眼鏡の奥で、困ったように目尻が下げられている。

「…あなた、あの時の」

「え?誰?チサ、知ってる人?」

チサの言葉に思わず尋ねれば、何とも言いがたい視線が返ってきた。しかも、二人分。

「え?え?なに?その視線の意味は何?」

「…明莉あかりも、前、会ってる」

「えっ!?」

振り返り、改めて相手を凝視すれば、困ったような顔に苦笑が浮かぶ。人の良さそうな顔。さっきまで怪しんでいたはずの人物に対して、申し訳ない気持ちがわいてきた。

「…すみません、記憶にございません」

「いや、僕の印象が薄いだけだから、気にしないで」

穏やかに返ってきた返事に感じたのは、どうやらあちらはこちらを覚えていそうな気配。ますますヤバイ。

変な汗が出てきたところで、チサからの助け船。

「…夏休み前、ここで会った。明莉がショックにうちひしがれてた時」

「あー!」

思い出した。公園でうちひしがれたと言えば、あの時しかない。

確かに、不審者の私に声をかけてくれた親切なお兄さんが居た。あの時は相手の顔をちゃんと見る余裕も無くて、全く覚えていなかったけれど、この人、だったのか。

「…」

「?」

まじまじと見つめて、更に思い出した。そうだ、あの時はまだ自分のセーラー姿を受け入れられなくて、コスプレ姿がメチャクチャ恥ずかしくて―

「?大丈夫?顔色が、」

「大丈夫です!」

何だか、以前も同じ様なやり取りをした気がする。だけど、思い出した羞恥心から、顔に集まっていく熱はどうしようもない。

「…この子のことはいい。平気だから放っておいて。それで?あなたは何故あんなところに隠れていた?」

「隠れていたというと、響きが悪いけれど…」

「じゃあ、何をしていた?」

責めるようなチサの言葉にも、お兄さんは穏やかに返事を返す。

「そこの木の向こうから、池の方を眺めてたんだ。そしたら、その、君達の友達?なのかな?男の子と女の子がそこのベンチに座ってしまって、仲良さそうにしてたから、邪魔するのも悪くて、その」

お兄さんの口調が言いにくそうなものになり、モゴモゴしている。

「…つまり、あの二人がイチャつき始めたから出られなくなった、ということ?」

「うん、まあ、そう、だね。そうしてるうちに君達がきて、大事な話をしてたみたいだから、ますます動けなくなってしまって」

「何故、気配まで消してた?」

「邪魔したら悪いと思ってね?完全にやり過ごすつもりでいて、本当に、気づかれるとは思わなかったんだ」

お兄さんの視線が、チサを向いた。黙ったまま、二人の視線がお互いを探り合う。

「…わかった。一応、納得しておく」

本当に納得したかはわからないけれど、そう言って話を終わらせたチサがこちらを見上げた。

「帰ろう?」

「うん」

「あ、待って」

「?」

呼び止められた声に振り返れば、真っ直ぐな瞳と目が合った。

「名前を聞いてもいいかな?」

「え?名前ですか?私の?」

予想外の言葉に驚いて聞き返してしまったが、それよりもビビったのは、隣のチサの怒気が一気に膨らんだこと。

―なぜ今、このタイミングで!?

思わず、チサさんを盗み見る。

いつもは表情の薄いチサさんの顔が、わかりやすく怒っていらっしゃる。

「そう。本当は、君達の会話が聞こえてたから、名前も聞いちゃったんだけど、ちゃんと君の口から聞いておきたくて」

「え?は?」

いやいや、お兄さん。向き合うあなたの角度から、チサのこの顔が見えていないはずはないと思うのだけれど。

淡々と、何ならもう、微笑んでるくらいのお兄さんの態度に困惑する。

「あ、僕は『花守はなもり 秀一しゅういち』、学生です」

「はぁ」

マイペースに自己紹介をしてくれたお兄さんは、私の返事をニコニコ待ってくれている。しかし、ここで呑気に返事をするのはマズイということくらい、私にもわかる。

「…帰る」

「あ、はい!帰りましょう!」

あの時―帰還の魔方陣の研究に行き詰まっていた頃―よりも、はるかに不機嫌なチサの声に、脊髄で返事をした。

さっさと歩き出したチサの後を、慌てて追う。背後で、お兄さんの声がした。

「残念。またね?アカリちゃん」

「…」

目の前の小さな背中に、可視化出来そうなほどの怒気が膨らむ。恐くて後ろを振り向けば、優しそうな笑顔と目が合った。手まで振られている。

何だかもう、前も後ろも直視出来なくて、下を向いて歩いた。




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