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最終章
9-3 Side L
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悪夢のようだったダンジョンでの数日間。大切なものを失ったリオネルは、これ以上の不幸はないと消沈して王都へと帰還した。
しかし、リオネルは直ぐに気づいた。悪夢は決して終わりではなく、始まったばかりなのだということに――
ダンジョンからの帰還後、リオネルは王都邸に籠りがちになった。来客は必要最低限に絞り、その客人と相対する時間も極僅か。今は、誰とも関わる気になれなかった。
そんなリオネルの元に、家人が客の来訪を告げに来る。告げられた名が無下にできない相手であったため、リオネルは仕方なしに重い腰を上げた。久しぶりに自室を出て、重い足取りで客間へと向かう。
客間では、王都帰還後、初めて顔を合わせる友人がリオネルを待っていた。こちらの姿を認めた彼が、僅かにその顔を曇らせる。彼が何かを言う前に、リオネルは頭を下げた。
「殿下、お待たせして申し訳ありません」
「ああ、いや。……先触れもなしに悪かったな」
そう口にしたフリッツ自身、日頃より顔色が悪く見えるのに、その瞳にはリオネルへの気遣い、悲しみが垣間見える。彼にそんな顔をさせてしまうほど、今の己は憐れを誘うのかと、リオネルは内心で自嘲する。
「……本日は、どのようなご用件で?」
感情を表に出すことなくそう告げたリオネルに、フリッツは「ああ」と答えて、僅かに視線を彷徨わせる。
「……先ほど、エリカの様子を見にフォルスト家を訪ねてきた」
「……」
「だが、彼女はプライセル家に居ると言われてな」
そこで一旦言葉を切ったフリッツに、リオネルは小さく首肯して返す。フリッツの眉根に皺が寄った。
「エリカが望んだのか?」
その問いに、今度は首を横に振る。
「エリカではありません。……ですが、『フォルストにエリカを置いておけない』と」
誰が、とは言わない。言ってしまえば、彼女の内にある存在を否が応でも突きつけられる。最早、無視できない存在。「ないもの」として扱うことなどとうにできなくなっているが、それを口にすることが恐ろしかった。
「……エリカに、会えるか?」
フリッツの問いに、リオネルは力なく頷く。
「ええ」
ぼんやりと天井、エリカに与えた客室のある二階を見上げる。
「今は、バッセルドル卿がエリカの治癒に見えています。卿の治療が終わり次第――」
「この場に呼ぶ」とリオネルが口にしようとした直前、二人の耳が男の絶叫を捉えた。
「なっ!?」
「リオネル、上だ!!」
部屋を飛び出していくフリッツの声に、リオネルは咄嗟に後を追う。声が聞こえてくるのは二階。一体、何が起きているというのか。一足飛びに駆け上がった階段、間断なく聞こえる叫び声に、リオネルの胸に不安が押し寄せる。
次第に大きくなる叫び声、その声が聞こえて来るのは廊下の最奥にある部屋。そこはつい最近、整えたばかりの――
「エリカ!?何をしているっ!?」
一足先、部屋に飛び込んだフリッツの怒声を追って踏み込んだ部屋の中、リオネルは目にした光景に絶句する。
(……なん、だ?……何が起きて……?)
エリカが、片手で大の男を持ち上げている。首元を掴まれ持ち上げられているのは、つい先程、訪問を確認したバッセルドル卿。持病の治療にと訪れたはずの彼はその額から血を流し、口をハクハクと動かしている。彼の足元、敷かれた絨毯に浸み込んだ血の量は決して少なくない。血を失ったはずの彼の顔は、しかし、どす黒い色に染まって――
「卿を放せ!」
フリッツの怒声に、リオネルはハッとする。動けぬ自分の代わり、エリカの腕を掴んだフリッツがその手を必死に引きはがそうとしている。
「エリカ!放すんだ!殺すつもりかっ!?」
「……」
フリッツの制止に、漸く、エリカがその手を放す。唐突に解放され、落下した卿の身体が床へと叩きつけられた。リオネルは、声もなくその光景を見守るしかできない。
「ッグハッ!ゲホッゴホ!」
激しく咳き込む卿を見下ろし、リオネルはエリカの名を呼ぶ。
「エリカ。君はいったい何を……何を考えているんだ」
掠れた声、こちらの怯えや不安を気にする様子もなく、エリカは軽く肩を竦めてみせる。
「この男がエリカの身体に触れたからさ」
「っ!」
その一言に、彼女が誰であるかを認識し、リオネルは思わず顔を伏せる。彼女を直視することができない。視線を逸らした先、床に転がる男がヒューヒューと息をしながら、必死の形相で口を開いた。
「ッゴホ!触れてなどいない!わしは、そんなことは……!」
「したよ。普通に触ってきたじゃない」
「それは、ただ感謝をお伝えするつもりで!聖女様のお手に触れただけ、今までにも何度も……!」
荒い息の合間に弁明する男を、エリカが嗤って見下ろす。
「へぇ、そうなんだ?まあ、何て言うか、エリカらしいといえば、エリカらしいけど」
言って薄っすらと笑う彼女の瞳が、冷酷に光る。
「生憎、エリカのことは僕が守るって決めたからね。……今後、一切、僕に触れるな。……次はないよ?」
「!?」
床に蹲ったままの男が小さな悲鳴を上げる。それを見下ろすエリカは穏やかに笑っている。笑っている、はずなのに――
「まあ、お金さえ払ってくれるなら、治癒はまたいつでも受け付けるよ?」
「っ!」
彼女の言葉に、男が小さく首を横に振った。青ざめた顔でよろよろと立ち上がった彼は、そのまま部屋を出ていこうとする。フリッツが、その場にいた家人――青ざめた顔で身動き一つできずにいたエリカ付きの侍女に、卿の後を追わせた。
異様な空間、残された三人の内、エリカがつまらなそうに口を開く。
「大げさだよね。あんなに脅えるなんてさ」
「エリカ、……いや、シリル」
フリッツが、確信をもって彼の名を呼んだ。
「お前は本当に何がしたいんだ? エリカを人殺しにするつもりか?」
怒気を孕んだ彼の言葉に、シリルは再び肩を竦めてみせる。
「別に、本気じゃないよ。ちょーっと脅してみただけ。それに、何がしたいって、そんなの決まってるじゃない」
そう言って、シリルはまた笑う。
「あいつにも言ったけど、僕はエリカを守りたいんだよ。それだけ。……だからさ、リオネル」
言って、シリルが向けた笑み。リオネルの全身に怖気が走った。
「エリカを絶対に裏切らないでね? 僕、エリカを守るためなら、何だってするよ?」
「っ!?」
その言葉に、力が抜ける。リオネルは膝から崩れ落ちた。自分の名を呼ぶフリッツの声が遠くに聞こえる。
(ああ……!)
リオネルには――プライセルには後がない。英雄を逃したプライセルに残された命綱は聖女の生まれ変わりであるエリカだけ。だが、彼女は本当に命綱となり得るのであろうか。次代に、エリカと自身の子を、プライセルの跡継ぎを設けるなど想像だにできない。けれど、リオネルには彼女を妻とする道しか残されておらず、彼女を裏切ることは決して許されないのだ。
見上げると、エリカが笑っていた。
かつて、シリルが見せた穏やかな笑み。それと全く変わらぬ穏やかさで、悪夢が笑っている――
しかし、リオネルは直ぐに気づいた。悪夢は決して終わりではなく、始まったばかりなのだということに――
ダンジョンからの帰還後、リオネルは王都邸に籠りがちになった。来客は必要最低限に絞り、その客人と相対する時間も極僅か。今は、誰とも関わる気になれなかった。
そんなリオネルの元に、家人が客の来訪を告げに来る。告げられた名が無下にできない相手であったため、リオネルは仕方なしに重い腰を上げた。久しぶりに自室を出て、重い足取りで客間へと向かう。
客間では、王都帰還後、初めて顔を合わせる友人がリオネルを待っていた。こちらの姿を認めた彼が、僅かにその顔を曇らせる。彼が何かを言う前に、リオネルは頭を下げた。
「殿下、お待たせして申し訳ありません」
「ああ、いや。……先触れもなしに悪かったな」
そう口にしたフリッツ自身、日頃より顔色が悪く見えるのに、その瞳にはリオネルへの気遣い、悲しみが垣間見える。彼にそんな顔をさせてしまうほど、今の己は憐れを誘うのかと、リオネルは内心で自嘲する。
「……本日は、どのようなご用件で?」
感情を表に出すことなくそう告げたリオネルに、フリッツは「ああ」と答えて、僅かに視線を彷徨わせる。
「……先ほど、エリカの様子を見にフォルスト家を訪ねてきた」
「……」
「だが、彼女はプライセル家に居ると言われてな」
そこで一旦言葉を切ったフリッツに、リオネルは小さく首肯して返す。フリッツの眉根に皺が寄った。
「エリカが望んだのか?」
その問いに、今度は首を横に振る。
「エリカではありません。……ですが、『フォルストにエリカを置いておけない』と」
誰が、とは言わない。言ってしまえば、彼女の内にある存在を否が応でも突きつけられる。最早、無視できない存在。「ないもの」として扱うことなどとうにできなくなっているが、それを口にすることが恐ろしかった。
「……エリカに、会えるか?」
フリッツの問いに、リオネルは力なく頷く。
「ええ」
ぼんやりと天井、エリカに与えた客室のある二階を見上げる。
「今は、バッセルドル卿がエリカの治癒に見えています。卿の治療が終わり次第――」
「この場に呼ぶ」とリオネルが口にしようとした直前、二人の耳が男の絶叫を捉えた。
「なっ!?」
「リオネル、上だ!!」
部屋を飛び出していくフリッツの声に、リオネルは咄嗟に後を追う。声が聞こえてくるのは二階。一体、何が起きているというのか。一足飛びに駆け上がった階段、間断なく聞こえる叫び声に、リオネルの胸に不安が押し寄せる。
次第に大きくなる叫び声、その声が聞こえて来るのは廊下の最奥にある部屋。そこはつい最近、整えたばかりの――
「エリカ!?何をしているっ!?」
一足先、部屋に飛び込んだフリッツの怒声を追って踏み込んだ部屋の中、リオネルは目にした光景に絶句する。
(……なん、だ?……何が起きて……?)
エリカが、片手で大の男を持ち上げている。首元を掴まれ持ち上げられているのは、つい先程、訪問を確認したバッセルドル卿。持病の治療にと訪れたはずの彼はその額から血を流し、口をハクハクと動かしている。彼の足元、敷かれた絨毯に浸み込んだ血の量は決して少なくない。血を失ったはずの彼の顔は、しかし、どす黒い色に染まって――
「卿を放せ!」
フリッツの怒声に、リオネルはハッとする。動けぬ自分の代わり、エリカの腕を掴んだフリッツがその手を必死に引きはがそうとしている。
「エリカ!放すんだ!殺すつもりかっ!?」
「……」
フリッツの制止に、漸く、エリカがその手を放す。唐突に解放され、落下した卿の身体が床へと叩きつけられた。リオネルは、声もなくその光景を見守るしかできない。
「ッグハッ!ゲホッゴホ!」
激しく咳き込む卿を見下ろし、リオネルはエリカの名を呼ぶ。
「エリカ。君はいったい何を……何を考えているんだ」
掠れた声、こちらの怯えや不安を気にする様子もなく、エリカは軽く肩を竦めてみせる。
「この男がエリカの身体に触れたからさ」
「っ!」
その一言に、彼女が誰であるかを認識し、リオネルは思わず顔を伏せる。彼女を直視することができない。視線を逸らした先、床に転がる男がヒューヒューと息をしながら、必死の形相で口を開いた。
「ッゴホ!触れてなどいない!わしは、そんなことは……!」
「したよ。普通に触ってきたじゃない」
「それは、ただ感謝をお伝えするつもりで!聖女様のお手に触れただけ、今までにも何度も……!」
荒い息の合間に弁明する男を、エリカが嗤って見下ろす。
「へぇ、そうなんだ?まあ、何て言うか、エリカらしいといえば、エリカらしいけど」
言って薄っすらと笑う彼女の瞳が、冷酷に光る。
「生憎、エリカのことは僕が守るって決めたからね。……今後、一切、僕に触れるな。……次はないよ?」
「!?」
床に蹲ったままの男が小さな悲鳴を上げる。それを見下ろすエリカは穏やかに笑っている。笑っている、はずなのに――
「まあ、お金さえ払ってくれるなら、治癒はまたいつでも受け付けるよ?」
「っ!」
彼女の言葉に、男が小さく首を横に振った。青ざめた顔でよろよろと立ち上がった彼は、そのまま部屋を出ていこうとする。フリッツが、その場にいた家人――青ざめた顔で身動き一つできずにいたエリカ付きの侍女に、卿の後を追わせた。
異様な空間、残された三人の内、エリカがつまらなそうに口を開く。
「大げさだよね。あんなに脅えるなんてさ」
「エリカ、……いや、シリル」
フリッツが、確信をもって彼の名を呼んだ。
「お前は本当に何がしたいんだ? エリカを人殺しにするつもりか?」
怒気を孕んだ彼の言葉に、シリルは再び肩を竦めてみせる。
「別に、本気じゃないよ。ちょーっと脅してみただけ。それに、何がしたいって、そんなの決まってるじゃない」
そう言って、シリルはまた笑う。
「あいつにも言ったけど、僕はエリカを守りたいんだよ。それだけ。……だからさ、リオネル」
言って、シリルが向けた笑み。リオネルの全身に怖気が走った。
「エリカを絶対に裏切らないでね? 僕、エリカを守るためなら、何だってするよ?」
「っ!?」
その言葉に、力が抜ける。リオネルは膝から崩れ落ちた。自分の名を呼ぶフリッツの声が遠くに聞こえる。
(ああ……!)
リオネルには――プライセルには後がない。英雄を逃したプライセルに残された命綱は聖女の生まれ変わりであるエリカだけ。だが、彼女は本当に命綱となり得るのであろうか。次代に、エリカと自身の子を、プライセルの跡継ぎを設けるなど想像だにできない。けれど、リオネルには彼女を妻とする道しか残されておらず、彼女を裏切ることは決して許されないのだ。
見上げると、エリカが笑っていた。
かつて、シリルが見せた穏やかな笑み。それと全く変わらぬ穏やかさで、悪夢が笑っている――
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