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最終章
9-2 Side F
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王宮の回廊に響く一人分の足音。人の出入りが制限されているためか、物音一つしない静寂の中にあって、自らの足音だけが長い廊下に木霊する。
前方に人影を認めて、フリッツはその足を止めた。代わりに、こちらに近づいてきた人影――アロイスが、フリッツの前で立ち止まる。
「レジーナの扱いは?どうなった?」
彼女の第一声に、フリッツは苦笑する。最初に問うのが彼女自身のことでも、ましてやフリッツのことでもないことに多少の嫉妬を覚えつつ、「安心しろ」と口にした。
「お前が案じるような事態にはなっていない。国がレジーナ達を追うことはこの先もなくなった」
「そうか……」
分かりやすく安堵の表情を見せたアロイスは、次の瞬間、ハッとしたようにフリッツを見上げる。
「すまない。彼女のことが気がかりだったもので、つい……」
そう言って表情を改めたアロイスが、真剣な眼差しでフリッツを見つめる。
「君自身については?……何かしらの処分があったのか?」
「ああ、まあな……」
フリッツは僅かに言い淀む。この先を口にすれば、彼女がどんな反応を示すか、それが分かってしまうから。
「……継承権を剥奪された」
「っ!?」
目を見開くアロイス。けれど、彼女もどこかでその可能性を考えていたのだろう。沈痛な面持ちで、しかし、何を言うでもなく、その唇を噛み締める。彼女の反応に、フリッツは苦笑した。
「だが、まぁ、恩情はかけていただいた。王族に籍を残すことは許されたからな。……今後は、その恩に報いるだけの働きができるかどうかだ」
黙り込んだままのアロイス。フリッツは彼女の表情を観察し、その先を口にする。
「この件に関して、お前達にまで責が及ぶことはない。俺も、自身の処分に納得している。その上で聞きたい……」
「……」
「……アロイス、お前はこれからどうするつもりだ?」
問いかけに顔を上げたアロイスは、フリッツの瞳を真っ直ぐに見つめ、ゆっくりとその口を開いた。
「故郷へ帰り――」
「っ!」
彼女の言いかけた言葉、それから先を聞きたくなくて、フリッツは手を伸ばす。
「フリッツ!!」
抗議の声を封じ込めるようにして、アロイスを抱き締める。初めて触れる愛する人の肢体に、フリッツは深い充足を覚えた。吐息とともに、自身の想いを告げる。
「駄目だ。言ったはずだ。お前を故郷へ帰すつもりはない」
腕の中のアロイスが身じろぎする。逃がすまいと、フリッツは彼女を抱きしめる腕に力を込めた。諦めたかのように、アロイスが抵抗を止めた。
「フリッツ、話を最後まで聞いてくれ。ひとまず、腕を離して――」
「俺なら……」
フリッツの声が僅かに震える。
「フリッツ……?」
「俺なら、継承権などなくとも何の問題ない。そんなもの、あろうがなかろうが、この国のためにできることは腐るほどあるからな」
「……」
「……けど、駄目なんだよ。隣にお前がいなけりゃ、駄目なんだ……」
俯いたフリッツは、腕の中、一回りは小さなアロイスにすがる。何も答えてくれない彼女に必死にしがみつくその背を、不意に、優しい手が叩く。幼子を相手にするような、優しい声が聞こえた。
「フリッツ。顔を上げろ、手を離せ」
「……」
「それから、私の話を最後まで聞け」
捕えた相手の声の優しさに勇気を得て、フリッツはゆっくりとアロイスを解放する。それでも、逃げられはしないかとぎこちなく彼女の動きを見守るフリッツに、アロイスが苦笑した。
「故郷へ帰る。……一旦はな」
「……」
「だが、いずれ王都に戻ってくるつもりだ。今度は……」
彼女の瞳が、真っ直ぐにフリッツを見上げる。
「『エリーゼ・クラッセン』として、君の元へ帰る」
「!?」
その言葉の意味を理解し、フリッツは息を呑む。かつて一度だけ耳にしたことのある名、アロイスとしての彼女が、自身の姉について言及した時の――
「……戻るのに、どれだけの時がかかるか分からない。説得も、根回しも、容易ではないだろう」
「アロイス……」
「それでも、戻ってくるつもりだ。……私は、君の隣に在りたいと願っている」
「っ!」
一度は解放したアロイスの華奢な――けれど、戦う者のそれを感じさせる―身体を再び抱き締めたフリッツは、低く唸り声をあげる。
「……長くは待てない。一月で戻ってこい」
「無茶を言う」
フリッツの要求にアロイスが笑う。だが、直ぐに笑みを消した彼女は、その瞳に決意を見せた。
「……そう、だな。一月は流石に厳しいが、半年……、いや、三月で戻ってこよう。これから先の戦いを、君一人でやらせるわけにはいかない」
「アロイス……」
彼女の手が、フリッツの背へと伸ばされる。
「置かれた立場を理由に戦いもせずに逃げたとあっては、レジーナが認めてくれた『私』ではなくなってしまうからな」
フリッツの背に回されたアロイスの腕に、ギュッと力が込められる。
「……いつか、再び彼女と相まみえることがあるならば、その時は、彼女に誇れる自分でありたい」
そう吐露するアロイスの言葉に、フリッツは内面で盛大に顔を顰めたが、それを表にすることなく、深いため息をつく。
「……レジーナのためというのは、正直、気にくわないが……」
「フリッツ……?」
「いや。……それでもなんでも、お前が隣に居てくれるなら、それでいい」
フリッツは、アロイスの身体を抱きしめ返す。
彼女が己のために戦うことを決意してくれたのは確か。その動機にレジーナの影がちらつくのが、心底、癪に障るが、どうやら、彼女には大きな借りがまた一つできてしまったらしい。
(……だが、まぁ、仕方ない)
一生に一度、得られるかどうかの大切なものを手にしてしまったのだ。こちらも、一生をかけてその借りを返してやろうではないか。
レジーナ達がこの国の地を踏むことが二度とないように――
人気のない廊下、自身の最愛を手中にして、フリッツの口元に不敵な笑みが浮かんだ。
前方に人影を認めて、フリッツはその足を止めた。代わりに、こちらに近づいてきた人影――アロイスが、フリッツの前で立ち止まる。
「レジーナの扱いは?どうなった?」
彼女の第一声に、フリッツは苦笑する。最初に問うのが彼女自身のことでも、ましてやフリッツのことでもないことに多少の嫉妬を覚えつつ、「安心しろ」と口にした。
「お前が案じるような事態にはなっていない。国がレジーナ達を追うことはこの先もなくなった」
「そうか……」
分かりやすく安堵の表情を見せたアロイスは、次の瞬間、ハッとしたようにフリッツを見上げる。
「すまない。彼女のことが気がかりだったもので、つい……」
そう言って表情を改めたアロイスが、真剣な眼差しでフリッツを見つめる。
「君自身については?……何かしらの処分があったのか?」
「ああ、まあな……」
フリッツは僅かに言い淀む。この先を口にすれば、彼女がどんな反応を示すか、それが分かってしまうから。
「……継承権を剥奪された」
「っ!?」
目を見開くアロイス。けれど、彼女もどこかでその可能性を考えていたのだろう。沈痛な面持ちで、しかし、何を言うでもなく、その唇を噛み締める。彼女の反応に、フリッツは苦笑した。
「だが、まぁ、恩情はかけていただいた。王族に籍を残すことは許されたからな。……今後は、その恩に報いるだけの働きができるかどうかだ」
黙り込んだままのアロイス。フリッツは彼女の表情を観察し、その先を口にする。
「この件に関して、お前達にまで責が及ぶことはない。俺も、自身の処分に納得している。その上で聞きたい……」
「……」
「……アロイス、お前はこれからどうするつもりだ?」
問いかけに顔を上げたアロイスは、フリッツの瞳を真っ直ぐに見つめ、ゆっくりとその口を開いた。
「故郷へ帰り――」
「っ!」
彼女の言いかけた言葉、それから先を聞きたくなくて、フリッツは手を伸ばす。
「フリッツ!!」
抗議の声を封じ込めるようにして、アロイスを抱き締める。初めて触れる愛する人の肢体に、フリッツは深い充足を覚えた。吐息とともに、自身の想いを告げる。
「駄目だ。言ったはずだ。お前を故郷へ帰すつもりはない」
腕の中のアロイスが身じろぎする。逃がすまいと、フリッツは彼女を抱きしめる腕に力を込めた。諦めたかのように、アロイスが抵抗を止めた。
「フリッツ、話を最後まで聞いてくれ。ひとまず、腕を離して――」
「俺なら……」
フリッツの声が僅かに震える。
「フリッツ……?」
「俺なら、継承権などなくとも何の問題ない。そんなもの、あろうがなかろうが、この国のためにできることは腐るほどあるからな」
「……」
「……けど、駄目なんだよ。隣にお前がいなけりゃ、駄目なんだ……」
俯いたフリッツは、腕の中、一回りは小さなアロイスにすがる。何も答えてくれない彼女に必死にしがみつくその背を、不意に、優しい手が叩く。幼子を相手にするような、優しい声が聞こえた。
「フリッツ。顔を上げろ、手を離せ」
「……」
「それから、私の話を最後まで聞け」
捕えた相手の声の優しさに勇気を得て、フリッツはゆっくりとアロイスを解放する。それでも、逃げられはしないかとぎこちなく彼女の動きを見守るフリッツに、アロイスが苦笑した。
「故郷へ帰る。……一旦はな」
「……」
「だが、いずれ王都に戻ってくるつもりだ。今度は……」
彼女の瞳が、真っ直ぐにフリッツを見上げる。
「『エリーゼ・クラッセン』として、君の元へ帰る」
「!?」
その言葉の意味を理解し、フリッツは息を呑む。かつて一度だけ耳にしたことのある名、アロイスとしての彼女が、自身の姉について言及した時の――
「……戻るのに、どれだけの時がかかるか分からない。説得も、根回しも、容易ではないだろう」
「アロイス……」
「それでも、戻ってくるつもりだ。……私は、君の隣に在りたいと願っている」
「っ!」
一度は解放したアロイスの華奢な――けれど、戦う者のそれを感じさせる―身体を再び抱き締めたフリッツは、低く唸り声をあげる。
「……長くは待てない。一月で戻ってこい」
「無茶を言う」
フリッツの要求にアロイスが笑う。だが、直ぐに笑みを消した彼女は、その瞳に決意を見せた。
「……そう、だな。一月は流石に厳しいが、半年……、いや、三月で戻ってこよう。これから先の戦いを、君一人でやらせるわけにはいかない」
「アロイス……」
彼女の手が、フリッツの背へと伸ばされる。
「置かれた立場を理由に戦いもせずに逃げたとあっては、レジーナが認めてくれた『私』ではなくなってしまうからな」
フリッツの背に回されたアロイスの腕に、ギュッと力が込められる。
「……いつか、再び彼女と相まみえることがあるならば、その時は、彼女に誇れる自分でありたい」
そう吐露するアロイスの言葉に、フリッツは内面で盛大に顔を顰めたが、それを表にすることなく、深いため息をつく。
「……レジーナのためというのは、正直、気にくわないが……」
「フリッツ……?」
「いや。……それでもなんでも、お前が隣に居てくれるなら、それでいい」
フリッツは、アロイスの身体を抱きしめ返す。
彼女が己のために戦うことを決意してくれたのは確か。その動機にレジーナの影がちらつくのが、心底、癪に障るが、どうやら、彼女には大きな借りがまた一つできてしまったらしい。
(……だが、まぁ、仕方ない)
一生に一度、得られるかどうかの大切なものを手にしてしまったのだ。こちらも、一生をかけてその借りを返してやろうではないか。
レジーナ達がこの国の地を踏むことが二度とないように――
人気のない廊下、自身の最愛を手中にして、フリッツの口元に不敵な笑みが浮かんだ。
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