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第七章
7-6
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一瞬の静寂、最初に口を開いたのはリオネルだった。
「シリル、今はふざけている場合ではない。真剣に答えてくれ」
ため息まじりの彼の言葉に、シリルは「アハハ」と軽い笑い声を上げる。
「別にふざけてる訳じゃないよ。ホントの話。レジーナ様はエリカを突き落としてないよ」
「……何を、言っている?」
戸惑うようなリオネルの声。彼がシリルの顔を凝視する。それに、薄っすらと笑ったまま、シリルが答えた。
「ああ、でも勘違いしないでね?別にエリカに頼まれて嘘ついてたとか、そういうんじゃないから」
「……シリルくん?」
突然の裏切り行為ともいえるシリルの言葉に、彼の名を呼ぶエリカの声が震える。それに気付いているのかいないのか。気にした風もなく、シリルは軽く肩を竦めてみせた。
「だってさー、別に言われなくてもわかるでしょう?エリカが何を望んでるか、僕にどう立ち回って欲しいかなんて、簡単な話だよ。それこそ……」
シリルの視線がレジーナに向く。
「レジーナ様みたいに心が読めなくたって、エリカのことなら、何だってわかるよ」
「っ!」
向けられた瞳の奥に広がる闇。ドロリとした何かに、レジーナは一歩後ずさる。
「……ねぇ。レジーナ様ってさ、ホントに人の心が読めるの?」
その問いにレジーナが何かを答える前に、突如、シリルの姿が消えた。次の瞬間、レジーナは右腕を掴まれて悲鳴を上げた。視線を向ければ、シリルが真横に立っている。
「ッイヤッ!」
一瞬のことだった。短距離を無詠唱の転移で跳んだシリルに捕らわれた腕。何とか振り払おうとするレジーナだが、無造作に掴まれた腕は振りほどけない。彼のどこにそんな力があるというのか――
「だったら、ねぇ、読んでみてよ、レジーナ様。僕が何考えてるのか」
「っ!?」
ギリと強く握られた腕が痛い。恐怖に、レジーナの読心の制御は容易く弛んでしまう。流れ込んで来たシリルの心の内は、思考というよりもドロドロとした感情、エリカに対する妄執だった。
吐き気がするほどの暗く重い感情をぶつけられて、レジーナは震える。逃げ出したくてたまらない。掴まれた腕をグイと強く引いた時、不意に聞こえた単語があった。同時に、以前にも感じた彼の歓喜の声。大願が成就する直前の――
レジーナは、エリカへ視線を向けた。
「エリカ!指輪を外して!」
彼の思考の内にある単語、それを見つけて鋭い声を上げる。が、突然のことにエリカは「え?」と戸惑いの声をあげるだけ。焦れたレジーナは、彼女の隣に立つリオネルに懇願する。
「リオネル!お願い、エリカの指輪を外して!」
「いや、しかし……」
レジーナの剣幕に押されたリオネルはエリカの手に触れるも、「いやいや」と首を横に振る彼女に、結局は何もできずにいる。
レジーナは唇を噛んだ。もう一度、シリルから逃げ出そうと彼の手を振り払うが、やはり、その手はびくともしない。
と、アロイスが動いた。
「キャアッ!?」
「アロイス!?何をしている!?」
アロイスがエリカの腕を掴み、その指先から指輪を引き抜こうとする。
「止めて!アロイス!痛いわ!」
「アロイス止めろ!」
エリカの悲鳴に、リオネルがアロイスを制止する。次いで、レジーナを睨んだ。
「レジーナ!これは、どういうことだ!」
彼の問いにブンブンと首を横に振って答えたレジーナは、必死に訴える。
「わからない!私だって何でも読めるわけじゃないの!だけど、その指輪は駄目!危険よ!」
具体的にどう危険なのかはレジーナにも分からない。けれど、必死なレジーナの姿に感じるものがあったのだろう、リオネルが漸く動いた。エリカの手に触れたリオネル、だが、次に瞬間にピタリとその動きを止めてしまう。
どうしたのかと問おうとして、レジーナは自身の異変に気が付いた。
「なに、これ……?」
身体が、正確に言うと、首や手足が動かない。息はできる、話も。目線だけを動かして周囲を確認することもできた。皆が、驚き、その顔をこわばらせているのが分かる。
「っ!シリル、貴様、何をした!」
視界の端で、フリッツが叫ぶのが見える。怒りの形相を見せる彼に、隣から、場違いなほど呑気に答えるのシリルの声が聞こえた。
「ああ、やっと効果が出て来た?遅効性の拘束だよ。この部屋全体にかけてみたんだ。あんまり大っぴらにやると、英雄様に勘づかれるかもしれないと思って、ゆーっくりかけてみたんだ」
「なっ!?」
フリッツが絶句した。レジーナも魔法の拘束に必死に抗おうとするが、シリルの魔術には叶わない。レジーナは、大きく息を吸って助けを呼んだ。
「クロード!」
「ああ、無駄だよ。部屋に結界と防音を張ったから。聞こえたとしても、魔力の無い今の英雄様じゃ、この部屋に一歩も入れない」
シリルの言葉に、フリッツが大きく舌打ちするのが聞こえた。
「シリル。何のつもりだ?ことと次第によっては許さんからな」
身じろぎするフリッツに、シリルが楽しそうに笑う。
「ああ、駄目だよ、殿下」
「クッ!」
シリルの言葉に、フリッツが小さく苦悶の声を上げた。
「殿下の魔力阻害の装飾品って、僕が作ったんだよ?僕の魔法は無効化出来ないし、無理したら死ぬからね?」
「死」という言葉に、レジーナは動けなくなる。視界の端で、青ざめたアロイスがフリッツの名を呼んだ。それに、未だ苦悶の表情を浮かべるフリッツが「大丈夫だ」と答える。
「うん、まぁ、下手に動こうとしなければ大丈夫だよ。耳も聞こえるし、口もきけるんだから、別にいいでしょ?少しだけ、僕に付き合ってよ」
人を拘束しておきながら、何でもないことのように口にするシリルに、レジーナの血の気が引く。やはり、この男は怖い。底の知れない深い穴の淵に立たされたような思いで、レジーナは口を開いた。
「……シリル、あなたの目的は何なの?」
「あれ?レジーナ様、それは読めなかったの?」
更にギュッと強く腕を握られ、レジーナは思わずうめいた。隣を向くことができない。シリルがどんな顔をしているのかも分らぬまま、吐き捨てた。
「……あなたの中はドロドロでグチャグチャ。ちゃんとした思考なんて読めないし、読みたくもないわ」
「ハハ!何それ!」
レジーナの言葉に気分を害した風もなく笑ったシリルは、「うーん。仕方ないなぁ」と呟く。
「これは一応、この場に居る全員に知っておいて欲しいから、話すね?……最初はさ、単純に入れ替えようと思ったんだ」
語り出した彼の言葉の意味はよく分からないまま。続く言葉に、皆が黙って耳を傾けた。
「転移魔法を応用すれば、いけるんじゃないかと思って、そうしたら、媒体を使うことで実験は成功したんだ。けど、いざ実践ってなると、思った以上にレジーナ様が抵抗するからさぁ」
自身の名を出されたことで、レジーナはシリルの話を遮る。
「待って。あなた、何の話をしているの?入れ替えるって何を……」
「ああ!」
レジーナの問いに、「人に説明するのは苦手なんだ」と言ったシリルが呟く。次いで、彼が口にした言葉に、レジーナはその意味が、一瞬、飲み込めなかった。
「エリカとレジーナ様のさ、中身を入れ替えようと思ったんだ」
「……え?」
「だからさ、中身の入れ替えだよ。魂を入れ替えるの」
言われた言葉をジワリと理解し始めると同時、レジーナは血が凍り付くような怖気を感じた。
(……入れ替える?)
人の中身を?そんなことが、そんな恐ろしいことが、本当に可能なの――?
「なん、で……、どうして、そんなこと…」
シリルを問い詰めるレジーナの声が震える。嘘であってほしい。冗談であれと願うレジーナの心など気づく素振りもなく、シリルは「え?」と驚いたような声を上げる。
「なんでって、単純な話でしょう?エリカが望んでたからさ」
当然と言わんばかりのシリルの言葉に、エリカがか細い声を上げた。
「シ、シリル、私はそんなこと望んでいないわ……!」
「えー?望んでたじゃない。エリカは、貴族のご令嬢みたいにたくさんお金を使って、綺麗に着飾って、みんなから褒められたかったんでしょう?」
「違う!そんなの嘘よ……!」
エリカが震える声で否定するが、シリルはそれを笑って一蹴する。
「嘘じゃないよ。高位貴族に嫁いで、一生、みんなにかしずかれて、チヤホヤされて生きていきたいって思ってたでしょ?」
「っ!?わ、私は、そんなこと!」
エリカの否定の言葉など、彼の耳には届いていないのか、シリルは楽しそうに話し続ける。
「次いでに、結婚相手は格好よくて、強くて、みんなに自慢出来る相手がいいんだよね?……そうだね、例えば、リオネルみたいな、ね?」
「違うわっ!シリル、どうしてそんな酷いことを言うの!」
「え?酷いこと?」
目に涙を浮かべるエリカの言葉に、シリルの驚いたような声が聞こえた。
「別に、酷いことじゃないでしょう?みんなはさ、僕と違ってエリカのことを何でも理解できるわけじゃないんだから。ちゃんと言葉にして分かってもらわないと」
そう言ったシリルがこちらを向く気配を、レジーナは感じる。
「……で、そういう諸々の条件を満たす人間、レジーナ様とエリカを入れ替えちゃえばちょうどいいかなって」
横から感じる視線に、レジーナの背中に冷たい汗が流れる。自身の言葉が引き起こした衝撃など気にする様子もなく、シリルは歌うような調子で続けた。
「僕はエリカの外見がどうであれ、エリカを愛しているし。僕が無実の証言をすれば、レジーナ様の身体に入ったエリカは貴族のご令嬢として生きていける。リオネルはエリカの身体を手に入れて、レジーナ様はリオネルの隣で生きていける。ほら、万々歳じゃない?」
「何て、ことを……」
シリルは本気だ。未だ掴まれたままの腕から、彼の内なる声が聞こえて来た。妄言にしか聞こえない言葉を、シリルは本気で言っている。レジーナの口からうめき声が漏れた。
「うーん。結構。いい考えだと思ったんだけどなあ。……まぁ、黙って進めちゃった僕も悪いかもだけど、レジーナ様、思いっきり抵抗するんだもん」
そう言って、シリルはまた笑う。
「階段でのあれ、相当危なかったよね。僕がいなけりゃ、エリカ死んでたんじゃない?」
事も無げにそう口にした彼は、「けどまぁ」と言葉を続ける。
「エリカだって僕がいるから飛び降りたわけだし。その辺は、僕たちの信頼関係?ってやつかな?」
シリルの言葉に、それまで黙っていたリオネルが顔面を蒼白にして呟く。
「何を……、何を言っている。飛び降りた?エリカが自ら飛び降りだとでも言うのか?」
茫然とするリオネルの横で、エリカが必死に「違う違う」と繰り返す。それが耳に届いていないのか、リオネルの視線はじっとシリルに注がれていた。
「そんなわけでまぁ、階段で失敗しちゃったから、寮からレジーナ様を連れ出す時、あれが最後のチャンスだと思ったんだ。ブレスレットは落下で壊れちゃってたから、急いで代わりの指輪を用意して、ああ、だけど、多分、欠陥品だったのかな?こんなとこに跳ばされちゃうなんて、ホント、想定外」
そう言って、シリルは本当に憂鬱そうにため息をついた。
「おまけにレジーナ様には立派な番犬がついちゃうし。これじゃあ、入れ替わった後もつきまとわれて大迷惑」
そう言って言葉を切ったシリルが、漸くレジーナの腕から手を離した。
「で、僕も、色々考えたんだ。これ以上、失敗もできないし……」
言って、レジーナの視界に入ってきたシリルが懐から何かを取り出す。
「凄いでしょう?」
彼が掌の上にコロンと乗せて見せたのは、禍々しい魔力を放つ指輪だった。
「アシッドドラゴンの骨で作ってみたんだ。エリカの指輪と対になってるんだけど、今までとは比較にならないくらいの魔力保有量でさ」
言いながら、エリカの正面に立ったシリルが小さく身を屈め、彼女と視線を合わせて笑う。
「ねぇ、エリカ。これなら、成功すると思わない?」
「っ!嫌!やめて!」
エリカの悲痛な叫び。隣で、リオネルが「止めろ」と叫び続ける。だが、身体が動かない以上、誰もシリルを止めることができない。
再び近づいてきたシリルに、レジーナはその腕を取られた。
「それにしても、まさか、レジーナ様が読心スキルに目覚めてるとは思わなかったなぁ。だって、レジーナ様、色々下手くそなんだもの」
「っ!」
どうしようもない絶望感に襲われる中、レジーナは彼の名を呼ぶ。
「クロード!」
例え届かなくとも、今のレジーナがすがれる存在は彼しかいなかった。絶対的な強者、声の限りに叫んだその名に応えるかのように、部屋の中に大きな音が響いた。ドンという重い衝突音に続く、ガシャンとガラスが割れた大きな音。
動けない身体、視線だけを動かして捉えた人の姿に、レジーナは泣きそうになった。
「シリル、今はふざけている場合ではない。真剣に答えてくれ」
ため息まじりの彼の言葉に、シリルは「アハハ」と軽い笑い声を上げる。
「別にふざけてる訳じゃないよ。ホントの話。レジーナ様はエリカを突き落としてないよ」
「……何を、言っている?」
戸惑うようなリオネルの声。彼がシリルの顔を凝視する。それに、薄っすらと笑ったまま、シリルが答えた。
「ああ、でも勘違いしないでね?別にエリカに頼まれて嘘ついてたとか、そういうんじゃないから」
「……シリルくん?」
突然の裏切り行為ともいえるシリルの言葉に、彼の名を呼ぶエリカの声が震える。それに気付いているのかいないのか。気にした風もなく、シリルは軽く肩を竦めてみせた。
「だってさー、別に言われなくてもわかるでしょう?エリカが何を望んでるか、僕にどう立ち回って欲しいかなんて、簡単な話だよ。それこそ……」
シリルの視線がレジーナに向く。
「レジーナ様みたいに心が読めなくたって、エリカのことなら、何だってわかるよ」
「っ!」
向けられた瞳の奥に広がる闇。ドロリとした何かに、レジーナは一歩後ずさる。
「……ねぇ。レジーナ様ってさ、ホントに人の心が読めるの?」
その問いにレジーナが何かを答える前に、突如、シリルの姿が消えた。次の瞬間、レジーナは右腕を掴まれて悲鳴を上げた。視線を向ければ、シリルが真横に立っている。
「ッイヤッ!」
一瞬のことだった。短距離を無詠唱の転移で跳んだシリルに捕らわれた腕。何とか振り払おうとするレジーナだが、無造作に掴まれた腕は振りほどけない。彼のどこにそんな力があるというのか――
「だったら、ねぇ、読んでみてよ、レジーナ様。僕が何考えてるのか」
「っ!?」
ギリと強く握られた腕が痛い。恐怖に、レジーナの読心の制御は容易く弛んでしまう。流れ込んで来たシリルの心の内は、思考というよりもドロドロとした感情、エリカに対する妄執だった。
吐き気がするほどの暗く重い感情をぶつけられて、レジーナは震える。逃げ出したくてたまらない。掴まれた腕をグイと強く引いた時、不意に聞こえた単語があった。同時に、以前にも感じた彼の歓喜の声。大願が成就する直前の――
レジーナは、エリカへ視線を向けた。
「エリカ!指輪を外して!」
彼の思考の内にある単語、それを見つけて鋭い声を上げる。が、突然のことにエリカは「え?」と戸惑いの声をあげるだけ。焦れたレジーナは、彼女の隣に立つリオネルに懇願する。
「リオネル!お願い、エリカの指輪を外して!」
「いや、しかし……」
レジーナの剣幕に押されたリオネルはエリカの手に触れるも、「いやいや」と首を横に振る彼女に、結局は何もできずにいる。
レジーナは唇を噛んだ。もう一度、シリルから逃げ出そうと彼の手を振り払うが、やはり、その手はびくともしない。
と、アロイスが動いた。
「キャアッ!?」
「アロイス!?何をしている!?」
アロイスがエリカの腕を掴み、その指先から指輪を引き抜こうとする。
「止めて!アロイス!痛いわ!」
「アロイス止めろ!」
エリカの悲鳴に、リオネルがアロイスを制止する。次いで、レジーナを睨んだ。
「レジーナ!これは、どういうことだ!」
彼の問いにブンブンと首を横に振って答えたレジーナは、必死に訴える。
「わからない!私だって何でも読めるわけじゃないの!だけど、その指輪は駄目!危険よ!」
具体的にどう危険なのかはレジーナにも分からない。けれど、必死なレジーナの姿に感じるものがあったのだろう、リオネルが漸く動いた。エリカの手に触れたリオネル、だが、次に瞬間にピタリとその動きを止めてしまう。
どうしたのかと問おうとして、レジーナは自身の異変に気が付いた。
「なに、これ……?」
身体が、正確に言うと、首や手足が動かない。息はできる、話も。目線だけを動かして周囲を確認することもできた。皆が、驚き、その顔をこわばらせているのが分かる。
「っ!シリル、貴様、何をした!」
視界の端で、フリッツが叫ぶのが見える。怒りの形相を見せる彼に、隣から、場違いなほど呑気に答えるのシリルの声が聞こえた。
「ああ、やっと効果が出て来た?遅効性の拘束だよ。この部屋全体にかけてみたんだ。あんまり大っぴらにやると、英雄様に勘づかれるかもしれないと思って、ゆーっくりかけてみたんだ」
「なっ!?」
フリッツが絶句した。レジーナも魔法の拘束に必死に抗おうとするが、シリルの魔術には叶わない。レジーナは、大きく息を吸って助けを呼んだ。
「クロード!」
「ああ、無駄だよ。部屋に結界と防音を張ったから。聞こえたとしても、魔力の無い今の英雄様じゃ、この部屋に一歩も入れない」
シリルの言葉に、フリッツが大きく舌打ちするのが聞こえた。
「シリル。何のつもりだ?ことと次第によっては許さんからな」
身じろぎするフリッツに、シリルが楽しそうに笑う。
「ああ、駄目だよ、殿下」
「クッ!」
シリルの言葉に、フリッツが小さく苦悶の声を上げた。
「殿下の魔力阻害の装飾品って、僕が作ったんだよ?僕の魔法は無効化出来ないし、無理したら死ぬからね?」
「死」という言葉に、レジーナは動けなくなる。視界の端で、青ざめたアロイスがフリッツの名を呼んだ。それに、未だ苦悶の表情を浮かべるフリッツが「大丈夫だ」と答える。
「うん、まぁ、下手に動こうとしなければ大丈夫だよ。耳も聞こえるし、口もきけるんだから、別にいいでしょ?少しだけ、僕に付き合ってよ」
人を拘束しておきながら、何でもないことのように口にするシリルに、レジーナの血の気が引く。やはり、この男は怖い。底の知れない深い穴の淵に立たされたような思いで、レジーナは口を開いた。
「……シリル、あなたの目的は何なの?」
「あれ?レジーナ様、それは読めなかったの?」
更にギュッと強く腕を握られ、レジーナは思わずうめいた。隣を向くことができない。シリルがどんな顔をしているのかも分らぬまま、吐き捨てた。
「……あなたの中はドロドロでグチャグチャ。ちゃんとした思考なんて読めないし、読みたくもないわ」
「ハハ!何それ!」
レジーナの言葉に気分を害した風もなく笑ったシリルは、「うーん。仕方ないなぁ」と呟く。
「これは一応、この場に居る全員に知っておいて欲しいから、話すね?……最初はさ、単純に入れ替えようと思ったんだ」
語り出した彼の言葉の意味はよく分からないまま。続く言葉に、皆が黙って耳を傾けた。
「転移魔法を応用すれば、いけるんじゃないかと思って、そうしたら、媒体を使うことで実験は成功したんだ。けど、いざ実践ってなると、思った以上にレジーナ様が抵抗するからさぁ」
自身の名を出されたことで、レジーナはシリルの話を遮る。
「待って。あなた、何の話をしているの?入れ替えるって何を……」
「ああ!」
レジーナの問いに、「人に説明するのは苦手なんだ」と言ったシリルが呟く。次いで、彼が口にした言葉に、レジーナはその意味が、一瞬、飲み込めなかった。
「エリカとレジーナ様のさ、中身を入れ替えようと思ったんだ」
「……え?」
「だからさ、中身の入れ替えだよ。魂を入れ替えるの」
言われた言葉をジワリと理解し始めると同時、レジーナは血が凍り付くような怖気を感じた。
(……入れ替える?)
人の中身を?そんなことが、そんな恐ろしいことが、本当に可能なの――?
「なん、で……、どうして、そんなこと…」
シリルを問い詰めるレジーナの声が震える。嘘であってほしい。冗談であれと願うレジーナの心など気づく素振りもなく、シリルは「え?」と驚いたような声を上げる。
「なんでって、単純な話でしょう?エリカが望んでたからさ」
当然と言わんばかりのシリルの言葉に、エリカがか細い声を上げた。
「シ、シリル、私はそんなこと望んでいないわ……!」
「えー?望んでたじゃない。エリカは、貴族のご令嬢みたいにたくさんお金を使って、綺麗に着飾って、みんなから褒められたかったんでしょう?」
「違う!そんなの嘘よ……!」
エリカが震える声で否定するが、シリルはそれを笑って一蹴する。
「嘘じゃないよ。高位貴族に嫁いで、一生、みんなにかしずかれて、チヤホヤされて生きていきたいって思ってたでしょ?」
「っ!?わ、私は、そんなこと!」
エリカの否定の言葉など、彼の耳には届いていないのか、シリルは楽しそうに話し続ける。
「次いでに、結婚相手は格好よくて、強くて、みんなに自慢出来る相手がいいんだよね?……そうだね、例えば、リオネルみたいな、ね?」
「違うわっ!シリル、どうしてそんな酷いことを言うの!」
「え?酷いこと?」
目に涙を浮かべるエリカの言葉に、シリルの驚いたような声が聞こえた。
「別に、酷いことじゃないでしょう?みんなはさ、僕と違ってエリカのことを何でも理解できるわけじゃないんだから。ちゃんと言葉にして分かってもらわないと」
そう言ったシリルがこちらを向く気配を、レジーナは感じる。
「……で、そういう諸々の条件を満たす人間、レジーナ様とエリカを入れ替えちゃえばちょうどいいかなって」
横から感じる視線に、レジーナの背中に冷たい汗が流れる。自身の言葉が引き起こした衝撃など気にする様子もなく、シリルは歌うような調子で続けた。
「僕はエリカの外見がどうであれ、エリカを愛しているし。僕が無実の証言をすれば、レジーナ様の身体に入ったエリカは貴族のご令嬢として生きていける。リオネルはエリカの身体を手に入れて、レジーナ様はリオネルの隣で生きていける。ほら、万々歳じゃない?」
「何て、ことを……」
シリルは本気だ。未だ掴まれたままの腕から、彼の内なる声が聞こえて来た。妄言にしか聞こえない言葉を、シリルは本気で言っている。レジーナの口からうめき声が漏れた。
「うーん。結構。いい考えだと思ったんだけどなあ。……まぁ、黙って進めちゃった僕も悪いかもだけど、レジーナ様、思いっきり抵抗するんだもん」
そう言って、シリルはまた笑う。
「階段でのあれ、相当危なかったよね。僕がいなけりゃ、エリカ死んでたんじゃない?」
事も無げにそう口にした彼は、「けどまぁ」と言葉を続ける。
「エリカだって僕がいるから飛び降りたわけだし。その辺は、僕たちの信頼関係?ってやつかな?」
シリルの言葉に、それまで黙っていたリオネルが顔面を蒼白にして呟く。
「何を……、何を言っている。飛び降りた?エリカが自ら飛び降りだとでも言うのか?」
茫然とするリオネルの横で、エリカが必死に「違う違う」と繰り返す。それが耳に届いていないのか、リオネルの視線はじっとシリルに注がれていた。
「そんなわけでまぁ、階段で失敗しちゃったから、寮からレジーナ様を連れ出す時、あれが最後のチャンスだと思ったんだ。ブレスレットは落下で壊れちゃってたから、急いで代わりの指輪を用意して、ああ、だけど、多分、欠陥品だったのかな?こんなとこに跳ばされちゃうなんて、ホント、想定外」
そう言って、シリルは本当に憂鬱そうにため息をついた。
「おまけにレジーナ様には立派な番犬がついちゃうし。これじゃあ、入れ替わった後もつきまとわれて大迷惑」
そう言って言葉を切ったシリルが、漸くレジーナの腕から手を離した。
「で、僕も、色々考えたんだ。これ以上、失敗もできないし……」
言って、レジーナの視界に入ってきたシリルが懐から何かを取り出す。
「凄いでしょう?」
彼が掌の上にコロンと乗せて見せたのは、禍々しい魔力を放つ指輪だった。
「アシッドドラゴンの骨で作ってみたんだ。エリカの指輪と対になってるんだけど、今までとは比較にならないくらいの魔力保有量でさ」
言いながら、エリカの正面に立ったシリルが小さく身を屈め、彼女と視線を合わせて笑う。
「ねぇ、エリカ。これなら、成功すると思わない?」
「っ!嫌!やめて!」
エリカの悲痛な叫び。隣で、リオネルが「止めろ」と叫び続ける。だが、身体が動かない以上、誰もシリルを止めることができない。
再び近づいてきたシリルに、レジーナはその腕を取られた。
「それにしても、まさか、レジーナ様が読心スキルに目覚めてるとは思わなかったなぁ。だって、レジーナ様、色々下手くそなんだもの」
「っ!」
どうしようもない絶望感に襲われる中、レジーナは彼の名を呼ぶ。
「クロード!」
例え届かなくとも、今のレジーナがすがれる存在は彼しかいなかった。絶対的な強者、声の限りに叫んだその名に応えるかのように、部屋の中に大きな音が響いた。ドンという重い衝突音に続く、ガシャンとガラスが割れた大きな音。
動けない身体、視線だけを動かして捉えた人の姿に、レジーナは泣きそうになった。
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