読心令嬢が地の底で吐露する真実

リコピン

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第七章

7-4 Side C

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二階建ての宿屋の内、クロードは客室と厨房に繋がる導力部に魔石を設置し終えた。魔力の通った厨房は火が使える。これで漸く、ここ数日まともなものを口にしていないレジーナに食事を用意できる。クロードは一先ず安堵した。後は食材の確保だが。

(……狩りに出るか)

幸い、十階層には獣型の魔物が多い。ダンジョン都市では日常食であったそれらを狩りに行くことを決め、クロードは厨房を見回した。自身の魔剣は刃先が大きすぎて、小型獣を狩るのに向かない。代わりとなる大振りの包丁を見つけたクロードは、浮いた錆を落とすために砥石で研ぎ始めた。

研ぎ始めてすぐ、クロードの意識は闇に呑まれていく。

「……」

ふとした時、緊張の要らない場面で、クロードの内には、虚無がぽっかりと口を開く。慣れ親しんだ感覚。永遠にも思える時を暗闇で過ごす内に、それが当たり前になっていた。それを、辛いとも恐ろしいとも思わなかった。

レジーナに出会うまでは――

(……駄目だ)

忍び寄る虚無に抗おうとしたクロードは、ふと、刃物を研ぐ自身の指先に懐かしさを覚えた。

魔剣を手にしてから、剣を磨くことはなくなった。けれど、それより以前、遠征や夜通しの任務で、火に照らされながら、ただ静かに剣を磨いた頃がある。その「場面」が、一瞬、脳裏に浮かんで消えた。

(レジーナ……)

――クロードは空っぽなんかじゃないわ。

レジーナにその言葉をもらってから、クロードの中に泡沫のように時折浮かんでは消える場面きおくがある。

――私が保証してあげる。

喪失なくしたはずのものが、「確かにあった」と思えるようになったのは、苦く笑った彼女のおかげだ。

傍に侍ることを拒絶されようと、彼女がクロードの唯一の光であることに変わりはない。光があると知った以上、もう、彼女のいない虚無には戻れなかった。

闇を振り払うように指先に力を込めたクロードの耳に、軽い足音が聞こえてくる。近づく気配は、間違いなく、彼女のものだった。

「……クロード?」

「……」

顔を上げたクロードと、厨房を覗き込んだレジーナの視線が合う。一瞬、彼女が動揺したように見えた。僅かに顔を逸らしたレジーナが、クロードの手元に視線を向ける。

「ごめんなさい。取り込み中だった?」

「いや、問題ない」

「そう……」

己に何か用があったのではないのか。そう思うクロードだったが、特に何かを言うわけでもないレジーナに、再び、手元の包丁を研ぎ始めた。何往復かの後、不意に、レジーナが口を開く。

「……あのね、クロード」

彼女の声に、クロードは手を止める。

「私、あなたに伝えてないことがあるって言ったでしょう?」

「ああ。だが、レジーナが言いたくないのであれば」

言わなくていい。クロードがそう言葉にする前に、レジーナが首を横に振った。

「ううん。クロードには知っててほしいの。……知って、それでどうするかを決めてほしい」

レジーナの真っすぐな瞳がクロードを捉えた。

「私、ここを出たら裁判にかけられるわ」

裁判という言葉に、クロードの胸にチリとした焦燥が生まれる。もしや、自分はレジーナと引き離されてしまうのだろうか――?

「殿下たちが言っていたでしょう?エリカが階段から落ちた事故。あれが私の故意、傷害だと疑われているの。……恐らく、有罪になると思う」

そう言って苦笑するレジーナに、クロードは即座に決断する。

「分かった」

「え?」

「明日、ダンジョンを抜けた後、すぐに皆から離脱しよう」

クロードの言葉に、レジーナが目を見開く。クロードは「大丈夫だ」という意を込めて頷いた。

「ダンジョンから出れば、転移魔法が使用可能になる。彼らを置いていこうと問題ない」

例え問題があろうと、クロードはレジーナを連れて逃げるつもりでいる。が、何も答えてくれない彼女の姿に不安を覚えた。レジーナへの忠誠は昨日、拒絶されたばかり。よもや、彼女は自分を置いていくつもりなのでは?

「レジーナ……!」

クロードはたまらず、レジーナへの距離を詰めた。触れるほど近くで、ルビーのように輝く瞳を見下ろす。クロードが「置いていかないでくれ」とすがるより先に、レジーナが口を開いた。

「……クロード、あなたに選んでほしいの」

「選ぶ……?」

問い返したクロードに、レジーナは大きく息を吸う。

「私はあなたの主君にはならない。まして、女神だとか運命だとか、触れ合えもしない何かになるつもりはないわ」

レジーナが、唇を噛む。

「私は……、私が欲しいのは、今のまま、このままの私を女性として愛してくれる人よ」

いっそ切ないくらいの声で吐露するレジーナに、クロードは咄嗟に何も言えなかった。

レジーナが、再び大きく息を吸う。彼女の視線が真っすぐにクロードを見据えた。

「不可侵なんて馬鹿みたい。触れることさえ躊躇うのなら、私のことは放っておいて」

「……レジーナ」

「王都に帰って、殿下の近衛にでもなればいいんだわ」

言い捨てたレジーナが去っていこうとする。引き留めようとしたクロードの手は、彼女に避けられてしまった。

「レジーナ、待ってくれ。読んでほしいんだ。俺は……」

「嫌よ」

「っ!」

彼女の明確な拒絶に、クロードの身体が強張る。迫りくる闇に呑まれそうになる寸前、レジーナがの強い眼差しがクロードを繋ぎ止めた。

「触れたいのなら、あなたから触れて」

「レジーナ……?」

「だけど、心を読ませるために触れないで」

クロードを睨むレジーナの瞳が、僅かに揺れる。

「……クロードは、そんなの関係なく、ただ私に触れたいとは思わないの?」

「俺は……」

そこから先の言葉が出てこないクロードに、レジーナがまた苦しそうに笑う。

「考えて、クロード。あなたが選んで」

「俺が、選ぶ……」

騎士になってからは、ただ「命に従え」と言われるだけ。クロードの意思など必要とされなかった。いつしか、それを「楽だ」とさえ感じるようになっていた。なのに――

(俺が、どうしたいか……?)

言葉にできない想いが込み上げる。レジーナに触れたかった。彼女を失う恐怖を触れて伝えたいと思うのに――

禁じられた接触に、クロードは行き場を失くした手を下ろした。それを見たレジーナは、黙って部屋を出ていこうとする。

(行かないでくれ……)

引き留めたい。彼女に触れられないまま、その背に焦がれる視線を向け続ける。クロードの想いが通じたのか、不意に、レジーナが振り向いた。

「……一番大切なこと、言い忘れてたわ」

振り向いたレジーナの眼差しは凪いだまま。僅かに、痛みに耐えるような表情を見せた彼女が呟いた。

「私、あなたが好きよ」

「っ!」

胸を襲った衝撃にクロードは息を呑む。聞き間違い、或いは、己の都合のいいように解釈してしまっただろうか。言葉の真意を問う間もなく、レジーナはその場を立ち去った。

(レジーナ、俺は……)

クロードの耳の奥に、レジーナの声がいつまでも残響として残った。




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