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第六章
6-2
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歩き続けるレジーナに追いついたリオネルが、レジーナの進路を阻んだ。
「……せめて、せめて私にだけでも話そうとは思わなかったのか?」
リオネルの声に悲しみの色を感じて、レジーナは小さく息をついた。それから、クロードに視線を向ける。
「ごめんなさい、クロード。少しだけ、二人にしてくれる?」
レジーナの言葉にクロードは迷いを見せたが、やがて、一つ頷くと二人の側を離れて行った。声の届かない距離、壁際まで遠ざかったクロードは壁に背を預けてじっとレジーナ達に視線を向けている。それを確かめてから、レジーナはリオネルと向かい合った。
「……私が初めて読心に目覚めたのは、私がデビュタントの年だったわ」
話し出したレジーナに、リオネルは小さく頷き返した。最早、怯える様子もなく、黙って話を聞こうとする彼の姿に、レジーナはあの夜を思い出す。デビュタントの年、まさに、初めての夜会の場で唐突に目覚めたスキル。レジーナ自身、最初は、自身の身に何が起こったのかを理解できなかった。
「覚えてる?私がデビューした日のこと」
「ああ、もちろんだ。私がエスコートしたのだからな」
「ええ……」
一生に一度、その日のために、レジーナは服も髪も自身の身体も、何もかもを完璧に仕上げたと自負していた。そして何よりも、隣には最愛のリオネルが居て、レジーナに笑いかけてくれる。「綺麗だ」と、言葉と表情で称賛してくれるリオネルの存在に、レジーナは胸を張れた。
これが私、レジーナ・フォルストだと――
けれど、レジーナが「人生で一番幸福だ」と感じられた時間は長くは続かなかった。リオネルにエスコートされて足を踏み入れた大夜会場、興奮して周囲を見回すレジーナの横で、リオネルも同じように会場を見回していたが――
「……レジーナ?」
あの瞬間を思い出す度、レジーナの心臓はきつく締め付けられる。叫びだしたくて、逃げ出したくてたまらなくなる。だけどもう、リオネルのためには泣かないと決めているから、レジーナは込み上げるものをグッと飲み込んだ。
「リオネル、あなた、あの日の私をどう思ったか覚えている?」
「君を?」
「私のドレス姿、立ち居振舞い、全てを見て」
レジーナの問いに、リオネルは言葉を選ぶようにして答える。
「……はっきりとは覚えていない。だが、君を誇らしく思ったことは覚えている。そんな君をエスコートできる自分自身も誇らしかった」
「そう、ね……」
リオネルの言葉に嘘はない。夜会場で他の令嬢たちを見た彼が、レジーナを社交界という戦場に共に並び立つ戦友として高く評価していたのは知っている。けれど、それだけではなかったのだ。
「……あなた、心の中で私のことを『下品だ』と言っていたわ」
「っ!?それは……!」
初めて口にしたあの日のこと。レジーナの胸が痛みに悲鳴をあげている。いつか、何も感じずにあの日のことを思い出せる日が来るのだろうか。今はまだ、思い出す度に鮮血を吹き出すこの心が、何も感じなくなる日が。
「最初は、聞き間違いかと思ったの。あなたの声で唐突に『下品だ』と詰られて、だけど、あなたは笑っているのよ?」
レジーナの声が震えそうになる。
「笑って『誇らしい』と口にしていたわ。いつもと変わらない優しさだった。なのに……」
「あの時はっ!」
レジーナの言葉を遮って、リオネルが口を開く。
「意表を突かれたんだ。その……、デビュタントととして想像していた姿とは異なっていたから。だから、決して、君を貶めるつもりはなかった」
「それは、確かにそうだったかもしれないわね」
当時、デビュタントのドレスの主流は淡い色味のピンク。フリルをふんだんに使用するのが流行りの中、レジーナが選んだドレスは色こそ淡いパープルとはいえ、ボリュームを抑えたシンプルなデザインだった。その分、胸元の装飾を映えさせるためにデコルテが強調されていて、リオネルにはそれが不快に映ったようだった。
レジーナは小さくため息をつく。
「今更だけど、言い訳をさせて貰えるなら、私に当時の流行りみたいな格好は似合わなかったわ」
それでも一応、服を仕立てる際に試してはみたのだ。ただ、当時既に発育の良かったレジーナの体型では大仰なフリルの可愛らしいデザインを着こなせず、キツイ顔立ちには、淡いピンクのドレスも、それに似合うメイクも難しかった。
考えた末、自身に似合うものをと選んだドレスに、レジーナ自身はとても満足していたのだが。
「……聞こえた『声』が何なのかわからないまま、夜会が始まってしまって。初めは、とても混乱したわ」
リオネルの声はすれど、彼の口は動いていない。彼の言葉に、周囲の誰も反応しない。
「だけど、あなたと離れれば、あなたの声は聞こえなくなって、ダンスを踊れば、ダンス相手の声が聞こえてくる。それで、漸く、自分にしか聞こえない『声』が何なのか、何となくの推測がついたの」
読心のスキルに目覚めたのでは――?
そう分かってから踊るダンスは苦痛だった。普段穏やかな紳士が「フォルスト」への憎悪を垂れ流し続け、リオネルの友人は、リオネルの婚約者がレジーナであることを憐れんでいた。
そして何よりもキツかったのが、その日デビューしたばかりの十四歳のレジーナに対して獣欲を抱いていた男達の赤裸々な欲望の声。
今ならば、そうした欲望を抱く下衆が少数とはいえ存在することは理解している。けれど、あの瞬間は、それまで知ることのなかった男の欲に、レジーナは完全に怯え、萎縮してしまっていた。
結局、ダンス相手達の「声」にあてられて、レジーナは上手く取り繕うことも出来ずに散々な結果でデビューを終えた。それでも、リオネルはレジーナを笑って迎えてくれた。
『よく頑張ったな。疲れただろう?」
笑いながら――
――期待しすぎたか。この結果は、あまりに残念だ。
「夜会が終わる頃には、あなた、私に失望してた」
「……せめて、せめて私にだけでも話そうとは思わなかったのか?」
リオネルの声に悲しみの色を感じて、レジーナは小さく息をついた。それから、クロードに視線を向ける。
「ごめんなさい、クロード。少しだけ、二人にしてくれる?」
レジーナの言葉にクロードは迷いを見せたが、やがて、一つ頷くと二人の側を離れて行った。声の届かない距離、壁際まで遠ざかったクロードは壁に背を預けてじっとレジーナ達に視線を向けている。それを確かめてから、レジーナはリオネルと向かい合った。
「……私が初めて読心に目覚めたのは、私がデビュタントの年だったわ」
話し出したレジーナに、リオネルは小さく頷き返した。最早、怯える様子もなく、黙って話を聞こうとする彼の姿に、レジーナはあの夜を思い出す。デビュタントの年、まさに、初めての夜会の場で唐突に目覚めたスキル。レジーナ自身、最初は、自身の身に何が起こったのかを理解できなかった。
「覚えてる?私がデビューした日のこと」
「ああ、もちろんだ。私がエスコートしたのだからな」
「ええ……」
一生に一度、その日のために、レジーナは服も髪も自身の身体も、何もかもを完璧に仕上げたと自負していた。そして何よりも、隣には最愛のリオネルが居て、レジーナに笑いかけてくれる。「綺麗だ」と、言葉と表情で称賛してくれるリオネルの存在に、レジーナは胸を張れた。
これが私、レジーナ・フォルストだと――
けれど、レジーナが「人生で一番幸福だ」と感じられた時間は長くは続かなかった。リオネルにエスコートされて足を踏み入れた大夜会場、興奮して周囲を見回すレジーナの横で、リオネルも同じように会場を見回していたが――
「……レジーナ?」
あの瞬間を思い出す度、レジーナの心臓はきつく締め付けられる。叫びだしたくて、逃げ出したくてたまらなくなる。だけどもう、リオネルのためには泣かないと決めているから、レジーナは込み上げるものをグッと飲み込んだ。
「リオネル、あなた、あの日の私をどう思ったか覚えている?」
「君を?」
「私のドレス姿、立ち居振舞い、全てを見て」
レジーナの問いに、リオネルは言葉を選ぶようにして答える。
「……はっきりとは覚えていない。だが、君を誇らしく思ったことは覚えている。そんな君をエスコートできる自分自身も誇らしかった」
「そう、ね……」
リオネルの言葉に嘘はない。夜会場で他の令嬢たちを見た彼が、レジーナを社交界という戦場に共に並び立つ戦友として高く評価していたのは知っている。けれど、それだけではなかったのだ。
「……あなた、心の中で私のことを『下品だ』と言っていたわ」
「っ!?それは……!」
初めて口にしたあの日のこと。レジーナの胸が痛みに悲鳴をあげている。いつか、何も感じずにあの日のことを思い出せる日が来るのだろうか。今はまだ、思い出す度に鮮血を吹き出すこの心が、何も感じなくなる日が。
「最初は、聞き間違いかと思ったの。あなたの声で唐突に『下品だ』と詰られて、だけど、あなたは笑っているのよ?」
レジーナの声が震えそうになる。
「笑って『誇らしい』と口にしていたわ。いつもと変わらない優しさだった。なのに……」
「あの時はっ!」
レジーナの言葉を遮って、リオネルが口を開く。
「意表を突かれたんだ。その……、デビュタントととして想像していた姿とは異なっていたから。だから、決して、君を貶めるつもりはなかった」
「それは、確かにそうだったかもしれないわね」
当時、デビュタントのドレスの主流は淡い色味のピンク。フリルをふんだんに使用するのが流行りの中、レジーナが選んだドレスは色こそ淡いパープルとはいえ、ボリュームを抑えたシンプルなデザインだった。その分、胸元の装飾を映えさせるためにデコルテが強調されていて、リオネルにはそれが不快に映ったようだった。
レジーナは小さくため息をつく。
「今更だけど、言い訳をさせて貰えるなら、私に当時の流行りみたいな格好は似合わなかったわ」
それでも一応、服を仕立てる際に試してはみたのだ。ただ、当時既に発育の良かったレジーナの体型では大仰なフリルの可愛らしいデザインを着こなせず、キツイ顔立ちには、淡いピンクのドレスも、それに似合うメイクも難しかった。
考えた末、自身に似合うものをと選んだドレスに、レジーナ自身はとても満足していたのだが。
「……聞こえた『声』が何なのかわからないまま、夜会が始まってしまって。初めは、とても混乱したわ」
リオネルの声はすれど、彼の口は動いていない。彼の言葉に、周囲の誰も反応しない。
「だけど、あなたと離れれば、あなたの声は聞こえなくなって、ダンスを踊れば、ダンス相手の声が聞こえてくる。それで、漸く、自分にしか聞こえない『声』が何なのか、何となくの推測がついたの」
読心のスキルに目覚めたのでは――?
そう分かってから踊るダンスは苦痛だった。普段穏やかな紳士が「フォルスト」への憎悪を垂れ流し続け、リオネルの友人は、リオネルの婚約者がレジーナであることを憐れんでいた。
そして何よりもキツかったのが、その日デビューしたばかりの十四歳のレジーナに対して獣欲を抱いていた男達の赤裸々な欲望の声。
今ならば、そうした欲望を抱く下衆が少数とはいえ存在することは理解している。けれど、あの瞬間は、それまで知ることのなかった男の欲に、レジーナは完全に怯え、萎縮してしまっていた。
結局、ダンス相手達の「声」にあてられて、レジーナは上手く取り繕うことも出来ずに散々な結果でデビューを終えた。それでも、リオネルはレジーナを笑って迎えてくれた。
『よく頑張ったな。疲れただろう?」
笑いながら――
――期待しすぎたか。この結果は、あまりに残念だ。
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