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第三章 夏祭りと嫉妬する心
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(…マズい。)
多分、最後にかけられた香水らしき何か。それが、路地裏の男達を刺激した。彼女達の言葉を信じるなら―
(媚薬?魔法薬の類い?)
わからないまでも、この状況が非常に危険だということは間違いないはず。
(…大丈夫、道は覚えてる。中央通りまで出られれば…)
最短は、目の前の路地を抜けていけば大通り。ただ、その前に居る男達がこちらをすんなりと通してくれるとは思えない。現に、明らかにこちらに目を付けた男達が数人、フラフラと近づいてきている。
(…あの人達、多分、獣人、だよね。)
相手が酔っているとはいえ、身体能力で大きく劣る自分が彼らを出し抜けるとは思えない。
(…仕方ない。)
逡巡の末、男達に背を向けて走り出した。裏通り、数軒先にある宿屋の裏庭を目指す。狭い通りを走り抜けながら、背後から聞こえる足音に耳をすます。どうやら、後を追ってくる気配はない。それでも、スピードを緩めることが怖くて全力で駆ける。
五月蠅いほどの心臓の音を聞きながら走り続けた先、たどり着いた宿屋の裏庭。侵入し、裏口の扉を思いっきり叩いた。
「すみません!」
何度か呼びかけた声にも扉が開く様子はない。それでも、これ以上の大声は、背後の暗闇から追いかけてくる何かに捕まりそうで躊躇する。
「…どうしよう。」
暗闇を見回して、目についたもの。裏庭の隅、恐らく、洗濯用の井戸。浮かんだアイデアをまともに吟味する時間はない。
(やってみるしか…)
駆け寄り、深い井戸の底にある釣瓶を引き上げた。汲み上げた水を頭から思いきりかぶる。
「っ!」
結い上げられていた髪が崩れて貼りついた。
(…化粧は、とれた?香水は、…匂いがわからない。)
髪や服にも染み込んでいるかもしれない匂いが怖くて、二度、三度と続けて水を浴びる。結果、水を含んだ服は重く、動きづらいものになってしまったけれど、
(…これで、表に出られれば。)
滴る水を払い、出来る限りドレスの水を絞ってから、宿屋の裏庭を出て裏路地へと戻る。表通りに繋がる路を探して、いくつかの横道を通り過ぎたところで、不意に、声がした。
「あーん?なんだぁ、こんなとこに女?」
(っ!)
恐怖に、全身が粟立った―
「何だぁ、お前、すごいカッコしてんなぁ。男に捨てられたかぁ?」
「…」
横道から、フラフラと近づいてくる厳つい男。その頭部に見える、ボルドによく似た耳―
「いいぜぇ、俺が拾ってやるよぉ。可愛がってやるからなぁ。」
「!」
手を伸ばしてくる男に、背を向けて逃げ出した。
(ああ!でも、このままじゃマズい!)
大通りに繋がる路の明かりを確かめる暇もなく、いくつもの横道を通り過ぎる。最悪は、袋小路に追い込まれること。だけど、このままじゃいずれ―
「おいおいおい。逃げんなよぉ。」
「ヒッ!」
突如、目の前に現れた男の姿に悲鳴が漏れる。
(何で!?)
いつの間にか、この細い路地で回り込まれていた。獣人の能力を侮っていたわけではないのに。
「仕方ねぇなぁ。捕まえとかないと逃げるってんなら、多少、痛い目見ることになるぜぇ?」
「やめて!」
「!…てめぇ。」
伸びて来た手を咄嗟に払った。途端、男の声に怒りが混じる。
「ふざけんなよ。人間ごときが、俺に歯向かうなんざ…」
「っ!」
一瞬で詰められた距離、男の右手が喉元を掴む。
「暴れっとぉ、死ぬぜ?」
「グッ!」
喉にかかる圧力が強められた。息が出来ずに「苦しい」と思った、瞬間―
「ウギャァァァァアアア!!!」
「!?ゴホッ!」
喉から、弾かれたように離れた男の手、その手から炎が立ち上がった。一瞬で燃え上がった炎は男の全身を舐めつくそうとする。
「ヒッ!」
怖くて、怖くて―
逃げ出した。背後で聞こえる悲鳴にも、後ろを振り返れない。振り返ったら動けなくなりそうで。ただ、
(ユーグ!ユーグ!ユーグ!)
心の中、彼の名だけを呼んで、彼の姿だけを思い描いて。止まりそうになる足を必死に動かす。
幾つも駆け抜けた路の先、明るい大通りに出られた時も、人込みの中を無理矢理に割って進んだ時も、まだ怖くて止まれなかった。見慣れた路にたどり着き、心から安心できる場所の灯りが見えてきたところで、漸く足が止まった。
(…帰って、これた…)
月兎亭の灯りに、流れ出した涙。走り疲れて重たい足をどうにか前へと進める。
「あ…」
「…」
お店まで、もう後十メートルというところで、お店の扉が中から開いた。
(ユーグ…)
扉の前、灯りを背に立つ長身の影。安堵して、嬉しくて、今すぐに抱き締めて欲しくて。駆け出そうとした瞬間、ユーグの姿が消えた。
「え…?」
不意に、背後で風が舞い、
「ッギャァアアッ!」
「!?」
真後ろで聞こえた悲鳴、振り返れば、暗闇に佇むユーグの姿。その足の下にー
「っ!」
「…」
力無く転がる男の身体。倒れ付したその頭には先ほど目にした丸い熊の耳。
「…ユーグ。」
「…」
怖くて、でも、ユーグが居るから安心のはずで、なのに、男を見下ろす彼の姿が恐ろしくて、近づけないー
「…始末をつけてくる。店に入ってろ。」
「…」
固まって動けずにいる内に、それだけ告げたユーグが男の襟首を持ち上げた。そのまま、男を引きずって歩き出すユーグ。暗闇の中へと消えていく姿を、引き留めることも出来ずに見送った。
多分、最後にかけられた香水らしき何か。それが、路地裏の男達を刺激した。彼女達の言葉を信じるなら―
(媚薬?魔法薬の類い?)
わからないまでも、この状況が非常に危険だということは間違いないはず。
(…大丈夫、道は覚えてる。中央通りまで出られれば…)
最短は、目の前の路地を抜けていけば大通り。ただ、その前に居る男達がこちらをすんなりと通してくれるとは思えない。現に、明らかにこちらに目を付けた男達が数人、フラフラと近づいてきている。
(…あの人達、多分、獣人、だよね。)
相手が酔っているとはいえ、身体能力で大きく劣る自分が彼らを出し抜けるとは思えない。
(…仕方ない。)
逡巡の末、男達に背を向けて走り出した。裏通り、数軒先にある宿屋の裏庭を目指す。狭い通りを走り抜けながら、背後から聞こえる足音に耳をすます。どうやら、後を追ってくる気配はない。それでも、スピードを緩めることが怖くて全力で駆ける。
五月蠅いほどの心臓の音を聞きながら走り続けた先、たどり着いた宿屋の裏庭。侵入し、裏口の扉を思いっきり叩いた。
「すみません!」
何度か呼びかけた声にも扉が開く様子はない。それでも、これ以上の大声は、背後の暗闇から追いかけてくる何かに捕まりそうで躊躇する。
「…どうしよう。」
暗闇を見回して、目についたもの。裏庭の隅、恐らく、洗濯用の井戸。浮かんだアイデアをまともに吟味する時間はない。
(やってみるしか…)
駆け寄り、深い井戸の底にある釣瓶を引き上げた。汲み上げた水を頭から思いきりかぶる。
「っ!」
結い上げられていた髪が崩れて貼りついた。
(…化粧は、とれた?香水は、…匂いがわからない。)
髪や服にも染み込んでいるかもしれない匂いが怖くて、二度、三度と続けて水を浴びる。結果、水を含んだ服は重く、動きづらいものになってしまったけれど、
(…これで、表に出られれば。)
滴る水を払い、出来る限りドレスの水を絞ってから、宿屋の裏庭を出て裏路地へと戻る。表通りに繋がる路を探して、いくつかの横道を通り過ぎたところで、不意に、声がした。
「あーん?なんだぁ、こんなとこに女?」
(っ!)
恐怖に、全身が粟立った―
「何だぁ、お前、すごいカッコしてんなぁ。男に捨てられたかぁ?」
「…」
横道から、フラフラと近づいてくる厳つい男。その頭部に見える、ボルドによく似た耳―
「いいぜぇ、俺が拾ってやるよぉ。可愛がってやるからなぁ。」
「!」
手を伸ばしてくる男に、背を向けて逃げ出した。
(ああ!でも、このままじゃマズい!)
大通りに繋がる路の明かりを確かめる暇もなく、いくつもの横道を通り過ぎる。最悪は、袋小路に追い込まれること。だけど、このままじゃいずれ―
「おいおいおい。逃げんなよぉ。」
「ヒッ!」
突如、目の前に現れた男の姿に悲鳴が漏れる。
(何で!?)
いつの間にか、この細い路地で回り込まれていた。獣人の能力を侮っていたわけではないのに。
「仕方ねぇなぁ。捕まえとかないと逃げるってんなら、多少、痛い目見ることになるぜぇ?」
「やめて!」
「!…てめぇ。」
伸びて来た手を咄嗟に払った。途端、男の声に怒りが混じる。
「ふざけんなよ。人間ごときが、俺に歯向かうなんざ…」
「っ!」
一瞬で詰められた距離、男の右手が喉元を掴む。
「暴れっとぉ、死ぬぜ?」
「グッ!」
喉にかかる圧力が強められた。息が出来ずに「苦しい」と思った、瞬間―
「ウギャァァァァアアア!!!」
「!?ゴホッ!」
喉から、弾かれたように離れた男の手、その手から炎が立ち上がった。一瞬で燃え上がった炎は男の全身を舐めつくそうとする。
「ヒッ!」
怖くて、怖くて―
逃げ出した。背後で聞こえる悲鳴にも、後ろを振り返れない。振り返ったら動けなくなりそうで。ただ、
(ユーグ!ユーグ!ユーグ!)
心の中、彼の名だけを呼んで、彼の姿だけを思い描いて。止まりそうになる足を必死に動かす。
幾つも駆け抜けた路の先、明るい大通りに出られた時も、人込みの中を無理矢理に割って進んだ時も、まだ怖くて止まれなかった。見慣れた路にたどり着き、心から安心できる場所の灯りが見えてきたところで、漸く足が止まった。
(…帰って、これた…)
月兎亭の灯りに、流れ出した涙。走り疲れて重たい足をどうにか前へと進める。
「あ…」
「…」
お店まで、もう後十メートルというところで、お店の扉が中から開いた。
(ユーグ…)
扉の前、灯りを背に立つ長身の影。安堵して、嬉しくて、今すぐに抱き締めて欲しくて。駆け出そうとした瞬間、ユーグの姿が消えた。
「え…?」
不意に、背後で風が舞い、
「ッギャァアアッ!」
「!?」
真後ろで聞こえた悲鳴、振り返れば、暗闇に佇むユーグの姿。その足の下にー
「っ!」
「…」
力無く転がる男の身体。倒れ付したその頭には先ほど目にした丸い熊の耳。
「…ユーグ。」
「…」
怖くて、でも、ユーグが居るから安心のはずで、なのに、男を見下ろす彼の姿が恐ろしくて、近づけないー
「…始末をつけてくる。店に入ってろ。」
「…」
固まって動けずにいる内に、それだけ告げたユーグが男の襟首を持ち上げた。そのまま、男を引きずって歩き出すユーグ。暗闇の中へと消えていく姿を、引き留めることも出来ずに見送った。
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