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第二部 第一章
1-4 Side L
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「……と言う訳で、ルーカス!この子を飼ってもいいですか!?」
「……」
工房での作業がひと段落し、カウンターで明日以降の発注を考えていたところで、息せき切ったアリシアが店に飛び込んで来た。カウンターに立つ己に向かって、最初は戸惑い気味に、最終的には興奮しながら今日の出来事を語って聞かせたアリシアは、バックパックから小型の魔物を抱き上げ、こちらに向かって掲げて見せる。両脇を下から持たれた状態、だらんと下肢を垂れた小型獣と目が合った。
(カーバンクルか……)
間の抜けた顔。そのくせ、物理にしろ魔力にしろ、防御力だけは異様に高い討伐難易度S級の魔物。臆病な性格で人前に姿を現すことが滅多にないため、一部の地域では最早伝説と化している。己も、実物を目にしたことは一度しかない。それも最終的に逃走を許してしまい、狩り切ることはできなかったが――
「あの、結構、大人しい性格みたいで、暴れたり噛んだりしませんし、人に危害を加えることはないと思うんです。餌も、ちゃんと自分で用意します。だから……」
「ダメですか?」と上目遣いに見上げて来る茶色の瞳に、漏れそうになるため息を飲み込んだ。
(無防備すぎる……)
己を庇護者、或いは雇用主くらいにしか認識していないアリシアは、たまにこうして、こちらの理性を試すような行動をとる。潤んだ瞳で見つめられれば、馬鹿な男は勘違いしてしまう。そうして、己はその馬鹿の一人。もうずっと前から、アリシアに対する独占欲を募らせて、彼女の視線を独り占めしたいと考えている。
それが庇護者としてではなく、男としての欲だと気づいたのは、半年前、アリシアが生家のある隣国に帰ると言い出した時。「帰したくない」と思った。彼女が二度と戻ってこないのではと恐怖し、半ば無理矢理に帰省に同行した。結果、アリシアが遭遇した出来事を思えば、彼女の側に居て正解だったと思う。彼女に対して己と似たような欲を向けていた輩を牽制することもできた。だが――
(現状は変わらず、か……)
アリシアに近づきたい。彼女に触れる権利が欲しい。だが、何をどうすればアリシアが己のものとなるのか、皆目見当もつかない。自分がしていることと言えば、彼女を捕らえた檻を居心地の良いものとすべく腐心するのみ。いつ、彼女が「出て行く」と言い出すかと怯えている。だから、己がアリシアの望みに「否」を唱えることはないのだが――
「……やっぱり、駄目ですよね?魔物ですもんね」
そう力なく呟いたアリシアが、高く掲げていたカーバンクルをその腕の内に抱え直した。防御態勢、彼女の腕の中で丸まったカーバンクルが目を閉じる。そのまま寝つこうとしている魔物を、アリシアが強く抱きしめたのが分かった。
(……とりあえず)
アリシアの腕の内に手を伸ばす。手に触れた固い甲羅。温度のあるそれの、首のあたりを片手で掴んで持ち上げる。途端、「キュ」という鳴き声を上げたカーバンクルが、短い手足をジタバタさせ始めた。
「あの、ルーカス?」
不安げに、己と己の手の内にある魔物を見比べたアリシアに告げる。
「……飼うのは構わない。だが、その前にギルドへの報告が必要だ」
言って、カーバンクルをアリシアのマジックバッグへと突っ込んだ。袋の中ですぐさま丸まった魔物の姿を確認し、口を閉じる。バッグを肩に引っ掛け、アリシアを向いた。
「行こう……」
「え?あ、はい!」
アリシアが己の背負ったバッグをチラリチラリと気にするのを感じながら、彼女と共に店を出る。ギルドは閉庁間近。何かと忙しいギルドの長を上手く捕まえることができればいいが。今から持ち込む話を思えば、決していい顔をしないであろう友人の顔が脳裏をよぎった。
「……ダンジョン、おまけに、カーバンクルだと?」
ギルド二階にあるギルド長の執務室、執務机の前にアリシアと二人で並び立つ。執務机の向こう、椅子に腰かけたままの男が疲れたようにため息を漏らした。
年をとろうと変わらぬいかつい体格。ルーカスの話を聞いたギルド長のボイドは、筋肉の重みで執務用の椅子が悲鳴を上げるのにも構わず、その身を背もたれへと預けた。僅かにずり落ちる身体、太い指先が眉間の皺を揉んだ。
「……今、ガノークは未曽有の好景気だ。どっかの優秀な採掘士があり得ない量の魔晶石を持ち込んできやがるし、鉱山全体の採掘量も右肩上がり。……それも、その採掘士さまに加護を与えてる精霊の仕業らしいがな」
言って、ボイドの視線がアリシアと、彼女が再び腕の内に収めてしまったカーバンクルへと向けられた。
「おかげでギルドは大忙し、大儲けだ。ガノークで採用した奴らの給料も上げられたし、来月には、宿舎も新築できる。まったく、採掘士さまさまだぜ」
言葉とは裏腹、ジトリと向けられる視線に、アリシアが己の背後に隠れるように一歩後ろに下がる。
「……カーバンクルの方は、まぁ、いい。いや、S級難易度の魔物のテイムなんざ聞いたことねぇから、全然、良くはねぇが、規則には反してねぇから良しとする。後で、下で所有者登録をしておけ」
ボイドの言葉に、自身の背後でアリシアが何度も頷く気配がする。
「問題は、ダンジョンの方だよ……」
言って、ボイドがこちらを見上げた。
「ルーカス、お前、行けるか?」
「問題ない」
ボイドの問いにそう答えれば、彼の顔に安堵の表情が浮かぶ。
「助かる。あー、できれば、直ぐに契約書類作っちまいたいが、お前、今、時間は?」
そう問われ、背後のアリシアを振り向いた。見下ろす視線の先で首を傾げる彼女に告げる。
「……アリシア、明日から暫くダンジョンに潜ることになる」
「え?」
「ダンジョン解放前の予備調査だ。ダンジョンの規模、そもそも本当にダンジョンなのかという調査を行う必要がある。ボイドとその話を詰めたいんだが、下で待っていてくれるか」
己の言葉に、こちらとボイドを交互に眺めたアリシアが躊躇いがちに頷いた。
「……分かりました。その間に、下でこの子の所有者登録をしておきます」
言って、抱きかかえたカーバンクルを撫でるアリシア。
「……」
「……あの、ルーカス?」
彼女の腕の中から茶色の球体を掴み上げ、床の上に置いた。途端、丸まっていた身体を開き、カサコソとアリシアの足元にすり寄った小型獣は気に食わないが。
(……まだマシ、か)
妥協して頷くと、アリシアが「それじゃあ」と足元にカーバンクルをまとわりつかせながら部屋を出て行く。最後まで見守れば、背後で「心せめぇなぁ」と呟く声が聞こえた。聞こえない振りで、ボイドを振り向く。
「……最短で終わらせる」
「ああ。……まぁ、アリシアにとっては悪い話じゃねぇ。忙しくなるが、しゃあねぇ、気合入れるか」
「……」
工房での作業がひと段落し、カウンターで明日以降の発注を考えていたところで、息せき切ったアリシアが店に飛び込んで来た。カウンターに立つ己に向かって、最初は戸惑い気味に、最終的には興奮しながら今日の出来事を語って聞かせたアリシアは、バックパックから小型の魔物を抱き上げ、こちらに向かって掲げて見せる。両脇を下から持たれた状態、だらんと下肢を垂れた小型獣と目が合った。
(カーバンクルか……)
間の抜けた顔。そのくせ、物理にしろ魔力にしろ、防御力だけは異様に高い討伐難易度S級の魔物。臆病な性格で人前に姿を現すことが滅多にないため、一部の地域では最早伝説と化している。己も、実物を目にしたことは一度しかない。それも最終的に逃走を許してしまい、狩り切ることはできなかったが――
「あの、結構、大人しい性格みたいで、暴れたり噛んだりしませんし、人に危害を加えることはないと思うんです。餌も、ちゃんと自分で用意します。だから……」
「ダメですか?」と上目遣いに見上げて来る茶色の瞳に、漏れそうになるため息を飲み込んだ。
(無防備すぎる……)
己を庇護者、或いは雇用主くらいにしか認識していないアリシアは、たまにこうして、こちらの理性を試すような行動をとる。潤んだ瞳で見つめられれば、馬鹿な男は勘違いしてしまう。そうして、己はその馬鹿の一人。もうずっと前から、アリシアに対する独占欲を募らせて、彼女の視線を独り占めしたいと考えている。
それが庇護者としてではなく、男としての欲だと気づいたのは、半年前、アリシアが生家のある隣国に帰ると言い出した時。「帰したくない」と思った。彼女が二度と戻ってこないのではと恐怖し、半ば無理矢理に帰省に同行した。結果、アリシアが遭遇した出来事を思えば、彼女の側に居て正解だったと思う。彼女に対して己と似たような欲を向けていた輩を牽制することもできた。だが――
(現状は変わらず、か……)
アリシアに近づきたい。彼女に触れる権利が欲しい。だが、何をどうすればアリシアが己のものとなるのか、皆目見当もつかない。自分がしていることと言えば、彼女を捕らえた檻を居心地の良いものとすべく腐心するのみ。いつ、彼女が「出て行く」と言い出すかと怯えている。だから、己がアリシアの望みに「否」を唱えることはないのだが――
「……やっぱり、駄目ですよね?魔物ですもんね」
そう力なく呟いたアリシアが、高く掲げていたカーバンクルをその腕の内に抱え直した。防御態勢、彼女の腕の中で丸まったカーバンクルが目を閉じる。そのまま寝つこうとしている魔物を、アリシアが強く抱きしめたのが分かった。
(……とりあえず)
アリシアの腕の内に手を伸ばす。手に触れた固い甲羅。温度のあるそれの、首のあたりを片手で掴んで持ち上げる。途端、「キュ」という鳴き声を上げたカーバンクルが、短い手足をジタバタさせ始めた。
「あの、ルーカス?」
不安げに、己と己の手の内にある魔物を見比べたアリシアに告げる。
「……飼うのは構わない。だが、その前にギルドへの報告が必要だ」
言って、カーバンクルをアリシアのマジックバッグへと突っ込んだ。袋の中ですぐさま丸まった魔物の姿を確認し、口を閉じる。バッグを肩に引っ掛け、アリシアを向いた。
「行こう……」
「え?あ、はい!」
アリシアが己の背負ったバッグをチラリチラリと気にするのを感じながら、彼女と共に店を出る。ギルドは閉庁間近。何かと忙しいギルドの長を上手く捕まえることができればいいが。今から持ち込む話を思えば、決していい顔をしないであろう友人の顔が脳裏をよぎった。
「……ダンジョン、おまけに、カーバンクルだと?」
ギルド二階にあるギルド長の執務室、執務机の前にアリシアと二人で並び立つ。執務机の向こう、椅子に腰かけたままの男が疲れたようにため息を漏らした。
年をとろうと変わらぬいかつい体格。ルーカスの話を聞いたギルド長のボイドは、筋肉の重みで執務用の椅子が悲鳴を上げるのにも構わず、その身を背もたれへと預けた。僅かにずり落ちる身体、太い指先が眉間の皺を揉んだ。
「……今、ガノークは未曽有の好景気だ。どっかの優秀な採掘士があり得ない量の魔晶石を持ち込んできやがるし、鉱山全体の採掘量も右肩上がり。……それも、その採掘士さまに加護を与えてる精霊の仕業らしいがな」
言って、ボイドの視線がアリシアと、彼女が再び腕の内に収めてしまったカーバンクルへと向けられた。
「おかげでギルドは大忙し、大儲けだ。ガノークで採用した奴らの給料も上げられたし、来月には、宿舎も新築できる。まったく、採掘士さまさまだぜ」
言葉とは裏腹、ジトリと向けられる視線に、アリシアが己の背後に隠れるように一歩後ろに下がる。
「……カーバンクルの方は、まぁ、いい。いや、S級難易度の魔物のテイムなんざ聞いたことねぇから、全然、良くはねぇが、規則には反してねぇから良しとする。後で、下で所有者登録をしておけ」
ボイドの言葉に、自身の背後でアリシアが何度も頷く気配がする。
「問題は、ダンジョンの方だよ……」
言って、ボイドがこちらを見上げた。
「ルーカス、お前、行けるか?」
「問題ない」
ボイドの問いにそう答えれば、彼の顔に安堵の表情が浮かぶ。
「助かる。あー、できれば、直ぐに契約書類作っちまいたいが、お前、今、時間は?」
そう問われ、背後のアリシアを振り向いた。見下ろす視線の先で首を傾げる彼女に告げる。
「……アリシア、明日から暫くダンジョンに潜ることになる」
「え?」
「ダンジョン解放前の予備調査だ。ダンジョンの規模、そもそも本当にダンジョンなのかという調査を行う必要がある。ボイドとその話を詰めたいんだが、下で待っていてくれるか」
己の言葉に、こちらとボイドを交互に眺めたアリシアが躊躇いがちに頷いた。
「……分かりました。その間に、下でこの子の所有者登録をしておきます」
言って、抱きかかえたカーバンクルを撫でるアリシア。
「……」
「……あの、ルーカス?」
彼女の腕の中から茶色の球体を掴み上げ、床の上に置いた。途端、丸まっていた身体を開き、カサコソとアリシアの足元にすり寄った小型獣は気に食わないが。
(……まだマシ、か)
妥協して頷くと、アリシアが「それじゃあ」と足元にカーバンクルをまとわりつかせながら部屋を出て行く。最後まで見守れば、背後で「心せめぇなぁ」と呟く声が聞こえた。聞こえない振りで、ボイドを振り向く。
「……最短で終わらせる」
「ああ。……まぁ、アリシアにとっては悪い話じゃねぇ。忙しくなるが、しゃあねぇ、気合入れるか」
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