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第五章 さようなら

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翌朝、私とルーカス、シェリルの三人は、王太子殿下の案内で試練の庭の入口をおとずれていた。あの日、風に煽られて炎が舞った花壇には、今、花の姿はない。残りの花壇にも、気持ちばかりの季節の花が植えられているだけだった。

「……寂しいでしょう?」

王太子殿下の呟きに頷きかけた頭は、続く彼の言葉に動きを止めた。

「ねぇ、アリシア嬢。良かったら、花だけでも咲かせていかない?君ならきっと聖女の花を咲かせられるよ」

殿下の戯れの言葉に、私達のやり取りをじっと見ていたシェリルが不機嫌そうに口を開いた。

「お姉様、聖女になるんですか?」

「ならないわ」

そう答えれば、不機嫌なままのシェリルは「ずるい」と呟く。

「お姉様が聖女になるんだったら、私がなります!」

「え?」

聖女にはならないと答えたにも関わらず、憤慨した様子を見せるシェリル。彼女の言葉の意味が分からずに戸惑えば、シェリルの頬がプクリと膨れた。

「だって、お姉様が聖女になるなんてずるいじゃないですか。本当は、聖女にふさわしいのは私なのに。それを横取りするような真似、しないでください!」

「……だけどシェリル、あなた、聖女になりたくないんでしょう?」

私の問いにシェリルが何かを答える前に、今度は標的を彼女に絞ったらしい殿下が嬉々とした様子でシェリルの名を呼んだ。

「ねぇ、シェリル。シェリルがどうしても王太子妃になるのが嫌だと言うのなら、王太子妃にはならず、聖女にだけなるというのはどう?」

「そんなことが出来るんですか?」

「うん。かなり難しいだろうけれどね。だけど、もう他に方法もなさそうだし、君がどうしても嫌だっていうなら、私が何とかするよ」

国にも陛下にも掛け合うと口にした王太子に、シェリルが迷う様子を見せた。それをチャンスと見たのか、甘い笑みを張り付けた王太子が、シェリルに畳みかける。

「よく考えてみて、シェリル。今のキャンドラーでは、君の望む生活は送れないだろう?」

「それは、確かにそう、ですけど……」

「王宮に聖女の部屋を用意しよう。何でも君の望む通りに、とまではいかないけれど、君のお願いは出来るだけ叶えるよ。君が今までキャンドラーで過ごしてきたのと同じ生活を保障する」

王太子の言葉を聞く内に、シェリルの瞳がキラキラと輝き出す。最後に、王太子が彼女に問いかけた「どうかな?」という言葉に、シェリルは満面の笑顔で頷いた。

「私、聖女になります!」

その返答に、彼女を逃すまいとするかのように王太子がシェリルへと近づき、その背に手を添える。

「本当?それは良かった。それじゃあ、早速、聖女の花を咲かせてみてくれる?その方が、父上達を説得しやすいからね」

王太子の言葉に、弾むような声で「はい!」と答えたシェリル。

(『咲かせてみる』って、聖女の花ってそんなに簡単に咲かせられるの?花が咲いたら、シェリルが聖女に……?)

それが嫌だというわけではないが、シェリルの翻意があまりにも容易く、彼女の短絡さにそれで良いのかと不安になる。不意に、ルーカスが私の名を呼んだ。

「アリシア……」

その声にルーカスを振り向けば、彼の視線は宮殿を向いている。彼の視線を追えば、先程、自分たちが庭へ出て来た通路を歩く人影が見えた。近づくその人が兄のバーレットだと認めると同時、ルーカスが私を庇うように前に出る。

隣で、同じく兄の存在に気づいた王太子とシェリルが、近づく兄を見守っていた。

「……面倒なことになりそうだ」

兄には届かない小さな声でそう呟いた王太子殿下は、小さくため息をついた後、その顔に綺麗な笑みを張り付けた。五、六メートルの距離に近づいた兄に、殿下が声を掛ける。

「やぁ、バーレット。久しぶりだね?」

けれど、その声が全く聞こえていないかのように、兄はシェリルへと近づいて行く。シェリルの前で立ち止まった兄が、いつもの笑み、シェリルにだけ向ける笑みを浮かべた。

「こんなところに居たのか、シェリル。探した」

兄の手が、シェリルへと差し伸べられる。

「帰ろう」

その一言に、シェリルはまた満面の笑みを浮かべた。

「ごめんなさい、お兄様!私、聖女になることにしました!」

「聖女……?」

それが何か分からないとでも言いたげな兄の言葉に、シェリルは喜び一杯に「はい!」と答える。

「私、聖女になって王宮で暮らすんです!あ、だから、ごめんなさい、お兄様。私、お家へは帰りません!」

「……」

キラキラと夢を語るような眼差しでそう口にしたシェリルに、兄の顔からスッと表情が抜け落ちた。次いで、チリとするような何かを感じたと思う間もなく、ルーカスが私の身体を抱きしめたまま、背後へと跳んだ。

「え、なにっ!?」

突然の浮遊感。何があったのか分からぬ内に遠ざかった三人の姿、驚きにルーカスを振り返ろうとしたが、兄の異変に彼から目が離せなくなる。

「お、兄様……?」

突如、兄を包み込んだかのように見えた炎。けれど、その炎の中で兄は冷たい眼差しのまま。シェリルと、彼女を護るように抱きしめた王太子殿下へ右手を掲げた。

途端、膨らんだ炎の塊、その中から赤い火の玉が二人へ向かって飛んでいく。息を飲んだ一瞬、二人に向かっていたはずの火は、あらぬ方向へと弾き飛ばされた。いつかの再現。思い出すのは、私がシェリルに向かって髪飾りを投げつけたあの時。

不意に、シェリルの周囲に緑が蠢いた。地に生えていた草、それが猛烈な勢いで成長し、その触手のような切っ先を兄へと伸ばす。けれど、それが届く前に、炎に飲まれた緑は燃え尽きた。

――駄目!駄目だよ、二人とも!

(イロン……?)

脳内に切羽詰まった声が聞こえたかと思った瞬間、目の前にイロンが姿を現す。その視線は兄たちの方へ向けられていて――

「消えちゃうよ!そんな力の使い方!君たちが消えちゃう!」

悲痛な叫び。それはきっと、兄達ではなく、私には視えない精霊達への叫び。

「違う!そんなの違うでしょう!?それじゃあ、愛し子を守れない!彼らを幸せになんてできない!こんなの、こんなの、絶対に違うよ!」

イロンの声が届いたのか、不意に兄の纏う炎の勢いが弱まった。しかし反対に、勢いを増した緑の蔦が兄へと襲い掛かる。

「燃やせっ!!」

襲い来る蔦を前に、兄の怒号が響いた。

「何をしているっ!私のめいが聞こえないのかっ!?燃やせ!燃やし尽くせ!全て燃やし尽くしてしまえっ!」

兄の絶叫とともに、再び燃え上がった炎が地を這い広がっていく。徐々に大きくなる火、駆け付けた騎士たちがその消火に当たろうとしているが、火の勢いが衰えることはない。シェリルと殿下が火に囲まれ、逃げる場を失ってしまう。

「アリシア、逃げるぞ……」

再び私を抱え上げたルーカスが、この場から離れようとしていることが分かった。

「待って、ルーカス!」

「駄目だ。俺の力では、精霊の火は止められない」

「でも……!」

目の前に広がる光景。風にあおられた火が庭に敷かれた芝生を舐め、舞った火の粉が花壇に降り注ぐ。

花が燃えていた。

あの日とは違い、そこに私の花はない。けれど、あの日よりももっと――

「……アリシア、願って」

「イロン……?」

「僕に願ってよ」

そう口にしたイロンの真っすぐな黒の瞳と見つめ合う。

「アリシアはどうしたい?……あの時とは違うよ。今の僕なら君を守れる」

「っ!」

その言葉に、咄嗟に願いを口にした。

「助けて、イロン!これ以上、何も燃やさないで!みんなを助けて!」

「うん、分かった!」

そう言って笑ったイロンが、クルリと回って上空へと飛び上がる。

「僕も、こんな力の使い方するのは初めてだから、上手くいくかわからないけど……!」

イロンが、兄に向けて両手を掲げた。その手が眩い光を放つと同時に、自身の足元、地面が揺れ出した。地の底から聞こえて来る音と、伝わる振動。徐々に大きくなっていくそれが、もう立っていられないほどになった時、目の前の地面が割れた。

「っ!アリシア!」

ルーカスの太い腕が私のお腹に巻き付く。支えてくれる手に身を預けて視線を向けた先、巨大な亀裂が兄とシェリルを分断していた。それでも揺れ続ける地面、兄の立つ地が徐々に沈んでいく。不意に、兄の顔がこちらへと向けられた。

「アリシア!貴様ーーーーっ!!!」

響く怒号。叩きつけられた憤怒の声に身が竦む。けれど、兄の火はもうシェリルには届かない。そのことに、ホッと息をつきかけたところで聞こえた叫び。

「燃やせ、火の精霊よ!」

(なに、を……?)

今更、何をするつもりなのかと見つめる先、兄の叫びが続く。

「全て消し去れ!私がそれを望むのだ!」

その言葉が終わると同時、先程までとは明らかに違う炎が燃え上がった。

(うそ……)

火が、兄の服を焼いていた。黒く焦げ落ちる服、髪。何も言わなくなった兄が天を仰ぐように立ち尽くす。それから――

「っ!」

「……アリシア、見るな」

背後から覆いかぶさって来た大きな身体が視界を覆う。

「見るな……」

繰り返される言葉に、ギュッと目を閉じた。回されたルーカスの手にしがみつけば、強い力で抱きしめ返される。きつく閉じた瞼の下で、抑えきれない熱が溢れ出した

(何で、どうして……!)

兄に家族としての愛情を求めたのは過去の私。今はもう、彼に何かを期待してはいなかった。それでも――

(こんな結末、誰も望んでいない……!なんで、なんでこんなことっ!?)

痛くて、苦しくて、声を上げて泣いた。

「お兄様……っ!」

呼んだ名に、応える声はなかった。




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