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第五章 さようなら

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殿下の問いに、「はい」とも「いいえ」とも答えを返せずに黙り込む。そんな私に、殿下は困ったような笑みを浮かべた。

「やっぱり、君も、聖女の花を咲かせるとは言ってくれないんだね」

「私は、……自分でも、聖女の花を咲かせられるかどうか分かっていません」

嘘にならないギリギリの範囲でそう答えれば、王太子殿下はユルユルと首を横に振った。

「ごめんね、アリシア嬢。君は逃げたいのだろうけど、私は、君が聖女に成れることを知っている」

そう断言する殿下に対して否定を口にすることも出来ず、黙り込む。

「残念ながら、私自身には精霊の加護がない。でもね、母上は元聖女、母に加護を与えている水の精霊と私は親しいんだ」

「殿下は、精霊が視えるのですか……?」

「視えるよ。母上の精霊だけはね。子どもの頃から側に居てくれたためか、彼の姿だけは視えるんだ。……彼には、色々な話を聞かされて育った」

そう言った殿下は微笑んだまま、けれど、その目がスッと細められた。

「そう、例えば、力ある精霊であればだれでも聖女の花を咲かせられるのだとかね?」

イロンに聞かされたのと同じ言葉を告げられ、唇を噛んだ。殿下がここまで知る以上、最早言い逃れは出来ない。最後のあがきと沈黙を貫けば、殿下が「困ったな」と小さく零す。

「私は君に聖女となり、私の妃になって欲しいと望んでいる。けれど、君が心から望まない限り、君の精霊は聖女の花を咲かせることはないだろうからね……」

ため息とともに「本当に困ったな」と繰り返した殿下の視線が、何かに気づいたようにシェリルへと向けられた。

「シェリル、君もまだ気は変わらない?私の妃になる気になった?」

(え……?)

殿下の言葉に驚いて、隣のシェリルを見る。てっきり、兄との関係が露呈してシェリルは王太子妃候補から外されたのだと思っていたが。

殿下の問いかけに、シェリルが煩わしげな視線を向ける。

「イヤです。だって、王太子妃になるには、妃教育を受けなければらないんでしょう?そんなの聞いていませんでした。私、絶対にやりたくないです。それに、王太子妃って面倒そうだし」

シェリルの言い様に唖然とする。

(そんな……、そんな理由で?)

兄と想い合っている、他に好きな人がいるというのなら――貴族令嬢の責務としては問題があっても――理解は出来る。特に、前世の記憶を思い出した今の私なら。けれど、「面倒だから」、そんな理由で王太子妃になることを拒むだなんて。

「それなら、最初から妃候補になどならなければ良かったのに……」

思わずシェリルを非難した私の言葉に、シェリルは面倒だという態度を隠しもせずに答えた。

「お父様がそうしろと言ったんです。私は別に聖女にも王太子妃にも興味はありません」

そう言い切ったシェリルが、フラリと立ち上がる。

「疲れました。つまらないですし、私、部屋で休んでいてもいいですか?」

その無作法に唖然とするが、王太子殿下は彼女を止めることもなく、侍従に彼女を客室へ案内するように命じた。

退出するシェリルを見送った王太子殿下が「ほらね?」と肩を竦めて見せる。

「シェリルはあんなだから。アリシア嬢、僕としては是非とも君に王太子妃になって欲しいんだ」

未だ諦める様子のない殿下に「否」を突き付けるまえに、一つだけ、確認しておかなければならないことがあった。

「……殿下、ガノークとの魔晶石取引を制限したのは、殿下ですか?私をキャンドラーへ戻らせるため、殿下がお考えになったことなのでしょうか?」

私の問いに、じっとこちらを見つめた殿下は、やがて「そうだよ」と頷いた。

「私もね?当初はここまでする予定ではなかったんだ。キャンドラー公に命じて君を妃候補に戻す。それだけで事足りると思っていたのが、君は公爵家を放逐されガノークに居ると言うのだから驚いた」

「……殿下は、私が犯罪奴隷となったことをご存じなかったのですか?」

「うん、そうだね。君の処分は公爵家に一任していたし、正直、以前の君の動向はそれほど気にしていなかった」

はっきりと私に興味がなかったと告げる殿下の言葉に、出来るならずっとそのままでいて欲しかったと思う。

「……最初は、キャンドラー公に君を連れ戻すようにと言ったんだ。けれど、彼の力では君を連れ戻すことは叶わなかったみたいだから、ちょっとしたした手助けをすることにした」

その手助け、魔晶石の輸入制限が、私をこの地へ連れ戻した。王太子殿下のやり様に為政者としての傲慢さを感じて不快を覚えたが、黙ってそれに耐える。黙り込んだ私を観察した王太子は、チラリと壁際のルーカスに視線を向けてから、何度目かのため息をついた。

「……けれど、それもどうやら無駄だったみたいだね」

諦めを口にした殿下に、それならばと口を開く。私がこの地に来た目的、本来であれば、父に伝えようと思っていたこと。

「水の精霊と親しいのでしたら、殿下は既にご存じかもしれませんが……」

そう前置きして、ガノークでイロンに教えられたことを話す。精霊とは、私たちが上位精霊と呼び尊重する彼らだけでなく、この世界に遍く存在するものであること。だからこそ、聖女の花を咲かせることに固執するのではなく、より多くの精霊との関係を尊重すべきなのではないかと告げた。

私の話を最後まで聞いた殿下は、少しだけ改まった顔で「なるほどね」と呟いた。先ほどまでとは違う、真剣な眼差しを向けられる。

「具体的には?アリシア嬢は、具体的にどのような施策が有効だと考えている?」

「それは……、すみません、私に具体的な考えがあるわけではありません。ただ、地の精霊が言うには、普通の生活の側に精霊が居ることを知って欲しいと。作物に水を遣り、木を切って、石を掘る。そうした人間の営みに精霊は寄り添い、ともに成長するのだと言っていました」

「ふーん。なるほど、精霊を育てる、ね……」

そう口にした殿下は、苦笑とともに「それはまた気の長い話だなぁ」と呟いた。

そのまま考え込み始めた殿下に、ここに来たもう一つの目的であるシェリルの保護を願い出ると、何かを察したらしい殿下は「ああ」と頷いただけで、シェリルの王宮への滞在を認めてくれた。

「妃候補にはなり得なくても、彼女が聖女候補の筆頭であることに変わりはないからね。……ただ中身があれだし、バーレットがなぁ」

そう、何でもないことのように兄の名を口にした殿下は何をどこまで知っているのか。背筋を冷たいものが走ったが、殿下がこちらの様子を気にするそぶりはない。

「ああ、そうだ、アリシア嬢。引き換えに、というわけではないけれど、君にも王宮へ留まってもらいたい。一晩だけでいいんだ」

「それは……」

断りたい。しかし、シェリルを任せてそれでおしまいという訳にもいかず、一晩だけという殿下の言葉を信じて頷いた。その返事に満足したらしい殿下が破顔する。

「ありがとう、アリシア嬢。……それでね、私としてはやはり、聖女の花は咲かせたいと思っている。君の言いたいことも分かるんだけどね。人は目に見えるものを大事にしたがるものだから」

そう言って苦笑した殿下は、「シェリルと話し合ってみて」と告げた。

「どちらが花を咲かそうが、誰が聖女になろうが。私はその相手をただ一人の妃として愛するよ?」




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