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第五章 さようなら
5-10 Side L
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昨夜の時点で嫌な予感はしていた。ここ最近、ずっと思い悩んでいる様子だったアリシア。その原因は分かるものの、彼女が己の望まぬ結論を出すことを恐れて、触れることが出来ずにいた話題――
朝、食卓についた己を前に、思いつめたような表情をしたアリシアが口を開く。
「……ルーカス、今まで散々お世話になっておきながらすみません」
そう前置きされた時点で、「駄目だ」と出かかった言葉は何とか飲み込んだが――
「私、家へ、……キャンドラーへ帰ろうと思います」
「駄目だ」
今度は、間髪入れずに口にした拒絶の言葉。勢いがあり過ぎたのか、己の言葉に驚いたように目を瞬かせたアリシアが、「ああ」と声を上げる。
「すみません。帰ると言っても一時的なもので、また直ぐに……」
「駄目だ」
「え?でも、あの、本当に、一度、父と話をして直ぐに帰って来るつもりで……」
そう説明するアリシアの言葉を、首を横に振って拒絶する。一時的などという言葉は信じられなかった。現に、一度は「帰らない」と決意したはずのアリシアが、一時的とは言え、今は「帰る」と口にしているのだ。家族を思うアリシアの気持ちにつけこもうとする奴らに腹が立ち、彼女が二度と戻らないのではという不安に押しつぶされそうになる。
「……行くな」
「っ!」
思わず吐露した弱音が彼女にどう響いたのか。落ち着かなげに視線を彷徨わせたアリシアの頬が赤く染まり、やがてその瞳が伏せられてしまった。
「……ルーカス、あの、私、ちゃんと帰ってきます。ルーカスにはまだまだ返しきれないほどの恩がたくさんありますから」
言いながら、チラリと目線を上げたアリシアと目が合う。
「でも、どうしても、一度は父と話がしておきたいんです。……このままでは、キャンドラーだけではなく、国までもおかしくなってしまいそうで、それが怖いんです」
憂いを帯びた表情、けれど、瞳には確かな決意を乗せたアリシアにそう言われてしまえば、己にはそれ以上、彼女の意志を曲げるだけの言葉が無かった。
「……分かった」
「っ!ありがとうございます、ルーカス!私、絶対に……」
「俺も行こう」
「えっ!?」
アリシアの意志が変わらぬ以上、自身に出来ることは側にいることだけ。側に居て、そして必ず彼女をここへ連れ帰る。
「ルーカス!お気持ちは嬉しいですが、流石にデバインまで付き添ってもらうわけにはいきません!ルーカスのお仕事もありますし!」
「仕事のついでだ」
「……それって、嘘、ですよね?」
適当に口にした言い訳は流石に通じず、アリシアにジトリとした目を向けられた。
「……出かける準備をするぞ。馬車を借りて来る。二時間後に出発だ」
「え!?ル、ルーカス!待ってください。二時間後って!」
誤魔化すために一方的に宣言し、空いた皿を手に立ち上がる。アリシアの引き留める声を聞こえない振りで台所へと向かった。
(……二時間か)
己で言っておきながら、その時間の無さに少々焦る。残した仕事の段取りを考えながら、今後の予定、デバイン王都まで少なくとも三日はかかる道中に思いを馳せた。
宣言通り、アリシアが「家へ帰る」と言った二時間後にはガノークを出立した。町で借りた馬車はあまり上等とは言えず、いつぞや見たキャンドラー家の馬車とは程遠いであろう乗り心地に、アリシアの身を案じたが、「ガノークへ運ばれてきた時よりははるかにマシだ」と笑って答えた彼女の言葉に、改めて、彼女をそんな憂き目に合わせた連中への怒りが湧いた。
ガノークを出て三日目、途中、デバイン内で二度、宿をとってたどり着いた王都は、十年以上前に一度だけ訪れた時の記憶とそう変わらず、街の発展も人々の暮らしも、豊かで長閑なものに見えた。
王都の街並みの中、馬車を走らせ、先ずは宿を取る。宿からキャンドラー家へ訪いの先触れを出すが結局返事は届かず、日が暮れる前にと再び馬車を走らせキャンドラー家へと向かった。
「ルーカス、そこを曲がって下さい」
走らせていた馬車の上、御車席に並んで座るアリシアの指示に従い、手綱を引く。
速度を落として曲がった道の先、見えて来たのは一見して貴族屋敷と分かる建物が立ち並ぶ一角だった。その中を暫く走り続け、アリシアの「ここです」という言葉に馬車を停める。
「……やっぱり、出迎えはないみたいですね」
閉ざされた門扉、前庭にもアプローチにも人の姿は見当たらない。元より、呼び出したのはあちら側。だと言うのに、アリシアに対するこのぞんざいな扱い。もう何度目か分からぬ怒りを覚えながら、錠の下ろされていない門を開け、玄関前へと馬車を乗り付けた。
御車席を飛び降り、後に続くアリシアに手を貸したところで、玄関扉が開く気配がする。アリシアが地面に降り立つと同時、扉が内側から開かれた。そこに現れた男の姿に、自然、眉間に力が入る。男がアリシアに向ける眼差しが不快だった。
「……ローグ」
アリシアの口が男の名を紡いだ。それに対する男の反応、無関心を装い、慇懃に扉の内へとアリシアを招く男に、思わず、アリシアの腕を掴む。
「ルーカス……?」
「……」
アリシアを捕らえたまま、扉の前に佇む男を見据える。男の、己を見る眼差し。そこに、自身と同じ写し鏡の感情を認めて、アリシアと触れ合う距離で寄り添った。男に、決してつけ入る隙など与えぬように。
朝、食卓についた己を前に、思いつめたような表情をしたアリシアが口を開く。
「……ルーカス、今まで散々お世話になっておきながらすみません」
そう前置きされた時点で、「駄目だ」と出かかった言葉は何とか飲み込んだが――
「私、家へ、……キャンドラーへ帰ろうと思います」
「駄目だ」
今度は、間髪入れずに口にした拒絶の言葉。勢いがあり過ぎたのか、己の言葉に驚いたように目を瞬かせたアリシアが、「ああ」と声を上げる。
「すみません。帰ると言っても一時的なもので、また直ぐに……」
「駄目だ」
「え?でも、あの、本当に、一度、父と話をして直ぐに帰って来るつもりで……」
そう説明するアリシアの言葉を、首を横に振って拒絶する。一時的などという言葉は信じられなかった。現に、一度は「帰らない」と決意したはずのアリシアが、一時的とは言え、今は「帰る」と口にしているのだ。家族を思うアリシアの気持ちにつけこもうとする奴らに腹が立ち、彼女が二度と戻らないのではという不安に押しつぶされそうになる。
「……行くな」
「っ!」
思わず吐露した弱音が彼女にどう響いたのか。落ち着かなげに視線を彷徨わせたアリシアの頬が赤く染まり、やがてその瞳が伏せられてしまった。
「……ルーカス、あの、私、ちゃんと帰ってきます。ルーカスにはまだまだ返しきれないほどの恩がたくさんありますから」
言いながら、チラリと目線を上げたアリシアと目が合う。
「でも、どうしても、一度は父と話がしておきたいんです。……このままでは、キャンドラーだけではなく、国までもおかしくなってしまいそうで、それが怖いんです」
憂いを帯びた表情、けれど、瞳には確かな決意を乗せたアリシアにそう言われてしまえば、己にはそれ以上、彼女の意志を曲げるだけの言葉が無かった。
「……分かった」
「っ!ありがとうございます、ルーカス!私、絶対に……」
「俺も行こう」
「えっ!?」
アリシアの意志が変わらぬ以上、自身に出来ることは側にいることだけ。側に居て、そして必ず彼女をここへ連れ帰る。
「ルーカス!お気持ちは嬉しいですが、流石にデバインまで付き添ってもらうわけにはいきません!ルーカスのお仕事もありますし!」
「仕事のついでだ」
「……それって、嘘、ですよね?」
適当に口にした言い訳は流石に通じず、アリシアにジトリとした目を向けられた。
「……出かける準備をするぞ。馬車を借りて来る。二時間後に出発だ」
「え!?ル、ルーカス!待ってください。二時間後って!」
誤魔化すために一方的に宣言し、空いた皿を手に立ち上がる。アリシアの引き留める声を聞こえない振りで台所へと向かった。
(……二時間か)
己で言っておきながら、その時間の無さに少々焦る。残した仕事の段取りを考えながら、今後の予定、デバイン王都まで少なくとも三日はかかる道中に思いを馳せた。
宣言通り、アリシアが「家へ帰る」と言った二時間後にはガノークを出立した。町で借りた馬車はあまり上等とは言えず、いつぞや見たキャンドラー家の馬車とは程遠いであろう乗り心地に、アリシアの身を案じたが、「ガノークへ運ばれてきた時よりははるかにマシだ」と笑って答えた彼女の言葉に、改めて、彼女をそんな憂き目に合わせた連中への怒りが湧いた。
ガノークを出て三日目、途中、デバイン内で二度、宿をとってたどり着いた王都は、十年以上前に一度だけ訪れた時の記憶とそう変わらず、街の発展も人々の暮らしも、豊かで長閑なものに見えた。
王都の街並みの中、馬車を走らせ、先ずは宿を取る。宿からキャンドラー家へ訪いの先触れを出すが結局返事は届かず、日が暮れる前にと再び馬車を走らせキャンドラー家へと向かった。
「ルーカス、そこを曲がって下さい」
走らせていた馬車の上、御車席に並んで座るアリシアの指示に従い、手綱を引く。
速度を落として曲がった道の先、見えて来たのは一見して貴族屋敷と分かる建物が立ち並ぶ一角だった。その中を暫く走り続け、アリシアの「ここです」という言葉に馬車を停める。
「……やっぱり、出迎えはないみたいですね」
閉ざされた門扉、前庭にもアプローチにも人の姿は見当たらない。元より、呼び出したのはあちら側。だと言うのに、アリシアに対するこのぞんざいな扱い。もう何度目か分からぬ怒りを覚えながら、錠の下ろされていない門を開け、玄関前へと馬車を乗り付けた。
御車席を飛び降り、後に続くアリシアに手を貸したところで、玄関扉が開く気配がする。アリシアが地面に降り立つと同時、扉が内側から開かれた。そこに現れた男の姿に、自然、眉間に力が入る。男がアリシアに向ける眼差しが不快だった。
「……ローグ」
アリシアの口が男の名を紡いだ。それに対する男の反応、無関心を装い、慇懃に扉の内へとアリシアを招く男に、思わず、アリシアの腕を掴む。
「ルーカス……?」
「……」
アリシアを捕らえたまま、扉の前に佇む男を見据える。男の、己を見る眼差し。そこに、自身と同じ写し鏡の感情を認めて、アリシアと触れ合う距離で寄り添った。男に、決してつけ入る隙など与えぬように。
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