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第五章 さようなら

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一瞬で、頭の中を様々な思いがよぎった。

(イロンのせい……?)

だとすれば、やはり、私はキャンドラーへ帰らねばならないのではないか。鉱山を枯らした責任。父や兄に対するものではない。ただ、領地に関しては、仮にも公爵令嬢として育った私には果たすべき責務がある。帰りたくない。けれど、帰らなければ、キャンドラーの地は――

「…アリシア?」

――アリシア!アリシア、ごめんね!

ルーカスの案じる声と、イロンの泣き出しそうな声が聞こえる。私を呼ぶ二人の声に、呆然としていた意識が呼び戻される。目の前には、いつの間にか姿を現していたイロン。涙目でこちらを見上げる彼が、胸元へと飛び込んで来た。

「ごめんなさーい。僕も、こんなことになるとは思ってなかったんだ。ううん。本当はちょっと思ってたけど、まぁいっかって。アリシアがそんなに気にするとは思わなかったからー!」

必死に抱き着くイロンの姿に、徐々に気持ちが落ち着いてくる。私よりよほど取り乱している彼を慰めようと、子どもをあやすようにしてイロンの背中を叩いた。

その私の行為が、イロンの見えないルーカスには奇怪に映ったらしい。

「…アリシア?」

「あ……」

隣を見上げれば、訝し気な金の瞳に見下ろされていた。

「……あの、実は、今ここにイロンが居て」

「イロン。……地の精霊か」

「はい」

ルーカスの視線が私の胸元、ルーカスからすれば何も無いその空間を見つめる。ただ、何も見えないはずのルーカスの瞳がイロンを凝視したために、イロンが怯えるようにして私の手を離れた。

「アリシア、怖い」

そう言って、私の肩の後ろ、ルーカスが座るのとは反対側に隠れてしまったイロンの動きを目で追う。

「大丈夫よ、イロン。ルーカスは怖くなんてないから。ほら、イロンだって、ルーカスが石を大事にしてくれるのは知っているでしょう?ルーカスはとっても優しい……」

言いかけた言葉は、背後でブフォッと噴き出したギルド長の笑い声にかき消された。思わず背後を振り返ると、ギルド長がヒラヒラと手を振っている。

「いや、悪い。気にすんな。『ルーカスが優しい』んだな?続けてくれ」

あからさまな失笑。馬鹿にされているわけではないが、自分が恥ずかしい発言をした気がして口を噤めば、至極真面目な顔でルーカスが口を開いた。

「地の精霊が何のようだ?先ほどの話に何か関係があるのか?」

「あ、それが……」

普段、私以外の人が居る前ではイロンは姿を現さない。それを知るルーカスが今のこの事態を異常だと判断しての問いかけを、そのままイロンに尋ねる。

「イロン、さっきの話。もっとちゃんと聞かせてくれる?……どうして、イロンはキャンドラーの鉱山を枯れさせちゃったの?」

私が口にした言葉に、隣のルーカスがハッと息をつめたのが分かった。背後で、「何だと?」と呟いたギルド長が音を立てて椅子から立ち上がり、大股に近寄って来る。そのまま、向かいの席にドカリと腰かけた彼が「話せ」と命じたのに頷いて、肩に隠れていたイロンを両手で掬い上げる。開いた両手に乗せたイロンが、少しだけモジモジしてから口を開いた。

「あのね?僕だって態とじゃないんだよ?仕方なかったって言うかー」

そう前置きしたイロンが上目遣いで語る。

「そもそも、キャンドラーには大した鉱脈はなかったんだ。金だって銀だって全然だったの。だけど、アリシアが生まれてから、僕、ずーっとアリシアの側に居たでしょう?」

「うん。そう言ってたね」

「で、僕ってこう見えて結構すごい精霊だから、僕を慕ってる地の精霊がいーっぱいいるんだ。それ自体はとっても嬉しいよ?嬉しいんだけど、アリシアの側をウロチョロされるのはすーっごく嫌だったの!」

だから、と続けたイロンの顔には気まずげな表情が浮かんでいた。

「だから、僕、みんなにお願いして、アリシアのお家の鉱山に行ってもらったんだ。僕はアリシアを独り占めできて万々歳!みんなもアリシアの役に立てるならーって張り切って鉱山で遊んでたんだけど……」

「遊んでた?」

「うん、そう。力の無い子達でも、大勢集まって遊んでれば、その地には地の魔力が満ちて、地の恵みが豊かになるから。金や銀もそうやって産まれたんだよ?」

そう言ってから、「だけどね」と付け足したイロンがこちらをチラリと見上げて――

「僕とアリシアがこっちに来たから、みんなもついて来ちゃったんだよね!」

先程までの落ち込みが嘘のよう、ペロリと舌まで出してエヘヘと笑うイロンは絵面だけならとても可愛い。こんな時でなければ、ギュッと抱きしめてほおずりしたくなるほどの可愛さだったが、言っていることはとんでもない――

「……おい、アリシア。俺たちにも分かるように話せ」

それまで黙って見守っていたギルド長が口を開いた。彼に促され、たった今イロンから聞いた話をそのまま伝えれば、最初に唖然とした表情を浮かべたギルド長の顔が次第に厳しいものになっていく。

話を聞き終えたところで、ギルド長は深々とため息をついた。

「ったく、何だってんだよ、そのあり得ねぇ加護は。規模がおかしいだろ、規模が」

そう言って長椅子の背にズルリと体重を預けたギルド長の代わりに、隣で、ルーカスが口を開いた。

「その地の精霊達に、元いた場所へ帰るようには言えないのか?」

「あっ!」

ルーカスの提案になるほどと頷いて、イロンへ視線を戻す。ルーカスの話を聞いていたイロンが、フルフルと首を横に振った。

「無理。僕もアリシアも居ない場所に戻れって言ったって、だーれも言うこと聞いてくれないよ?僕、すっごく慕われてるし、アリシアのこと大好きな子もいっぱいいるんだから」

そう言ってコテンと首を傾げたイロンに「だから諦めて?」と言われてしまえば、それ以上を望むことは出来なかった。精霊は基本的に気まぐれ、人の願いを聞くのは彼らが「そうしたい」と思う時だけ。ルーカスに「どうやらイロンと私が戻らない限りは無理のようだ」と伝えると、今度はルーカスまでもが険しい顔をして黙り込んでしまった。

暫くの沈黙の後、ルーカスが徐に口を開く。

「……分かった。今の話は聞かなかったことにしておく」

「え?」

「だな。ここだけの話ってやつにしとくか。言わなきゃ誰にも分かんねぇ。いや、言ったところで、信じらんねぇんじゃねぇか?んな話」

ルーカスの「無かったことにする」という発言に、ギルド長が深く頷いて同意を示す。二人の反応に「それでいいのだろうか?」という不安はあるが、かと言って、自分の感情を殺してまで家へ帰る気にもなれない。イロンの話を聞いた後では、キャンドラーへ帰るべきだという当初の思いは薄れてしまっていた。

(……私、イロンの言葉を免罪符にしちゃってる)

キャンドラーの鉱山の恵みがあくまで精霊の力によるものなら、イロンに罪などなく、私にも責はない。胸の内にしこりは残るものの、それには目を瞑り、ルーカスとギルド長の二人に頭を下げた。

「すみません、色々ご迷惑をおかけしました」

「ああ、いい、いい。気にすんな」

そう言ってヒラヒラと手を振ったギルド長に見送られ、その日はそのまま家へ帰ることとなった。階段を降りたギルドの一階、心配して待ってくれていたクロエに問題が解決したことを伝えて、礼を言う。ギルドを出てルーカスと二人並んで歩く帰り道、解決したはずの問題が、いつまでも胸の内に重く圧し掛かっていた。




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