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第三章 採掘士

3-2 Side L

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パタパタと軽い足音を立てながら階段を降りていく小さな背を見送って、開いたままの扉に背を預けた。無精で伸ばした髪が煩わしい。

(……今、何時だ?)

部屋に置かれた時計を確認すれば、針は既に起きる予定でいた時間を過ぎている。

(寝過ごしたか……)

昨日の予定では、アリシアの起床に合わせて起き、朝食の準備を手伝うつもりでいた。経験があるとはいえ、人に傅かれるのが当然の生活をしていたであろう彼女に、最初から全てを任せるのは酷だろうと思ったのだ。

(……昨夜の作業が長引いたのがまずかったな)

誰にともなく言い訳をしながら、緩慢な動きで部屋の中へと戻る。脱ぎ捨てたままの作業着を拾い上げて袖を通した。元より、朝は得意な方ではない。冒険者稼業にあった頃なら未だしも、自宅で自身の寝台で眠りにつくようになってからは、好きな時間に寝て好きな時間に起きるという生活が続いている。その生活が乱されることに不快はないが、アリシアの手を煩わせたことに若干の後ろめたさを感じていた。明日からは、自身で起きるよう気をつけねばと考えたところで、気づく。

(ボイドの思う壺というわけか)

ここに居ない男の笑い声が聞こえた気がして、舌打ちする。

部屋を出て、降りた一階、階段の途中で既に漂っていた匂いに誘われ、台所へと向かった。置かれた二人掛けのテーブルに並ぶ朝食に目を見張る。

「パンまで焼いたのか?」

「あ、えっと、はい!あの、でも、お口に合うかは……」

言って、申し訳なさそうに眉根を下げたアリシアを思わず観察した。細い腕、白い指先のどこにも、怪我や火傷の痕跡は見当たらない。昨日見せた手際の良さを考えれば不思議ではないが、それでも、貴族令嬢であった彼女が教えてもいない料理を作れることに感嘆する。と同時に、心配にもなった。

「……あまり、無理をする必要はない」

「無理、はしてないです。……でも、ありがとうございます。スープ、運びますね?座っててください」

照れたように笑ってスープをよそいに向かった彼女の背中を眺めながら、自身の席に腰を下ろす。たまに訪ねて来る客人――九割方が酒を手土産にしたボイドだが――のために一脚だけ用意してある向かいの椅子は、昨日からアリシアの定位置になっている。

「お待たせしました。どうぞ、召し上がってください」

「ああ。……ありがとう」

手際よく配膳された食事、向かいに座ったアリシアを前に何も口にしないことに気が引けて感謝を言葉にすれば、彼女の瞳が小さく見開かれた。頬を赤く染め、「そんなに大したものではない」と顔を伏せてしまった彼女の前で、食事に手をつける。湯気の立つスープを口に運んだ。

「美味い」

「……本当ですか?お口に合ったのなら良かったです」

ホッとしたように笑うアリシアの頬は未だ赤いまま。こちらの言動一つにコロコロと表情を変える彼女の姿を観察しながら、食事を進める。昨夜の話の続き、今日この後は採掘のために鉱山へ入るのだという彼女に、確かめ損ねていたことを尋ねる。

「アリシア、採掘用の道具は紛失したんだったな?新しく道具を揃える必要があると思うが……」

「あ!そうでした、道具……!」

「昔、俺がダンジョン探索で使っていた装備ならある。流石にツルハシはないが、ランタンと大きめのマジックバッグ、あとはザイルや皮手袋だな」

大きさや老朽化の問題はあるが、使えるものは使えばいい。己の提案に、暫し宙を見つめて思案していたアリシアが、やがて笑って頭を下げた。

「ありがとうございます。ツルハシの方は心当たりがあるというか、何とかなると思います。他の装備をお借りしてもいいですか?」

「好きに使ってくれ。ああ、ただ、マジックバッグだけは使い方が多少面倒かもしれん」

自身が冒険者時代に使っていたマジックバッグは、魔力の少ない者が使用するには注意が必要だった。己の言葉に首を傾げているアリシアに、後で実物を使って説明すると約束する。頷いて返したアリシアが食事を再開するのを眺めながら、何とはなしに胸に浮かんだ不安を口にした。

「……一人で大丈夫なのか?」

「え?」

「慣れない場所での慣れない作業だ。一人では危険だろう?暫く、俺が鉱山についていってもいいが……」

口にしながら、自身、なかなか良い考えではないかと思いかけたところで、目を丸くしたアリシアに盛大に首を横に振られてしまった。

「と、とんでもないです!ここまで色々手を貸して頂いてるのに、そこまでしてもらうわけにはいきません!」

「だが、鉱山には冒険者や犯罪者上がりのならず者もいる」

隷属の首輪による制約を受けない分、犯罪奴隷よりよほど質の悪い連中の存在を上げれば、アリシアが一瞬だけ躊躇を見せた。それでも次の瞬間にはまた笑って首を振る。

「大丈夫です。私にはイロン、地の精霊がついてくれています。いざとなれば彼の力で逃げることができますから」

だから心配するなと言うアリシア。確かに彼女の言う通り、精霊、しかも地の精霊というこの地においては最上とされる存在が力を貸すのであれば、然して心配する必要はないのだろう。ただ――

(ただ……なんだ?)

胸に何かがつかえる。胸元を擦ってみるが、正体不明の何かがなくなるわけではない。誤魔化すようにして、皿に盛られたパンに手を伸ばした。アリシアの窺うような視線がこちらに向けられる。

「それに、あの……」

「?」

「私、ルーカスさんのお仕事の邪魔はしたくありません。ルーカスさんの役に立ちたいです……」

言いながら、再び頬を染めて俯くアリシア。彼女を見下ろしたまま返す言葉を探すが、何を言うべきかが咄嗟に出て来ない。ただ、先ほどまで感じていた胸のつかえは、不思議なくらいにあっさりと消え去っていた。




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