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第一章 絶望の始まり

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玄関ホールの階段の上、手すりから身を乗り出すようにしてこちらを見下ろす異母妹シェリルの姿を眩しく見上げた。父譲り、兄と同じ金の髪を下ろした彼女は、緑の瞳に好奇心にも似た輝きを乗せている。妹の登場に、兄が動いた。

「シェリル、部屋に居るようにと言っただろう?」

そう言いながらシェリルの元へと階段を上り始めた兄の目には、既に私の姿など映っていない。兄がシェリルの隣に並んだ。同じ両親から生まれた私よりもよほど兄妹らしい二人の姿に、胸が疼く。

「ですけど、お兄様。お姉様は遠くへ行ってしまうのでしょう?ガノーク、でしたっけ?離れ離れになる前に、お姉様に一言お別れを言いたかったんです」

「駄目だ。あの者は既に公爵家を外れた大罪人。これから聖女として王太子殿下の隣に立つお前が関わるような人間ではない」

吐き捨てるようにそう口にした兄の目が、冷たくこちらを見下ろす。二人の会話から自身の行く末を理解して、再び眩暈に襲われた。

(ガノーク、……ヘンレン自治区のガノーク鉱山)

隣国との境にある自治区にある巨大鉱山は、その地の主要産業であると同時に、この国における犯罪者の流刑地でもあった。兄の言う「大罪」とは、私が行ったとされている試練の庭の火災事件を指すのだろう。

私は、犯罪奴隷として売られていくのか――

「……ローグ、シェリルの前にいつまでもその女を晒しておくな。さっさと連れ出せ」

兄の命じる声が遠くに聞こえた。短く「御意」と答えたローグに引きずられ、玄関扉へと向かう。近い距離、熱を感じるほどの近さで私の腕を引くローグを見上げた。

「……一つだけ教えて」

前を向いたまま、視線の合わない男に問いかける。

「あなたは知っていたのでしょう?……私がまいた水、あれがただの水ではないことを」

あの日、男子禁制の試練の庭に居たのは、確かに私一人だった。けれど、庭に入る直前まで、私の側にはローグが居た。そして、件の水、既に水の汲まれた如雨露を私に手渡したのは、他でもない彼だ。

歩みを止めぬまま、チラリとこちらを見下ろしたローグと視線が合う。凪いだ表情の男が口を開いた。

「仮に、燃える水を用意したのが私だとして、魔法の使えない私がどうやって火を放つことが出来ると?」

「それは……」

「私には、庭園の外から火を放つことはできません。……精霊の加護を持たない私では」

「っ!?」

ローグの言葉に、思わず背後を振り向いた。美しい一対の男女を見上げる。母譲りの茶の髪に黒の瞳という地味な色しか持たぬ私とは違う、輝くような美しさを放つ二人は精霊に愛されし者たち。シェリルは緑の精霊の加護を、そして、兄は、火の精霊による加護を持っていた。

「今回の件はキャンドラーの、……いいえ、お兄様のご意向だと?」

自分の声が震えているのが分かる。

(それほどまでに、お兄様は私を憎んでいるの……?)

家族から母を奪った私を兄が憎んでいることは知っていた。それでも、私は兄や父に愛されたかった。彼らに愛されるため、公爵家の一員として認められようと努力し続けた私の居場所をあっさりと奪っていったのは――

「お姉様、元気でいらしてね!」

兄の隣でシェリルが手を振る。無邪気に、満面の笑みを浮かべる彼女が私の前に現れたのはちょうど十年前。父と平民の女性の間に産まれ、市井で暮らしていた彼女が公爵家に引き取られたのは、生母が病で亡くなったためだった。引き取られた当初こそ、彼女に同類としての親近感を抱くこともあったが、彼女は私とは違った。

天真爛漫、憂いなど何もないのだと言わんばかりの明るさで周囲を魅了する彼女を、父と兄は慈しんだ。この十年間、彼らの愛情を一心に受け続けたシェリルのことが、私はどうしようもなく羨ましく、そして、どうしようもなく憎かった。

(あなたさえ、あなたさえいなければ……!)

咄嗟に、自由な方の手で髪に差していた髪飾りを掴み取る。ローグが制止に動く前に、階上に居るシェリル目掛けて髪飾りを投げつけた。金属とは言え、大きさのない髪飾りに大した威力などない。シェリルに当たったところで怪我一つ負わせることも出来ないが――

「え……?」

宙を飛んでいた髪飾りが、シェリルに当たる直前で弾かれた。目の前で起きた不思議な現象に驚き、目を見開く。彼女の前、ちょど胸の高さに何やら光るものが見えた。両手の掌に乗りそうな大きさ、ヒト型の何か。金の髪に緑の瞳をした小さな男の子の姿をしたソレは、シェリルを背後に庇うようにして宙に浮かんでいた。彼の背に、透けて輝く羽根が見える。

「そんな……」

家庭教師に習った通り、書物で目にしたことのある姿、彼はまず間違いなく精霊だった。初めて視ることが出来た精霊という存在。ヒト型ということは中位以上、シェリルを庇っていることから、彼女に加護を与えている緑の上位精霊なのだろう。その精霊が、今、私に怒りの表情を向けている。

(えっ?……なに?)

初めて目にしたはずの精霊の姿に既視感を覚えた。突如、頭の中に流れ込んで来た正体不明の情報に翻弄され、呆然と立ち尽くす。

「貴様!シェリルに何ということを!ローグ、さっさとソイツを連れていけ!」

兄の怒号が遠くに聞こえる。腕を引かれて、屋敷の外へと引きずり出された。屋敷の扉が閉まる寸前、最後に見えた精霊の姿にはっきりとした記憶が蘇る。

(私、あの子を、……あの子じゃないあの子を知ってる!)




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