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第一章 絶望の始まり
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「アリシア!お前は何ということをしでかしてくれたんだ!」
「誤解です、お父様!私は何もしておりません!私はただ花に水を!」
「言い訳をするな!お前が王家の庭に『燃える水』をまいたことは分かっている!」
父、キャンドラー公爵ヨハネスの怒号にギリと奥歯を嚙み締めた。父が私の言葉に耳を貸すことはない。それが常とは言え、釈明すらも許されない歯がゆさに苛立ちが募る。
「幸い、燃えたのははお前の花だけ。シェリルの花壇にまで被害が及ばなかったのが救いだ……」
同じく、聖女候補として王宮での試練を受けている異母妹の名を出され、父への苛立ちが増した。父が大きくため息をつく。
「妹に後れを取ったからと、試練の庭に火を持ち込むとは。何と愚かな娘だ」
「お父様、花を燃やしたのは私ではありません!」
「もう良い。元より、精霊使いとしての資質はあの子が上、聖女の花を咲かせるのも時間の問題だろう。ウィラード殿下が妃として望まれのもシェリルの方だ」
バッサリと切り捨てられて、返す言葉を失った。父の言う通り、例え私の花が無事であっても、私が聖女に選ばれることはなかっただろう。試練の庭で、「聖女の花」と呼ばれる大輪を咲かせることが出来るのは、「精霊の助けを得られる者」だけ。既に「緑の上位精霊」の加護を得ているシェリルとは違い、私は未だ精霊の姿を視ることさえ叶わない。
「……聖女には選ばれずとも、王太子殿下の目に留まる可能性もあるかと思ったが、今回の件で、万に一つもお前が殿下に選ばれることはなくなった。今この時を持って、お前をキャンドラー家から放逐する」
「お、とう様……」
「二度とキャンドラーの名を名乗ることは許さん。今すぐ出ていけ」
告げられた言葉に、視界が暗くなる。身体中の力が抜けて足元がふらついたが、身体が倒れ切る前に背後から腕を取られた。
「……ローグ」
背後から抱きかかえるように支えてくれたのは、子どもの頃から側に居る私の従者。黒髪の長い前髪の奥から見下ろしてくる黒の瞳は慣れ親しんだものだが、今は男を視界に入れることさえ不愉快だった。
「連れていけ」
短く命じる父の一言に、ローグが私の腕を引く。半ば引きずられるようにして父の執務室を出た。沈黙したまま前を進むローグの背に尋ねる。
「私の処遇はどうなるの?」
「アリシア様の今後については、バーレット様が手配されております」
振り返りもしないローグの冷めきった声に苛立つと同時、不安が芽生える。私の今後を決めたのが私を憎む兄だというのならば、私の未来に光明はない。一体、どれほど悲惨な目に会わされるのか。芽生えた不安がどんどん膨らんでいく。逃げ出したい、咄嗟にそう思うものの、どこへどうやって逃げればいいのかも分からない。
(こんな時、力になってくれる人が一人も居ないなんて……)
母の命を奪ってこの世に生を受けた私には、公爵家での居場所が無かった。父に疎んじられ、兄に憎まれる私に味方する家人などおらず、辛うじて、側に居てくれたのは、世話係としてつけられたローグだけだった。
(……それも、あの子がこの家に来るまでだったけれど)
今、こちらに冷たい横顔を見せる男にかつての優しさは見当たらない。一応は私付きの従者であるはずの彼の忠誠は、既に異母妹シェリルに捧げられていた。それは、ローグに限った話ではないが――
「お待たせしました。バーレット様」
諦めに似た思いで連れていかれた先、玄関ホールに、兄と見慣れぬ風体の男が立っていた。ローグは立ち止まることなく兄へと近づいて行く。こちらを振り向いた兄が、追い払うかのように手を振った。
「ああ。話は済んでいる。さっさとそいつを引き渡せ」
(引き渡す……?)
不穏な言葉に兄を見上げれば、感情の無い緑色の瞳に見下ろされた。兄と話をしていた男に腕を掴まれ、強く引かれる。
「おい。あんたはこっちだお嬢様。大人しくついて来い」
見ず知らずの男に触れられた恐怖と不快から、咄嗟に男の手を振り払った。怒りに顔を歪めた男の手に再び捕らえられたところで、上階からパタパタと軽い足音が聞こえて来る。
「お姉様!もう行かれてしまうのですか?」
「誤解です、お父様!私は何もしておりません!私はただ花に水を!」
「言い訳をするな!お前が王家の庭に『燃える水』をまいたことは分かっている!」
父、キャンドラー公爵ヨハネスの怒号にギリと奥歯を嚙み締めた。父が私の言葉に耳を貸すことはない。それが常とは言え、釈明すらも許されない歯がゆさに苛立ちが募る。
「幸い、燃えたのははお前の花だけ。シェリルの花壇にまで被害が及ばなかったのが救いだ……」
同じく、聖女候補として王宮での試練を受けている異母妹の名を出され、父への苛立ちが増した。父が大きくため息をつく。
「妹に後れを取ったからと、試練の庭に火を持ち込むとは。何と愚かな娘だ」
「お父様、花を燃やしたのは私ではありません!」
「もう良い。元より、精霊使いとしての資質はあの子が上、聖女の花を咲かせるのも時間の問題だろう。ウィラード殿下が妃として望まれのもシェリルの方だ」
バッサリと切り捨てられて、返す言葉を失った。父の言う通り、例え私の花が無事であっても、私が聖女に選ばれることはなかっただろう。試練の庭で、「聖女の花」と呼ばれる大輪を咲かせることが出来るのは、「精霊の助けを得られる者」だけ。既に「緑の上位精霊」の加護を得ているシェリルとは違い、私は未だ精霊の姿を視ることさえ叶わない。
「……聖女には選ばれずとも、王太子殿下の目に留まる可能性もあるかと思ったが、今回の件で、万に一つもお前が殿下に選ばれることはなくなった。今この時を持って、お前をキャンドラー家から放逐する」
「お、とう様……」
「二度とキャンドラーの名を名乗ることは許さん。今すぐ出ていけ」
告げられた言葉に、視界が暗くなる。身体中の力が抜けて足元がふらついたが、身体が倒れ切る前に背後から腕を取られた。
「……ローグ」
背後から抱きかかえるように支えてくれたのは、子どもの頃から側に居る私の従者。黒髪の長い前髪の奥から見下ろしてくる黒の瞳は慣れ親しんだものだが、今は男を視界に入れることさえ不愉快だった。
「連れていけ」
短く命じる父の一言に、ローグが私の腕を引く。半ば引きずられるようにして父の執務室を出た。沈黙したまま前を進むローグの背に尋ねる。
「私の処遇はどうなるの?」
「アリシア様の今後については、バーレット様が手配されております」
振り返りもしないローグの冷めきった声に苛立つと同時、不安が芽生える。私の今後を決めたのが私を憎む兄だというのならば、私の未来に光明はない。一体、どれほど悲惨な目に会わされるのか。芽生えた不安がどんどん膨らんでいく。逃げ出したい、咄嗟にそう思うものの、どこへどうやって逃げればいいのかも分からない。
(こんな時、力になってくれる人が一人も居ないなんて……)
母の命を奪ってこの世に生を受けた私には、公爵家での居場所が無かった。父に疎んじられ、兄に憎まれる私に味方する家人などおらず、辛うじて、側に居てくれたのは、世話係としてつけられたローグだけだった。
(……それも、あの子がこの家に来るまでだったけれど)
今、こちらに冷たい横顔を見せる男にかつての優しさは見当たらない。一応は私付きの従者であるはずの彼の忠誠は、既に異母妹シェリルに捧げられていた。それは、ローグに限った話ではないが――
「お待たせしました。バーレット様」
諦めに似た思いで連れていかれた先、玄関ホールに、兄と見慣れぬ風体の男が立っていた。ローグは立ち止まることなく兄へと近づいて行く。こちらを振り向いた兄が、追い払うかのように手を振った。
「ああ。話は済んでいる。さっさとそいつを引き渡せ」
(引き渡す……?)
不穏な言葉に兄を見上げれば、感情の無い緑色の瞳に見下ろされた。兄と話をしていた男に腕を掴まれ、強く引かれる。
「おい。あんたはこっちだお嬢様。大人しくついて来い」
見ず知らずの男に触れられた恐怖と不快から、咄嗟に男の手を振り払った。怒りに顔を歪めた男の手に再び捕らえられたところで、上階からパタパタと軽い足音が聞こえて来る。
「お姉様!もう行かれてしまうのですか?」
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