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第一章
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所用で10日ほど空けた学生寮に帰りつくと、自室のベッドにそのまま倒れこむ。今回の任務にはかなりてこずらされた。最後は気力と魔力で乗り切ったが、体力面に不安を残す結果はいただけない。
「不甲斐ない」
一人こぼす言葉に返る声はない。窓の外はシトシトと降り続く雨。しばし心がたゆたうに任せる。ふと、扉の外に気配を感じれば、扉を叩く音とともに微かに名を呼ばれた。
「ユニファルア嬢か?どうした?」
誰何しながら起き上がって扉を開ける。濡れそぼった外套の覆いの下から、いささか驚いた表情の見知った顔が見上げてくる。
「っ!ヴィアンカ様!」
いつも限界ギリギリの表情で、けれど決して決壊することを己に許さなかった少女の瞳からボロボロとこぼれ落ちる涙。
「何か、あったのだな。とりあえず中に入りなさい。…妹御も」
泣き崩れる姉の横には、その姉を支えようと気丈に顔をあげる年若い少女。姉によく似た空色の瞳には、耐え難い痛みに負けまいとする強い意志が浮かんでいた。
冷えきった体の姉妹を部屋に招き、暖炉に火をいれる。
外套を脱がせた姉妹をベッドに座らせ、ユニファルアの言葉を待つ。しかし一度決壊してしまった涙はなかなか止まらず、部屋には少女の嗚咽だけが広がる。
「…すまなかった。大事な時に傍にいてやれなかったな」
「!?い、いいえ!いいえ!」
涙に声を詰まらせながら、それ以上言葉が出ないのか、首を降り続けるユニファルア。少女の意地らしい姿に、こみ上げてくるものがある。
手を伸ばし、強く腕の中に抱きしめた身体のあまりの細さに、耐え、忍んできた少女の苦労を思う。
「…悪いのはあの男です」
今だ言葉を紡げない姉の代わりに口を開いたのは、今年10になると聞かされたことのある、彼女の妹。
「ねえ様はなんにも悪くない。いつだって一生懸命、領地や私や屋敷のみんな、みんなのために!」
抑えきれなかったのか、自分自身の言葉につられるように少女の声が叫びに変わり、ポロポロと涙が溢れ出す。
「とう様や、かあ様がいないから!?だからあんな、あんな!…あんな奴ら大嫌い!」
「リリィ!」
妹の嘆きに、ユニファルアはギュッと唇を噛み締める。こちらの腕から抜け出すと、涙をこらえて己の細腕に妹を抱きしめた。
「ねえ様!ねえ様!」
悲痛に満ちた泣き声をあげる妹の背を労るようになでながら、ユニファルアがゆっくりと口を開いた。
「…シヴェスタ・セウロン様との婚約が、破棄されました」
「…そうか」
想定された中の、しかしできれば一番避けたかった事態に思わず嘆息する。
「申し訳ありません。ヴィアンカ様には色々とご助力頂きましたのに…」
「いや。私の力不足だ。こちらこそすまない。肝心なときに不在にした」
「いえ、それこそこちらの問題にヴィアンカ様は巻き込まれただけ。本来ならこのように訪問することさえも迷惑だとわかっていたのですが」
それでも、と少女は言葉を続ける。最後に別れの挨拶だけでもしたかった、という言葉に己の無力を痛感する。
「ヴィアンカ様がご不在にされていたのは知っておりましたから。もしかしたらと最後の悪あがきで訪ねてしまいました」
訪れから初めて、微かにではあるが懸命に笑みを浮かべて見せるユニファルア。
若くして両親を失った彼女が、その両肩にのせていたものの重みは同世代の比ではない。一見たおやかな少女にしか見えない彼女の持つ鋼の強さ。今、他者の心無い行いで折れそうなそれが、弛むことを許される時が訪れるなら―
「あら?寝てしまったようです」
泣きつかれて眠ってしまった妹の髪を緩やかにとく。慈愛溢れる姉の眼差しにはやがて決意の火が点る。
「…ヴィアンカ様。今までお世話になりました。私たちは市井におります。士官学校も退学致しましたので、軍籍にも残れません」
「候爵位は、叔父のサルマン子爵が継ぐのだな?」
「はい。叔父には侯爵家から後妻として嫁ぐよう言われましたが、それではリリアージュを残していくことになります。あの叔父の元に妹を残しては行けません。ですので、甘いと言われようと市井で二人で生きていくことに致しました」
「…そうか」
「今までヴィアンカ様には本当によくして頂いて。お会いできなくなるのは寂しいです」
見上げる空色の瞳に、再び溢れそうになる雫。現実を、その容赦なさを知らない少女ではない。ならばその覚悟に、こちらも同じ覚悟で応える時が来たのだろう。
「ユニファルア。この私に、ヴィアンカ・ラスタードに次の人生をかけてみる気はあるか?」
「!…ヴィアンカ様?」
「苦労をかけないとは言えない。場所柄、今までよりよほど危険な目に合わせることもある。それでも君を正当に評価し、君が尊厳を持って働ける場所を用意する」
「働ける場所、でございますか?」
「ああ。帝都からはだいぶ離れる。田舎ゆえ優雅とは程遠いが、リリアージュと共に暮らせることは保証する。ただ…」
「ただ?」
話を聞く瞳は真剣だ。彼女達の今後の人生がかかっている。残された選択肢は多くないとは言え、最後の決定は彼女に委ねたい。
「…君たちを連れていくのにどうしても抵抗があることが1つだけ」
ユニファルアに逃げ場を与えたいと思いながらも、それでも今まで提案を延ばしてきた所以。
「…魔物が出る。それも恒常的、日常的に」
「!?魔物!?」
大規模結界に守護された帝都では、軍や施設での訓練、実験用の魔物以外を見かけることはまずないと言える。帝都周辺に生きる者にとって、魔物など一生目にすることがないのが通常なのだ。
「魔物…結界の外。しかも日常的ということは、辺境領ということでしょうか?」
「そう。北の辺境、ダーマンドル領だ」
早熟にならざるを得ず、知識に富むユニファルアの理解は早い。
「…私達に残された道がそう多く無いことはわかっております。正直、北の地で私に何ができるのか」
向けられる一身な瞳。
「けれど、ヴィアンカ様のお気持ちだけは疑うことなく信じられるのです」
眼差しにこもるユニファルアの想いが重く、そして心地よい。この想いを、もう二度と裏切りたくはない。
「ヴィアンカ様、お言葉に甘えさせていただきます。どうか、私たちをお連れください」
「…ああ。」
少女の中に、負けまいと、折れまいとする鋼が再びピンと張りつめていくのがわかる。
―願わくば、かの地が少女の安住の地とならんことを―
魔の森と境界を接する北の大地を治めるは歴戦の辺境伯。民に、臣下に慕われる老伯の元でならばあるいは。
「さっそくで悪いが、直ぐにあちらへ向かおう。…とんぼ返りになってしまうが」
「?今から、ですか?」
「ああ、転移で向かう。流石に帝都内から跳ぶわけには行かない。最寄りの転移陣までは馬車を拾おう」
「ヴィアンカ様、ヴィアンカ様はお疲れなのでは?生憎、私は魔石の持ち合わせもございません。辺境までの複数転移となると」
窓の向こうではいつしか雨が上がり、外は夜の帳に包まれている。不安げな顔に、大丈夫だとうなずいてやる。
「リリアージュは私が抱いて行こう。魔力には余力がある。君たち二人くらいなら、問題なく連れて跳べる」
数刻前に後にした場所、少女達を連れて戻れば驚かせてしまうことになるだろう。そういうことには間違いなく首を突っ込んでくるであろう己の上司。
彼の反応を思うと少々わずらわしい気はする。上司として、次期辺境伯としての男を信頼してはいるが、何かと構い倒されることにはいつまでたっても慣れることがない。
「行こうか」
腕の中に柔らかな温もりを抱いて立ち上がる。ふと、閉じた扉にかけられた暦が目に入る―守りたかった者を守れなかったこの日―気付けば卒業まで、残り半年を切っていた。
所用で10日ほど空けた学生寮に帰りつくと、自室のベッドにそのまま倒れこむ。今回の任務にはかなりてこずらされた。最後は気力と魔力で乗り切ったが、体力面に不安を残す結果はいただけない。
「不甲斐ない」
一人こぼす言葉に返る声はない。窓の外はシトシトと降り続く雨。しばし心がたゆたうに任せる。ふと、扉の外に気配を感じれば、扉を叩く音とともに微かに名を呼ばれた。
「ユニファルア嬢か?どうした?」
誰何しながら起き上がって扉を開ける。濡れそぼった外套の覆いの下から、いささか驚いた表情の見知った顔が見上げてくる。
「っ!ヴィアンカ様!」
いつも限界ギリギリの表情で、けれど決して決壊することを己に許さなかった少女の瞳からボロボロとこぼれ落ちる涙。
「何か、あったのだな。とりあえず中に入りなさい。…妹御も」
泣き崩れる姉の横には、その姉を支えようと気丈に顔をあげる年若い少女。姉によく似た空色の瞳には、耐え難い痛みに負けまいとする強い意志が浮かんでいた。
冷えきった体の姉妹を部屋に招き、暖炉に火をいれる。
外套を脱がせた姉妹をベッドに座らせ、ユニファルアの言葉を待つ。しかし一度決壊してしまった涙はなかなか止まらず、部屋には少女の嗚咽だけが広がる。
「…すまなかった。大事な時に傍にいてやれなかったな」
「!?い、いいえ!いいえ!」
涙に声を詰まらせながら、それ以上言葉が出ないのか、首を降り続けるユニファルア。少女の意地らしい姿に、こみ上げてくるものがある。
手を伸ばし、強く腕の中に抱きしめた身体のあまりの細さに、耐え、忍んできた少女の苦労を思う。
「…悪いのはあの男です」
今だ言葉を紡げない姉の代わりに口を開いたのは、今年10になると聞かされたことのある、彼女の妹。
「ねえ様はなんにも悪くない。いつだって一生懸命、領地や私や屋敷のみんな、みんなのために!」
抑えきれなかったのか、自分自身の言葉につられるように少女の声が叫びに変わり、ポロポロと涙が溢れ出す。
「とう様や、かあ様がいないから!?だからあんな、あんな!…あんな奴ら大嫌い!」
「リリィ!」
妹の嘆きに、ユニファルアはギュッと唇を噛み締める。こちらの腕から抜け出すと、涙をこらえて己の細腕に妹を抱きしめた。
「ねえ様!ねえ様!」
悲痛に満ちた泣き声をあげる妹の背を労るようになでながら、ユニファルアがゆっくりと口を開いた。
「…シヴェスタ・セウロン様との婚約が、破棄されました」
「…そうか」
想定された中の、しかしできれば一番避けたかった事態に思わず嘆息する。
「申し訳ありません。ヴィアンカ様には色々とご助力頂きましたのに…」
「いや。私の力不足だ。こちらこそすまない。肝心なときに不在にした」
「いえ、それこそこちらの問題にヴィアンカ様は巻き込まれただけ。本来ならこのように訪問することさえも迷惑だとわかっていたのですが」
それでも、と少女は言葉を続ける。最後に別れの挨拶だけでもしたかった、という言葉に己の無力を痛感する。
「ヴィアンカ様がご不在にされていたのは知っておりましたから。もしかしたらと最後の悪あがきで訪ねてしまいました」
訪れから初めて、微かにではあるが懸命に笑みを浮かべて見せるユニファルア。
若くして両親を失った彼女が、その両肩にのせていたものの重みは同世代の比ではない。一見たおやかな少女にしか見えない彼女の持つ鋼の強さ。今、他者の心無い行いで折れそうなそれが、弛むことを許される時が訪れるなら―
「あら?寝てしまったようです」
泣きつかれて眠ってしまった妹の髪を緩やかにとく。慈愛溢れる姉の眼差しにはやがて決意の火が点る。
「…ヴィアンカ様。今までお世話になりました。私たちは市井におります。士官学校も退学致しましたので、軍籍にも残れません」
「候爵位は、叔父のサルマン子爵が継ぐのだな?」
「はい。叔父には侯爵家から後妻として嫁ぐよう言われましたが、それではリリアージュを残していくことになります。あの叔父の元に妹を残しては行けません。ですので、甘いと言われようと市井で二人で生きていくことに致しました」
「…そうか」
「今までヴィアンカ様には本当によくして頂いて。お会いできなくなるのは寂しいです」
見上げる空色の瞳に、再び溢れそうになる雫。現実を、その容赦なさを知らない少女ではない。ならばその覚悟に、こちらも同じ覚悟で応える時が来たのだろう。
「ユニファルア。この私に、ヴィアンカ・ラスタードに次の人生をかけてみる気はあるか?」
「!…ヴィアンカ様?」
「苦労をかけないとは言えない。場所柄、今までよりよほど危険な目に合わせることもある。それでも君を正当に評価し、君が尊厳を持って働ける場所を用意する」
「働ける場所、でございますか?」
「ああ。帝都からはだいぶ離れる。田舎ゆえ優雅とは程遠いが、リリアージュと共に暮らせることは保証する。ただ…」
「ただ?」
話を聞く瞳は真剣だ。彼女達の今後の人生がかかっている。残された選択肢は多くないとは言え、最後の決定は彼女に委ねたい。
「…君たちを連れていくのにどうしても抵抗があることが1つだけ」
ユニファルアに逃げ場を与えたいと思いながらも、それでも今まで提案を延ばしてきた所以。
「…魔物が出る。それも恒常的、日常的に」
「!?魔物!?」
大規模結界に守護された帝都では、軍や施設での訓練、実験用の魔物以外を見かけることはまずないと言える。帝都周辺に生きる者にとって、魔物など一生目にすることがないのが通常なのだ。
「魔物…結界の外。しかも日常的ということは、辺境領ということでしょうか?」
「そう。北の辺境、ダーマンドル領だ」
早熟にならざるを得ず、知識に富むユニファルアの理解は早い。
「…私達に残された道がそう多く無いことはわかっております。正直、北の地で私に何ができるのか」
向けられる一身な瞳。
「けれど、ヴィアンカ様のお気持ちだけは疑うことなく信じられるのです」
眼差しにこもるユニファルアの想いが重く、そして心地よい。この想いを、もう二度と裏切りたくはない。
「ヴィアンカ様、お言葉に甘えさせていただきます。どうか、私たちをお連れください」
「…ああ。」
少女の中に、負けまいと、折れまいとする鋼が再びピンと張りつめていくのがわかる。
―願わくば、かの地が少女の安住の地とならんことを―
魔の森と境界を接する北の大地を治めるは歴戦の辺境伯。民に、臣下に慕われる老伯の元でならばあるいは。
「さっそくで悪いが、直ぐにあちらへ向かおう。…とんぼ返りになってしまうが」
「?今から、ですか?」
「ああ、転移で向かう。流石に帝都内から跳ぶわけには行かない。最寄りの転移陣までは馬車を拾おう」
「ヴィアンカ様、ヴィアンカ様はお疲れなのでは?生憎、私は魔石の持ち合わせもございません。辺境までの複数転移となると」
窓の向こうではいつしか雨が上がり、外は夜の帳に包まれている。不安げな顔に、大丈夫だとうなずいてやる。
「リリアージュは私が抱いて行こう。魔力には余力がある。君たち二人くらいなら、問題なく連れて跳べる」
数刻前に後にした場所、少女達を連れて戻れば驚かせてしまうことになるだろう。そういうことには間違いなく首を突っ込んでくるであろう己の上司。
彼の反応を思うと少々わずらわしい気はする。上司として、次期辺境伯としての男を信頼してはいるが、何かと構い倒されることにはいつまでたっても慣れることがない。
「行こうか」
腕の中に柔らかな温もりを抱いて立ち上がる。ふと、閉じた扉にかけられた暦が目に入る―守りたかった者を守れなかったこの日―気付けば卒業まで、残り半年を切っていた。
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