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1巻

1-3

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   ◇◇◇


 部屋を出てから三時間後。
 私はマイヤースとは別のホテルにいた。
 それなりに信頼の置ける情報網を使って辿たどいた場所だが、ホテル全体にうら寂れた雰囲気がただよっている。その廊下を周囲を警戒しながら歩き、目的の部屋を見つけた。

(本当に、ここ……?)

 どことなくくすんで見える部屋の扉は、お世辞にも「高級」とは言い難い。
 こんな場所に目的の人物がいるのだろうかといぶかしみつつ、扉をノックする。
 二度、三度。
 徐々に扉を叩く手に力を込めるも、部屋の中からはなんの反応もなかった。
 四度目。今度は部屋の主の名と共に扉を叩くと、ようやく、中から不明瞭ふめいりょううめごえが返ってくる。それを、「入室許可」だと判断し、扉を開けた。
 途端、視界に飛び込んできた光景の悲惨さに、思わず息を呑む。同時に、広くはない部屋の奥で寝転がったままの男と目が合った。
 一拍の沈黙の後、彼が何か言おうとするのに先んじて、こちらが口を開く。

「まぁ、なんと言いますか、その……」

 何を言えばいいのか分からない。
 相手の気分を害さぬよう、慎重に言葉を選んだ。

「今の私が言うには、少々、さわりがある気もいたしますが……」

 挨拶あいさつの、最初の一言に苦慮する。

「……えず、『ご機嫌いかが?』とは、お伺いしないほうがよろしいみたいですね」

 多少、的を外した気はするが、微笑ほほえんでおく。
 さかびんが無造作に転がる卓を前に、長椅子に肢体を投げ出していた男が、ゆっくりとその身を起こした。
 寝ていたわけではなさそうだが、取り次ぎもなしに押しかけたせいか、男は不機嫌な態度を隠そうともしない。
 そんな彼に向かって、ニッコリと笑みを深める。

「ご機嫌をお伺いするまでもなく、『まさに散々』といった有様ありさまでいらっしゃいますものね、ロベルト様?」

 左頬に治りかけのあざを残した男――ロベルト・クロイツァーがこちらをにらんだ。
 ぶっちょうづらをする彼に、少しだけ、「マズかったかな?」と反省する。

(うーん。これはどうやら、タイミングが悪かったみたい……)

 場をなごますための冗談のつもりだったのに。
 それがどうやら、彼にとっては最悪なタイミングの最悪な挨拶あいさつだったようだ。

(まぁ、そうよね。私だって、三時間前の状態を人に見られたら、暴れたくなるもの)

 そう考えると、黙ってにらむに留めているロベルトの対応は、ずいぶん紳士的だと言える。
 そんな彼の紳士な態度に応えるのなら、ここは一旦引いて、最適なタイミングを見計らって再訪するのが望ましいだろう。
 ただ、残念なことに、私には次のタイミングを悠長に待つ時間がなかった。
 だから、もう一度、ニコリと最上級の笑みを浮かべる。

「ロベルト様。今日は、貴方にお願いがあって参りました。どうか、私の話を聞いていただけないでしょうか?」

 単刀直入に訪問の理由を告げた。
 ロベルトの口元に薄い笑いが浮かぶ。

「未来の公爵夫人ともあろうお方が、供も連れずに男の部屋を訪ねてくるとはね。更には、『お願いがある』ときた。いやはや、一体全体、どんなお願いを聞かされるのやら」

 不摂生な生活ゆえか、シニカルにわらう彼の顔には、疲労の色が濃い。一見して、酒気が残っているようだったが、こちらをうかがう瞳には油断のない理知の輝きが残っていた。
 互いに互いを観察し合ううち、不意にロベルトが口を開く。

「ここに君がいることを、エドワードは承知しているのか?」

 語気鋭い問いに一種の威圧を感じ、小さく首を横に振る。

(こういうところは、『腐っても』って感じ……)

 名ばかり伯爵家とはいえ、ロベルトは現クロイツァー家当主。夭逝ようせいした先代の跡を継いで、六年前、二十歳という若さで伯爵位に就いている。元夫となったエドワードとは同年の従兄弟同士だ。

(まぁ、『仲の良い親族』ではないけれど……)

 エドワードがロベルトの名を口にすることはめっになかった。
 たまに社交界で顔を合わせても、彼はロベルトを無視する。それに対して、ロベルトが一方的に絡むという構図が成り立っていた。今の私にはロベルトのその気持ちが分からなくもない。
 ボーッと考え込んでいると、彼がやれやれと肩をすくめる。

「まったく、高貴なお方の考えは分からないね。夫に内緒でこんな場所まで来て。こんな酔いどれに、一体何を望むと?」

 ジロジロと不躾ぶしつけに向けられるあおい瞳は故意だろう。


 こちらを不快にさせて追い払おうとする彼に、再び首を横に振って応える。改めて、その瞳を見つめ返した。

(よく見ても、やっぱり、エドワードとは似ていない)

 野性味あふれる美丈夫の元夫と比べると、ロベルトは線が細い。瞳の色はそっくりなあおなのに、貴公子然とした美しさを持つロベルトの瞳はどこか甘く、受ける印象がエドワードとは全く違った。

(この人はもっとちゃんとしていれば、『王子様』のイメージそのものなのに)

 残念ながら、ロベルトの「ちゃんとした姿」を目にした記憶はない。
 そして今、想像上の王子様は服を着崩し、生気のない顔でだらしなく背もたれに体を預けていた。

(今の姿は、どこぞのマダムの愛人って感じ)

 そう揶揄やゆしてみても、美しいことに変わりはない。
 長い四肢ししを気だるげに投げ出すさまは、確かに落ちぶれて見える。それでも、退廃的な美しさを感じてしまうのは、彼の美貌びぼうが全ての欠点を補って余りあるからだ。
 これだけの美しさがあれば、人生などイージーモード。うらぶれる必要などないと思うが、この世界、貴族である彼にとってはそう簡単な話ではない。
 視線を、彼の顔から少しずらす。
 あの夜、会場のあかりにきらめいた金糸は、彼の背の中ほどまである。白に近い輝きを持つ長髪が、今は無造作に下ろされていた。

流浪るろうの民の血、か……)

 国を持たない流浪るろうの民は諸国を旅して回り、多くは行商や芝居で生計を立てている。そんな彼らの特徴とも言えるのがその髪色、金糸銀糸だ。
 カーテンを閉め切った室内では分かりにくいが、ロベルトのきらめく光沢は、本来、この国の人間が持ち合わせない美しさだった。

(この国の人の髪って、基本、つやなしマットカラーなんだよね)

 だから、「髪に光沢がある」のは、異端でしかない。「美しい」どころか、奇異なものとして見られるのだ。
 ジロジロ見すぎたせいか、ロベルトが私の視線の先に気付く。彼の顔がわずかにゆがんだ。
 しかし、一瞬の後には、その表情は綺麗に消し去られる。

「……酔いどれでなくとも、俺のような下賎げせんの者が未来の公爵夫人のお役に立てるとは、到底思えませんけどね」

 そう言って、彼は自らをおとしめてわらう。
「なんてことない」というふりで、つけられた傷を決して見せないようにして。
 この感じを、私はよく知っている。

(人のこと言えないけど、卑屈だなぁ……)

 ただ、彼の場合はそれも仕方ないのかもしれない。
 この世界において、髪の色は魔力の質を表し、その濃度は魔力の量を示す。
 赤、青、黄の三色を髪色の根源とするこの国では、三色から遠い髪色を持つ者はされ、時に差別の対象となる。
 ロベルトの髪色は貴族社会においてはきんに近く、彼が今までどのような扱いを受けてきたのか、容易に想像できた。

(これだけの美形でも、この国では胸を張って生きていけないのか……)

 そんなふうに思考するうちに、どうやら意識を飛ばしていたらしい。
 ロベルトは黙って待つことに飽きたのか、立ち上がって扉近くの卓へ向かう。置かれた水差しをつかんだ彼は、行儀悪く、そのまま口をつけてあおはじめた。
 反った背で金糸が揺れる。気付くとまた、そのきらめきにきつけられていた。

(こんなに綺麗なのに……)

 濡れた口元を袖でぬぐった男が、こちらを振り向く。

「……それで?」

 長髪が、臆すことなくさらされる。
 まれる髪を短く刈ることも隠すこともせず、社交界を渡り歩く。この男のひねくれた思考が、私は嫌いではなかった。

「結局、俺に何をやらせたいって?」

 ロベルトの言葉に、現実に引き戻される。
 そろそろ、こちらも覚悟を決めなければならない。無意識に、下腹に手が伸びた。

(うん。やっぱり、この人がいい……)

 直接言葉を交わして、私の復讐に必要なのは彼だと確信した。
 なんとしても彼が欲しい。その思いで、最初の一言を口にする。

「エドワード様と、離縁いたしました」
「なんだとっ……!?」

 ロベルトの目が驚愕きょうがくに見開かれる。彼のその反応に、心から安堵あんどした。
 どうやら、初手は成功のようだ。
 彼の関心を引けた今、最後まで話を聞いてもらえるよう、彼の気を引き続けねばならない。

「私はすでに、次期公爵夫人ではありません」
「待て! ちょっと待て……!」

 言って、ロベルトが頭を振る。
 思考をクリアにするためだろうか。案外、最初のショックからの立ち直りは早そうだ。鈍くない反応に、彼への好感が増す。
 彼が次にこちらを向いた時、その瞳は完全に落ち着きを取り戻していた。

「……別れたのか? エドワードと」
「はい」

 首肯すると、ロベルトが目を細める。彼の口から、一人の名前がこぼちた。

「シンシアか……」

 確信を持ったつぶやきに、小さく感嘆かんたんする。
 ヒントもなしに答えに行き着くとは。ロベルトはやはりどんではない。

(もしくは、誰でも気付くくらい、エドワードの態度が分かりやすかったか……)

 浮かんだ皮肉に口元がゆがむ。
 ロベルトは何事かを考え込み、こちらの存在を忘れているようだ。私は黙って、彼の言葉の続きを待つ。
 やがて、何かを得心した様子のロベルトが顔を上げる。

「……なるほど。そういうことか」

 こちらに視線を向けた彼の片頬が、いびつに持ち上がった。

「つまり、あんたは公爵夫人の座を追われて味方がいない。だから、はぐれ者の俺なんかに助けを求めに来たってわけだ」

 ロベルトが「ニヤリ」と音がしそうな笑みを浮かべる。端整な顔には不似合いな表情。彼の小物感が一気に増した。

(なんだろう。なんて言うか、すごく残念……)

 美形の無駄遣いとしか思えない。
 だが、当の本人はいたって楽しそうにしている。

「大方、俺と組んで、エドワードとシンシアを別れさせようって魂胆だろうが、まぁ、悪くはない人選だ。それで? どうやって、あの二人を引き離すつもりだ?」

 ロベルトが嬉々ききとして尋ねる。放っておくと、「シンシアをさらう」とでも言い出しそうだ。

(それできっと、手痛いしっぺ返しをくらうんだろうな)

 追い詰められた末に、エドワードに刺されるか、崖から落とされるか。
 あっけない最期を迎える姿が目に浮かぶ。

(冗談でしょう。そんなの、絶対に嫌)

 手本のようなませ犬街道。まっしぐらに突き進ませるつもりはない。

「私はお二人の仲をどうこうしようとは考えていません」
「なぜだ? エドワードとの復縁が目的ではないのか?」
「まさか、あり得ません!」

 生憎あいにく、そんな建設的な思考は持ち合わせていない。
 繰り返し「ない、ない」と否定すると、ロベルトの眉間みけん怪訝けげんそうなしわが刻まれる。

「……だったら、あんたは一体、何がしたいんだ?」
「復讐です」

 彼の問いに、間髪容かんはついれずに答えた。

「復讐……?」
「ええ」

 眉間みけんしわを深くするロベルトに、うなずいてかえす。

「私が望むのはエドワード様とシンシア様への復讐です。エドワード様には特に、心の底から『自分が間違っていた』と後悔していただきたいと思っています」

 想像して口元がゆるむ。

「私を切り捨てたことを悔いて悔いて悔いて……。心がむしばまれるほどの後悔に一生とらわれてほしいんです」

 そして叶うならば――

(私の足元にひれ伏し、いつくばって謝罪してほしい……)

 捨てた女にすがって、許しをう彼の姿が見たかった。
 そんな望みを吐露とろすると、ロベルトの表情が険しくなる。

「……無理だろう。あいつのそんな姿は想像できない」
「ええ。……残念ながら、私もそう思います」

 彼の言葉に再びうなずく。
 エドワードの性格的に、格下と見なした相手に膝を折ることは決してないだろう。

(分かってる。だけど、せめて、思いっきり悔しがる顔を見たい!)

 私が味わった脳が焼き切れそうなほどの屈辱くつじょく。その一欠片、一万分の一でもいい。彼にも味わわせてやりたかった。
 そして、言ってやるのだ。

「『ざまぁ見ろ』って……」
「?」
「言ってやりたいじゃないですか。……一度でいいから」

 私の言葉に、ロベルトの顔から表情が抜け落ちる。うつろな視線がしば虚空こくう彷徨さまよった。

「もし、本当にそんなことができるなら。俺は……」

 ポツリとつぶやいた彼の瞳が、徐々に元の光を取り戻す。
 次にこちらを向いた時、彼の眼差まなざしには強い生気がみなぎっていた。

「……具体的に何をするつもりだ? 俺に何をさせたい?」

 ロベルトは未だ警戒しつつも、声の調子に期待の色を隠せていない。

(そんな目をされたら、ちょっと心苦しい……)

 巻き込む以上、彼に対してフェアでなくては駄目だ。
 だから、思いついたこと――復讐の内容を、全て明かすことにした。

「私の復讐は、『賭け』なんです」
「賭け?」
「はい。ですから、この復讐は『必ず成功する』、『必ず勝てる』とは限りません」

 正直に告げると、ロベルトの眉間みけんに再びしわが寄る。彼が口を開いた。

「勝算は?」

 その問いに、体の力がフッと抜ける。
 ロベルトが口にしたのは拒絶ではなく問い。少なくとも、賭けに乗るかを検討する気があると知って、安堵あんどした。
 どうやら、気付かぬうちにだいぶ緊張していたらしい。

「勝算は、どのくらいなんでしょうね? 五割、くらいでしょうか?」

 正確なところは、自分でもよく分からない。ただ、結果は二つに一つしかなかった。
 曖昧あいまいな答えに、ロベルトが胡乱うろんな目をこちらに向ける。それに、肩をすくめて応えた。

だまそうとしているわけではないですよ。ただ本当に、五分五分かなぁ、と」

 もう一度、自らの腹部に触れてみる。

(ここに、いるかいないか……)

 そのどちらかだ。
 ロベルトが難しい顔でこちらを観察していた。私の言葉の真偽をさぐっているのだろう。
 やがて、小さく嘆息たんそくした彼が、「いいだろう」と告げる。

「その賭けとやらで、俺は何をすればいい?」

 ごく真面目に尋ねる彼に、内心で苦笑する。

(私の『賭け』に乗ってくれるんだ……)

 よくて勝算五割しかない怪しい賭け。しかも、よく知りもしない相手に、彼は賭けようとしている。
 復讐の相手が公爵家の人間というだけで、普通の感覚の人間なら、即刻「お断り」だろうに。

(だけど、ロベルトは相手がエドワードだからこそ、勝負に出ようとしてる)

 彼の感情につけ込む罪悪感はあるが、やはり、彼ほど復讐のパートナーに相応ふさわしい人はいない。

(私の選択は間違ってなかった)

 自然に顔が笑う。笑ったまま、自らの願いを口にした。
 見上げるあおい瞳に、心からの同族意識を込めて――

「ロベルト様、私と結婚してください」


   ◆◆◆


 一瞬、目の前の女の言葉が理解できなかった。
 数拍の沈黙の後、理解した言葉の意味に、頭が芯まで冷える。
 どうやら、また、くだらない冗談に引っかかったらしい。
 そうと気付かず、一時でも女の戯言たわごとを本気にした自分に腹が立った。

(クソッ……!)

 こんな女と関わったのが間違いだ。丁重に追い出し、さっさとしまいにしよう。
 そう思うが、上手うまく笑えない。静かに見上げてくるすいの瞳が、無性に苛立いらだたしかった。

「……俺を、馬鹿にしているのか?」

 知らず、口から言葉がこぼちる。
 低い声。出すつもりのなかった言葉には、怒り、うらみ――隠しようのない己の感情がこめられていた。だが、女――イリーゼは、顔色一つ変えずに、「いいえ」と首を横に振る。

「馬鹿になどしていません。勿論もちろん、冗談を言っているわけでもありません」
「では、なぜ……」

 声がかすれた。みっともない。
 なのに、言葉が止まらなかった。

「なぜ、そんな話になる。俺と結婚だと……?」

 問いはしたが、答えが欲しかったわけではない。「冗談ではない」というイリーゼの言葉を信じたわけでもなかった。
 ただ、ひどく混乱していた。
 本当にたちの悪い冗談だ。彼女がそんなことを言い出した理由が分からない。
 重い何かが胸をふさぐ。

「あの、ロベルト様……?」

 名を呼ばれ、声のしたほうへ漫然まんぜんと視線を向けた。己を見上げるイリーゼの表情に、わずかに虚をかれる。

(なぜ、そんな顔をする……?)

 困ったような、つらそうな、泣き出しそうな顔。その表情の意味を考えて、ゾッとした。
 もし、それが己への同情なら、彼女が自分に憐憫れんびんを向けているのだとしたら。
 ――耐えられない。
 たまらず視線をらすと、イリーゼがフッと笑う気配がする。視線を戻すと、彼女の顔に先ほどまでの表情はなかった。

「ごめんなさい。誤解させるつもりはなかったんですが、無神経でした。でも、何度でも言いますが、ロベルト様に結婚してほしいのは本当です」

 真剣な眼差まなざしは一瞬のこと。
 彼女はニッと――何かをたくらむ悪女のような笑みを見せる。

「ねぇ、ロベルト様。私は先ほど、『私の復讐は賭けだ』と言いましたよね」

 意味ありげに、彼女が笑みを深める。
 その先を知りたくて、「ああ」と答えた。

「だがなぜ、その賭けが俺との結婚に繋がる?」

 何かを期待しているわけではない。しかし、イリーゼが何を考えているのかは気になる。
 己の問いに、彼女は小さく笑うと、右手で自身の腹に触れた。

「私、妊娠しているかもしれません」
「な……っ!?」

 とんでもない告白に、言葉を失う。信じられない思いで、彼女の顔と右手の置かれた腹を交互に確かめる。

(嘘をついているようには見えない、が……)

 いくら眺めてみても、厚いドレスの下の体型など確かめようもない。
 では、それ以外。顔や手足に変化があるかと観察するが――

(ふくよかになったというより、むしろ……)
「あの、本当に妊娠しているかは分かりません。それに、もし妊娠していたとしても、まだ初期ですから、見た目には……」
「あ、ああ」

 彼女に言われ、「不躾ぶしつけだった」と、慌てて視線をらした。
 らした先、薄汚れたホテルの壁を眺めつつ、思考する。
 仮に、イリーゼの言葉を「真」とするなら、あのエドワードが彼女との離縁を望むだろうか。
 いくらシンシアに逆上のぼがっていたとしても、イリーゼの腹の子はソルフェリノの直系。あの男が、自らの血を引く子を手放すはずがない。
 そこまで考えて、ハタと気付く。

(まさか……っ!)

 イリーゼに向かい、浮かんだ疑念を口にする。

「腹の子の父親は、誰だ……?」

 その言葉に、イリーゼが目を見開く。そしてすぐに、皮肉げな笑みを浮かべた。

「ロベルト様、なかなかに最低な質問をしてくださいますね」

 言われてハッとする。確かに、彼女に対してかなり無礼な発言だ。
 謝罪しようと開きかけた口は、彼女の言葉にはばまれる。

「子ができていれば、当然、エドワード様の子です」

 迫力あるイリーゼの言葉に無言でうなずかえす。
 だが――だとしたら、エドワードが妊娠の可能性のある妻を手放したのは不自然だ。
 考えられるとしたら――

「あいつは知らないんだな? 子どものことを……」

 自分でも半信半疑。そんなことがあり得るだろうかと思って口にした問いに、イリーゼがわらう。

「知らないも何も、私自身、まだ判断がつきませんから」


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