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第二章 卒業課題

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学園へと帰り着いたウィルバートは、メリルと共に錬金実習室の一つへと向かった。第三研究室を追い出されたメリルが学園と交渉して使用許可を得たその部屋は、メリルの卒業まで、二人での使用が許可されていた。

改めて、実習室をグルリと見回したウィルバートの目に、壁際に設置された大釜が映る。

(これはまた随分と年季の入った……)

錬金の基本道具である錬金釜、実習室に置かれたそれは学園の備品で、かなり使い込まれたものだった。研究費で釜を新調できる研究室とは違い、ひと昔どころかふた昔は前の型。人の腰の高さを優に超えているため、かき混ぜるだけで一苦労しそうな代物だ。

(これだけの高さがあると、火の調節も難しいか)

ぼんやりとそう考察するウィルバートの横で、メリルが、採取してきた白水銀を大釜の中へと投入する。次いで、白水銀の凝固剤となる薬草と金属粉、それから最後に水を入れ、火を起こしにかかった。

(火を起こすくらい、言ってくれればいいのに……)

ウィルバートは内心でごちながら、旧式の竈に手作業で火をつけるメリルの後姿を眺める。当然のように――実際、メリルの卒業課題なのだから、それが当然なのだが――率先して錬金を始めたメリルに、ウィルバートは少しだけ物足りなさを感じていた。

頼ってくれればいいのに。

火が立ち上がったことを確認したメリルが、釜の材料をかき混ぜ始めた。その横顔を眺めながら、ウィルバートは思う。火起こしでもなんでも、もっと自分を頼ってほしい。そうすれば、いくらだって手を貸す。今だって、そんなにかき混ぜるのに四苦八苦するのなら、一言、「手伝って」と言ってくれればいいのだ。

(けど、先輩はしない、か……)

それが自分の領分、仕事だと思う範囲で、メリルが妥協することはない。今も「錬金は自分の仕事だ」と考えているから、ウィルバートを頼るという発想すらないのだろう。

力がある分、人に「当てにされる」ことの多いウィルバートにとって、メリルのそうした性分はとても好ましいものだった。

(まぁ、全く当てにされないというのもつまらないけれど……)

その分、探索においては自分が全てを担う。メリルには怪我一つさせないと決めて、ウィルバートはメリルの作業を見守った。

暫くして、ウィルバートはメリルの異変に気が付く。真剣なメリルの横顔、その表情に陰りが見える。

(……落ち込んでる?)

だとしたら、先程のキーガン達とのやり取りをまだ気にしているのだろうか。ウィルバートは、メリルにそう尋ねようとしたが、結局、言葉を飲み込んだ。聞き出したとして、ウィルバートには続く言葉が思い浮かばなかったからだ。

(本当、嫌になる……)

こんな時、慰めの言葉一つかけられない自分が。

ウィルバートは零れそうになったため息を飲み込んだ。代わりに、口を開く。

「黙ったままなんですか?」

「……え?」

物思いに沈んでいたためか、ウィルバートの問いかけに一拍遅れて反応したメリル。そのぼんやりとした瞳がウィルバートへと向けられる。メリルの溶けたチョコレートのような瞳を、ウィルバートはじっと見つめた。

「……以前は、錬金中、鍋に向かって色々、話しかけていたじゃないですか」

「えっ!?」

ウィルバートの言葉に、メリルが目を見開く。先程までの心ここにあらずな様子と違い、はっきりとウィルバートの言葉を認識したメリルの顔には、焦りと羞恥が浮かんでいた。

「あの、でも、それってうるさい、よね……?」

言い淀み、また、先程の陰りを見せたメリルに、ウィルバートは確信する。

「誰かに、何か言われたんですね?」

そう確かめれば、メリルはコクンと頷いた。

「うん。……しゃべりながら錬金するなって」

メリルの答えに、ウィルバートは深く嘆息する。呆れを多分に含んだため息に、メリルの肩がビクリと震えた。それを見たウィルバートは告げる。

「好きなだけ、しゃべってください」

「でも……」

「先輩は言霊使いなんですから。無意識だろうと声には魔力が宿ります。微々たるものだろうが魔力は魔力。錬金も、話しながらの方が上手くいくに決まっています」

「そんなの初めて聞いたよ?そんなことがあるの?」

「ええ。実証されてるわけではありませんが……、そんなの、先輩の錬金を見てれば分かることじゃないですか」

だと言うのに、どこの馬鹿かは知らないが、言霊使いのメリルに話すことを禁じた。それはつまり、錬金に魔力を使うなと言うこと。最近、メリルの錬金が不調だったという原因は明らかにそれだろう。

「しゃべってください。たくさん話しかけながら、錬金してください」

そう繰り返したウィルバートの言葉に、躊躇しながらも、メリルは口を開いた。

「……綺麗になれー」

鍋に向かって、小さな声で。語り掛けるメリルの横顔をウィルバートは見守った。

「……いっぱい、いっぱい、混ぜてあげるから。もっと、もっと、綺麗になろうねー」

そう語り掛けるメリルの言葉はまだどこか遠慮がち。かつて、ウィルバートが第三研究室で見ていたメリルの楽し気な姿には遠く及ばない。

ウィルバートは、再び口を開いた。

「……歌わないんですか?」

「えっ!?」

今度は、先程よりももっと驚いた顔を見せるメリル。その顔が羞恥に赤く染まっていくのを見て、ウィルバートは僅かに口角を上げる。

「以前は、歌も歌ってましたよね?」

「ど、どうしてウィル君がそれを知ってるの?だって、あれ!あれは誰もいない時だけ、一人の時にしか歌ってないのに……!」

顔を真っ赤に染めたメリルに、ウィルバートは首をかしげて見せる。

「さあ?何ででしょうね?……それで、先輩?歌わないんですか?」

「っ!?」

絶句し、口をはくはくと動かすメリルの顔から陰りが消えたことにウィルバートは満足する。

ウィルバートはメリルに明かすつもりはなかった。研究室の外、メリルの歌が途切れるのが嫌で、廊下で聞き耳を立てていた過去の自分のことなんて。




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