稲穂ゆれる空の向こうに

塵あくた

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アイデンティティ

教え給いし子守唄

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「嘘・・・

あの子が、蒼音がそんなこと言うてたん?

嘘や・・・・
だって、お母さん、そんなことあるわけない」

「梢、信じられへんのは、私もようわかる。
けど、自分の子の言うこと、信じてみようよ。

あの子は、こうまでして、今、ここに連れて来ようとしてるんやで。

茜音を連れて、必死にここを目指してるんやで。
蒼音と茜音が、二人一緒に過ごしたあの瞬間は、梢にこそ、生涯忘れられへん思い出やろう?
なあ、そうやろう?」

時バアは、娘をいたわるように説得してくれた。

「そらそうや・・・
忘れたことなんか一度もあらへん。

蒼音と茜音は、あの日まで私のお腹の中にいたんやから・・・・

あの子達双子は、いつも一緒に、私のお腹の中で成長してたんやから・・・・」

梢は受話器を握り締めたまま、悲痛の声をあげてその場に崩れ落ちた。

「・・・そ、そうや

・・・けど茜音はもうこの世にはおらん。

あの子は、この世に生まれることなく、一人私のお腹の中で死んでしもたやんか・・・
それやのに、なんで?

なんで・・・

茜音は私らの傍にずっといてくれたん?
なんで?
私気がついてあげられへんかったん?
あの子らの母親やのになんで・・・」

慟哭をあげて、嗚咽を漏らす梢を諭すように、時バアは話した。

「茜音は、蒼音の半身やから、だからあの子たちは通じ合うことができたんやないやろか。
きっと大丈夫。

蒼音が言うてたで、茜音をここに連れてくれば、解決出来るって、自信を持ってそう言うてた。
あの子、成長したんやね。いつまでも子供やないんやね」


「お母さん・・・


私信じる。蒼音の話信じる。

だからお願い、蒼音がそっちに行ったら、話してあげて茜音のこと。
あの子、何にも知らせてもらえずに、今までものすごく悩んだと思うから、話してあげて本当のこと。

私らも、明日仕事を終えたら、すぐにそっちに向かうから、それまで蒼音と茜音と友達のことよろしく頼みます」

母は受話器口で深々と頭を下げた。


受話器を置くと、梢は過ぎ去った追憶の日々を思い返していた。
甘くて優しい懐かしさの中に、残酷なまでの苦難が襲ったこと。
幸福と絶望が織り交ざった、あの日々。


双子を授かった時のこの世の春。

順調に育つ、お腹の中の子供達。

性別がわかり、名前を決めたあの夜。

名前と同じ、赤青の和風柄の産着を買ってしまったあのお店。

いつもお腹に歌い聞かせてあげた、赤とんぼの子守唄。

たくさん話かけた、我が子に託す、まだ見ぬ未来の夢。


そして・・・

芍薬の花咲き乱れるころ・・・


定期検診で、女の子の胎児の心音が聞こえなくなったあの雨の午後。

男の子の胎児も、このまま臨月まで育つかどうかわからない、と告げられたあの夏の日。

女の子の胎児の亡骸は跡形もなく、胎盤と男の子の胎児に吸収されてしまっていたという事実。

それでも一方は、無事に生まれてきてくれて感極まった、あの秋の夜。



全てが、遠い遠い昔のことのように感じていた。
けれども、それはほんの十年前の出来ごと。

誰でのせいでもなく、原因もわからない、避けようのない悲しみ。

癒されることのない悲しみを昇華させる為に、蒼音と茜音は、何も知らずに二人一緒に古里に向かっている。


二人が胎内で共に過ごしたあの日々を、自分達自身が思い出すために・・・




両親と時バアの間でそんな話があったとは露知らず、列車は進み、東の空に明けの明星を望むころ、いつのまにか朝を迎えていた。

うっすらと車窓に朝日が差し込み、座席に身体を横たえたまま一晩を過ごした子供達は目を覚ました。



「あ、朝だ。
もう朝だよ。
みんな起きて。
茜音も起きてよ、ほら終点だよ。
乗り換えの時間が来るよ」

『ふあ・・・・
~~あたちまだ眠いよ。
蒼音・・・・』

「え・・・もう着いたの?
今何時?」

「はあ~よく寝た。
お、もう着くのか」


他の二人はスムーズに起きだして、乗り換え準備を始めた。

茜音はまだ寝かせておいてやろうと、蒼音はリュックのチャックを開けて、上の方にすっぽり頭だけ出して茜音の身体を入れてやった。

「あは、それ可愛い、犬がよくそうやって、カバンに入れられてるよね」

琴音は慣れた手つきで髪を結わえると、身だしなみを整えて、きちんと座り直した。
終着駅に列車が入構すると、乗っていた人たちは皆我先にと、こぞって降りてしまった。


蒼音たちもそれに従うように駅に降りた。

しかし、これからまだ何度か乗り換えなければならない。

「っと・・・

まず一番線から乗って、それから、大阪行きの新快速に乗って・・・・

と、だから・・・
とりあえずこのホームを出ようぜ」

涼介の指示に従って一行はリュックを抱えて移動した。

構内の売店で、パンと牛乳を買うと、次のホームに並び、まもなくやってきた列車に乗り込んだ。


金曜の朝、世間の働く大人は、リュックを抱えた子供に構いもせず、せわしなく通勤列車に乗り込んできた。
週末に向けて、疲れの溜まり出したサラリーマンたちが、自分達を凝視している。

都会にはなじまない、朝からリュックを抱えた子供達三人を、けげんな目つきで見つめている。
本当は、そんなことなどなかった。

働く大人にとって、彼等は日常風景のひとコマに過ぎなかった。
けれども、親に黙って出てきてしまった、どこか後ろめたい罪悪感から、子供達は疑心暗鬼をぬぐい去れなかった。

大人達が僕らを怪しんでいる!

早く、早くたどり着きたい!


自分達を癒してくれる、心の古里へ一刻も早くたどり着きたかった。

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